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闇夜に提灯 6
定休日の水曜日は従業員も休みとなる。
その日も朝から洗濯を済ませ、必要な買い物も明るいうちに済ませておいた。
そして日が落ちる頃になって起きてきたヒバリさんと、だらだらしたり一緒にゲームをしたり、のんびりした時間を過ごして、夜。
少し遅めの夕飯も食べ終わり、風呂に入ろうかそれともヒバリさんにすっかりご無沙汰な吸血をねだってみようかと考えながら洗い物を終えた時のことだった。
「睦月」
名前を呼ばれて振り返れば、家着ではない格好のヒバリさん。どこかにお出かけだろうか。それとも一緒にコンビニにでも行ってくれるのだろうか。
「もう二度と怪しい奴についてかないって約束できるか?」
「ついていかないです。俺だって怖い思いはしたくないですよ」
怪しい奴についていったというよりかは、軽い気持ちで誘いに乗ってしまっただけだけど。
それでも怖い思いをしたのは確かだし、あんなの俺だって勘弁願いたい。
あの時たっぷり血を吸われたせいで、ヒバリさんは全然俺の血を吸わなくなってしまったんだ。
ただでさえ物足りない思いをしていたのに、吸血によるかりそめの気持ち良ささえ与えてもらえなくなってしまった。そんなの一体なんで一緒に住んでいるのかわからないじゃないか。
「体調は悪くないな?」
「悪くないですけど……?」
「じゃあ手出せ」
なんの確認なのか、首を傾げつつも素直に手を伸ばすと、ヒバリさんがなにかをその手に握らせてきた。
「これ持っとけ」
渡されたのはワインとグラス二つ。
「え?」
「落とすなよ」
なにがどういうことなのか、答えは行動で示された。
「ちょっ、え、ひ、ひ」
「暴れたら落ちるからな」
背中を支えられ足をすくわれるようにして持たれて、軽々と抱え上げられた。いわゆるお姫様抱っこだ。お姫様でもないのに。
大して筋肉がついているようには見えないのに、ヒバリさんが見た目以上にしっかりとした体つきをしているのは知っていた。普通よりも力が強いのも知っていた。
だけど華奢でもない男の俺をこうも軽々と持ち上げられるほど力があるとは思っていなかった。
「ひ、ひばりさん、これは……っ」
「一応掴まっとけ。あとちょっと目つぶっとけな」
聞きたいことはなにも教えてもらえないまま、言われた通り片手をヒバリさんの肩に回し、もう一方の手でワインとグラスを抱える。
そして目をつぶったと同時に、奇妙な浮遊感があった。まるでエレベーターで下の階に降りる時のような、具体的には窓から飛び降りるような。
「ひっ……」
思わず声を上げてしまったけれど、どうなっているかは想像できた。
たぶんクライスさんの家から帰ってきた時のような道なき道を走っているんだろう。
大人一人を抱えて軽々と建物の上を飛ぶように跳ねていく様は、きっと誰かが見てもにわかには信じられないはずだ。実際体験している俺がまるで現実だとは思えないのと同じように。
「大丈夫。離さないからしっかり掴まってろ」
俺が怯えていたからだろうか。
囁くヒバリさんの声はときめきしか与えてくれず、俺は頷いて抱きつく腕に力を込めた。
本当に俺って先のない恋愛ばっかりしているなぁ。
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