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修復

 翌日、起きたのは昼過ぎだった。  眠りすぎてぼうっとする。過剰に眠らずにはいられないほど心がショックを受けていたようだ。  しかし少しずつ意識は鮮明になってきて、ショックもだいぶ和らいだのを感じてくる。今朝は空腹を覚えることができたのが一番の証明であった。  まだ重いものは食べられそうにないが、また粥でも炊いてもう一度薬を飲もう。  思って起き上がりキッチンでそのようにした。  薬を飲み、食休みをしていると、とんとん、と玄関から音がした。  ノアはびくりとしてしまう。誰かが来たようだ。  ジェームスだろうか。  コリンだろうか。  思って、コリンを同列に恐れるのはいけないと思いなおした。 「おーい。ノアさん?」 「居るのか?」  声がした。  複数の男の声。  ジェームスでもコリンでもない。  幾度か聞いたことのある声。魔女の家に客として来たり、街で会話をしている人々のようだ。  まさか心配してきてくれたのか?  ノアの胸に嬉しい想像がよぎって玄関へ小走りで向かった。  あれから玄関へ向かうのは初めてであったが、見て思わず立ち尽くしてしまった。  玄関もあの部屋の窓と同じ。無残に木が裂けていたのだから。  しかし外に見えた人々はノアの想像通り、街の人々だった。男ばかり四人いる。  皆、会ったことがあったり話をしたことのあるひとたちだ。 「ああ! 居るじゃないか」 「良かった。来てみたらドアがこんなだから、皆心配してたところだ」  裂けた木の散らばる玄関。  裂けて鋭い断面を剥出しにしている木をうっかり踏まないように気をつけつつ、ノアはそろそろと外へ出た。 「あ、……ありがとう……」  ノアの目にじわりと涙が滲む。  ああ、自分は独りではなかったのだ。  独り暮らしであろうと心配してくれるひとたちはこんなにいる。  一人の男が近づき、ぽんと肩を叩いてくれた。 「なんか知らんが、大変なことが起こったんだな」  その手の感触は嫌なものどころか優しさに溢れていて、ノアの目からぽろっと一粒、涙が落ちた。  ほかの者たちも近付いてきてノアを取り囲む。 「仕立て屋のばあちゃんが、数日前に『ノアさんのところに変な客がきてたよ、心配だね』って言ってたから。……もうちょっと早くくりゃ良かった」  一人の男が言った。  そうか、あのときお客に来ていた老婆が街のひとに話してくれていたのか。  ノアは心底感謝を覚えた。それで不審を覚えて四人はやってきてくれたのだから。  複数で来たのは、なにか、『変な客』と言われた者、つまりジェームスのことを警戒してのことかもしれない。 「あのよそ者か! 最近、街をうろついてると思ったんだ」  男の言葉に違う男が声を上げた。 「さっさと追いだしゃ良かったんだ」  ほかの男も言う。 「でも大丈夫だぜ。一昨日から見ないんだ。街のやつらにも聞いたけどまったく見なくなったってさ。どこぞへ行っちまったんだろう」 「そうか。ならまぁ、ひとまずは安心っぽいか?」  そのやりとりを聞いているうちにノアはまたぽろぽろと涙を零してしまう。  言われた通り『ひとまずは安心』なのだ。 「ノアさん。家の中は無事なのか?」  訊かれてぎくりとした。  『あの部屋』のことを思いだしたために。 「いや、……ちょっと荒れている」  言い淀んだものの正直に言ったノアに、また男たちは声を上げて、怒ってくれる。 「強盗か! まったく、とんでもないやつだ」 「迷惑じゃなかったら片付ける手伝い、するぜ」  強盗と言われた。強姦されかけたなどとは幸い思われなかったようだ。  部屋の様子はあまり見られたくなかった。  が、なんにしろ窓を直すために大工は呼ばなくてはいけないのだ。  つまり街のひとたち……ノアにとっては味方のひとたち……には見られても仕方がない。あのまま放置することもできないのだし。  よってノアは心を決め、彼らを部屋に招いた。  男たちは無残な様子にされた窓、そして部屋に散らばる血を見て、ひっと息を呑んだ。 「なんだこれ! ノアさん、まさか怪我を」 「玄関だけじゃなく窓まで破られたのか!?」  口々に言われてノアは説明することになる。 「い、いや、怪我はしていない」  そのあとちょっと悩んだ。  コリンのことをどう説明したものか。  迷ったものの、狼男のことなどを話せば、街のひとたちは違う意味で恐怖や警戒を覚えるだろう。 「と、通りかかった者がいて……その、えっと……強盗をナイフで撃退してくれたんだ……」  苦しまぎれだった。  が、まるきり嘘でもない。街のひとたちはそれで納得したようだ。 「勇敢なやつもいたものだな」 「まぁそれでノアさんが無事で済んだなら良かった」  納得した会話のあと訊かれた。 「で、助けてくれたっていうそいつは?」  当然の質問だった。  この部屋の状況とノアが今まで一人でいたことを照らし合わせれば。 「……そのまま、去ってしまった。