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見習い魔女の来訪
唐突でちょっと異色な来客があったのは秋も本格的になった頃のこと。
そのときノアは、部屋のテーブルでノートに向き合って書き物をしていた。
ペンを持ち、考え考え、頭の中のことを綴っていく。
そんなとき唐突に庭で大きな音がした。
ズサァッ! というなにかが土にこすれるようなもの。
「きゃぁっ!」という悲鳴も同時に。
若い女子のものだ。
ノアは一瞬びくりとしたものの、この音と声は何度か聞いたことがある。
もしかしてあいつだろうか。
思って椅子を立って窓へ向かう。
窓を開けて裏庭のほうを見下ろすと、果たしてそこに土まみれで居たのは思い描いていた人物であった。
「いったぁ……」
『彼女』は土の上にうずくまって、頭を押さえている。三角の魔女帽子をかぶった頭を。
「サラじゃないか。また落っこちたのか」
ノアは思わず、ふっと笑ってしまった。
最近顔を合わせていなかったが、彼女がここへ訪ねてくるのは比較的よくあることだといえる。
「ノア! 久しぶりね」
ノアが『サラ』と呼んだ彼女は、座り込んだまま窓のほうを見上げ、えへへっと笑った。
魔女帽子に黒いワンピースを着た彼女はまだ年若い女の子。
ノアより少し明るい金髪をサイドでふたつのお団子にしている。魔女帽子をかぶるのに邪魔にならないようにだろう。
彼女はノアと同じ『魔女』。
名前をサラという。
ここへときおり訪ねてくるのは単に職業が同じというだけではない。
血縁なのだ。
血縁といっても少し遠く、ノアの従兄妹にあたる。
父方のことはノアはまるで知らないので母方の従兄妹だ。
ノアの母の妹の娘である。
サラの両親は未だに健在で、ノアからもたまに訪ねていくのだった。
ただしサラと違ってノアはほうきで飛ぶことなどは出来ないので、違う街に住んでいる彼女らの家に訪ねていくのは少し遠い。
そんなわけで、サラのほうから訪ねてきてくれることのほうが圧倒的に多かった。
「まったく、いつになったら土に突っ込まずに着地するんだ」
「あー、酷いわね。普段はちゃんと降り立つのよ」
今日はちょっと失敗しただけよ、と膨れる。
「どうだかな」
ノアはふふっと笑い「入ってこい」とサラを促した。
はーい、とサラは立ち上がり、玄関のほうへ回っていく。ノアも玄関まで行ってサラを迎え入れた。
ぱんぱん、と玄関の前でスカートの土を払ってから「お邪魔しまーす」とサラは中へ入ってくる。母親、ノアにとっては叔母のしつけが良いのである。
「茶はなにがいい」
「シナモンチャイ! ノアのチャイ、美味しいもの」
サラは即答する。年頃の女子らしくミルクの入った紅茶が好きなのだ。
それもシナモンなどのスパイスを好む。
魔女という、薬草などを扱う職業である以上、自然とそうなったのかもしれないが。
ついでにここへきてお茶を出されることも昔からのことなので、サラは出される飲み物や食べ物に遠慮などしない。
「それは嬉しいな」
じゃ、淹れてくるから部屋へ行っていろ、とサラをいつも通している部屋へ向かわせ、自分はキッチンへ向かった。
湯ではなくミルクを沸かした。
ミルクで紅茶を抽出することで濃くて美味しいロイヤルミルクティーになる。そこへスティックのシナモンを入れて、軽く混ぜればシナモンチャイの完成だ。
作り慣れているのでノアは、ぱぱっとそれを作ってしまい、サラのぶんと自分のぶん、二つのマグカップを持って部屋へ戻った。
部屋でサラは勝手に本棚の本を一冊抜き出して見ていた。
「これ、新しい本ね」
「ああ。夏ごろかな。街で買った」
「へぇー……面白そうなお話」
それは小説だった。
ノアが本を読むことは多いが、それは魔女業に使う専門書が大半であったので小説を読むことは少々珍しいと言えた。
なのでサラも「見慣れない装丁の本がある」と手にしたのであろうが。
「気になるなら貸してやるぞ。オレはもう、二、三度読んだから」
ノアも勝手に本棚を漁られたところで文句を言ったりしない。今更である。
「ここに置くぞ」とマグカップをテーブルに置いた。
サラもありがとう、と返事をした。
「じゃ、借りていいかしら。読み終わったらすぐに返しに来るから」
「ああ。持っていけ」
サラは本を持ってテーブルにやってきて、椅子を引いて腰かけた。
すぐにマグカップを手にしたが、ただしふぅふぅと念入りに息を吹きかけている。猫舌なのだ。
特にそういうものはないノアはすぐに中身を口にする。スパイシーなシナモンの香りが鼻をくすぐった。
「ん、美味しいわ」
やっとひとくち飲んでサラは笑顔になる。
「でももう少し濃くてもいいかもね」
