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和解と告白
「えっと……人間……じゃなくてノアは魔女だけど。こういう、人間が暮らすみたいな家に入ったことはあんまりないんだ。オレたちの家とはずいぶん違う。だから勝手がよくわからなくて」
入って椅子をすすめると、座ったもののコリンはやはり居心地悪げだった。
狼男の生活はまったく知らなかったが、まぁ半分ヒト型を取っているのだから、相応の家らしきものに住んでいるのは想像ができた。
が、『ずいぶん違う』らしい。
ノアにとってはあまり問題ではなかったが。
「ああ、そんなことはいい。わからないことがあれば訊いてくれれば」
「そ、そう?」
それで一応の挨拶のやりとりは済み、コリンはそろそろとなにかを差し出してきた。
先程の、葉のようなもので包んだものだ。
「この間はごめん……これ、そんないいもんじゃないけど、お詫び」
「あ、ああ……ありがとう……? しかし、その……どうしてお前が謝るんだ?」
差し出されたままも悪いので、ノアは一応手を出して包みを受け取った。
中身はわからないもののずしりと重かった。
包んであるのはやはり葉のようだ。なんの植物かはわからないが感触が葉である。
「ノアのこと、怖がらせたから……」
コリンは受け取ってもらえたことにはほっとしてくれたようだが、すぐに下を向いてしまった。
本当に心から悪いと思っているのだろう。
きっとうしろで尻尾も垂れてしまっているのだろうと思わされるような仕草であった。
「ノアは狼、っていうか犬が苦手なこと、知ってたのに。あんなところ、見せたら怖かったよな」
言われたことはずいぶん殊勝だった。ノアが驚いてしまうほどに。
そんなこと、コリンのせいではないではないか。
ノアを助けてくれるのには必要なことだったのだから。
しかし「怖がらせた」などと落ち込んだ様子で『お詫び』といった品まで持って謝るのだ。
ノアのコリンに対する意識はまた違ったものへ振れてしまう。
なんと誠実で優しいことだろう。
まだ少年ともいえる年齢であるのに。
「……お前が謝ることじゃない」
「え、なんで?」
ノアの言葉にコリンは顔を上げた。
まるでわからない、という顔で。
「だって、オレを助けてくれたんじゃないか。お前が助けてくれなければオレは」
そのあとは言えなかった。
強姦されていたはずだ、なんてことは言いづらい。
「そう、だけど……」
「だから気にしちゃいない。むしろ謝るのはオレのほうだ」
コリンの表情は変わらない。
むしろ首をかしげて、どうして、という顔をする。
「助けてくれたのに、追い返すようなことを言って……」
ノアの言葉に思い当たったようだ。
そっか、と言う。
ノアがコリンに対して恐怖の表情と様子を向けて「来るな!!」などと言ってしまったことは事実であったので。
「すまなかった。……それで、助けてくれてありがとう」
ノアはもうひとつ、言いたかったことを言う。
ずっと言いたかった感謝の言葉。
心からの言葉。
「……っうん!」
コリンは安心したように、ぱっと笑った。
あ、こちらの顔のほうがずっと好きだ。
ノアは思ってしまう。
それで話はひと段落した。
これで和解できたことを感じてノアは安心してしまう。
「お茶を淹れてこよう」
椅子を立つ。
一応お客であるのに茶のひとつも出さなかった。
それほど話をすることを急いてしまったのだと思って苦笑した。
「え、ありがとう」
「なにか苦手なものはあるか」
一応、訊いておく。狼男には毒になるものもあるかもしれないと思って。
「えっと、苦いものは苦手かな」
しかしコリンの言ったのはただの趣向だった。ほっとする。
「わかった」
苦いものが苦手。
つまりコーヒーなどは駄目だろう。
クセのあるハーブティーも避けて、マイルドなお茶にしておこうと思う。
キッチンへ向かい、お湯を沸かして紅茶を淹れた。
一応砂糖も持っていく。
こういうものは飲むのだろうか、と思ったが、持っていくとコリンは、ふんふんと香りを嗅いだものの「いい香りだね」と飲んでくれた。
そして「美味しい!」と言ってくれる。気に入ってくれたようだ。
「オレたちもお茶は飲むけど、こういうのじゃないな。野草から作るんだ」
「そうなのか。ハーブティーのようなものか」
「ああ、多分そういうやつ」
まるでお客の人間と世間話をしているように穏やかな会話だった。
今までとげとげしくしていたのが馬鹿のようだ、とノアは思った。
こんな、人間とそうそう変わらない優しい子ではないか。
「ところでノアはどうして犬が苦手なの?」
話の流れでふと訊かれた。
それはコリンに対して恐怖していたことなので、彼としてはずっと気にしていたのかもしれない。
「ああ……昔、野犬に襲われたことがあって……それで」
本当のことをそのまま告げる。
「そうなんだ。それじゃ怖いよね。まぁ、誰にも苦手なことくらいあるか」
コリンは納得したように言ったが、それは自分にも苦手なものがある、という口ぶりだったのでノアは軽い気持ちで訊いた。
「なにかあるのか?」
「オレは月が苦手なんだ」
コリンはさらっと言った。
けれどノアにはよくわからない。
月が苦手とはどういうことだ。空に浮かんでいて別にそばにあるものでもあるまいに。
「なんでだ? 綺麗じゃないか」
ノアが不思議そうに言ったことには、なんだか気まずそうな顔と声が返ってきた。
