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OLの夕食
現在の時間は昼12時過ぎ。
大多数の人が食事を始める時間帯だ。
場所は高貴たちが働く洋食店から少し離れた5階建ての雑居ビル。
ここの3階から5階で運営されている事務用品メーカーの社員たちは、昼食に向かうため、仕事の手を一度止めた。
「ねえ、右室 ちゃん。前に言ってたお店に行く約束だけどさ、もう少し待ってくれない?」
ここで働くOLの右室凛花 は、数日前から先輩OLの佐野朔良 が指定した店で、ランチに行く約束をしていた。
「え?ああ、はい。それは別にいいですけど…」
いつも律儀な先輩OLが、いきなり約束を無しにしたことに驚きはしたが、特に大騒ぎするほどのことではないから、凛花はあっさり了承した。
「ごめんねー。そのお店がさあ、今ちょっと立て込んでるらしいんだよね」
佐野が「まいったまいった」とばかりに頭頂部を人差し指で掻いた。
「立て込んでる…って、何かあったんですか?」
「いまワイドショーとかで大騒ぎになってるから、知ってるでしょう?例のA社の御曹司さま。ほら、最近逮捕された人」
「ええ…それが何か?」
逮捕されたA社の御曹司のことは知っている。
強姦未遂に業務上横領、児童虐待のほか、最近では、業務上過失致死と住居侵入の疑いも浮上してきたため、警察が調査しているのだという報道がなされていた。
「その御曹司さまっていうのがねえ、その店の店長さんのお兄さんなの」
「へえ…」
世間って狭いものね、と凛花は軽く驚いた。
「きっと、少しでも情報が欲しいんだろうね。今はね、昼間はテレビリポーターとか雑誌や新聞の記者がひっきりなしに取材に来てるせいで、ゆっくりランチどころじゃないの。別の部署の人なんか、「この大貴って人、しょっちゅうこの店に来てましたよ」って口走っちゃって、記者にアレコレ追求されたらしいのよ」
「なるほど…」
凛花は、店の前に報道陣が押し寄せて、店員がそれを処理するのにあわてふためいている様子を想像した。
「かわいそうよね。そこの店長さんは何ひとつ悪くないのに、バカな兄貴がやらかしたせいで巻き込まれちゃってさあ。ホント、厄介なのが身内にいると苦労するわよねえ」
佐野は頬に右手を当てて、深いため息を吐いた。
結局、その日は別の店で食事することとなった。
──先輩が言ってたお店って、確かこの辺りだったはずよね?
その日の仕事終わりの帰り道、凛花は佐野が言っていた店を探した。
佐野だけでなく、他の社員からも評判がいいし、グルメサイトのレビューなんか見てみると、なかなかの高評価だ。
場所はそう遠くないし、食べ物に対して、これといったこだわりなんてない凛花でも、行ってみる価値はあると思ったのだ。
「あ、あった!」
店は存外、簡単に見つかった。
先輩が教えてくれた立地と外装、店の名前がすべて合致している。
ここだ。
さすがに夜間ともなると、テレビリポーターだとか雑誌記者だとかの姿はなく、店の周辺は今はとても静かだ。
何気なく、入り口付近まで近づいてみると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってくる。
──そういえば、お腹空いたな…
凛花はめったに外食しない。
なるだけ出費を抑えておきたいからだ。
大好きなマンガ本や舞台のチケットなんかにお金を割きたいし、貯金もしておきたい。
しかし、この日は違った。
「今日くらいは、いっか…」
美味しそうな匂いと空腹に負けて、凛花は店に入った。
「いらっしゃいませー!」
店内に入ると、ドアに取り付けられたベルがチリンチリンとかわいらしい音を立てて、40代前半くらいの愛想の良い女性店員に出迎えられた。
席についてから、さて何を食べようかと思案するものの、メニューが豊富でなかなか決められない。
──ガーリックステーキいいなあ…ハンバーグとかも美味しそう…セットメニューはあるかしら?
