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譲のその後

高貴と真知子が譲の実家に乗り込んできてから数ヶ月ほど経った頃合いに、譲から電話がかかってきた。 「高貴、たまにはこっちに来てくれないかい?ひとりぼっちでこんな田舎の狭い部屋でこもりっきりなんて、頭がおかしくなりそう!」 電話越しに譲は、めそめそと泣き言をこぼし続ける。 頼みの綱だった長男の大貴は逮捕され、長居家との繋がりが完全に断たれてしまったことで、譲は実家からすっかり冷遇されているらしかった。 「知らないよそんなの。こっちは大貴がやらかしてくれたおかげで、マスコミの対応に大忙しなんだからね?記者やらカメラマンやらテレビリポーターやらが、シロアリみたいにウジャウジャウジャウジャ群がってきてさあ。営業妨害もいいところだよ、まったく」 母親の泣き言を、高貴は冷めた気持ちで聞いていた。 「仕送りくらいはしてくれない?ここの人たち、ごはんや服は出してくれるけど、お金は出してくれないから、いろいろと不便だし…」 「分相応の生活じゃないか。自立する努力をロクにしてこなかった落ちこぼれのなれの果てだろ。拓美さんなんか、親父に出してもらったお金で看護師さんになるために必死で勉強して、今は都内の病院で助産師さんをやってるんだよ?拓美さんの息子の円だって、オメガだけどそこそこ大きい会社できちっと働いてるよ。母さんも働けば?あんな田舎でも、働き口のひとつやふたつはあるだろう?」 「もう!お前も聡美も英美も、どうしてこうも冷たいんだい、この親不孝者!!」 ふてくれされた様子の譲が、声を荒らげた。 「聡美姉さんも英美も、母さんと違って仕事してるから忙しいんだよ。それと、英美のことは母さんの方が悪いんだろ?」 もう59歳にもなるというのに幼稚もいいところな自分の母親に、高貴はただただ呆れた。 「どうして⁉︎」 「英美の旦那が妊娠中に浮気したとき「それを許すのが妻の甲斐性」だとか「浮気した旦那の気持ちも考えろ」とか言ったんだろう?そりゃ英美も怒るに決まってるし、縁も切りたくなるよ。実の母親なのに、まるで嫁イビリする姑じゃないか」 「ごく当たり前のことを言っただけじゃないか⁉︎」 この口ぶりから察するに、自分の言っていることの何がどう悪いのかもわからないらしい。 最終的には英美は離婚したのだけど、今は公認会計士をしながら、女手ひとつで我が子を育てている。 離婚してから生まれた英美の娘は、現在小学校中学年。 この娘でさえ、おぼつかない手つきで洗濯や掃除をしたり、食事は自分で用意するくらいの自立心と生活能力はあるのだ。 「その歳になるまで一度も結婚したことがないし、愛人しかやったことがない母さんがそれを言っても、説得力ゼロ以下じゃないかな?」 「……」 譲は黙り込んでしまった。 「ねえ、まだ何かあるの?」 「……お願い、一度くらい来てよ」 しまいには、ヒクヒクしゃくりあげ始めた。 ──本当にどうしようもないな、この人は この母親の駄々など、いまに始まったことではないが、いい加減にうんざりしてしまう。 「わかった、一度だけ来てあげる。手土産のひとつくらいは持ってくるよ」 「本当かい?」 譲の声の調子が、明らかに良くなった。 「うん、いつ行くかはまだ未定だけど。じゃあ、失礼するね。僕は母さんと違って忙しいからさ」 言って高貴は電話を切ると、母親に何を持っていくかと思索した。 ──さーて、最高の手土産を用意してあげなきゃねえ… 高貴は保存してある連絡先の「た行」の欄から「知世さん」と登録してある番号へ電話をかけた。 譲と電話で話してから1週間後のこと。 高貴は母方の実家にやってきた。 使用人は訪問してきた高貴に驚いてはいたが、しっかり対応はしてくれた。 ここの使用人たちは譲のことを快く思ってはいないようだが、高貴には好意的であるから、それなり歓迎もしてくれるのだ。 「いらっしゃい、高貴さん。あの…そちらの方は?」 使用人はスリッパを2出しながら、高貴の後ろに立っている中年女性に視線を向けた。 「久しぶりだね、高貴。来てくれてありがとう!」 高貴が部屋に入るなり、譲はしがみつくように抱きついてきた。 そんな譲をよそに、高貴は譲の部屋をゆっくり見回した。 譲が与えられている部屋は、驚くほどに狭い。 広さが4畳半しかないのも理由だが、何より物が多いからだ。 ハイブランドの服にアクセサリー、バッグに靴、腕時計。 壁際には衣桁(いこう)にかけられた着物なんかもあり、草履や帯もその近くに置いてある。 高貴の店に来たとき、着てきたものだ。 それらが部屋の大半を占拠していて、申し訳程度の足の踏み場しかない。 こんなにあっても、こんな田舎では何の意味もないだろう。 使用人曰く、これらは全て長居家から送られてきた譲の持ち物らしい。 どれも30年近く前に豪貴からプレゼントとして貰ったもので、M区のマンションを追われたときに持ち出してきたそうだ。 番の男が死んでもなお、譲が大事にしたいものはこんなものなのだから、本当に笑えてしまう。 生活が苦しいなら、これらを売って金にすることだってできるだろうに。 高貴はまたしても呆れたが、冷静になって考えてみれば、こんな田舎にブランド品を買い取ってくれる店などあるはずも無い。 フリマアプリなんかで物を売って金にするという手もあるが、そんな知恵がこの生活能力の無い母親にあるとは思えない。   もっとも、どれも約30年前の代物であるから、バッグもアクセサリーも靴も腕時計も、流行から置き去りにされている上に、かなりへたって傷んでいる。 したがって、ここにあるものは全部、大して売り物にはならないだろう。 だったら捨てればいいのにとも思うが、この母親はそれさえできない。 本人にとって、一番良かった時代の象徴たるブランドバッグやアクセサリーを捨ててしまうのは、本人にとって一番良かった時代そのものを捨ててしまうに等しいのだろう。 要は、過去の思い出にずっとしがみつき続けているのだ。 「久しぶりだね、母さん」 高貴は譲の手首を掴むと、しがみつく重たい体を引き剥がした。 「ところで高貴、その人は誰?」 そっけなく引き剥がされたことに対して不服そうな顔をしながら、譲は高貴の後ろについてきた中年女性を指差した。 「母さん、この人のことがわからないのかい?」 「え?」 譲が間抜けな声を出して、はて、この女性は誰であったかとばかりに目を凝らして中年女性の顔を見た。 「まあ、最後に顔を見たのは26年前なんだから、覚えてなくても仕方ないよねえ」 高貴が意地悪く笑った。 「お久しぶりですね、譲さん。わたし、知世(ともよ)です」 知世と名乗った女がにやりと笑ったと同時に、譲の顔はサーっと青ざめた。 この知世という女はかつて、高貴の父親であり譲の番であった豪貴を刺し殺した女であった。

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