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思わぬ強襲 ※
「あのオッサン、ほんっとに最悪!」
発情期が終わり、ようやく通常通り出勤した純は、休暇中の出来事について愚痴をこぼした。
「マジ?あの大貴ってヤツ、ガチのストーカーじゃん。警察に相談した方がよくない?」
隣で愚痴を聞いていた仁志が、そう提案してくる。
「そうしたいけどさあ、イヤミ言われるだけで、今のところはこれといった危害は加えられてないんだよね。そもそも、それぐらいじゃ警察はまともに動かないって聞くし。何より、事を大きくしたくないんだよ。万が一、ボクが通報して「A社の人物がストーカー⁈」なーんて大騒ぎになって、この店にマスコミが殺到…なんてことになってみなよ。地獄だよ地獄!高貴さん、ただでさえマスコミ嫌いなのに」
「うーん、それも一理あるかあ…」
高貴さんは、過去の事件のことで週刊誌や新聞社の記者にあれこれ追及されたことがあるらしく、それ以降、大のマスコミ嫌いになったという。
「でしょう?だから、しばらくは様子見」
「それがいいかもね。でも、ホントに危なくなったら、通報するんだよ?それが難しいなら、オレが助けるからさ」
「うん、ありがとう」
仁志の気遣いに感謝しつつ、今日の業務を終えた純は、長田さんと閉店作業を始めた。
しかし、長田さんの子どもが風呂場で転倒して怪我をしたという連絡が入り、長田さんは早退せざるを得なくなった。
「ごめんね、軽井沢くん」
去り際に、長田さんはすまなさそうな顔をして謝罪してきた。
「いいですよ、もうすぐ終わりそうだし、もう上がってください。お疲れ様です」
バタバタとせわしない様子で去っていった長田さんを見送りながら、純は閉店作業を進めた。
──子どもがいる人は大変だなあ…まして長田さんはシングルマザーだし
もうすぐ閉店作業が終わる。
その矢先に、純の体に異変が起きた。
──うそ⁈
発情期だ。
もう過ぎたと思っていたのに、今日もまたやってきた。
──最悪!
その場に立っていられず、純は店の厨房でうずくまった。
──仁志を呼ばなきゃ!
エプロンのポケットからスマートフォンを取り出し、仁志を呼ぼうとしたところ、パタッ、パタッと誰かの足音が聞こえてきた。
──誰だろう?長田さんが忘れ物でもして、戻ってきたのかな?
だとしたら、長田さんに助けてもらおう!
足音が近づいてくる。
それにつれて、純はあることに気がついた。
長田さんの足音にしては、硬くて重過ぎることに。
長田さんは小柄だし、基本的にゴム底の靴を履いているから、足音も軽やかだ。
──長田さんじゃない?じゃあ、だれ?
足音が、純の前でピタリと止まった。
「……ジュンちゃん?」
音の主は、大貴だった。
「な…なんで、え?」
なぜ大貴がここにいるのか。
そんな疑念を抱いたと同時に、大貴は純にのしかかってきた。
フェロモンの影響で欲情し、衝動を抑えられなくなっているのだろう。
息は荒いし、欲情を孕んだ目はギラギラ不気味に光っている。
「……ジュンちゃん、アルファとの発情期セックスは初めて?」
大貴の熱い吐息が首筋にかかって、純は青ざめた。
瞬間、ガリガリガリガリ!と拘束具の鉄芯に歯が当たる音が聞こえてきた。
大貴が首に噛みつこうとしているのだ。
「やだっ…!」
拘束具はつけているものの、壊されないという保証はない。
純は大貴の体を退けようともがいたが、びくともしない。
「ジュンちゃん…ヨくしてあげる!」
ズボンのウエストに大貴の指がかけられて、今にも事が始まるかと思われた矢先、ゴンッ!という強烈な物音が厨房に響きわたった。
同時に、大貴の大柄な体が飛び退くようにして離れていく。
「いってえ…何すんだ、ババア!」
大貴は厨房の隅で頭を押さえて座り込み、誰かに抗議してきた。
