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金色キャンディ
「ありがとうございます、ノアさん。おかげで娘も熱が下がりました」
今日のお客は中年に差し掛かった女性だった。嬉しそうに言ってぺこりとお辞儀をする。
娘が二人いるという母親である。数日前に「下の娘が熱を出したんです」と五つになったばかりだという女の子を抱えて泣き出しそうな顔で訪ねてきた。
魔女は医者ではない。だが軽い熱程度であれば、症状を引かせる薬を作ることはできる。
そしてこのあたりでは医者の往診はそれなりの値段がする。貧しい層の人々にはそう気軽に呼べるものではない。
なのでノアのような魔女の薬を所望するのは、庶民であるのは当然だがその中でもあまり裕福でない家の者が多いのだ。
「いえいえ、季節の変わり目ですからね。もう少しゆっくりされてください」
ノアの見立てでは夜の冷たい空気に当たった風邪であろうと思った。
なので熱さましと喉の炎症を抑える薬を渡したのだが、それはきちんと効いたようだ。
ノアはほっとして、にこっと笑って言った。
「おにいちゃん、すごいね。モネ、もう泣いてないの。おうちでぐっすり寝てるよ」
ついてきていた姉である子も嬉しそうに言った。今はおばあちゃんがついててくれてるの、と妹の様子を教えてくれた。
「それにお薬、甘くて美味しかったって。わたしも飲んでみたいな」
それにはノアは苦笑してしまう。母親もその通りのことを言った。
「こら。お薬なんて飲まないに越したことはないでしょ」
「そうだけど美味しいって言うから」
ノアはフォローするように笑って姉の女の子、マネの頭を撫でた。
「あはは。まぁ、困ったらおいで。苦くないお薬を出せると思うよ」
今年学校に入ったばかりだという子でまだまだ幼い。
なのに妹のことを思いやる優しさを持っている。
まぁそのあと薬の味を気にしてしまうのがまだ子供らしいところだが。
「うん! 約束よ」
マネの出した小さな小指を絡めてノアは小さく指切りをした。
「今日もお薬、ありがとうございました。さ、マネ、帰るわよ」
「ああ、ちょっと待って」
帰ろうとした母親を制してノアは棚に向かった。
ストックしてある小瓶から琥珀色の珠をいくつか掴み出す。個別に薄紙で包んであるものを手のひらに乗せてマネに差し出した。
「はちみつと大根を煮詰めたキャンディだよ。喉にいいんだ。これならマネちゃんも一緒に食べられる」
喉飴の一種である。喉を痛めたときに舐めると症状を緩和させることができる。
それに薬ではないので病気ではないときに口にしてもなにも問題はない。
「ほんとうに! ありがとう! ……綺麗……宝石みたいね」
マネは、ぱっと顔を輝かせてノアの手からひとつぶ摘まんで、しげしげと見た。薄紙越しに黄色が透けて見える。
「煮詰めるとこんなに綺麗な色になるんだよ。不思議だね」
いくつかのキャンディを紙袋に入れてマネに渡してやる。
「モネちゃんには、あと一日くらいして喉が落ち着いたらあげるんだよ」
「はーい。じゃ、わたしもそれまで待つわね。一緒に食べるの」
「優しいお姉ちゃんだね」
ノアは目を細めてマネの頭を撫でた。そして今度こそ「じゃあね、ノアおにいちゃん」と手を振ったマネと母親を送り出した。
母親にまとわりついて、手を繋いで帰る幼い女の子。
それを見てノアはなんだか数秒ぼうっとしてしまった。自分の母親のことを思い出してしまったのだ。
母親の記憶は薄い。
ノアがまだ幼い頃に亡くなってしまったのだ。
体の弱いひとだったのだという。
流行り病にかかって呆気なく逝ってしまったのだと、祖母は話してくれるたびに涙ぐんでノアを抱きしめたものだった。魔女の薬ではどうにもならない類のものだったと悔しそうに言いながら。
祖母はそのノアの母の、また母親に当たる。
娘を喪った母親として孫であるノアの存在はどんなにか救いだったろう。ノアとしてもその祖母が居なければここまで育つことは出来なかったのだ。
ちなみに父親のことは知らなかった。生まれたときからいなかったのだ。
少し成長して普通は父親という男のひとがいるものだと知ってからは「ぼくにお父さんはいないの」と聞いたことはあるが、「いないのよ」と言われたのをかすかに覚えている。