マグカップを置き、入れられたシナモンスティックでくるくるとお茶をかき混ぜる。
シナモンスティックは、シナモンの皮を丸めて干して、棒状にしたもの。
粉末のシナモンと違い、紅茶やチャイに入れるときは、それでかき混ぜれば好きな濃さに調節できるのだ。
サラはまだ子供の頃からこれを好んだ。
ノアはその様子に昔を思い出して懐かしくなってしまう。
ノアの従兄妹、サラは今年十七歳。
女性らしくなってきて、美しい年ごろ。
そういえばコリンと同年代だな、とノアは思った。
もちろん、会ったばかりの頃コリンが自分で言った通り、狼男の年齢は人間換算とは違う。
が、少なくとも見た目は同い年くらいだ。
つまり成人間近の少年少女。
サラも一人立ち間近だった。
見習い魔女でいる期間もあと僅かだろう。
そういうところもコリンと同じだ。
ちなみにサラは『魔女』ではあるが、実のところそれだけの存在ではない。
『魔法使い』でもあるのだ。
そちらの力はそう強くないようだが。
先程のように飛んできたあと着地するのに落っこちるように。
……と言いたいところだが、それは単に彼女が未熟であるか、もしくは少々ドジな性質のためだけかもしれなかった。
ともかくノアと違って『魔法使い』でもあるのは父方の血の影響らしい。祖母は純粋な魔女であるので。
父親が魔法使いであるので、魔法も多少使うことができる。
ほうきで飛んだり、火や水を操ったりというもの。
ただし混血なのでその魔法はそれほど強いものではない、というわけだ。
魔法使いという点に関しては、実のところ弟のソラのほうが、力が強いようだ。
サラのふたつ下のソラはまだまだ無邪気な少年。
だが父方の血を強く引いているようで、すでに頭角を現しつつあるらしい。
「魔女より魔法使いが向いてるかもしれないって。お父さんは嬉しいみたいね」
サラはちょっと寂しそうだった。
自分にないものを持っているのは羨ましいのだろう。
それでも仲の良い姉弟だ。それぞれ違う分野が得意でもいいだろう。
「はぁー。もう上空は寒かったわ。すっかり秋ね」
もうひとくちチャイを飲んで、今度は好みの濃さだったらしくサラは満足そうにため息をついた。マグカップを両手で包んで。
「空は寒そうだな」
ノアも普段、人間のお客にするよりはフランクな口調でサラと話した。
それだけではなく片肘をついて話す。
身内なのだ。それなりに砕けた姿勢にもなる。
「でも空が本当に綺麗なのよ。夏にはないものだわ」
「それは羨ましい」
ノアの言葉には、サラはちょっと残念そうに言う。
「ノアも乗せてあげられれば良かったのにな」
サラが体重も軽い女子である以上、それは無理な話であるのだがノアは茶化した。
「遠慮しておこう。地面に落っこちるからな」
「ああ、もうまた! 酷いっ」
言い合ってノアは「悪い悪い」とくすくす笑った。
こういうものは久しぶりだ、とノアは嬉しくなってしまう。身内にしかない空気だ。
たまにはサラの家にも顔を出さないとな、と思う。
叔母にも会いたいし、血は繋がっていないが幼い頃から何度も会って世話になっている叔父にも挨拶をしたいと思う。
「そういえば、なんだかおうちの中が綺麗ね。改装でもしたの?」
きょろきょろと部屋の中を見てサラは言った。
「ああ……」
あのときのことは話したくない。
おまけにまだ年若い女子であるサラには、男に襲われかけたなど耳に入れたくもなかった。
なのでノアは言い訳を口に出した。
「先月の嵐でな。古くなってたせいだろう」
夏の台風。
確かに暴風雨が吹き荒れていた。
サラはなにも疑問に覚えなかったらしく、「そうなんだ」と言った。
「うちも大変だったよ。お母さんが窓を補強したんだけどノアもそうすれば良かったね」
「ああ、甘く見ていたんだ」
普段言い訳にしている強盗が入った云々の話も、しないほうが良いと思った。
やはり年若い女子だ。恐ろしく思ってしまうかもしれない。
ノアはこの従兄妹に対して少々過保護なところがあったので、そのように思って誤魔化してしまった。
次にサラが指さしたのはテーブルに置いていたノートだった。ノアが書きかけだったもの。
「それ、新しいお薬のレシピ?」
「ああ。これまでのものを応用して新しく考えてみたんだ。メモしておこうと思って」
「へぇ……ちょっと気になるわ。見てもいい?」
「ああ、もちろんだ」
興味を惹かれたという顔のサラにノートを向けてやり、彼女がそれを読むのを見守った。
このときばかりはサラは真剣な顔をしていた。
立派な魔女になるために勉強したいことはたくさんあるの、といつも言っている。それだけ仕事に真剣なのだ。
彼女であれば、きっと人間に好かれる立派な魔女になれるだろうとノアは確信していた。
心優しく、また仕事熱心なサラ。
まぁ、少々ドジなところが玉に瑕(きず)なのであるが。
