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 今まで一度だって思い出したりすることのなかった、冬樹の言動。  他愛もない冬樹の一挙一動が、部屋の掃除をしていくにつれて──。  ──『この部屋の主が戻ってこない』と理解するにつれて、波のように押し寄せてきた。  逃げ出すこともできずに、波のようなその感傷に溺れそうになり。  俺には、その波が『現実を受け止めろ』と責めてきているように思えて。……否が応でも、受け止めるしかなくなった。  ──月島冬樹は、もうこの部屋に帰ってこない。  ──月島冬樹は、死んだのだ。  そう理解すると同時に、俺の涙腺がぶっ壊れた。  俺の両目は、ただただ内側から溢れる涙をこぼすことしか、できなくなったのだ。  休みをもらっていた、一週間。俺はそんな、鬱々とした日々を過ごしていた。  あの日々を思い出すと、体が小さく震えてくる。目の奥が、熱いような痛みを訴えてきた。  ──マズい。  冬人に向ける、続きの言葉を紡げない。  これ以上話したら、遺族の前で泣いてしまいそうだからだ。  ──ミスったな。  ──こんな話、するんじゃなかった。  だが、今さらそう思ったところで、もう遅い。  冬人も冬樹との思い出かなにかを思い出したのか、黙っている。  いつの間にか、ニュース番組は終わってようだ。聞こえてくる音が、バラエティ番組に変わっている。  芸能人のトークや笑い声が、静かなリビングに響いた。  そんな中で、冬人が口を開く。 「平兵衛さん」  名前を呼ばれても俺は、冬人に目を向けられなかった。  ビンの中に残る焼酎を、グラスも使わず一気に飲み干す。そのまま俯き、ゆっくりと目を閉じた。  それでも、小さく返事をする。 「……どうした」 「私は、兄を凄い人だと思っている」  その言葉に、俺は閉じていた目を開いた。 「兄は馬鹿で、残念な人ではあった。けれど、仕事に対する姿勢や兄に集まってくる人たちを見ると、私の兄は『本当に凄い人なんだ』と。そう、心から無邪気に思えた」  その言葉は、俺への慰めなんかじゃない。……冬人が抱く、冬樹に対する【本気の評価】だ。  冬樹が、高校生の頃。アイツは実家から、仕事に向かっていた。だから冬人は、その時の冬樹をリアルに見ていたんだ。  見て、そばにいたからこそ……冬樹の仕事に対する情熱を、冬人は知っている。 「兄が死んで、葬儀から数日後。兄の所属していた事務所から、私に仕事の話がきた」  冬人が続けたのは、マネージャーが電話で言っていた話だ。  冬樹の葬儀の、二日後。マネージャーは、冬人をスカウトした。……冬樹の、代役として。 「私は、その時に確信した。『兄は皆の中で、死んでなんかいない』と。『今も、兄は誰かに求められている』と」  冬人の声は、変わらず淡々としている。  ……だが、なんだ?  ──どことなく、様子がおかしい気がする。  顔を上げると、冬人は麦茶の注がれたコップを見つめていた。その表情は、険しい。  冬人はコップを握る両手の力を、強くした。  そして……。  ──俺が抱いていた疑問全てに対する、冬人の真意を。  ──俺にとって衝撃的なことを、呟いた。 「──だから、私は【月島冬樹】になる。【月島冬樹】になって、兄をこの世界に存続させたい。私はそのためだけに、ここへ来た」 4章【親友の弟の目的は、】 了

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