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良くないにおい

「コレ。こないだの礼だよ」 「……えっ」  お客を迎える部屋に入って、ジェームスから渡されたのは一枚の金貨だった。魔女業をしていても金貨をもらうことは滅多にない。 「いいからとっといてくれ」  ジェームスは、にこにこと表現できる表情で笑っている。  意外と義理堅いやつなんだな。  ノアは驚いて少し考えなおそうと思った。  きっとオレと生きている世界が違ったり、価値観が違ったりするだけだろう。 「で、ノアは魔女なんだろ。怪我を治せるのはこないだ知ったけど、ほかにどんなことしてんの」  ジェームスが先程、老婆の座っていた椅子にどっかと腰かけても気にしないことにした。さっき老婆が座っていたのを見てこれが客用の椅子だと知ったのだろう。  呼び捨ても気にしないことにしてノアは向かいの自分の椅子に座る。 「ああ……その前に、怪我はどうだ。ちょっと見せてくれ」  ノアの要求にジェームスはひらひらと手を振った。 「あー……大丈夫だよ」  確かに今日の様子を見るにあまり問題はなさそうに見えたが。 「一応オレが治療したんだ。しっかり治っているかが気になる。少し見るだけでいいから」 「……優しいねぇ」  ジェームスは大人しく腕を出した。長袖を着ていたので腕をまくっていく。  もう暑い日もちらほらあるのに長袖は少し暑くないだろうか、と思ったノアだったが人それぞれだ。  まくり上げられた下の腕を見る。包帯などは巻かれていなかった。 「一応、保護しておいたほうがいい。浅い傷じゃなかったんだから」 「大丈夫だって」  どうやら大雑把らしい。包帯は鬱陶しいということのようだ。 「薬は要らなさそうだな。包帯だけやろう」  軽く傷に触れて具合を確かめる。まだ癒え切っていないが傷口はしっかりふさがっていた。これなら薬は要らないだろう。 「まぁ、くれるっていうならもらっとくけど」  ノアが棚から包帯を出してジェームスの腕を取ると、なんだかじろじろと見られた。  なんだろう。  やはりあのとき感じたねめつけるような視線だった。絡みついてくるようだ。  どうも気分がよくない。この視線は。  それでも掴んだ腕にくるくると包帯を巻いてテープで留めた。これで完成だ。 「ほら、これで」  包帯から視線をあげて手を離したノアだったが、その手を逆にがしっと掴まれた。  痛、と口から出るところだった。  いちいち手を掴んでくるしそれも弱い力ではない。妙に力を込めてくるのだ。  まるでこれは、……獲物でも捕まえるようじゃないか。  ちらりとノアの頭にそんなたとえが浮かんでしまった。 「綺麗な手だね。白いしすべすべしてる」  触れた手をそう評されて、またノアは顔をしかめてしまう。 「……お前はオレを女かなにかだと思っているのか」  本当に、なにか誤解しているかのような言動である。 「いや? 男でも綺麗なやつはいるからな」 「それにしたって」 「まぁまぁ」  ぱっと手を離された。ほっとする。  が、その感触と体温はノアの手に残っていた。  それを妙に不快に感じる。  さっきのように治療のためにヒトに触れることなんて珍しくもなんともないのに、こんな感情はおかしい。 「で? 話の続きだ。ノアの仕事を教えてくれよ」 「ああ……薬の調剤をしていることは、話したか。ハーブなんかを使ってあのときと同じ怪我を癒す薬を作ったり、ほかには心に作用する薬も作ったりするな。寝つきが良くなったり不安感が和らいだりする」 「ふーん。確かにそりゃ魔法みたいなもんだ」  さっき手を強く握ってきたことなど嘘のように、ジェームスはきちんと聞いてくれた。魔法使いとの違いや、なんやかんやを話してふとノアは自分ばかり話してしまったことに気付く。  しまった、魔女としてはお客の話を聞くほうが大切なのに。  そこで逆に訊いてみた。 「で。ジェームスさんはなにをしているひとで、」  しかしそこで遮られてしまう。 「さんとか要らねぇよ。くすぐったい」 「……はぁ」  ノアの返事をする声はなんだか気が抜けた。  やはり住む世界が違う。  さん付けが普通でない世界。  よその街ではこんなものなのか、とちょっと居心地悪く思った。  が、あまり呼び捨てをしたいやつではないな、とノアは思う。 「いや、お客なんだから乱暴な呼び方は失礼だ」 「本当につれないねぇ」  またこういうことを。  ノアが流石に「こういうのはやめてくれ」と言いたくなった前に、先に言われた。 「まぁいいや。仲良くなったらそう呼んでくれ」  すぐに撤回されたのでノアはそれを言うタイミングを逃してしまった。  おまけになんだか「なにをしているひとなのか」という質問すらはぐらかされた気すらする。  ため息をつきたくなりながら、気分でも変えようと「そういえばお茶のひとつも出していなかった。淹れてくる」と立ち上がった。 「すまんな」  ノアが部屋の外に出たあと。部屋の中でジェームスは一人、にやりと笑った。良からぬ顔つきで。  仲良くなったら、な。  ジェームスが口の中で呟いたことを、ノアは知る由もなかった。 「悪いな、メシまで」  意外に話は続いてジェームスは夕食まで食べていった。  