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飛んで火に入る夜のエサ 7
あまりに予想外の恐怖に襲われると、悲鳴なんか上げられない。
例えば五階から一気に飛び降りるとか。
いや、正確には一気にではなく途中の木の枝に乗ってから、入り口の屋根に飛び移り、別のマンションの上へ渡り、また飛び移り、とおよそ人間離れした動きをされて、必死にしがみつくしかなかった、が正しい。
人間離れというか、そのもの吸血鬼なんだけど。
空中散歩、なんて可愛いものではなく、まるで激しすぎるジェットコースターに乗っている気分だった。
夜のヒバリさんはなんとまあ身軽なことか。
方向感覚も抜群らしく、あまりのスピードに目をつぶっている間に家に辿り着いていた。まるで家が近所だったような距離感だけど、もちろんそんなことはない。
直線距離と一切邪魔するものがない道選びのおかげだ。まあ正確に言えばほとんどが道ではなく、概ね人の家の屋根だったけど。
しかもヒバリさんはそこから出てきたのか、帰宅は窓から。
そこで気づく。そういえば俺、靴をあの家に置いてきてしまった。荷物はヒバリさんが一緒に持って来てくれたみたいだけど、玄関には行かなかったから靴はそのままだ。もちろん取りに行く気はないので、言うつもりはない。
ともあれなんとか我が家に帰ってきて、ヒバリさんにベッドに降ろされてぐったり寝転ぶ。……気でいたけれど、ヒバリさんは俺をそこに座らせ検分するように噛まれた跡を調べた。
「吸われただけか?」
「だけです」
「……醜い牙の跡だな」
不機嫌そうな声音とともに、ヒバリさんが俺の肩をゆっくりと唇で食んだ。血を吸われる時とは違うくすぐったいようなぞわぞわした感覚が肩から全身に走る。
「なっ、あ、あのヒバリさん……?」
「血止め」
ちゃんと血が止まっていなかったのか、ヒバリさんの舌がクライスさんの牙の跡をなぞる。もどかしい気持ち良さが恥ずかしくて、だけどそれになぜだかすごくほっとしてそのままヒバリさんの肩に頭を乗せる。
体がだるいし、騙されたショックが今さら襲ってきた。
「せっかく俺が我慢してたのに惜しげもなく吸わせやがって」
「ごめんなさい」
言葉は荒いけど、ぽんぽん頭を叩く手は優しくて泣きたくなる。
本当に、こんなことならヒバリさんに吸ってほしかった。しかもクライスさんに血を吸われて、それでも気持ち良くなってしまったことも恥ずかしい。
吸血鬼なら誰に吸われても気持ち良くなってしまうなら、ヒバリさんが吸う相手を誰でもいいと思ったって文句が言えないじゃないか。
「はー……ったく。ほんっとお前って男を見る目ないな」
「……それについてはもう返す言葉もありません」
呆れた声で言われれば、もうなにも言えない。俺もそう思う。
そりゃあまさかクライスさんも吸血鬼で、血を吸うために引っかけられただなんて想像外の展開ではある。予想しろって言われたって誰にも無理な話だ。
でも、そもそもは俺がそれに引っかからなければよかっただけの話なんだ。女子高生の芦見ちゃんがさっくりと避けた罠にまんまと飛び込んでいった自分が本当に情けない。
しかもここ最近だけで、いいなと思った人が二連続吸血鬼だったとなっちゃあ、見る目を誇る気もない。
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