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 理解ができていなかったうちは、なにも考えられなかった。  だが、今ならハッキリと思う。  ──悲しくて、寂しい。  ──信じられないし、信じたくなんかない。  ──『ウソだぜ』と言って、棺桶から飛び出てきてほしい。  今ならまだ、殴らない。怒鳴りもしないと、約束しよう。可能な限り、笑い飛ばしてやる。  ──だから、早く。  ──今すぐに。 「立てるか、平兵衛」  龍介に誘われるがまま、俺はイスから立ち上がる。覚束ない足取りでも、龍介が腕を引くから、歩くしかなかった。  立派な花に囲まれた、冬樹の遺影。  棺桶の中で眠っている、お前に手を合わせてしまう前に。 「ふ、ゆき……ッ」  ──頼むから。  ──早く、起きてくれ。 「平兵衛、ほら」  龍介が先に、手を合わせる。  隣で茫然と立ち尽くす俺に、龍介は静かに声をかけた。  急かすようで、哀れむように。龍介は、呟く。  いつもは不機嫌そうな顔をして、悪態を吐くだけなのに。不愛想な龍介が、そんな風に心配そうな声を出していること自体が、驚きだろう。  だが、そうさせているのは誰だ?  ……答えは、俺だった。 「な、んで……ッ」  かすれた声を、思わず漏らす。  目の前に横たわっている、冬樹を見つめた。  こんなに静かな冬樹は、見たことがない。寝ているときでさえも、冬樹は表情豊かな男だったのだ。  俺は固まっていた筋肉を動かして、やっと腕を上げる。  そして、俺は。  ──冬樹に向けて、手を、合わせた。  これは、別れの儀式なんだから。  頭の片隅程度にしかなかった実感が、ジワジワと俺の頭全体を侵食し始めた。  ──お別れだ。  もう、理解するしかない。  目を背けたりなんかしてはいけないし、もう、できないだろう。  ──認めるしか、ない。  ──月島冬樹という人間は、死んだのだ。  龍介に、なにも言えず。  冬樹にさえも、心の中ですら、なにも言えずに。  俺は長く長く、手を合わせ続けた。  * * *  葬式というものは、長いようで短いものなのか。冬樹の葬式は、そんな風に感じられた。  お坊さんのありがたい言葉も、喪主の挨拶も、なにも覚えていない。  式が終わり、周りの人間がゾロゾロと帰っていく。そんな中、俺はどうしても、立ち上がれない。  俺と龍介の周りには、冬樹の友人と思われる人が何人もいた。他にも、どこかの現場で一緒に働いたことがある、俺でも知っている人たち。  ……決して、小規模ではない。けれど大規模でもない、なんてことない葬式。  数え切れないほど行われる葬式のうちの、ひとつ。  ……それが、終わろうとしていた。 「平兵衛、そろそろ出るぞ」  俺が立ち上がらないからか、龍介は隣に座り続けてくれている。  龍介にとったら、冬樹は大して特別な人間ではない。言ってしまえば、ほぼ他人のような相手だ。  一応知り合いだから、義理で出席した。……そんな葬式。  涙ひとつ流していないし、目元も赤くない。いつもの龍介だ。  ……そう、だよな。  葬式なんて、これだけが特別なわけじゃない。冬樹が死んだからって、世界が終わることはないのだ。  ──人気急上昇中モデル兼、俳優。  そんな肩書きを持つ月島冬樹が死んだことを、テレビで数回報じたところで。  涙する人間の方が、全体数と比べると、少ない。 「……分かってる」  龍介の問いに頷き、俺はゆっくりと立ち上がった。  手を貸すとかは一切しないが、俺の遅い動きに、龍介は合わせてくれている。 「別に、急かしてるわけじゃねぇから。ムリはすんなよ」 「あぁ」  ふと。一瞬だけ、振り返ってしまう。  俺が今までで一番見てきた、冬樹の表情。  笑顔でこちらを見ている、冬樹の写真。  冬樹の遺影を、視界に捉える。  ──おかしいな。  ──冬樹の笑顔なんて、飽きるほど見てきたのに。  遺影を眺めると、妙な気持ちになった。  ──なんでだろうな。  ──【滅多にしない特別な表情】ってわけでもないのに。  ──そう、分かっている。 「冬樹……ッ」  ──なのにもう、見たくてたまんねぇんだ。  誰からも、返事なんか返ってこない。そうは分かっているのに、冬樹の名前を呟く。  ──またバカみたいなことを言って、笑ってくれよ。  叶うことのない願いを、無意識のうちに抱きながら。  俺は龍介と共に、会場から出た。

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