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第7話 僕らの少子化対策ーその2
「え、児相に相談しに行ったの? ふたりともすごいわねえ、行動力あるわあ」
アイさんは児童相談所(児相)をちょっと変わったイントネーションでジソーと発音し僕はいそいで付け加えた。
「でも、乗り気だったのはしゅ――パートナーの方。里親でも養子でも、一度ちゃんとしたところで話を聞こうってことになって」
「で、どうだった?」
「児相の人はすごく親切だったし、いろいろ勉強になったけど……子供の社会的養育とか、そういう話……ただ実際に里親登録とかそういう話になると、法律婚してないとだめとか、主たる養育者と補助の養育者が同性の場合は親族関係のときだけとか、要するに僕らはちがうって」
「そう……」
「あ、児相の人はほんとに親切だったんだけどね。こうやって興味を持ってもらえるのはすごく嬉しいとか、同性婚法案が実現すればすぐにでもありうるとか、そんな話も出て、すごく理解があったと思う」
「うんうん、ふたり一緒に相談しに行くだけでもたいしたものよ。偉いわ」
えらい、か。そういってもらえるとすこし気が楽になる。僕らの子供問題が何も進展しなかったとしても。
いま僕がいるのはVREのレインボーカフェだ。僕は昔から使っているのとはちがう美少女アバター(ショートヘアだけど眼鏡はなし)で、カウンターの向こうにいるのは盛り上がった三頭筋にスキンヘッドの大男、名前はアイさん、外見はこれでも話し方はオネエ寄り。ひと昔前に流行ったキャラクターにわざと似せているらしい。セクマイ支援のNPOがVREに開いているスペースで、アイさんは何人かいるカフェマスターのひとりだ。
数年前の僕はセクマイが集まって悩みや愚痴を吐きだしましょう、みたいな場所はリアルもVRも敬遠していたのだけど、近頃はたまにここにアクセスするようになっていた。VREはますます発展して、もうひとつの現実みたいになりつつあるから、駿と一緒に遊びに行くのはあいかわらずだ。でも僕がレインボーカフェに行くのは駿が家にいないときだけで、今日も駿が家に帰る前にカフェを出るつもりだった。
最初にアイさんと話したのはいつだったっけ? 駿の甥っ子、塔矢君が生まれてしばらくしてから、彼の家族に「同棲しているチヒロさん」として僕の名前が知られたあとのことだ。
駿は家族との関係がとてもよくて、僕にも両親やきょうだいについてよく話した。だから僕は、駿の子供の頃の思い出話、誰も覚えていないかもしれないようなエピソードをたくさん聞いていたけれど、実際に彼の家族に会ったことは一度もなかった。
でも駿のおじいさんが亡くなった時(92歳の大往生だった)ひとりで帰省した駿は、家族にもののはずみで「千尋と一緒に住んでる」と話した。チヒロという響きのおかげで、駿の家族は僕を男だと思わなかった。
それ以来、次は一緒に帰省したらどうかとか、駿のご両親がいってくるようになって、僕らはすこし揉めたのである。
駿は僕に大丈夫だと請け負った。
「俺みてればわかると思うけど、うちは大雑把な家だし、父さんは逆に面白がるかもしれない人だし、姉貴や妹はぜったい気にしないって」
駿が本気でいっているのはわかっていた。でも僕はうんといわなかった。自分の両親のことを考えると、とてもじゃないが無理だった。
僕の両親は僕がゲイだと知っている。高校生の頃に知られてしまったのだ。面と向かって病院へ行けといわれたこともあったけれど、異常ではない、治療することではないとはっきりいったのはカウンセリングの先生のほうだった。そのあとは父も母も表立って僕を責めたりしなくなったけれど、大学でひとり暮らしをはじめてからは帰省するたびに微妙な空気になった。
僕は自分の親に、誰とどんなつきあいをしているかなんて話したことは一度もない。
