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第36話

 ◇ 「っは、ぁ、ああ――」  拓かれ支配される喜びが、リュドラーの喉からこぼれ出る。トゥヒムはそのままゆっくりと、己の欲を最愛の騎士に埋め込んだ。 「は、ぁ、あぅ、んっ、んぅ、ふ」  はじめのころは苦しいのではと案じていた声も、いまでは快楽のうめきだと理解していた。トゥヒムはリュドラーの反応のすべてを熟知して、むさぼる喜びを覚えていた。 「ああ、リュドラー」  すべてを埋め込んだトゥヒムは、悩ましい息に愛しい相手の名を交えた。大きな手がトゥヒムの頬に触れる。眉を寄せつつ笑顔を浮かべるリュドラーに、トゥヒムの胸が熱く痺れた。抱いているのはこちらなのに、抱かれている気分になる瞬間がトゥヒムはとても好きだった。  リュドラーはいつでも、生まれてからずっと守り続けてくれている。  性奴隷という職を与えられ、それにふさわしい扱いをされる姿を幾度も見た。しなやかに背をそらして悦楽を甘受し、獣欲にまみれるリュドラーは支配されていながらも、その場を統べている獣の王であるかのように雄々しく、うつくしかった。トゥヒムの中ではずっと、リュドラーは輝かしい騎士であり続けている。  敬愛を込めた唇をリュドラーの胸の谷に落としながら、トゥヒムは思う。盛り上がった胸筋を作ったのは、私への忠誠心だと。この四肢にみなぎる力強さはすべて、私を守るためのもの。そして私の欲を受け止める淫らな肉壁もまた、私のために存在している。 「リュドラー」  ふつふつと湧き上がる想いを乗せて名を呼べば、頬にあったリュドラーの手が背中に回った。トゥヒムは体を揺らし、リュドラーの内側に己をこすりつける。  母親に汚らわしいと言われてきた行為が、そうではないことを知った。これは想いを深くそそぐための行為であり、原始的な会話でもある。己のすべてをさらけ出し、無防備になることのどこが汚らわしいというのだろう。命を目の前に置くのと変わりない行為は、最高の信頼を示すのではないか。それを嫌悪していた母親は、孤独な人であったのかもしれない。 「リュドラー、ああ、リュドラー」  トゥヒムの声に酔いながら、リュドラーは与えられる刺激のすべてを余すところなく受け止めた。自分の腕にすっぽりと納まるほどに華奢で美麗な姿に似つかわしくない、深く穿たれた熱の硬さと質量を内部で味わい、快楽のために詰まった相手の息をさらに高めようと身をよじる。トゥヒムが思うさま快感を得られる形を取ろうと、リュドラーは腰を浮かせて脚を広げ、体を揺すった。 「ふぁ、あっ、あ……、トゥヒム様、あぁ、あ」  清らかな主の額に、うっすらと淫靡な汗が浮かんでいる。必死に自分を求める姿に、リュドラーの胸は甘く絞られた。抱かれるたびに思い出される、腕の中にフニャリと納まった頼りなげな小さな命の感触。全身全霊を持って守ると誓った相手。その対象がこの人でよかったと、幸福と愉悦に酩酊しながら愛撫を受ける。 「んっ、ぁ、あう、ふ……、はぁ、あっ、ああ」  サヒサの前でおこなうものとは違った、神聖な儀式のような交合にリュドラーが夢中になると、トゥヒムもまた熱心に彼を求めた。快楽の波が寄せては返り、どんどん大きくなっていく。それに乗って世界から浮かび上がり、ふたりでなければ到達できない高みへ昇る。 「はっ、あ、くぅうっ」  極まりの声をトゥヒムが漏らして弾けると、 「ぁ、はぁああうっ」  リュドラーも喜悦をほとばしらせて、意識をふわりと中空に舞わせた。 「ふ、ぅ」  トゥヒムはリュドラーの胸に体をあずけて、わななく彼の肌を味わう。  この瞬間はいつも、リュドラーがとても可憐に感じられて、庇護しなければという気分になるのはなぜだろう。荒く上下する胸を撫でれば、リュドラーの指に髪を梳かれた。顔を上げて唇を重ねる。これだけは自分しかできないことだと、トゥヒムは深く舌を差し入れた。サヒサはリュドラーの唇をほかの誰の唇にも触れさせない。所有する者以外が唇同士を重ねることは嫌いだと言っていた。だから自分もティティとしかしないのだと。  リュドラーの舌がトゥヒムの舌に絡む。背を伸ばしてリュドラーの口腔をむさぼりながら、サヒサとティティの関係の不思議さをトゥヒムは考えた。所有する者とされる者と単純に言い切れないなにかが、ふたりの間には横たわっているのではないか。自分とリュドラーのように――。 「ふっ、んぅ」  トゥヒムの腹の下で、リュドラーの欲が頭を持ち上げた。それの先に指を当てれば、リュドラーが甘い息を漏らす。 「リュドラー」  湧き上がる気持ちのすべてを込めて呼べば、リュドラーが劣情の涙で赤くなった目じりをやわらかくした。 「トゥヒム様」  ゆるゆると情熱の熾火を味わう。なんて幸福な時間なのかと、トゥヒムは与えてくれたティティに感謝した。そしてふと、今日はいつもとメモの内容が違っていたなと思い出す。 「リュドラー」 「……はい」 「合図があれば約束の通りにとは、どういう意味だろうか」 「え」 「今日、ティティから渡されたメモに書かれていたんだ」  メモは見てすぐ、机上のランプで燃やしてしまった。内容を伝えればリュドラーには通じるものと、会ってすぐに告げるつもりでいたのだが、彼の顔を見れば触れたい情動が先に出て言いそびれてしまった。