それに関して祖母はなにも言わなかったしノアは「聞かないほうがいいんだな」と判断して早々に聞くのを諦めてしまった。
別に知らなくても問題ない。
母の僅かな記憶と優しい祖母がいればじゅうぶんだったのだ。
成長してからは余計に『複雑な事情があるのだろう』と推測が立ったし、結局なにも聞かないまま祖母も亡くなってしまった。
だから今日のお客の親子がノアに思い出させたのは母親のことだった。
ああやって母親に甘えた記憶はあまりない。
ノアにとってはそのポジションは祖母でありそれにはなんの不満もないけれど、ただ、大切な存在を喪った小さなさみしさはよぎるのだった。
「こんにちはっ」
そこで明るい声がしてノアは、はっとした。
というか、びくりとした。
不本意ながらもう聞き慣れてしまったそれはオオカミ少年のものだったのだから。
玄関前に立っていたノア。森のほうからやってきていたらしいコリンが近付いてきて立ち止まった。
ノアは一足分後ずさってしまう。
「かわいい子だったね。お薬、もらいに来たの?」
さっきの親子はもう後姿も見えなくなっていたけれど、コリンはしっかり見ていたらしい。
「そ、そうだ。でもお前には関係ないだろう」
「そうだけど。そのくらい聞いたっていいでしょ」
言われればノアは黙るしかない。世間話の一環だ。こんなこと。
オオカミ少年と話したいことではないが。
「ねぇ、それなぁに。お薬にしては甘いにおいがするけど」
本当に目ざとい、というよりは鼻ざとい。オオカミらしく鼻が利くのだ。
見た目よりも嗅覚から『美味しそうだ』と感じたのだろう。
ノアの手にしていた一粒を指さして言うのでノアは、さっさとそれをコリンに押し付けた。こんな近い距離でいることは本当は怖いのだ。
「このくらいやる。ただのキャンディだ」
「アメ? ありがとっ」
コリンは顔を輝かせてそれを受け取った。僅かに手が触れてノアはびくりとしてしまう。
オオカミの手だ。恐ろしい。
しかし触れたコリンの手はなめらかでヒトの手となにも変わらなかった。
あれ、と思う。
びくりとしたのは『触れる』という事実に関してであり、感触は思ったより悪いものではなかった。狼男だからなにか違うかと思ったのだが。
ノアのその様子には構わずコリンは、さっさと薄紙を剥いてキャンディを取り出していた。
へー、綺麗ー、なんて摘まんで陽にかざしてしげしげと見ている。
そのあと言った。
「これ、オレの目の色みたい」
ああ、確かに。
ノアはぼんやりと思った。すぐに、はっとしたが。ぼんやりしている場合ではない。
相手はオオカミ少年。警戒するべき相手だ。
そう、一瞬触れた手がやわらかくてあたたかかろうとも。
「そ、そうか」
言ったが声はうわずった。何故だかわからなかったが。
よく観察したあとコリンはそれを口に入れた。もごもごと口を動かして溶かして味を確かめているようだ。
このオオカミ少年に作った食べ物を食べられることなんてこれまでにもあったというのに、なんだかこう見ていると気恥ずかしい。
そして気付く。お菓子や料理を与えても、彼がそれを口にするところを見るのは初めてだったということに。
なんだか新鮮さを感じてしまったが、やはりそれどころではないと自分に言い聞かせることになった。
「ん、あまい、けど、なんだろこれ。変わった味」
キャンディが十分に溶けたのだろう。やはりもごもごとしながらではあったがコリンは感想を言ってくれた。
まぁそうだろう。甘かろうが、一応喉飴だ。
「……大根だよ」
「え、あの白い野菜だろ。アメになんてなるの」
ノアの『答え』にコリンは目を丸くした。その反応は純粋でなにも含みなど無いのは明らかだった。
「なったからここにあるんだが」
「そうだけど。へー……ノアはすごいなぁ」
勝手に名前を呼ばれて、あまつさえ呼び捨てにされるのももう慣れた。
最初こそ「馴れ馴れしい」と苦言を呈したものの聞きやしなかったのだ。
しかしなんだか今日はこれがくすぐったい。褒められたからか、名前を呼ばれたか、あるいは自分の前で自作のキャンディなんて食べてくれたかなのかはわからないが。
「で、なんの用だ」
妙な気持ちを心の横へ押しやってノアはやっと本題を尋ねた。
「こんにちは」とやってきたのだ。なにか用があるかと思った。
毎回お菓子をたかりにきているのだ、それも一応『用事』であろう。
