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飛んで火に入る夜のエサ 5
まぶたを開けることさえひどくだるく、体はまるで砂が詰まったかのように重い。
それでもなにかに急かされて無理やり目を開けると、ぼんやりとした視界の中見知らぬ天井が見えた。
柔らかな背中の感触はきっとベッドの上で、そこに運んだであろう主の声はすぐ傍から聞こえた。
「悪いね、あんまりにも君が魅力的で、我を忘れて一気に吸いすぎてしまった」
声はいつもと変わらず穏やか。目線だけをそちらに向ければ、少し困ったような微笑みが見える。
口の端に伸びる牙と、暗闇の中でしっかりと俺を捉える赤い瞳だけが異質に映った。
「味見した時も思ったけど、君の血はやっぱり極上だったよ。久しぶりに満足した食事ができた。ありがとう」
にこりと微笑むその表情も感想も、まるでいつものブルーレアを食した時のよう。
だけどこの場合食われたのは俺で、その結果体はまともに動かなくて。
こんなに嬉しくない褒め言葉があるだろうか。
おかしいな。褒め言葉が上手い人だと思っていたのに、どの言葉も今の俺には上滑りして聞こえる。さっきまでと違ってこれこそが本心だろうに。
とにかくひどくだるくて、このまま眠ってしまいたい。けれどそうはいかない。
味見、と言った。グラスを割った時に切れた指を舐めたのは、うっかりでも優しさでもなかったんだ。どうりでグラスに触れた感覚がなかったのに割れていたはずだ。あれ自体が、まさしく味見だったんだ。
「クライスさん、も、まさか、吸血鬼、だったんですか」
覚えのあるこの虚脱感とその牙だけでほぼ確実なんだけど。喋る声も掠れ、聞いたところでどうにもならない状態とはいえ、やっぱりこれは確かめておかないといけない。
そしてその問いを聞き、クライスさんは答えを見つけたように小さく笑った。
「『も』ってことは、やっぱり君のクズな彼氏は同類なんだね。ここに何度も噛まれた跡があるからそうだと思った。だけど目は濁っていないから暗示は使われていない。ということはよっぽど君が心酔してるのかな? 本当にもったいないよ。こんなに美味しいのに」
「それはどうも」
首筋の牙の跡をなぞりながら告げられたまったく嬉しくない誉め言葉に、やけ気味に返す。
そんな精いっぱいの虚勢がお気に召したのか、クライスさんは動けない俺の頬にそっと触れた。赤い瞳が嬉しそうに細められている。
「ただ、僕についてきたってことは隙はあるってことだよね。……大丈夫。僕が恋人として飼ってあげるから。ちゃんと満足させてあげるよ。心も体もね」
どうにも最悪なことに、クライスさんはさっきの吸血で終わらせてくれる気はまったくないらしい。休ませてくれるだけのベッドじゃないということ。
ああ悔しい。泣きたいくらい自業自得だ。
「気が変わったので帰らせてください。お付き合いの件もお断りさせてください。……って言っても聞いてもらえませんよね」
「うん、気に入っちゃったんだ、君のこと。吸血されて感じる君のことを見ていたら、もっと啼かせたくなってしまったよ。……知ってるかい、睦月? 血を吸われながら絶頂を迎えると、天国が見えるくらい気持ちいいらしいよ」
まともに生きていたら決して知ることのない知識を楽し気に語り、クライスさんは俺のシャツのボタンを一つ一つ外していく。わざとらしく、丁寧に。
「試してみようか。君がどれぐらいもつか」
睡眠欲がない分、食欲と性欲が旺盛なのがとても吸血鬼らしい吸血鬼で嫌になる。
少ししか動かない腕を、それでもなんとか突っ張って抵抗を試みるも、クライスさんはその腕を軽く握って止めると俺の目を覗き込んできた。
その意図に気づいて目を閉じようとしたけれど、遅すぎた。すべてにおいて、俺はあまりにも鈍い。
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