通りすがりだったから、などと」  ノアはまた苦しまぎれの言い訳をした。 「……そうなのか」  街の男たちは顔を見合わせた。  それはそうだろう。撃退したものの、この部屋にノアを置いて行ってしまったなど不審だ。  その点についてはどうしたものかとノアは肝を冷やしたのだが「まぁ考えても仕方ないだろ」と一人が言ってくれた。 「とりあえず部屋を直さないとな! ちっとオレたちだけじゃどうにもならないから、ひとを呼ぼうぜ。とりあえず大工がいるだろう」 「そうだな。まぁ、この血くらいはオレたちで綺麗にできるか?」 「じゃ、オレがひとっ走り街へ戻って大工を呼んでこよう」  ぱぱっと役割分担も決まって男の一人が出ていった。  そのあとのことは素早かった。  雑巾などで床の血の痕を綺麗にしてくれて、割れたガラスも慎重にできるだけ集めてくれて、やってきてくれた大工が玄関を、次に窓の具合を見てくれた。 「随分大胆に割られているな。これ、本当に人間がやったのか?」  ノアの肝がひやりと冷える。 「そ、そうなんだ」  が、大工は顔をしかめる。 「なんて怪力なやつだ……。まるで犬か熊か、そういうのがなにか突っ込んできたみたいだな」  流石、専門家だ。  突っ込んできたのはコリン。  狼男。  犬、という表現もあながち間違っていないのだから。  そうだ、あの体には窓を破った挙句に成人した体をしている男に乗りかかって食いつき、撃退してしまうくらいの力が備わっている。  そして自分はそれに助けられて無事でここにいられる。  ……コリンのおかげなのだ。  ノアの心にやっとそれが染み入った。  しかし続きを思う前に大工が言った。 「木材とガラスと、もっとたくさん、複雑な工具が要る。直すのにはそうだな……十日はかかるだろう。費用もかかるが」  言われたが当然のことではあるし、窓は直さないと困るものである。  貯金箱に入れている銀貨や銅貨のことをノアは考えた。  それをはたけば代金になるだろうか。  大工と金額の交渉をしたが、幸いなんとかなりそうではあった。  やってきた男たちも言ってくれる。 「ノアさんには世話んなってるからな。オレたちだけじゃなく、街の皆だってそうだ」 「ノアさんはオレたちのことをいつも助けてくれる。だから今はオレたちが力になるぜ」 「ああ。オレたちも金がたくさんあるわけじゃないが、食い物くらいは分けてやれる」  口々に言われてまたノアは泣き出しそうになってしまった。  街のひとたちは優しい。  こんなことになって余計に身に染みた。 「皆、ありがとう」 「いいって。助け合いだぜ。なっ」 「ああ、そうだ」  ノアを囲んで肩を叩いたりと力づけてくれるひとたち。  ひとまず今日のところは帰るぜ、と夕方には皆、帰っていった。  優しいことに「またよそ者みたいな怪しいやつが来たら、街まで走れよ」と言ってくれて。  とりあえず、がらんとなにも無くなり空いた窓以外、部屋は綺麗になった。  戻っていく。  平穏な日々に。  それは確信だった。  街のひとたちの手伝いや優しい心がくれたものだ。  その夜は満月だった。  寝室の窓からノアはそれを見上げる。  美しかった。  まるでノアを護って見守ってくれるように。  まだ警戒と恐怖は完全に解けないので部屋に鍵はしっかりかけていたが、桁違いに心は落ち着いていた。  月を見てコリンのことを思いだした。  月のように黄色の瞳をしたコリン。  自分を助けてくれたひと。  窓を破って飛び込んできて暴漢を撃退してくれたのだ。  今、ノアがなんの被害も受けずここに元気でいられるのは全部彼のおかげだった。  感謝している。  が、一方で心は痛んだ。  自分はコリンを恐れ、拒絶したのだ。  助けてもらったのに礼のひとつすら言わずに。  恐れた理由は仕方のないものではあった。  ノアにとって犬は脅威であり、畏怖の対象であり、トラウマさえ抱いている存在。  そもそも人間を襲っておびただしい量の血を流させるところだって、トラウマなどなくとも恐怖して当然のことであろう。  が、それもあの状況では仕方がなかったのだ。  コリンだって好きでそんなことをしたわけではないに決まっている。  きっと訪ねてきたか、もしくは通りがかったときに、ノアの声を聞いたか異様な空気を感じたかして来てくれたのだ。  だから助けてくれたお礼を言いたかった。  そして、恐れ、追い返すなんてしてしまったことを謝りたかった。  でももう来てくれやしないかもしれない。ノアが恐れの様子を見せてしまったから。  それなら自分が『狼の集落』とやらを探して訪ねるしかないのだろうか。  しかしそれはきっと簡単ではない。  簡単ではないが、しなくてはいけないことだが。  このままコリンに礼も謝罪もなしではいられないから。  どうしたものか、少し考えてみよう。  ノアはそう思い、その夜はもうしばらく月を眺めていた。

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