車でやってきたクライスさんの家は、住宅街の一角にある横に広いマンションだった。 　エントランスも廊下もまるでホテルのようで、静かな中に響く足音に緊張しながら最上階である五階クライスさんの部屋へ向かう。 「えっと、お邪魔、します」 「おいで。電気を点けない方が綺麗なんだ」 　我が家と違いすぎる広い玄関に戸惑いながらも靴を脱ぎ、月明かりが薄っすら差し込む廊下を手を取られて歩いた。 　まるで異世界にでも導かれている感覚。 　俺の意識がそうさせているんだろうか。 　ヒバリさんのもとを離れて、まだあまりよく知らないクライスさんの手を取って家にまで来て。これからのことを思うと、どこか足取りがふわふわする。 「わあ……」 　辿り着いた広いリビングの真ん中には、大きな円柱の水槽があって、深海を思わす青いライトで照らされていた。それこそまるで水族館のよう。水槽、という言葉でイメージしていたものとは少々形が違った。 　そして泳いでいるものも予想とは違っていた。 　水槽の中にいたのは、赤い体を持った小さなクラゲ。それが何匹も何匹も舞うように泳いでいる。 「クラゲだ」 「うん、ベニクラゲだよ。気に入ってるんだ」 　暗闇に浮かぶクラゲはとても幻想的で、辺りが暗いのと相まってまるで夜空に浮かんでいるような気になる。 　水槽というからてっきり熱帯魚がいるのかと思っていたけど、クラゲとは意外だ。しかも普通の白っぽいクラゲとは少し違う。 　丸く赤い核を半透明な傘で覆っている、小さなクラゲ。 「ベニクラゲって確か、死なないクラゲじゃありませんでした？　なんかテレビでやってた気が」 「おや、よく知ってるね。正しくは若返ることで寿命による死を免れてるんだけど、不老不死だなんて言われてるね」 「不老不死……」 　その言葉で、不意にヒバリさんを思い出してしまう。 　そうだった。テレビでその話題を見て、ヒバリさんと同じですねと口にした途端、一緒にするなと叩かれたんだっけ。 　こんな時に何気ない会話とその顔を思い出し、決心が揺れる。 　やっぱり俺、間違ったんじゃないだろうか。 「クライスさ……ん、んんっ」 　振り返り、言おうとした言葉を飲み込ませるように唇が塞がれた。ぬるりと入り込んできた舌が絡まり、吸われ、体から力が抜けていく。 　その体をしっかり抱きしめ、クライスさんが角度を変えてキスを深めた。 「んっ、ん、ふ」 　背中に回されていた手が腰に滑り、それからさらに下がる。それと同時に足の間にぐいっと入り込んだクライスさんの足が俺を水槽に縫い留め、その唇が俺の首筋へ滑った。ひやりとした濡れた感覚に、今さら焦りが沸いた。 　ヒバリさんに拒否された反動で勢い込んでついてきてしまったけれど、やっぱり俺にはこんなの早かった。 　一夜限りの相手がどうとか、生意気を言った。そんな覚悟もないくせに。 　ただ俺は、誰かに愛されたかったんじゃなくて、ヒバリさんに受け入れてもらいたかっただけなのに。 「あ、あの、やっぱり俺まだ、こういうの……っ」 　こんなところまで来て今さら帰りたいなんて、自分勝手なことを言おうとしているのはわかっている。 　だけどクライスさんなら話せば理解してくれると思った。レストランでも戸惑う俺を追いつめはしなかったし、時間も置いてくれた。今日だってデートだと誘って、何度も今後のことを確かめるタイミングをくれた。 　そんなクライスさんだからこそ、ちゃんと好きにもなってないのに先に体を繋げることに疑問を覚えてくれるはずだ。 　残念だけど心の準備ができた時に、と苦く笑ってくれるはずに違いない。 　だからごめんなさいと謝って、なんとか帰らせてもらおうとしたけれど。 「悪いけど、我慢の限界だ」 　囁くような声がしたと同時に、首の根本に覚えのある痛みが走った。冷たく鋭い痛みと、すぐに湧いてくる熱さ。 「あ、ふあ……あ……」 　咄嗟にその体を突き放そうとしたけれど、すべて遅かった。 　まるで水中にいるかのような、もがいても手応えのない浮遊感。そして急激に体から力が抜けていく感覚。 　かくんと膝が折れて、それでも崩れ落ちることを許されないまま、俺の意識は暗い闇の中に溶けていった。 　たぶん、バチが当たったんだと思う。