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不穏な訪問者
「こんちは」
街の路地裏で助けた彼、ジェームスは数日後にノアの家を訪ねてきた。
「ああ……この間の。ジェームスさん」
「おう。覚えててくれたんか」
ノアの言った名前にジェームスは嬉しそうに笑った。
あまり爽やかな笑みではなかったが、少なくとも嬉しそうではあった。
そういう気質なのだろう。そういう者もいる。
ノアはあまり気にすることもなく「立ち話もなんだから、入るといい」とジェームスを招き入れた。
あとから考えると危険なことだったが、ノアとて男である。女性の一人暮らしではあるまいし、男性を招き入れることに抵抗などない。普段からしていることだ。
「おや、お知り合いかい」
ノアがジェームスを伴って部屋に戻ると、待たせていた先客が振り向いた。
そのときノアの家に居たのは年老いた女性だった。ノアのところへ相談に来ていたのだ。
嫁とうまくいかない、孫のためにはいさかいを起こしたくないのだけど。
そのように相談してきた彼女が優しい心を持っていることは、ノアにはよくわかった。
同じ家に住んでいて孫という血の繋がりが間接的にできても、別の人間同士だ。血が繋がっていてもいさかいはどうしても起こる。
まったくの他人ならもっと起こりやすいだろう。
それでもそうなってしまうことを嘆き、心痛めてしまう優しいひとなのだろう。
ノアは彼女の話を聞き、対策をいくつか提案した。
その次に彼女の心を癒すべく雑談をはじめていた。
そこへ玄関のドアを叩かれたというところ。
「いや、……この間、街で会ったんですよ」
老婆はノアに知り合いかと聞いてきて、確かに一度会ったことはあったが知り合いというほどのものではなかったのでノアはそう言っておく。
「つれないねぇ」
ジェームスは言ったが、なんだか馴れ馴れしいなと、ノアはあまり良く思わなかった。
一回偶然行き会って怪我を治療してやっただけではないか。
それなのにつれない?
良く意味がわからない。
「じゃ、次のお客さんがあるようだから私はこれでおいとましようかね」
老婆は椅子から立ち上がろうとしたが、意外なことにジェームスがそれを制した。
「いや、おばあちゃんがまだ用事あるんだろ。邪魔したのはオレのほうだから」
おや、いいやつじゃないか。
先客の邪魔をしないと言ってくれたことにノアはちょっと彼を見直しかけたのだがそれは一瞬だった。
「オレは外でノアを待ってるから」
は?
呼び捨てかよ。
今度ははっきり不快を感じた。
自分は『ジェームスさん』と、さん付けをしたのに呼び捨てである。
馴れ馴れしい。もう一度思ってしまう。
「じゃ、ノア。あとでな」
また呼ばれた。
面白くなく思いつつもノアは「ああ、すまないな」と言っておく。
そのままジェームスは出ていった。なんだかほっとしてしまう。
「……見かけない顔だったね。街で会ったのかい?」
老婆はあの街で暮らして長いと聞いている。若い頃に夫に嫁いであの街にやってきて以来、ずっとそこで暮らしているのだと。
そんな彼女も知らない男。つまり本当によそ者なのだ。
「ああ。なんだか事情があるようでしたよ」
「そうかい」
老婆はジェームスの出ていった部屋のドアをしばらく見ていた。
その表情はどこか不安げで。彼女もなにかしらを感じたのだろうか。
なんとなく同じような感覚を感じたことに、自分だけではないと安心しつつもノアは気を取り直した。お客をそんな心持ちにするわけにはいかない。
「すみませんね。中断しまして」
ノアの言ったことに老婆の意識もこちらへ向いてくれたらしい。
「ああ……いいんだよ私は。たくさん話を聞いてもらって少しラクになったからね」
「そうですか。それなら良かったです」
嬉しいことを言ってもらえて、ノアまで嬉しくなってしまう。
こういう、ひとから感謝してもらえることが魔女業として一番嬉しいことだ。
「でもお気遣いいただいたからね。もうひとつ、聞いてほしいことをいいかい」
「はい。どうぞ」
ノアは老婆の前の椅子に腰かけ、話をする体制に入った。
「孫がね、来月誕生日なんだ……」