――ティータイム時に存分すぎるほど、彼の痴態を味わったのに。 「本当に、そのように書かれていたのですか」  トゥヒムがうなずく。それを見てリュドラーは時が満ちたのだと知った。トゥヒムの肩を軽く押して、いますぐに身支度を整えるよう伝えた。首をかしげながらもトゥヒムはタオルを手にして、リュドラーの体を拭こうとした。 「俺の身は自分でいたしますので、トゥヒム様はご自身の準備を」 「いったい、なんだっていうんだ」 「俺にもよくはわかりませんが、合図があればここを出て、ある場所に行かなければならないのです」 「ある場所?」  リュドラーは手早く下半身を拭うとズボンに脚を入れた。シャツを着て、ブーツの紐をしっかりと結び、チェストの中に隠していた鍵を取り出す。 「その鍵を使う場所に行く、ということか」 「ええ。――ですが、合図がいつになるかはわかりませんので、どうぞトゥヒム様も心づもりを」  室内には鍵のほかに必要なものなどない。落とさないよう、紐に通した鍵を首から下げて、リュドラーは扉の先――廊下のまだ向こうにいるティティを想った。  あれから店へは二度ほど行った。騎士時代には当たり前のことだったのでリュドラーは気にしていなかったが、彼の放つ強烈な存在感は職人たちに深い印象を与え、訪れてもいない工房の人々までもが彼を覚えた。それに気づいたティティが「あまり頻繁に訪れても困るし、あとは時が満ちるのを待つだけだね」と、準備の終了を告げた。 「時が満ちて、どうするつもりだ。おまえの望みはなんなんだ」  問うたリュドラーに、ティティは軽く肩をすくめて冗談まじりに答えた。 「僕だけのものを、僕のもとに戻したいだけだよ。そのために、君たちは邪魔なんだ。僕だけを見て、僕だけに感心があるようにしなくちゃならないんだよ」  サヒサのことだとすぐにわかった。 (俺たちに興味の一端を移したサヒサが気にくわないのか。それほどティティはサヒサを愛して……、いや、俺がトゥヒム様を想うように、サヒサを想っているのか)  そう解釈したリュドラーは、逃れたがっているものと決めつけていた自分を恥じた。表面だけしかティティを知らなかったと反省もした。 「邪魔なものを排除したくて、こんな準備をしていたのか」  苦笑交じりのリュドラーに、ティティは照れくさそうに唇を尖らせた。 「僕のためにもなって、そっちのためにもなるんだからいいだろう」  自分たちを逃がしてからどうするのか、とまでは聞けなかった。  気がかりを浮かべるリュドラーの横顔を、トゥヒムの不安な視線が舐めた。ティティとリュドラーはとても仲良く過ごしていた。一日の大半を、彼等はともに過ごしていた。そんな相手と密約めいたものを交わしていたのかと、わずかな嫉妬がトゥヒムの胸を痛ませる。 「トゥヒム様」  感傷から抜けたリュドラーは、キリリと目元を引き締めて膝を折った。ひざまずいたリュドラーを、トゥヒムは見下ろす。 「名を……、新たな名前を俺に与えてくださいますか」 「名前?」 「商人とその従僕として生きていくための名前です。いまの名では不都合がありますから」 「私が決めていいのか。おまえの名前を」 「あなた様のほかに、俺の名を決められる方など存在しません。身も心も示す名を、どうか俺にお与えください」  トゥヒムは嫉妬した自分を恥じた。リュドラーは――この気高くうつくしく官能的な獣は、余すところなく私のものだ。 「リュドラー。おまえの、新たな名前は――」  どうしよう。どのような名前がふさわしい。口の中で転がせば甘美な、けれど雄々しい響きのものにしたい。どんな音が彼には似合うだろう。  見つめ合ううちに、トゥヒムは惹き込まれて膝を折った。リュドラーの肩に手を置いて顔を寄せる。 「おまえの新たな名は……」  フクロウの鳴き声が聞こえて、ふたりは息を呑んで馬場への扉を見た。それが馬小屋の主の口笛であると、ふたりはティティから種明かしをされていた。  足音が近づいてくる。  やがて遠慮がちなノックが響いた。  立ち上がったリュドラーは警戒しながら扉に進む。そっと開けると険しい顔の従僕が立っていた。 「時間だ。さっさとオルゴンのところへ行け」 「あんたは?」 「俺はかわいいティティの頼みを叶えてから消える。ほかの馬たちはもう逃がしてある。追手は出ない。だから安心しろ。まあ、ほかの馬が残っていたとしても、オルゴンには追いつけやしないがな」  男は忍び笑いを漏らして、手振りで急ぐよう示した。リュドラーはトゥヒムに手を伸ばし、しっかりと肩を引き寄せる。 「世話になった」 「なに。これもティティのためさ」  すっかり彼に篭絡されている男をあわれみながら、リュドラーは身を低くしてトゥヒムを守りながら走った。部屋の中から瓶を割る音がかすかに聞こえた。部屋の中にある瓶といえば、蜜酒しかない。あれを割ってどうするつもりか。わからないが、とにかくオルゴンに乗って森を突っ切らなければならない。 「オルゴン」  不穏な空気に気づいてか、オルゴンは荒々しい鼻息でリュドラーを迎えた。その背に素早く鞍を着け、トゥヒムを乗せるとリュドラーもヒラリと飛び乗った。 「頼むぞ」  トゥヒムを抱えて手綱を握ると、オルゴンは漆黒の風となって森へ突っ込んだ。

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