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飛んで火に入る夜のエサ 3
訪れたビルの中の水族館は閉館時間が間際だったからか、人はほぼいないかった。
それでも二組ほどのカップルがいたのはやっぱりムードがあるからだろうか。
「はぐれると困るからね」
そう言ってクライスさんは俺の手を握った。男同士で手を繋いでいたら目を引くかもしれないけれど、館内は薄暗いし時間が時間だ。人目はないに等しい。
なによりこれはクライスさんの意思表示なのだろう。俺をどう思っているかのわかりやすいアピール。
デートらしいデートなんてほとんどしたことがない俺は、ただクライスさんについて歩くしかできない。クライスさんはモテそうだし、きっとこういうデートは何回もしてきたんだろう。そんな人が、どうして俺を選ぶのかはやっぱりわからないけど。
「僕と付き合うこと、本気で考えてほしいな」
結局時間が時間だったためにほとんど通り抜けるように水族館を出て、駐車場に戻ってきた時にクライスさんにそう言われた。
たぶん水族館は口実で、今日はこの話のために呼ばれたんだろう。
「一方的に貢ぐだけなんて空しいだけだろう? ただ搾取するだけで君の気持ちに応えない男なんてやめた方がいい。僕なら君を大切にするよ」
そういえばヒバリさんのことをアイドルに譬えたんだっけ。それとも俺の話のどこからか、悪い彼氏がいるとでも思ったのか。
でもそれは俺が悩んでいたことそのままで、正しい答えのような口説き文句だった。
「嫌なら、ちゃんと断ってほしい」
そして俺の反応を窺うように近づいてきた唇は、避けようと思えば避けれた。多分クライスさんも試す意味でゆっくりと顔を近づけたのだと思う。
それを、俺は受け入れた。
「ん」
クライスさんの手が逃げなかった俺の後頭部へ回る。撫で上げるように髪を乱し、さらに深めるように手に力がこもる。
大人のキスだな、とどこか冷静に思う。ちゃんとどういう意味でキスをしているか伝わるし、いい意味で手慣れている。絶対モテる人だ。
「はぁ……」
それほど長くはなかったけれど、外でされたキスに頬が火照る。吐いた息も湿っていて、漏れた声が恥ずかしい。
今日は帰りたくない、なんて子供の駄々のような気持ちは、今言えば安っぽい意味に取られるだろうか。
「家に大きな水槽があるんだけど見ていかない?」
そしてその気持ちを汲んだかのように、クライスさんが大人っぽい微笑みを浮かべてそんな誘いをしてくれた。
この流れで家に呼ばれるのがどういう意味か。子供じゃないのだからさすがにわかる。俺だってそういう意味でついてきた。今さら帰る気なんかない。
「……見たいです、水槽」
「うん、じゃあ行こうか」
助手席のドアを開ける手はスマートで、俺は小さく息を吸い込んでから決心して乗り込んだ。
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