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魚心あればときめく心 7
「ん……?」
名前を呼ばれた気がして目を開けると、見間違えようのない俺の好きな顔があった。
「あれ、ヒバリさん、おかえりなさい」
「いや、わかってるか? 今の状況」
妙に険しい顔で問われてぼんやり考える。
部屋の電気が点いていないのか薄暗いけれど、どこからかの光でヒバリさんの顔はちゃんと見える。そしてかっこいいこともわかる。
ただ見上げる綺麗な顔が、いつもと雰囲気が違う。浮かべられている表情が色っぽくないというか、難しい顔をしている。
なにより。
「水も滴るいい男……?」
「本当にお前は俺の顔が好きだな」
水が滴っていてもいい男だけど、なんで水なんて……。
と、そこまで考えて目の前で流れ出るお湯が瞬いた。
「あ、シャワー! わああ大丈夫ですかヒバリさん!」
「苦手なだけで死ぬわけじゃねぇから落ち着け」
勢いよく飛び起きたらヒバリさんにぶつかりそうになって、めまいを覚えてまた倒れそうになったのを抱きとめられる。
そりゃ慌てもする。
だって吸血鬼は流れる水が苦手だとヒバリさんに聞いた。だからシャワーとか雨とかそういうものを避けるんだと。だからお風呂は入ってもシャワーは使わない。
でもさっきはシャワー出しっぱなしにしていたし、現にヒバリさんびしょ濡れじゃないか。
「ご、ごめんなさいっ、俺のせいでこんな……っ」
改めて見てみると、どうやら俺はベッドの上に寝かされていたらしい。巻かれていたらしいバスタオルが飛び起きたことによって周りに広がっている。
俺の記憶は風呂場で途切れているから、当然ここまで連れてきてくれたのはヒバリさんで、タオルを巻いてくれたのもヒバリさんなんだろう。今この状況にいてもにわかには信じられないことだけど、たぶん現実だ。
ヒバリさんが俺のことを助けてくれたんだ。
「いいから。落ち着けって。水は飲んでないな?」
「……ないです」
落ち着かせるように背中をさすられて、そのままヒバリさんにもたれかかる。冷たい体が気持ち良くて頼もしい。
「ったく、帰ってきたらシャワー出しっぱなしで風呂に沈んでたんだぞ。さすがに俺でもビビったっての」
「ごめんなさい」
どうもあのまま寝てしまったらしい俺を帰ってきたヒバリさんが見つけ、お風呂の中から引っ張り上げてくれたらしい。
肩越しにリビングの方を見れば、滴った水の跡が点々と見えた。その跡からしてヒバリさんもだいぶ慌てていたようだ。申し訳ないけど、その証拠が見れて少し嬉しい。
……でも、もしヒバリさんが帰ってこなかったらあのまま俺は目を覚まさずに溺れていたかもしれない。そう考えると今さらながらぞっとした。
幸せとはなにかについて考えながら永遠に眠りにつくだなんてまったく笑えやしない。
「ちょっと待ってろ。そのままだと風邪引くから」
俺が落ち着いたのを見計らって、ヒバリさんが俺の髪をぐしゃりと乱した。そのせいで垂れた水が首筋を通って滴る。その冷たさにはっとした。
「そうだ。ヒバリさん早く着替えて」
「さっきから俺のことばっかりだな、お前。吸血鬼が風邪引くと思うか?」
「引くかもしれないじゃないですか。そんなの俺よりも大事です」
そうじゃなくても流れる水に触れることでどんなダメージがあるかわからない。そう思うと、少しでも早く乾かした方がいいに違いない。
「お前に風邪引かれたら俺が食事できねぇだろ」
だけどヒバリさんはそんなことを言って俺の体を離すと、ベッドから下りて行ってしまった。
確かに、それはよろしくない。
妙に納得して大人しくベッドの上で「待て」をしていると、少しして戻ってきたヒバリさんの姿に驚かされた。
なぜならヒバリさんは、濡れた服を脱ぎ捨てたのか上半身裸にタオルを引っかけて、手にはドライヤーを持っていたんだ。
……やっぱり俺はまだ風呂の中で夢を見ているのかもしれない。
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