「千尋の気が進まないならいいよ」
僕が黙って悩んでいると駿はあっさりそういった。
「会いたくなったときに行けばいい。あとは……千尋が男だって俺から話してもいいなら、いうけど」
僕がまた答えられないでいると、駿はちょっと困ったように眉をさげて、付け加える。
「誰と一緒に住んでるか、俺にとって大事なことは何か、うちの親に知ってもらったほうがいいと思うんだ。親も千尋のこと知りたがってるのもあるけど。千尋はまじめだし、すごくうちの家族に好かれると思う。もし俺が間違ってて嫌なことをいわれても、その時は俺がガツンっていう」
こんな言葉を聞くたびに、僕は駿の持つ圧倒的な自信に感心してしまう。会社では営業の腕を買われているらしいけど、こんなところがうまく作用するのかもしれない。もちろん駿は万能じゃない。クリーニングの出し方とか宅急便の伝票の書き方とか、一見常識的なことも知らなかったりする。だけど彼の真ん中にはすごくしっかりしたものがある。
駿のそんな、芯の通ったところがすごく好きだ。それなのに僕はなぜか追いつめられたみたいになっていた。
「う、うん……でも……」
僕は駿の望みに応えられず、この話はそこで終わった。
自分に自信を持てないのが悪いのだと僕は思った。
『その悩み、話してみない?』
レインボーカフェのことは以前から知っていた。何年も前からSNSに広告が流れていたからだ。
駿と一緒に暮らしはじめた頃の僕はセクマイの支援コミュニティなんていらないと思っていた(実をいうとすこし怖い場所のような気がしていたのだ)。でもついに、僕は決意した。おそるおそるカフェに行ってみたのだ。
レインボーカフェは、見た目は普通のVRカフェだったけど、会話はすべてクローズドだった。他の人には聞こえないのだ。勝手がわからないままきょろきょろしていると、アイさんがカウンターの向こうにあらわれて、僕にとってはどうでもいい話をはじめた――新発売のアイシャドウマスクの色についてとか、そんな話。
本当にどうでもいい話だった。正直いって、この人、なんだろうと思ったくらいだ。ところがやがて引き込まれて、いつのまにか僕はアイさんに自分のなかのもやもやについて話していた。
アイさんはアドバイスめいたことは一切いわなかった。駿について「素敵な彼氏ねえ」とコメントしたくらいだ。不思議なことにそれだけでなぜか僕の気分は軽くなった。だからそれから、たまに――半年に一回くらいだろうか、僕はアイさんに話を聞いてもらっている。
今日アイさんとの話に出た児相――地域の児童相談所へ駿と一緒に行ったのは、今から十日前、梅雨があけたばかりの頃だった。里親や養子縁組について、詳しい話をきかせてもらうためだ。
駿と出会ってから五年経ち、僕は三十歳の誕生日を意識しはじめていた。でも僕らはあいかわらずふたりで仲良く暮らしている。僕はあいかわらず在宅仕事だけど、昨年起きた世界的な感染症の流行をきっかけに駿もテレワークが増えたから、ふたりで家にいる時間は長くなった。
駿の甥っ子、塔矢君は二歳をすぎて、駿は帰省で姉一家に会うたびに写真や動画をたくさん撮ってくる。駿はいまだに叔父馬鹿で、オリジナル写真集を作って家族にプレゼントしたりして、僕はそれを横で見て楽しんでいる。塔矢君は可愛いし、駿に話を聞くかぎり、お姉さんの一家はいい人たちみたいだ。駿の妹も来年結婚するらしい。
塔矢君が赤ん坊だったころに僕らのあいだで起きた「子供」をめぐる話は、日々の生活に埋もれていた。ところが一カ月ほど前に突然再燃したのは、ふたりで何気なくみたテレビ番組のせいだった。
それは里親になって子供をあずかったり、特別養子縁組で赤ちゃんを育てている人々のドキュメンタリーで、紹介された家庭には男二人の世帯があった。四十代と二十代、叔父と甥の二人で暮らしていて、里親として十歳の男の子を育てているという。四十代の男性は二年前に奥さんと死別したが、男の子は二歳でその家に来て、男性と同居する甥にも高校生の頃から懐いていた。奥さんがいなくなった後も二人で育てているそうだ。
