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路地裏とある男

「ありがとな。助かったぜ」  ノアの治療した腕を軽く持ち上げて動かしてみて、男は言った。 「それは良かった。でもあまり動かさないほうがいい」  どうやら一安心のようだ。  薬を塗ったので化膿はしないだろう。  布はさっき買った薄い手ぬぐいを裂いた応急処置品であったが、買ったばかりなので衛生的にもあまり心配はないはずだ。  さきほど路地裏でうずくまって息を荒くしている男とその流れている血を見てぎくりとしたノアであったが、魔女業をしている以上軽い怪我の治療などよくあること。  すぐに気を取り直して「怪我をしているのか?」と声をかけた。  怪我をしているなら見過ごせない。魔女として、それから人道的にも。  警戒してであろう、顔を上げてぎろりと睨まれたが男のその目はノアを見据えたあと、ちょっと力が抜けた。  丸くなり、興味深げだ、という色になる。 「オレは魔女だ。軽いものなら手当をしてやれる」  ノアは男を安心させるように言って手を差し出した。  暗い場所に目が慣れた今では男の容貌も少しは見えた。  ノアより少し年上に見えるがまだ若い男性。がっしりした体格をしていた。短い黒髪を持ち上げている。 「魔女? 男だよな?」  警戒は少しとけたようだが今度は別の意味でいぶかしむような眼を向けられ、低い声で言われた。  こう言われるのは慣れているとはいえしばらくなかったことだ。ノアの家に訪ねてくるのは街の見知った人々が大半であり、新しいお客も街のひとに連れられてくる者が多かったために。 「この街の者じゃないのか? 魔女というのはただの職の名前だ。薬の調剤をしたりしている」 「……そうか」  男は、ふいっと視線をそらした。  多分ノアの聞いた『よそ者』であることになにかしら負い目があるのだろう。  なにか事情はありそうだが、とりあえず怪我を治療してやらねば。  ノアは思い「傷を見せてくれないか」と荷物をそこへ置いて近付いて、そしてしぶしぶではあったようだが腕を差し出してくれた男の傷を診た。  それが十数分前のこと。  傷を洗って、消毒をして、薬を塗る。最後に布で覆った。  そのように治療していくうちに男はだんだん気を許してくれたらしい。  治療が終わったときには安心したように「助かったぜ」なんて言ってくれたという次第だ。 「なにか刃物で切ったようだな」  傷口はすっぱり切れていたのだ。おかげで綺麗に治りそうであったが。 「あ、ああ……ちっとヘマ踏んじまってな」 「……? そうか」  男は口を濁してそれだけ言った。  ノアもそれだけ返す。深い事情を聞くつもりはなかった。話したくないようだし。 「ほかに怪我はないか?」 「ああ」 「そうか。ではオレはこれで」  大人の男だ、どこぞへ送ったりという必要もないだろう。  よってノアは腰を上げて置いている荷物のほうへ向かいかけたのだが。 「アンタ」  がしっと腕を掴まれた。怪我をしたのと逆の、男の手で。 「なんだ?」  強い力で掴まれたことにちょっと眉をしかめたものの、ノアはなんの疑いもなく男の顔を見た。 「……や。綺麗な顔だなと思ってよ」 「……はぁ。どうも」  じろじろ顔を見られて、それはあまり嬉しくなかった。  顔を褒められて喜ぶのは女性だろう。オレにしなくてもいいじゃないか。  そう思ったものの褒められているところへそう言うのも失礼だと思ってしまったのだ。 「今度、礼をさせてくれよ。アンタの店はどこなんだ」  まだねめつけるようにノアを見ながら男は言った。なんだか蛇でも這うような視線だな、と思いつつもノアは返事をする。 「オレはこの街に住んでるわけじゃない。街から少し歩いたところの森の……」  場所もそのまま説明してしまった。別に隠しているわけではない。  それに街のひとたちなら知っていることだ。 「そうかい。……じゃ、今度、礼に向かうわ。オレはジェームスっていう。アンタは」 「ノア、だ」 「へぇ。綺麗な名だ」  まただ。  なにか、女性を相手にしているような喋り方だとノアは少々不愉快になった。  おまけに喋りかたも先程のように『蛇が這うよう』と形容できるような感覚であった。 「……では、オレはこれで」 「ああ」  腕を引こうとするとそのまま離してくれたのでノアはほっとした。  そのまま荷物を持って男、ジェームスと名乗った。彼と別れた。彼がどこへ行くかはわからなかったが別に関係も興味もない。  ノアはさっさと路地裏を出た。  さぁっと明るい光に身が包まれて、随分暗いところにいたのだと思い知らされた。  眩しさに目を細めてしまったくらい。  まぁ、困っているひとを助けられてよかった。変わったやつだったが。  そう思ってノアは当初の目的である方向へ歩き出した。  道をゆく間。  なにか、掴まれた腕からわずかにぞくりとするものが這い上がってくるのを感じたが、カフェに入って茶葉の香りに包まれれば、そんなものはすぐに消えてしまった。

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