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さよならの言葉
「気をつけて帰れよ」
今日もサラの帰りは夕方になった。
サラが来てくれるとついつい話し込んでしまう。
年頃の女子なので早く帰してやらなければと思いつつも。
「はぁい。ああ、今度はお母さんも来たいって言ってたわ。ノアのご飯が食べたいって」
ほうきで飛び立つべく裏庭のほうへ二人で回りながら、サラはふとそう言った。
「ああ。是非来てくれるように言ってくれ」
簡単には来られない距離なのだが、馬車を使えば来られない距離でもない。
叔母にも久しぶりに会いたいと思う。
冬のうちに一度サラの家を訪ねて一家に会ってはいたが、結局それ以来になっている。
どうも自分は不精にしがちかもしれない、とそこをノアは毎回ちょっと悔やむのであった。
魔女業が忙しいとはいえ、独りで暮らす自分を叔母たち一家も気にしてくれているのは知っているのに。
それにサラが比較的ちょくちょく訪ねてくれるのもそれだろう。
なにか、日持ちのする手料理か菓子でも持って訪ねていこう、とノアは思う。
「じゃ、帰るわね」
言いながらサラはほうきを構えて乗ろうとしたのだが、ノアのほうを見ながら乗ろうとしたからか、位置が逸れてぐらっと傾いてしまう。
あっと息を呑んだ彼女にノアはとっさに手を伸べていた。
胸に抱きとめて倒れるのを阻止する。
「ご、ごめんね。ああ、また」
ノアにからかわれると思ったのだろう。サラは苦笑いする。
それに答えてやろうとノアも笑ってみせた。
「まただな。……気をつけない、から、……あ」
そのとき。
がさりと草の鳴る音がした。
右手のほうからだったので振り返るまでも無かった。
「来てくれたのか!」
ノアは、ぱっと顔を輝かせた。
それはコリンであったのだ。
いつもするように訪ねてきてくれたのだろう。嬉しくなる。
「お、狼男!? ノア、」
だがサラはびくりと震え、一気に臆する様子を見せた。
コリンの姿は一目で狼男とわかるもの。
見た目こそヒトに近いとはいえ、しっかり獣の耳がついているのだから。
サラが驚いたのも当たり前だ、ヒトにとって狼男は畏怖の対象。
魔女の身としてもそう感覚は変わらない。
触れていたノアの腕をぎゅっと握る。
しかしサラのその反応はコリンの気に障ったらしい。
顔をしかめるのが見えた。
しまった、やっぱり隠しておくなど良くなかったのか。
ちゃんと恋人は狼男だと言っておくべきだったのか。
ノアは悔いてしまう。
しかし事態はノアの思うほど簡単なことではなかったらしい。
コリンがはっきり顔を歪める。
こんな顔は見たことがなかった。
もう一年ほど前のこと。
暴漢からノアを助けてくれたときの顔にも近いかもしれない、険しい表情。
二人とも驚かせてしまった。
ノアは思い、とりあえずサラに説明しようと口を開いた。
「大丈夫だ。知り合いなんだ。というか、オレの……」
恋人なんだ。と、続けるつもりだった。
が、「知り合いなんだ」という前置きがコリンの心のどこかを刺激してしまったようだ。
コリンの顔は歪んだまま。
その口から低い声が出てくる。
やはりここしばらく聞いたこともない声で。
「なんだよ……ちゃんとオンナの恋人がいるんじゃん」
コリンの言った意味がノアにはわからなかった。
なにを言うんだ。
オンナの恋人?
