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飛んで火に入る夜のエサ 6

「僕の目を見て、僕の声を聞くんだ」  赤い瞳に見つめられた瞬間、ぐるりと世界が揺らいだ。  道路の音も、水槽の音も、すべての音が消えてクライスさんの声だけが響く。 「睦月。君は大人しく感じていればいい。気持ちのいいことしかしないから」 「はい……」  甘い囁き声が直接脳に響くように絡みついて、眠気にも似たねったりとしたもやが思考を覆っていく。  その中で俺の口が勝手に言葉を発し、突っ張っていた手を下ろした。まるで別人みたいに、俺の体が俺以外の意志で動く。 「僕に身を任せてごらん。大丈夫。睦月は僕に血を吸われたくてたまらないはずだ。気持ちのいいことが好きだろう? ほら、気持ち良くしてほしいならねだるといい」  甘く優しい声が脳に溶けて、なにも考えられなくなる。  拒否していた手を、今度は求めるために首に絡める。本当の俺の気持ちとは関係なく。  言われた通りにしたい。甘いもやの中にこのまま溺れてしまいたいと体と心が抵抗を投げ出した、まさにそのタイミングのことだった。 「誰に断って俺のもんに手ぇ出してんだよ」  不機嫌に低められた声が空気を震わせる。  それが誰のものなのか、霧がかった頭の中から答えが引っ張り出せない。 「おや、君が噂の甲斐性なしの飼い主か。呼んだ覚えはないんだけどね」 「すぐ出てってやるよ。自分のものを取りに来ただけだ」  俺の上で体を起こしたクライスさんが余裕のある口調で言ったそれに、微かに感じる苛立ち。  それ以上にわかりやすく苛立った声で告げられた言葉に胸がざわめく。 「睦月、俺の顔を見ろ」  その声に名前を呼ばれた瞬間、電撃のようなびりびりとした痺れが体を駆け抜けた。  はっきりしない頭も、言うことを聞いてくれない体ももどかしくて、なんとか視線だけを動かして暗闇に目を凝らす。  今まで誰もいなかった闇の向こうに、銀色の髪が瞬いた。俺の、大好きな顔。  それと同時に、大事な名前もきらめく。 「ヒバリ、さん……?」  その名を呟いた瞬間、頭の中の霧が晴れた。 「ヒバリさん! は、離して……っ!」 「おや、暗示が解けちゃったか。さて、じゃあどうしようか? シェアでもして楽しむかい? ……っと、冗談冗談」  ほんの一瞬。  クライスさんがもがく俺の喉を掴もうとした瞬間、消えるみたいにベッドから跳んだ。そして入れ替わりにヒバリさんが現れる。たぶんヒバリさんが飛びかかったのをクライスさんが避けたんだろうけど、どちらも早すぎて瞬間移動したみたいだ。 「ったく、好き放題吸いやがって。……ほら、帰るぞ」  力の入らない俺の体を起こし、ぐったりとしたその様子にため息をついてから、ヒバリさんは俺を背負った。その様を、クライスさんは少し離れたところでじっと見ている。いつもと違う赤く輝く瞳が不気味だ。 「十分いい思いしただろ。お前はお前の獲物を探せよ。こいつは俺のだ」 「……いいよ。今日は十分吸ったからね。家に帰るといい。今無茶させるとこれ以上楽しめなくなるからね」  驚くほど呆気なく、クライスさんは俺たちを見送った。  ただヒバリさんの言葉に対してはなにも聞く気がないらしい。余裕ある態度は強気の表れなのだろうか。 「ごちそうさま、睦月くん。また今度」  どうやらなにも改める気のないクライスさんに舌打ちをして、ヒバリさんが向かったのは玄関ではなく、ベランダ。 「え、あの、ヒバリさん?」 「こんなとこ、一秒でも長くいたくねぇんだよ」  そう不愉快そうに吐き捨てたヒバリさんは、俺を背負ったままベランダから飛び降りた。

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