メニューが書かれた冊子を見ながら、いろいろ悩んだ結果、凛花はミックスグリルのセットとグレープフルーツジュースを注文した。
料理が運ばれてくるのを待っている間、凛花は店中を見回した。
木製のテーブルセットに、白い枠に囲まれた窓、天井ではシーリングファンがくるくる回り、壁にはアンティーク調の壁掛け時計という、フレンチカントリー調のおしゃれな内装だ。
少し離れた場所で、「店長」と呼ぶ声が聞こえてした。
何気なく振り返ると、30代半ばくらいの男と若い店員2人組が、何やら話し込んでいた。
──あの人が、佐野さんが言ってた店長さんなのね
凛花はここによく行くという上司が、「あの店の店長さんのお家、サスペンス映画みたいな事情で常に揉めまくってるから、ホントに面白いんだよね!」と茶化すように笑っていたのを思い出した。
──たしかに、最近捕まったあの御曹司にちょっと似てるかも…
凛花はワイドショーやネットニュースなんかで、たびたび目にしてきた御曹司の顔と、少し向こうにいる男性店長の顔を頭の中で並べて比較した。
御曹司も店長も、どちらも美形ではある。
御曹司はファッショナブルで華やかな一方、どこか軽薄そうな雰囲気があり、店長は服装も髪型もシンプルで大人しそうな一方、どこか頼りなさそうな印象を与えた。
──同じ兄弟なのに、全くの正反対なのねえ…
「お待たせいたしました。グレープフルーツジュースです」
物思いに耽っているうち、20代前半くらいの若い男性店員が先に飲み物を運んできた。
「ありがとうございます」
若い男性店員に礼を言うと、凛花は冷たいジュースをストローで吸って、渇いていた喉を潤した。
──さっきの人、オメガなんだ
先ほど凛花にグレープフルーツジュースを運んでくれた店員の首には、硬くて分厚い拘束具が巻かれていた。
大きな瞳が特徴的な若い男性店員は、アイドルのようにかわいらしい顔つきをしていて、爪や髪はきっちりと整えられている。
身長は160センチ前後で華奢な体つきをしていて、見ようによっては女の子のようにも見えた。
オメガなのに加えて番もおらず、小柄で容姿が整っているとあっては、よからぬ輩に頻繁に狙われてきたのではないかと、凛花は他人事ながら心配になった。
「お待たせいたしました、ミックスグリルのセットです!」
いろいろ考えているうち、別の男性店員が料理を運んできた。
歳の頃は先ほどのオメガの男性店員と同じくらい。
不良少年がそのまま大人になったような、中肉中背で目つきの鋭い青年だ。
アルファがこんな庶民派のレストランで店員をしているとは思えないし、拘束具や咬み傷なども見当たらない。
そのことから、おそらく彼はベータであろう。
ベータの男性店員が、ハンバーグにソーセージ、グリルチキン、とうもろこしとグリーンピース、ハッシュポテトが大皿に乗ったミックスグリルに、ライスが乗った小皿、ミニボウルに入ったオニオンスープを次々とテーブルに乗せていく。
「ご注文、以上でよろしかったでしょうか?」
ベータの男性店員が、料理を乗せていたトレーを小脇に抱えて確認してきた。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
凛花が礼を言うと、ベータの男性店員は「失礼します」と軽くお辞儀して、その場を離れていく。
男性店員が去っていくのと同時に、凛花はナイフとフォークを手に取った。
──おいしそう!
ハンバーグにかかったデミグラスソースと、グリルチキンにかかったガーリックソースの匂いが、食欲をそそる。
凛花はハンバーグをナイフで器用に切ってフォークで刺すと、口に放り込んだ。
「あつッ」
ハンバーグは思いのほか熱くて、あわててジュースを流し込む。
あやうく舌を火傷するところだった。
そこで凛花は、冷めるのを待ってから食べようと考えて、その間また店内を見回した。
店内には凛花のほかにも何組かの客が来ていて、家族連れの客が座っているテーブル席から聞こえてくる子どもの声が、少しばかり騒がしい。
何気なく厨房の出入り口付近に視線を移すと、さっきの中肉中背のベータの男性店員と、オメガの男性店員が談笑しているのが見えた。
2人とも子どもの頃からの友人のように楽しそうに話し込んでいて、日頃から仲睦まじいのが手に取るようにわかった。
しばらく2人を見つめていると、ベータの男性店員の手が、オメガの男性店員の腰を愛おしげに撫でたことに、凛花は気がついた。
オメガの男性店員は赤面して、軽く抗議した矢先、別の客が「すみません」と呼びかけてきた。
その呼びかけに応じるため、オメガの男性店員は急ぎ足で客席に向かっていく。
そんな彼の背中を、ベータの男性店員は慈しむように見つめていたかと思うと、すぐに厨房に入っていった。
──あのオメガの人、番はいないけどいい人はいるのね
あの2人は決して番にはなれないけれど、深く愛し合っているのだろう。
ちょうどいい温度になったハンバーグをもぐもぐ噛みながら、凛花は2人の関係を勝手に
想定した。
──ひょっとして、さっきのはしようって合図なのかしら?
……って、やだ!いけないいけない私ったら!!
うっかり2人が愛し合っているところを想像してしまった凛花は、今は食べることに集中しようと思って、スプーンでとうもろこしとグリーンピースをすくって口に含んだ。
あわてて口に入れたグリーンピースが気管支に入り込みそうになって軽く咽せたが、なんとか口内に戻して、今度は上手く食道へ流し込めた。
この後、どうしたわけか異常なほどに食欲が湧いてきて、凛花はおかわり自由のライスを3杯食べた後、デザートにストロベリーパフェも注文した。
食べ終わった後はお腹も心もすっかり満たされて、上機嫌で帰宅した。
「あの店、行ってよかったあ」
後日、佐野とランチに行くときを楽しみにしつつ、凛花はテレビをつけた。
テレビをつけてしばらく経った後、隣人とその番らしき男の睦み合う音が聞こえてくる。
──テレビつけても聞こえてくるなんて、どんなプレイしてるのかしら?
もはやテレビどころではなくなって、凛花は壁際に移動して聞き耳を立てた。
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