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第3話

その日の夕暮れ時、玄関のチャイムが鳴ったので、てっきり姉が夕飯でも持って来たんだろうと思い、扉を開けると、そこに居たのは姉ではなく 瞬だった。 「こんばんは、夕御飯を持って来ました」 瞬は手に持っていた、布地の手提げ袋をこちらに見せるように軽く持ち上げた。 この真っ赤な花柄の手提げ袋は姉の手製の物なので、多分姉さんに頼まれたのだろう。 「わざわざ持って来てくれたのか、そりゃあ、どうもありがとな」 何も瞬に頼んでまで夕飯を寄越さなくともいいのにと思いながら、その布袋を受け取ろうと手を出しかけたが 「あの、一緒に食べても良いですか?」 と瞬は少し照れ臭そうに、そう尋ねてきた。 「あっ? ここで? 俺と一緒にってことか?」 こっちも少し驚きながら、そう聞き返すと、瞬はこくこくと頷いた。 「まぁ、別に構わねぇけど、何も面白いもんなんか無い部屋だぞ」 「僕、一豊さんと一緒に居たいんです」 瞬は満面の笑みで、そう言ってきた。 「俺と一緒って⋯⋯ 、とりあえず玄関で立ちっぱなしってのもなんだから、中入れよ」 「はい、お邪魔します」 靴を丁寧に揃え、足音が聞こえないくらい、ふわりとした動作で部屋の中へと入っていき、中央のちゃぶ台を見て「夕御飯、ここに並べて良いですか?」と尋ねてきたので、「あぁ」と返事をしたの聞いて、ちゃぶ台にいつもの見慣れたタッパーを並べて始めていた。 俺もいつもの様に用意している、お茶に茶碗に箸などを、いつもと違い二人分用意して、ちゃぶ台に並べた。 用意を終えると、瞬はちゃんと手を合わせ「いただきます」と言ってから、食事を始めた。 俺も「いただきます」と箸を手に取りながら言い、姉がぬか床から漬けている、手製のきゅうりのぬか漬けに箸を伸ばした。 昼飯は大体、姉と食べることが多いが、夕飯をこの部屋で誰かと一緒に食べる ーーなんてことは、たしか初めてだ。普段見慣れた部屋だが、目の前にはキレイな顔した若者がいて、一緒に飯食ってるという、慣れない状況になんだか少し、腰が浮くような感じだ。 瞬はちまちまと、ちょっとづつ食事を食べている、多分、少食なのだろう。見た目も背はそこそこ高いが、身体はだいぶ細い。それこそ強い風でも吹いたら飛ばされちまうんじゃないかと心配になるような、華奢な体型をしている。 食事をしながらも、こちらに顔を向けてきて。 「一豊さんはいつも夕御飯、一人で食べているんですか?」 「ああ、一人身だからな」 「もし良かったら、明日もというか、毎日ご飯食べにきてもいいですか?」 「こんな爺さんと毎日飯食っても、楽しかないだろう。もっと同世代の仲間とか、彼女とかと、一緒に居た方がいいじゃないか?」 それを聞いた瞬は、柔らかな笑顔を少し曇らせた様子で、持っていた茶碗と箸をちゃぶ台に置き、真っ直ぐと俺を見てきて。 「友達とは、大学やバイト先で仲良くやっていますよ。⋯⋯彼女はいませんけど」 それだけ、言うと今度は伏し目がちになり、呟きくらいの、か細い声で。 「⋯⋯今は一豊さんが好きなんです」 瞬は耳まで真っ赤にし、顔を真下に向けてしまった。 俺はというと、固まっていた。 気に入られているとは、そういう意味なのか? いや、まさかとは思うが、この態度はどう見たって、そういう意味での気に入られているでーー 出来の悪い頭で必死に状況を理解しようとした。 つまり瞬は俺に惚れてるってことで、いやでも、瞬はいくら見た目が女みたいでも男だし、歳だって六十歳と二十歳だぞ、六十と二十! 四十も違うんだぞ⁈ いくらなんでも不釣り合い過ぎるだろう。 固まったまま、呆けた様に瞬を見つめていると、瞬は顔を上げて、「ふふっ」っと息を吐く様に笑い、満面の笑みを浮かべて。 「面と向かって告白したら、なんだかスッキリしちゃった!」 張りのある声で、しっかりとした口調で言ってきた。 俺はまだ、頭が混乱していたが、なにかしら話をしなくてはと思い。 「お前なぁ、俺はもう爺さんだぞ。そんで、お前は二十歳の若造だ。年が離れ過ぎてんだろ」 「年なんて、関係無いじゃないですか。いくつになっても恋はできますよ」 瞬は全く動じず、何の迷いもない真っ直ぐな目をして答えてくる。 やっぱり、一番重要な問題点をぶつけるしかないか。 「俺もお前も男なんだぞ?」 「もちろん分かってますよ」 眩しいくらいの笑顔を湛え、矢張り動じない。 「確かに僕と一豊さんとは、たくさん障害があるかもしれない。それでも、僕はあなたが好きなんです」 聞いているこっちが照れちまって、背筋がむず痒くなってきた。 「俺なんかのどこがそんなにいいんだよ?」 「全部!」 即答かよ⋯⋯ 全く分からん。 「白髪混じりの髪も無精髭も額の皺も全部、渋くてカッコいいですよ。それに何より」 瞬は少し間を置いて 「初めて会った時、運命を感じたんです」 と、恥ずかしそうな、照れたような、なんとも言えない笑顔で言ってきた。 こんな爺さん相手によく言ったもんだと呆れながら、どうしたもんかと頭を掻いた。 俺が困惑しているということを察したのだろう、瞬は穏やかな口調で 「今は僕のこと、恋愛対象として好きじゃなくても構いません。でも、これから好きになってもらえるように頑張りますから」 そう言うと、瞬は立ち上がり、空になった茶碗やタッパーを重ねて持ち「食器、洗いますから」と流しへと運んで行き、スポンジに洗剤を付けて洗い物を始めた。 瞬と向かい合わせという状況から解放され、少し安堵し、猛烈に煙草が吸いたくなったので、畳の上に無造作に置いてあった煙草の箱を手に取り、ライターで火をつけようとしたとき、ふと、姉が言っていた、瞬は身体が弱いらしいから目の前で煙草は吸うなという注意を思い出し、一旦火を消し、立ち上がってガラス戸を開け、縁側に腰掛けてから改めて煙草に火をつけた。 外はすっかり暗くなっていて、空気は生暖かった。気持ちばかりの狭い庭から見上げた夜空は隣の家に邪魔をされながらも、月や星は何とか眺める事ができた。 なるべく部屋に煙が入らないように、煙草を吸っていると、洗い物を終えた瞬が後ろに立っていて 「それじゃあ、僕は帰りますね。一緒に食事していただいてありがとうございました」 とお辞儀をして、窺うような目で俺を見ながら 「明日も来ていいですか?」 と尋ねてきたので、俺は灰皿に煙草を押し付けて火を消してから。 「分かったよ。もう、瞬の気がすむまで付き合ってやるから、毎日でも好きなだけ来な」 とぶっきらぼう気味に返事を返したら、瞬は嬉しそうに「はい」といって「また明日、おやすみなさい」と言いながら、手提げ袋を持って、玄関を出て行った。 一人残った俺は、もう一本煙草に手を伸ばしかけたが、やっぱり止めて、のそのそと部屋の中へと戻っていった。

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