オレの恋人はお前しかいないじゃないか。
一瞬でよぎったのはそんな思考だったが、数秒で悟る。
誤解されたのだ。
こんなふうに触れ合って、おまけに多分サラがコリンを恐れてノアを頼るような仕草を見せたことも手伝って。
まずい。
今度思い浮かんだのはそれだった。
そしてさらにまずいことに、それは顔に出てしまったらしい。
きっとそれは、悪い誤解をしたコリンには悪いほうに取られてしまった。
ノアが『女性の恋人を持っていることを露見したと、動揺したのだ』と。
「だからオレがついてきてくれっていうのを渋ったんだな」
続ける声は痛みが混じっていた。
ノアの心をぐさりと突き刺す。
ああ、駄目だ。
これは悪いほうへ向かってしまっている。
じわじわと染み入ってくるそれは気持ち悪い感覚で、ノアはそれを今すぐ払拭したくて言っていた。
「コリン、違う。サラは」
だがそれはなんの意味も無かったらしい。
おまけにコリンは更に不快そうな顔になる。
ノアが『サラは』などと親し気に呼んだことであろうか。
それはわからないが、ノアの言葉か声か、どれかであろう。
「それならそうだって最初から言ってくれたらいいんだ」
言う言葉は吐き捨てるようだった。
「だから違うんだ! 聞いてくれ」
今すぐ誤解を解かなければ。
ノアは必死で口を開いたのだが、コリンは聞いてくれなかった。
ノアの言葉など聞く気はない、という様子でもう一度言葉を発する。
それも吐き捨てるような口調だった。
攻撃的なのに、確かに悲痛が混じった声。
「もういいよ。……ここにはもうこない。オレもちゃんとオンナの恋人見つけてこの森を出てくし」
最後の言葉は泣き出しそうですらあった。
駄目だ、このまま帰しては。
ノアはコリンに近づくつもりだった。
だが、サラのことを唐突に突き放すこともできない。
その間にコリンはノアを睨みつけて、そして言った。
「ばいばい」
睨まれたというのに、その眼には悲しみしかなかった。
ばっと身をひるがえされる。
追うことすらできなかった。
ここ数ヵ月、すっかり大人になったコリンはこのように駆けることなど、少なくともノアの前で子供のように駆けていくなどしなくなっていたのに。
以前とまったく同じように風のように消え去ってしまう。
「待ってくれ!」
ノアはただ、コリンの消え去った背中に言うしかなかった。
当たり前のように届かなかった。
思い知って愕然とする。
なにか、大切なものが壊れてしまいそうだ。
というか、まさか、もう、壊れてしまったのでは。
一気にノアの血の気が引いた。
その腕の中で、サラがそろそろと顔を上げてノアを見た。
「し、知り合いって、あの」
非常に動揺していた顔と声であったが、それはノアも同じだった。
だがこのままでいるわけにはいかない。
ノアはのろのろと口を開いた。
「……オレの恋人なんだ」
「え、……」
サラは絶句する。
たとえ『恋人が男』と聞いてはいても、狼男だなんて思いもしなかっただろうから。
このこともノアの後悔を刺激した。
言っていなかったのが良くなかったのだ。
知ってさえいれば、驚きはしてもサラがなにも動けなくなってしまうという事態は、多少ではあろうが緩和したかもしれなかったのだから。
だがなんにしてももう遅かった。
そんなことは仮定や願望でしかなかったのだし。
「悪い。……オレ、」
言いかけたものの、なにも言えなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃになりつつあった。
なにが起こったのだろう。
「ノア。ちゃんと話して」
そんなノアの腕を、ぐっと掴んでサラは身を近付けてきた。
その眼には心配と不安がはっきり滲んでいた。
不穏なことが起こったことなど、サラにだってわからないはずがない。
しかしノアは、どれほどの事態になってしまい、また自分が動揺してしまってちゃんと話せる気などしなかった。
独りになりたかったし考えたい。
「悪い。……今、まともに話せる気が、しない……」
こんな姿など見せたくなかった、と頭のすみで思ったがそのような場合でもなかった。情けなさ過ぎる。
情けなさ過ぎるが、それは自分が招いたことだ。
すべて、最初から最後まで全部だ。
サラにコリンのことをしっかり話していなかったこと。
そしてコリンにも、サラのことを話していなかったこと。
せめてどちらかをおこなっていれば、こんなことにはならなかったのかもしれないのに。
やはり今、そんなことを考えても仕方がなかったのだが、ノアはそのようなことしか考えられなかった。
「……わかったわ。今日は、帰るね」
「ああ。……すまない」
サラはノアのそんな気持ちを少しでも察してくれたのだろう。
そう言ってくれた。
そのままほうきに乗って、飛び去る。
ノアは遠ざかるその姿をぼんやり見つめた。
気遣わせてしまった。
従兄妹なのに。
年下なのに。
サラにはなんの罪はないのに。
ずくずくと胸が痛んでくる。
この痛みはまだ序の口。
コリンはもっと傷ついたろう。
そのことがもっと自分に突き刺さってくる。
予感がノアの胸をいっぱいに満たした。
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