しかしそれも愛嬌でありかわいらしいところである。
「ここはカモミールにしてみたらどうかしら」
おまけに助言までくれた。
「ああ。香りも良くなりそうだな。作るときに試してみるよ」
魔女業としての話を幾つかする頃には、夕方も間近になっていた。
家族と暮らしているサラはそろそろ帰らなければいけない時間だろう。
彼女であれば距離があろうともほうきでひとっとびというわけだが。
「そういえば、それは?」
話もひと段落して、ふとサラが指さしたのはソファに置いてあった縫いかけの服であった。
やわらかな生地の作りかけの上着。
ノアは裁縫などもするのだが、見るからにノアの着るサイズやデザインではなさそうだと思ったのだろう。
「ああ……知り合いにやろうと思ってな」
「男の子?」
「そうだ」
男ものであるのもわかっただろう。
あれは、コリンにやるつもりで作りかけていたものである。
コリンは基本的に薄着だ。
森や野を駆けまわるオオカミ少年なのだ。
体は鍛えられているし、丈夫であるし、運動が日常なので寒さを感じることもあまり無いのだという。
が、人間に近い存在であるノアからしたら少し心配になってしまう案件であった。
なので「外で過ごすときなんかに着る上着でも作ってやろう」と思って縫いかけていたのだ。
そのくらいコリンとの距離は近くなっていた。
今では一週間に二、三度は家に来るようになっている。
ノアの家にもすっかり慣れて、くつろいでくれるようになった。
ノアとしては嬉しいことである。
「仲のいい子がいるのね」
そういうお客がいることは話さなかったが、サラは、にこっと笑った。
「おばあちゃんが亡くなってもう長いし。ノアが独りきりじゃないのは良いことだわ」
「そうだな。気遣ってくれてありがとう」
「いいえ」
優しい子だ。
ノアの心が温かくなる。
「でもオレは元々独りじゃないぞ。街のひとたちが毎日のように来てくれるし、良くしてくれるんだ。そこの窓が壊れたときにはずいぶん世話になった」
サラは目をぱちくりさせたが、すぐにふっと微笑む。
「あら、それは良かったわ。……ああ、窓なんかは壊れないほうがいいけれど。ノアが一人で片付けたならずいぶん大変だっただろうと思ったの」
「そうだな。オレ一人では無理だったかもしれない」
窓の話や街の人々に助けられた話からあのときのことを思い出してしまったが、もう数ヵ月経つのだ。ショックもずいぶん癒えた。
それに嫌な思い出ばかりではない。
コリンに助けられて彼と親しくなれた機会でもあったのだ。
「その子にもまた会ってみたいわね」
しかし言われたことには、ぎくりとしてしまう。
『その子』がオオカミ少年であるなどと知ったら、サラも怖がるかもしれない。
魔女と同じ『人間でない』存在であるとはいえ、魔女よりずっとケモノ寄りの狼男。
それにノアが目の当たりにしたように、必要に迫られれば人間に噛みつくようなそんなことすらできるのだ。
「あ、ああそうだな……機会があったらな」
ノアの目が泳いだのを見て、サラはちょっと不審そうな顔をしたがすぐに窓の外へ目を向けた。外はすっかりオレンジ色になっている。
「あらまぁ。もう日も暮れそうだわ。帰らないと」
「あ……本当だ。もうすっかり夕日だな。早く帰れ」
年若い女子が、いくら空を飛んで帰るとはいえ遅くなるのは心配だ。
ノアの言葉に、サラは「はーい」といい返事をして、椅子から立ち上がった。
部屋を出て玄関まで行き、そこへ立てかけていたほうきを手に取る。
「今度は落っこちるんじゃないぞ」
「だからぁ! 今日は失敗しただけだって言ってるじゃない」
「そうだといいがな」
またからかうようなことを言ってしまったノアにサラは膨れっ面をしたが、それもすぐ笑顔に変わった。
「じゃ、ね。またうちにもきてちょうだい。お母さんも会いたがってたから」
嬉しいことを言われてノアの顔もほころぶ。
「そうか、ありがとう。よろしく伝えてくれ。冬になる前には一度そちらへ訪ねたいものだ」
「ほんと! 約束よ」
じゃぁねー、とサラはほうきにまたがり、軽々と宙に浮いた。
手をひらひらと振って、びゅんっと飛んでいく。
先程は裏庭に不時着したものの、基本的に腕は悪くないのだ。
少なくとも飛んでいるときに落っこちることは、成長してからはもうないのだという。
だからノアもからかう割にそれほど心配はしていなかった。
心配していないからこそからかってしまうともいえるのだが。
サラの飛び去った方向を見上げて、黒いワンピースの後ろ姿がどんどん遠ざかって、見えなくなるまでノアは夕暮れの空を見ていた。
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