老婆は孫の誕生日になにをやろうかという話をはじめた。
それは楽しそうな様子で。今度は嬉しい話題であることにノアは安心してしまう。
すぐに話に引き込まれてノアのほうもすっかり気分が落ち着いた。
「おっと、長々とすまなかったね。今度こそおいとましよう」
二十分ほどが経っていただろうか。
時計を見ていなかったのではっきりとはわからなかったが。
彼女はキリの良いところでそう言い、立ち上がろうとする。
ノアは手を出して彼女の立ち上がるのを助けた。
まだ体はしっかりしているようだが年齢を重ねているのだ。ちょっとしたことで転びでもしたら大変だ。
「ありがとう。ノアさんは優しいねぇ」
「いいえ」
老婆はノアの手を取って立ち上がり、笑ってくれた。
「でも、あまり優しいと付け入る輩がいるかもしれないよ。お気をつけ」
「……ありがとうございます。気をつけます」
それは先程のジェームスのことだろうか。
そう思ったが多分そうだろう。彼女も良い印象を抱かなかったようだから。
それはよそ者に対する警戒か、それとも別のものなのかはわからないが。
彼が外で待っていることに再びちょっとの不安を覚えつつも、ノアは老婆を玄関まで送った。
「これはお礼だよ」
「ありがとうございます。こんなにお気遣い……」
老婆は銀貨を二枚ノアの手に渡してくれた。
「いいや。助かったからね。お小遣いも兼ねていると思っておくれ」
ノアの仕事は決まった値がついていない。お客の心づけということで好きなだけ払ってもらっていた。
貧しい者は銅貨すら用意できずに「これでお願いできますか」など家で作ったであろう野菜やなんかを対価にしてほしいと言うこともあったが、それでもかまわない。
ノアは「構いませんよ」とそれを請けるのだった。元々、お金にはあまり困っていない。
「ありがとうね。またお邪魔するよ」
「気をつけてお帰り下さいね」
老婆の後ろ姿を見送ってノアは、さて、とあたりを見回した。
外で待つと言っていたがどこにいるだろう。
玄関近くには見当たらなかったが。森のほうだろうか。
思ってノアは家の裏手へ回った。果たして彼はそこにいた。
立ち待ちをしていたらしいジェームスは煙草をふかしていた。
それを見てしまい、あまり面白くない気持ちがまた蘇ってしまう。
「悪いな。ここは禁煙なんだ」
「そうなのか? 健全だな」
くるりと振り向いたジェームスは勝手なことを言った。
「まぁいいじゃないか」
おい、オレの家の裏なのに勝手なことだ。
元々ノアは煙草を吸う人間が好きではなかった。
否定はしないが、体に悪いし、煙などは子供や体の弱い者には毒になるのだ。健康を至上とする魔女には受け入れがたいもの。
それを勝手にオレの領域で吸おうなど。
よって嫌悪感を覚えてしまった。
煙草よりもジェームスの常識のなさに、だが。
「まぁ、待たせて済まなかったな。折角来てくれたのに」
「かまわないさ」
家に入る流れになりそうだったのでノアは言った。
「……ポイ捨てはやめてくれ」
雰囲気を察してノアは釘を刺したのだが、当然のようにジェームスは言う。
「じゃあどこに捨てろってのさ」
はぁ、とノアはため息をついて「灰皿くらい持っておけ」と言った。
常識ある喫煙者なら携帯灰皿を持っているものだ。目の前の男はあまり普通ではなさそうだから仕方がないか、と思いつつも一応言っておく。
「吸殻を壁に押し付けるのもやめてくれ。オレが家で始末するから」
大切な家を汚されるのは困る。たとえ外壁といえど。綺麗好きなのだ。
「おかたいねぇ」
ノアが気分を悪くしているのはわかるだろうに、ジェームスはぬけぬけとしている。そして続けた。
「まぁかわいいけど」
「はぁ?」
今度こそはっきりとノアは顔をしかめてしまう。
「からかうなら帰ってくれ」
「いやいやそんなつもりはないぜ。じゃ、お邪魔させてくれよ」
ひらひらと手を振って、火のついたままの煙草をノアに押し付けて勝手に玄関のほうへ歩き出す。
はぁ、とため息をついてノアは火に気をつけつつ煙草を持って、それを追った。
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