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第29話
向けられた言葉の意味を、リュドラーはすぐには理解できなかった。
「……え」
「聞こえなかったのか」
はにかみ、トゥヒムは繰り返した。
「おまえを、抱きに来たんだ」
じわじわと意識に言葉が浸透し、リュドラーはギョッとした。
「な、なにを申されておられるのですか」
「なにとは、どういうことだ」
「俺を、その……、抱きに来られたというのは、どういったお気持ちというか、なんというか」
「そう、うろたえないでくれ。私も気恥ずかしいんだ」
「は――」
そう言われても、平静でいられるわけがない。リュドラーは落ち着かない心を肉体に力を込めて押しとどめた。かといって、どのような応対をすればいいのかわからない。
「その、リュドラー。とりあえずベッドに座ってくれないか」
「は」
困惑顔のリュドラーに苦笑しながら、トゥヒムは彼の頬を両手で包んだ。
「リュドラー。私はどうも、嫉妬をしているようなんだ」
「嫉妬……、ですか」
うん、と幼い仕草でトゥヒムがうなずく。
(いったい、どういう理由からトゥヒム様は嫉妬をなされているのか)
皆目見当がつかないと、リュドラーはトゥヒムを見上げた。トゥヒムは静かに腰を折り、リュドラーの唇に軽く唇を押し当てる。リュドラーはビクリと震えて硬直し、トゥヒムは眉を下げた。
「嫌だったか」
「いえ。そのようなことは」
「正直に言ってくれ、リュドラー」
「俺のすべてはトゥヒム様のためだけに存在しております。その俺がトゥヒム様を厭うなど、ありえません」
はじめて姿を見たときからずっと、リュドラーはそのことだけを胸に生きてきた。偽りのない瞳に、トゥヒムの唇がほころびる。
「なにもかも、私のためのもの……、か」
トゥヒムは手のひらを頬から首に滑らせて、たくましい肩を掴んだ。
「ここも」
二の腕に触れる。
「ここも」
胸筋を撫でる。
「これも、そうか」
「このリュドラーの毛筋一本すらも、すべてはトゥヒム様のために」
薄暗い官能がトゥヒムを背後から抱きすくめた。唇から熱っぽい息が漏れる。腰のあたりに劣情が渦巻いて、トゥヒムの股間が反応した。
「ならばリュドラー。その隅々まで、私に触れさせてくれ。ベッドに横たわり、ただ私のなすがままになってくれ」
「――トゥヒム様のお望みのままに」
トゥヒムの気配の変化に、リュドラーの肌が粟立った。形容しがたいわななきが肌の下でさざめき走る。それは不思議な高揚をリュドラーにもたらした。胸の先がほんのりとむずがゆくなり、下肢が脈打つ。そんな変化にとまどいながらも、リュドラーはベッドに横たわった。トゥヒムはリュドラーを見下ろし、手を伸ばして薄絹の上から波打つ筋肉を指先でなぞった。
「……っ」
なめらかな指が滑ると、リュドラーの肌はちいさな快楽の炎を灯した。その範囲が広くなるにつれて、リュドラーの分身は頭をもたげる。熱が上がるのと比例して浅くなる呼気を押さえながら、リュドラーは濁りのない目で自分を見下ろすトゥヒムを見ていた。
「これが、すべて……」
自分のものかと、指先で鋼のように力強い肉体を味わいながら、トゥヒムは魅惑されていく。この肉体が雄々しく躍動する姿を、幾度も目の当たりにしてきた。そのすべてが演習という形であったが、獰猛な獣と化すリュドラーは演習という意識を吹き飛ばすほど鮮烈でうつくしかった。
(そう。私はずっと、うつくしいと思い続けていたんだ)
洗練された騎士でありながら、誰も制御のできない崇高なる獣のような、この男を――。
トゥヒムの脳裏に、青年たちに囲まれて乱れるリュドラーの姿が浮かぶ。あれもまたうつくしかった。そして、その美を引き出したものが自分ではないことに嫉妬をし、苛立ちを覚えた。御膳立てされたリュドラーの一部のみしか味わっていないことに歯噛みした。
ムラムラと独占欲が湧き上がり、支配欲が育った。
感情の名前を知らないまま、トゥヒムはただ気持ちに突き動かされてここにいる。
「ああ、リュドラー」
艶めいたトゥヒムのささやきに、リュドラーはドキリとした。トゥヒムは夢見る顔つきでリュドラーの肌を撫でている。その妖艶な表情に、リュドラーはたぎった。