「それはー……、まぁ、それはいいや。でも犬に襲われたことがあるならあんなオレの姿は余計怖かったよな」
濁された。
思ったが理由を言いたくないこともあるだろう。自分とて今の今まで言わなかったのであるし。
「まぁ……確かにそうだが」
あのときのコリン。
牙を剥いて口元は血で真っ赤にして、狼そのものといった様子。確かに人間とはまったく違う生き物だと思わされたから。
「でもオレを助けてくれるためだったんだろう」
ノアはそのまま言ったのだがコリンは俯いてしまう。
持った紅茶のマグカップに視線を落とした。
「……そうだよ。ノアがあんなふうにされてると思ったら、オレすっげー嫌で……ノアに乱暴するなんて許せなくて……かっとしちゃって……」
言われたことはあの行動とまったく一致していたが、ノアは不思議に思ってしまう。
コリンの口ぶりは『単にノアが暴力を振るわれたことに怒った』というものだったから。
まさか、あれがなんだったかを理解していないのだろうか。
性的に襲われていたとは思わなかったのだろうか。
確かにコリンが飛び込んできたとき自分は首を掴まれていたときのような気はしたが。
それにしたって。
服を引き裂かれて半裸にされていたのだから、単なる暴力だとは普通思わないだろう。
ノアは思ったがどうやらそのとおりのようだ。
コリンはまるで気まずそうな様子は見せなかったのだから。
それどころか続けられた言葉にノアは仰天してしまう。
「ノアのことが好きだから」
一瞬、意識が空白になった。
好き、とは。
単に慕う気持ちなのか。
まさか愛でも告げる告白なのかと思ってしまったが、コリンはまったく違うことを言っていく。
「ノアの作るご飯は美味しいし、それはノアが優しい気持ちで作ってるからだろうし。お客さんには誰だって優しいし平等だ」
まったく愛ではなかった。
いや、愛ではあるがそんなことは意識していないという口調でしかない。
「アイツだって困ったふりをしてきたから優しくしたんだろ?」
言われたのでノアは動揺しつつも肯定した。
「そ、そうだが」
「だからオレは、ノアのそういうところが好きなんだ。いなくなってほしくない」
コリンが真摯に言っているのはわかったが、その言い方は。
「おい、殺されるみたいなことを言うな。縁起でもない」
コリンは顔を上げてきょとんとした。
本気で『殺されるところだった』と思っていたのだろう。
それは裏付けだった。
性的に犯されそうになっていたなど思いもしていない、という。
「だって、あのままだったら殺されてたかもしれないじゃ……」
「いや、あれは多分違うと……」
ノアは言ったが流石にそのあとは明言できない。
だってコリンはまるで思い当たらない、という顔しかしていない。
「じゃあなに……」
疑問符が頭の上にたくさん浮かんでいる。
そのような様子で訊かれたが言いづらい。
おまけにコリンの純粋さを穢してしまう気すらした。
そうだ、きっととても純粋なのだろう。
そしておそらくそういうことをまだ知らない子供なのだ。
「や、わからないならいいんだ。それよりお前がそんなふうに思ってくれていたなんて知らなかったぞ」
ノアが話題を無理に切って変えたことには不満げな顔をされたが、すぐに膨れられた。そしてまた同じことを言われる。
「酷いな。わざわざ訪ねてくるくらい好きなのに」
「待った待った、そんな軽々しく好きだなんて言うんじゃない」
照れもせずに言ってのけられるのでノアのほうが恥ずかしくなってしまう。
だって、コリンの『好き』は明らかに。
「なにがいけないの」
しかしやはり本人はまるでわかっていないようで、疑問符がもっと増えたという顔をする。子供そのものの顔で言う。
「……お前はやっぱり子供だな」
ノアはそう言うしかなかった。
当たり前のようにコリンには膨れられる。
「ひっど! あんな男、撃退できるほどには大人……」
確かに年齢と体つき、力と行動力についてはその通りなのだが。
肝心の『心』『思考』がまだ子供である。
「そうじゃない。まぁ、……ありがとう。気持ちは嬉しい。これ、肉かなにかなのか」
またノアが話題をぶった切ったのには、一瞬不満げな顔がされた。
が、質問には素直に応えてくれる。
ノアが示した、テーブルに置いていたコリンからのもらいもの。
狼男が持ってくるなら肉だろう。
持った感触と合わせてそう訊いたのだが、コリンは嬉しそうに頷いた。
「うん! ウサギ肉なんだ。たまにウサギのシチューなんか作ってるから、ノアも好きかなって思って」
開けていいか、とことわってノアは包みを開けた。
中を見て、おや、と思う。
狼男が狩ったものなのだ。グロテスクな見た目をしているかと思ったのだが、見た目は普段、ノアが街や行商人から手に入れているものとほとんど変わらなかった。きちんと処理されている。
狼男なんて野蛮だと思っていた、そんな考えは変えなくてはいけないな。
ノアは思った。
「ありがとう。美味しいよな。オレからのお礼にこれでなにか作ろう。なにがいい」
コリンの顔が、ぱっと輝く。即答した。
「ほんと! じゃあパイ包み」
つられてノアも笑ってしまう。
「それ、好きなのか」
「うん! ノアが作ってくれるの美味しいから」
無邪気な笑みと言葉だった。
自分の作ったものを褒めてくれる。
おまけに自分に対する好意の言葉までくれた。
純粋すぎる、コリン。
彼の気持ちや優しい行動は、ノアの心に強く響いたのだった。
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