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策謀
「それにしても、あなたも用意周到なものですね。録音機を忍ばせていたなんて」
真知子は高貴のズボンのポケットに目配せした。
ICレコーダーを入れられたポケットは、その存在を主張するかのように、四角く膨らんでいる。
「アレ、僕の声だよ」
高貴が膨らんだポケットを指さす。
「どういうことです?」
真知子はあからさまに驚いた様子で、高貴の顔を見た。
「軽井沢くん、しょっちゅう大貴にこんなこと言われた、あんなことされたって愚痴ってたからさ、そこから聞き出した話をベースに、大貴の声マネして、自分の声を録音したわけ」
ふふふと高貴は笑って、楽しげに話し出した。
「大丈夫でしょうか?捏造だとわかったら、あの人たちは黙ってないのでは?」
本気で心配しているのだろう、真知子の声に不安の色が滲む。
「あの様子見るに、ホントにこんなこと言ったっぽいし、やっぱり兄弟だから声似てるし、バレるわけないよ。そもそも、これからアイツ、それどころじゃなくなるだろうしね」
高貴はポケットからICレコーダーを取り出して、真知子の眼前にかざした。
「それどころじゃなくなる、とは?」
真知子が怪訝そうに尋ねてくる。
「アイツね、若いオメガのケツ追い回すときは、バカのひとつ覚えみたいに同じこと言ってたみたい。そんな有り様じゃあ、僕が録らなくても週刊誌や新聞社の記者にスッパ抜かれてるよ。ていうか、もうすでに捕んでる人がいる」
「つかんでる?」
「僕のところに、週刊誌の記者から連絡が来た。「大貴さんに強姦されました」って編集部にタレコミがあったんだって。大貴のやつ、どうやら誰かに売られたみたいだね。たぶん、アイツの愛人の誰かか、部下とか別の派閥の誰かだ。それで、その記者が「このことについて何か知らないか」って聞いてきた」
「それで、何と答えたんです?」
初めて聞いた事実に、真知子は驚いていた。
高貴のことは注意深く見ていたのに、そんなことが起きていたなんて、まるで気がつかなかった。
「今のところは何も知りません、とだけ。でもまあ、軽井沢くんの許可が取れたら、店の厨房に侵入してきたことや、軽井沢くんにやったことと、あと、うちの従業員へのイヤミの数々も暴露してやるつもり。一応、それもぜーんぶ録音しといたんだよね」
真知子は唖然とした。
あまりにも整いすぎていることに。
──この男、ひょっとして前々から大貴を陥れる算段を考えてたんじゃあ……?
真知子の頭に、高貴を疑う気持ちが芽生えてきた。
「あと、総之介おじさんから連絡があってね、別の疑惑もあるみたい」
そんな真知子をよそに、急に話題が切り替わった。
「別の疑惑?」
「児童虐待だよ」
「虐待…」
これも初耳だ。
「大貴の子どもは今、全員で8人いるんだけど、そのうち何人かの様子がおかしいんだって。大貴や番のオメガたちはみんなお高い服やバッグ持ってて、化粧もヘアもばっちりなのに、子どもたちは身なりが汚いし、長時間マンションの外に出されてたこともあったらしい。気になってアレコレ確かめてみたら、虫歯がやたらとあるし、食べ物あげたら異常にがっついてくる上にねだってくるし、それ見て、総之介おじさんは思ったらしい「あ、これはやってるな」って。アイツ、あとしばらくしたらケーサツの世話になるかもねえ」
高貴がまた、ふふふと笑ってみせた。
その笑顔は、ふだん接客しているときの、人の良さそうな顔と何ら変わりはない。
後日、高貴は新聞を広げて、大貴について書かれている記事を探した。
役者やミュージシャンの色恋沙汰、大臣や議員の不祥事などに比べれば、取るに足らないトラブルであるから、さほど大きく報じれらないだろうと踏んでいた。
したがって、大貴に関わる記事を探すのは一苦労だろうと予想していたが、それは見事なまでに外れた。
1面に大貴の写真が掲載され、「繰り返される悲劇」「断ち切れぬアルファによるオメガの家畜化」など、大仰な見出しが踊り、事のあらましを好き勝手に書き記していた。
大貴は、オメガに対する差別的発言の他にも、任されていた事業の監督不届きや横領、別件の強姦未遂、自分の子に対する虐待などが明らかになった。
悪事がこれだけ重なれば、当然マスコミだって放ってはおかない。
まして、その容疑者が26年前の事件の当事者ともなれば、嫌でもカメラを向ける必要が出てくる。
──これで、母さんも大貴も店には来られないだろうなあ…
おそらく、事業の監督不届きと横領は、大貴の仕業ではない。
記事にある事業には、大貴は携わっていなかったはずだ。
──年嵩連中ときたら…また親父のときと同じことしてやがるな
なぜ豪貴や自分のような金食い虫を上層部がいつまでも放置していたのか、大貴は疑問に思ったことなど、ただの一度もないのだろう。
それは、上層部の不祥事が外部に漏れそうになったとき、責任をなすりつけるためのスケープゴートにするためだ。
そうすれば、年嵩連中は自分の立場を守れるし、大貴のような輩が「自分はやっていない」と必死になって容疑を否認したところで、ああも信用が薄くては、誰も真摯に受け取らない。
豪貴が死んだときも、同じようなことが起きた。
老獪な上層部の連中は事件が起きたとき、自らが運営している事業での失敗や悪事を、全て亡き豪貴になすりつけることにした。
豪貴の死後に発覚した集団食中毒や脱輪による死亡事故も、責任は別のところにあった。
集団食中毒は、食品加工部の当時の部長の指示下で発生したものだ。
この部長はベータながらに優秀であり、彼が就任してから、飛躍的に業績が伸びた功績がある。
それだけに、彼を会社から放逐するのが惜しかった上層部は、部長の不祥事を隠蔽。
豪貴が死んだとき、これはいい機会だとばかりに、「集団食中毒は実は、豪貴の指示下で発生したもの」と公表した。
運送会社のトラック脱輪事故も同様で、これは本来なら、ベータながらに専務にまで出世した男の責任であった。
しかし、優秀な彼を会社から放逐するのはあまりにもリスクがあると考えられて、これも豪貴の責任ということで終着させた。
長年、アルファたちの間では、「事業を継ぐのはアルファの男子でかつ、嫡子でなくてはならない」という価値観が根強かった。
それとは真逆に、そういった従来の閥族主義に頼ることなく、実力や功績さえあれば性別、年齢、経験、バース性さえ厭わない。
高貴たちの祖父、長居貴一郎氏が始めた事業が、断えることなく今日まで続いていったのは、こういった「無能なアルファより優秀なベータ」という、徹底した実力主義なのだ。
転じて、実力がなければ、豪貴や大貴のようにまんまと利用され、立場を追われることになる。
──大貴のアホが……無能でも、それなり真面目に生きてりゃ、こんなことにならずに済んだってのに
そんな事実に気づくことさえ出来なかった間抜けな兄を、高貴は鼻で笑った。
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