リュドラーの腹のあたりの布が動いて、疑問を感じたトゥヒムはそびえ立つ陰茎を見た。指を伸ばし、その先を軽くこする。
「……ぅ」
ちいさなうめきに引き寄せられて、トゥヒムはそのまま指の腹で先端に円を描いた。
「は、ぁ」
淡々とした刺激に、リュドラーの肌は浮遊した。背中にシーツが触れている感覚はあるのに、空中に浮かんでいるかのような錯覚を覚える。その中心点は、トゥヒムの指が触れている箇所だった。
壊れ物を扱うような、恐る恐るの愛撫に激しい快楽を覚えた肌が欲望に飢える。手指どころか足指も握りしめて、湧き上がる獣欲に耐えながらトゥヒムを見守る。子どもがはじめて見るものを確かめているようだと、場違いな感慨と庇護欲を湧き上がらせるリュドラーの陰茎は、ますます凝って脈打った。
「あ――」
指の腹にわずかな湿り気を感じて、トゥヒムは顔を近づけた。まぎれもなく先端が濡れている。自分の指にリュドラーが興奮しているのだとわかり、うれしくなったトゥヒムはおおっている布をはがして唇を寄せた。
「っ! トゥヒム様、なにを……」
先端にぬるりとした温かなものを感じて、リュドラーは慌てた。取り上げられると察したトゥヒムは、そのまま口内に深く熱を咥えこむ。
「うっ……、ん、そのような……、お、おやめくださ、ぁ……、あ」
包まれる心地よさに堪えつつ、リュドラーは身を起こしてトゥヒムの肩を掴んだ。引きはがされまいと、トゥヒムは強く吸いついて抵抗する。
「なりませ、んっ……、トゥヒム様」
華奢なトゥヒムがリュドラーの力に抗えるはずもなく、唇が陰茎から離れる。とっさに手を伸ばしたトゥヒムは、陰茎を握りしめた。
「んぅっ!」
「ああ、痛かったか」
「……、いえ。ですが、その、いきなりあのような行為は」
暗い中でもリュドラーの赤面に気づき、トゥヒムも赤くなった。
「あ、あれは……、おまえは私にしてくれただろう? だから、べつにかまわないじゃないか」
「あれとこれとは、別問題です」
「だが、私もリュドラーを心地よくさせたいんだ。私の手で、リュドラーに絶頂を与えたい」
言葉に詰まったリュドラーは、なんと答えるべきか考えた。トゥヒムは真剣に、心の底からそう思っている。彼の表情からそう理解したリュドラーは、太く長い息を吐き出した。
「ひとまず手をお放し下さい、トゥヒム様」
「なぜだ。――そもそも、私はおまえを抱きに来たのだし、おまえはそれを了承したのだぞ。されるがままおとなしくすると、約束をしたではないか」
「トゥヒム様。どうか、手を――」
しぶしぶとトゥヒムは手を離した。リュドラーは慈愛に満ちた苦笑を浮かべて、チェストの引き出しを探った。ここに、ティティの部屋にあったものとおなじ、潤滑油の瓶がある。
取り出したリュドラーはふたを開け、匂いを確認した。花の香りがふわりと上がる。これを使えば、部屋の世話をしている人間に妙だと思われるだろうか。しかしトゥヒムの願いを叶えるには、これを使うしかない。
「トゥヒム様」
リュドラーは小瓶をトゥヒムに差し出した。
「こちらをお使いください」
「これは? いい香りだな」
そして嗅いだことのある匂いだと、鼻を近づける。
「それは、なんとご説明さしあげればよろしいのか……。淫靡なマッサージをする折に使用するオイル、とでも申しましょうか。ですので、トゥヒム様が唇をお使いになられて濡らさずとも、それを代用して指でなされれば、俺は…………」
「気持ちよくなれる、ということだな」
羞恥に下唇を噛んで、リュドラーは「はい」とうなった。ふうむと瓶をながめるトゥヒムは、未熟な自分の愛撫ではやはり物足りなかったかと納得する。なにより男の証は急所でもある。そこを不慣れな相手に咥えられ、うっかり噛みちぎられてはと、リュドラーは心配になったのだろう。
遠慮や羞恥からくるものだとは思わずに、トゥヒムはそう納得した。じっくりリュドラーを味わいたいところだが、どのくらい滞在していられるかわからない。
(次にフクロウの声が聞こえたら、部屋に戻らなければならないからな)
ティティから受け取った紙片には、そう注意書きがされていた。
「ならばリュドラー。私はこれを使い、早々に想いを遂げるとしよう」
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