「え、近くを通ったから。会いに来たよ」
にこっと笑って言うコリンだったが、ノアは顔をしかめてしまう。
それはなにも用がない、ということではないか。
「冷やかしか」
敢えて突き放すようなことを言う。
人間の客相手にこんな物言いをすることはないのだが。ただ遊びに来ただけで薬を買わなくたって、こんなことは言わない。
「酷いなぁ。お薬買わないといけないの」
「そうじゃないが……」
コリンの返事にノアは困ってしまう。
「だったらいいでしょう」
にこっと笑われた。その笑顔はまったくただのヒトの子供のようだった。
もう大人に近いのだ、顔立ちは精悍になりつつあるようだが表情が子供でしかない。こんなふうに一メートルもないくらいの距離で笑われればただのヒトの少年にしか思えない。
しかしそんな平和なことを思えていたのはそこまでだった。
コリンが不意に空を見上げて言った。
今日は晴天。空はからりと晴れて太陽がさんさんと輝いていた。その太陽を見て。
「おっと、そろそろ時間かな。太陽がてっぺんの時間に待ち合わせしてんだ」
「待ち合わせ?」
あ、オレから聞いてしまった。
こんなことを聞くのはやはり初めてだった。
今日はなんだか妙だ。
思うノアに構わずコリンは当たり前のように答えてくれた。
「狩りに行くんだ。いい猟場があるってリーダーが言うもんだからね」
が、言われた言葉は相当物騒だったために、ノアの背筋は震えあがった。
狩りだと。
生き物を捕まえて、殺して、食べるのだ。
自分とてウサギやら鶏やらの肉を食べている以上責めるつもりはないが、自分が猟師から買う肉とはまったく流通やらその処理やらの方法が違うのはわかった。
ヒトの少年のようだと思い、そのように接してしまったのを後悔する。
やはりコイツはオオカミなのだ。
人間とは違うのだ。
ゆえに、気を許してはいけないのだ。
「そ、そうか……じゃ、さっさと行け」
やっと言った。
『狩り』の具体的な様子を想像しないように気をつけながら。
「冷たいの。ま、いいや。アメありがとね」
一瞬不満げな顔を見せたものの、コリンは口の中の甘さにかまた顔をほころばせて言ってくれた。おまけに「会えて良かったよ」なんて言ってくる。
先程までだったら、なにかしら嬉しさなどを感じてしまったかもしれない。
が、狩りなどという単語を聞いてしまえばもう無理だった。
なにが会えて良かった、だ。オレはちっとも良くない。
反論しようとしたが声が出てこないうちにコリンは、じゃぁねー、なんて手を振って、ぱっときびすを返してしまった。まるで風のように一瞬で走り去る。
ノアはその場に佇んでいた。
一瞬触れた手は、ヒトとなにも変わらなかった。
そのとき感じたことは確かに嫌な感覚ではなかったはず。
でも帰り際の話題、狩り。
確かに人間とは違ういきもの。
ノアの中で違う感覚が一緒になり、混ざり、しかしそれはまだ綺麗な混ざり方ではなかった。
しかしこうしていても仕方ない。
不意の客も帰ったことだ。今となっては先程の親子に会ったことが何時間も前のことのように思えてしまう。
それほどコリンとのやりとりは大きいものだったのであって。
太陽が真上、と言われた。つまり昼食の時間だということだ。
なにか食べよう。
ノアは小さくため息をついて家の中へ入った。ドアを閉める。
すぐそばの、さっきまで親子とやりとりをしていた部屋に入った。
キャンディの小瓶を出したままだったはずだ。片付けなければいけない。
在庫を確かめて棚に戻すだけだが。
テーブルの上にあった小瓶を取り上げて、ふと思い出す。
コリンはさっき「オレの目の色みたい」と言った。
確かに琥珀色のキャンディはコリンの金色の瞳と同じ色だ。
ノアは小瓶を見たままちょっとさっきのやりとりを反芻してしまった。
小瓶を数秒見つめていたが一粒取り出す。薄紙を剥いて口に入れた。
もご、と口の中で転がせば甘い味がする。大根のわずかな野菜の味も。
幼い頃から何度も食べたり作ったりしている、ノアにとっては馴染んだ味。
今更感慨深いもなにもない。口に含んでしまったのは単なる気まぐれだった。
しかしなんだか口の中のキャンディは、いつもより甘いような気がしてしまったのだった。
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