「何をするのか、はこちらのセリフです。勝手に人様の店の厨房に入ってきて、挙句に強姦とは何ごとです?」
大貴が抗議した相手は、片手にフライパンを持った忍尾さんだった。
どうやら忍尾さんは、手に持っていたフライパンで大貴の後頭部を思い切り叩いて、純から離れさせたらしい。
「忘れ物をしたので店に戻ったら、あなたが入っていくところが見えたんですよ。おそらく、軽井沢さんを待ちぶせなさってたんでしょう?前々から思ってたのですけれど、本当に呆れますね。いい歳したアルファの男が若いオメガの子に迫るなんて…だいたいあなたは店長に「来るな」と釘を刺されていたはずでしょう?」
「うるせえな。てめえが手に持ってるそれでやったことだって、立派な暴行だろうが。それとお前、「法は家庭に入らず」って言葉知ってる?兄貴が弟の家や店に侵入したとこで、法律上は何の問題もねえよ」
大貴が痛む頭を押さえながら、のっそり立ち上がった。
「大して強くは叩いてませんし、それだけ怒鳴り散らせる元気があるなら、私のこれには軽い処分しか下されないのでは?あと、強姦は未遂であっても犯罪です。更に申し上げますとね……」
忍尾さんが大貴に挑むように、ゆっくり歩み寄っていく。
そうすると、自然と2人が向かい合って立つ形になる。
そうして2人並べば、大柄な大貴に対して、忍尾さんは小柄で細身で貧弱そうに見える。
しかし、そんな体格差などものともせず、忍尾さんは大貴の腕を掴んで引っ張り、彼の耳元で何か囁いた。
忍尾さんが腕を離すと、大貴はバランスを崩して後退りした。
彼女に何を言われたのか知らないが、解放された大貴の顔はすっかり引き攣っていて、その場でしばらく忍尾さんを睨みつけたかと思うと、逃げるように店を出て行った。
「軽井沢さん、大丈夫ですか?」
忍尾さんはフライパンを元の位置に戻した。
「…はい、ありがとうございます、忍尾さん」
忍尾さんにお礼を言って、純は体勢を立て直した。
「相田さんをお呼びしますね。申し訳無いのですが、しばらくそこで待機してください。私ひとりでは、あなたを介抱するのは難しいので」
「…はい」
純が返事したのと同時に、忍尾さんがスマートフォンを取り出す。
「相田さん、お疲れ様です。夜分に申し訳ございません。軽井沢さんが倒れてるんです。私ひとりで介抱は難しいので、至急、店に来てくれませんか?」
忍尾さんのスマートフォンの向こうから、仁志の切羽詰まった声が聞こえてきた。
忍尾さんの連絡を受けて、仁志はすぐに駆けつけてくれた。
仁志の家は店からさほど距離が無いため、大して待たずに済んだ。
「閉店作業の続きは私がやりますから、軽井沢さんは帰ってください。相田さんは軽井沢さんを送ってあげてください」
仁志が来るわずかの間に、忍尾さんは更衣室に移動してエプロンをかけ、閉店作業に取りかかる準備を整えていた。
「…ありがとうございます、忍尾さん」
駆けつけた仁志に身を預けるようにして寄りかかった純は、忍尾さんにお礼を言った。
「連絡ありがとうございます。ほら、ジュンちゃん、つかまって!オレが家まで連れて行くからね!!失礼します、忍尾さん」
仁志も続いて礼を言うと、純を引きずるようにして抱えたまま、その場を去っていった。
「ほとんど終わってるわね…」
「作業をやっておく」と言って、先に帰らせた若いオメガの社員は、閉店業務をほとんど終わらせてくれていた。
だから、あとは軽く掃除をして、戸締まりをするのみだ。
全ての部屋の全て電気を消して、店を完全に締め切ると、忍尾は家路を急いだ。
「まったく、大貴の腑抜けめ。あの逃げ足の速さをちょっとは商売に活かせないのか……」
帰宅途中、忍尾真知子 は、暗い夜道でひとりごちた。
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