話が色々と続いたのは、結局自分の仕事については話してくれなかったが、住んでいたり訪ねたことのある街について話してくれたのだ。  一番近くの街以外のところに行ったことはほとんどないノアにとっては、新鮮な話で興味深かった。  ついつい色々質問もしてしまってジェームスもそれに答えてくれた。  もっとも何度かはぐらかされるようなことも言われたが。  まぁそれも別に普通だろう、とノアは思った。  自分にも軽々しくひとに話すことのできない話題もあるし。  たとえば父親についてとか。これは本当に知らないというだけだが、哀れまれたりするのは本意ではない。 「お口に合ったなら良かった」  昨日から寝かせておいたシチューだったが気に入ってくれたらしい。  「そろそろ帰る」と言ったジェームスを玄関へ送っていったノア。 「またきてもいいか」  ジェームスはそう言った。  煙草の件や、自分に対して妙な物言いや視線をしてくることは確かにノアには気になった。  が、新しい話は楽しいし断る理由もほかにはない。一応客ではあるのだし。  そのくらいに思ってノアは「ああ。また用事があったら来るといい」と言った。 「そうか。ありがとな。じゃ」  ひょいっと手をあげてジェームスは街への道を歩いていった。  ノアはふぅっと詰めていた息を吐き出す。やはり知らないうちに緊張していたようだ。  ジェームスはどう考えても変わり者だ。街のひとたちとは違う。  よそ者である所以なのだろうか。  それとも彼個人の気質なのだろうか。  それはわからない。 「ノア」  そこへ違う声がかかって、不意打ちだったためにノアは、びくっとしてしまった。  しかしそちらを見たとき何故か少しの安心を覚えた。  不思議だ。彼のことは警戒していたはずなのに。  そこに居たのは街への道とは逆側。  森のほうからやってきたであろう、コリンだった。 「あのひと、誰」  いつもにこにこしているコリンらしくなかった。なんだか目が硬い。  ノアはコリンを見て、ほっとした自分を不思議に思いつつも端的に言った。 「街で会ったひとだ。前に怪我を診てやった」 「……ふーん」  コリンは納得しきれない、という眼でそれだけ言って、なにか言い淀むような様子を見せた。  そしてためらったようだったが言われたことにノアは驚いた。 「ねぇ、あのひと良くないにおいがするよ」 「は? なんて失礼なことを言うんだ」  コリンがひとに対してこんなことを言うのは初めてだ。  良くないにおい?  臭いにおいなんかしなかった、とノアは思ったがそういう意味ではない、とすぐに思い当たる。  嗅覚というか、狼男ゆえの強い本能からの『良くないにおい』と評される雰囲気かなにかか。 「だってほんとうだよ。ねぇ、」  言い募るコリン。  しかしノアとしては、そうかそうするよ、などとは素直に受け取れないではないか。だってなんの裏付けもない。 「根拠もないのにそういうことを言うやつは嫌いだ」  ノアが言った『嫌い』という単語に反応してか、ぴくりとしたコリンの耳。  それはすぐにしょげたように垂れてしまう。 「ほんとなのに……」  心から思っている、という様子だったが、ノアの理性が勝った。 「じゃあなにか理由でもあるのか。無いならそんな失礼なことを言うな。もう帰れ」 「ノア」  コリンはノアを見上げた。まるで懇願するような眼だった。  こんな眼で見られたことはない。  心配してくれているのはわかるけれど、大体コリンにだって気を許してなどいないのだ。そんな存在に言われたところで。 「もういいか。オレはそろそろ家のことを片付けないといけない。じゃあ、な」 「ノア!」  くるりときびすを返してノアは家の中へ入ってしまう。ぱたんとドアを閉めた。  鍵はかけなかったのでコリンがそのつもりなら、ドアを叩くなり勝手に入るなりすることはできただろう。  けれどそうはしないと踏んでいた。  そういうやつだ。妙に律儀だというか。  居室へ入ってノアは、ふぅっとため息をついた。  今日は妙に疲れた。その原因はジェームスであることが明らかであるが。  どうにも。  悪いやつではないだろうが、とまで思って、ノアは自分もそう思いきれていないことに気付いてしまう。  不快感を感じたことも、信用しきれない気持ちになったことも、怪しむ気持ちも確かにあるのだ。  おまけにジェームスの来訪の前に来ていた老婆のお客にも同じように言われた。  『あまり優しいと付け入る輩がいるかもしれないよ』。  それは忠告だろう。  本当になにかよからぬことを考えているやつなのだろうか。  いや、自分でコリンに言ったじゃないか。  根拠もないのにひとを嫌うなんて、疑うなんていけないことだ。  ノアは自分に言い聞かせた。  大体、付け入るってなにがあるんだ。  金でも盗られるとかいうのか。  盗られて困るのは秘蔵の薬物レシピくらいであるが。  ……今日は戸締りをしっかりしておこう。  そのくらいに思ってノアは出しっぱなしだった食器を流しで片付けはじめた。  その思考や判断はどうにも甘すぎたのだったが。

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