「あんなことできるんだ」と駿がいった。
「そうか、自分で産めなかったらもらえばいいんだな」
僕は笑った。「もらえばいいって、そんな気軽に――」
そういいながら、でも、僕らが子供を育てることだってできるのかも、と、ふと思ったのだった。駿と子供の話をしたのは塔矢君が生まれた頃だっけ? 自分が子供を育てたいと本気で思っているのかはいまだにわからなかったけど、あのあとも、駿が塔矢君の話をするたびに、僕が彼の望みをつぶしているのではないかと考えてしまうことがあった。
そのあと、僕と駿のどちらがこういったのかは、覚えていない。
「問い合わせてみるだけでも、いいんじゃないかな」
で、僕らは思い切って児相に電話し、予約を取ったのだ。ごらんの通り結果は振るわなかったけれど。
児相の建物は古めかしいコンクリートの二階建てで、外に出ると気の早いセミがうるさかった。僕はなんとなく落ち込んでいたけれど、駿は持ち前の前向きな調子で「じゃ、同性婚できるようになったらいけるってことだな」といった。
今日のレインボーカフェでも、おなじ言葉をアイさんがいっている。
「がっかりしたでしょうけど、同性婚法案が通ったら希望はあるってことでしょう? もうすぐいい結果も出るかもしれない」
「そうなんだけど……」
「あ、実は結婚とかしたくない派?」
「そうじゃないんだけど……僕はパートナーの家族に会う勇気も持てないのに……自分の親にも話せていないし」
アイさんのいいところは、僕が不自然なくらい長く黙っていても、待ってくれるところだ。
「結婚できたらいいなと思ったことは何度もある。この先もしものことがあったとき、周りの人に余計な説明をしなくてもよくなる。手続きなんかも楽になると思うし……でも……」
僕の頭をよぎったのは、カミングアウトして、海外で同性婚して(日本の戸籍には関係ないけど、その国の婚姻証明書を貰ってみんなに祝福されて)その後しばらくしてなぜか別れてしまう(複数の)有名人カップルのことだ。せっかく「結婚」したのに、どうしてそんなことになるんだろう?
僕は物事を悪い方向に考えがちだ。日本の法律では正式でなくても「結婚」という儀式をみんなの前でやってしまったから、気持ちだけでつながっていた時はうまくいっていたことがうまくいかなくなる、なんてこともあるのではないだろうか? それに――
「僕は子供が欲しいなんて思ったこと、一度もなかったはずなんだ。でもパートナーが子供好きだってわかると、彼を喜ばせたいとか、彼と一緒に子供を育てていれば、将来につながるしるしみたいなものが持てるんじゃないかとか、そんなことを考えたりして……僕も子供が持てるといいなって思うようになってしまった。でもこんな考え、変だよね? 子供が欲しくても産めない女の人もいるし、男同士で子供を持てないのなんて当たり前だ。それなのに僕は時々、周りの人たちをずるいって思ってしまう。ヘテロのカップルをみると悔しくてたまらないっていうか、僕がゲイでなければこんなことで悩まなかったんじゃないかって思って……考えているうちに頭の中がぐちゃぐちゃになるんだ」
「その話、パートナーにした?」
「ううん」
「どうして?」
「なんとなく……ちがいすぎるから……」
「わかってもらえないと思う?」
「そうじゃないんだけど……」
うしろで物音が響いた気がした。VREではなく、リアルの世界で。
宅配便だろうかと思った時、肩に手が触れるのを感じた。突然、僕のまわりの世界が平たくなった。2Dモードに切りかわったのだ。
「千尋、誰と話してるんだ」
「駿! 待って……」
2Dの画面でアイさんが怪訝な表情をしている。僕はあわててヘッドギアを外す。アイさんはモニターの画面にいて、僕はまだログアウトしていない。
「やっぱり」駿がムスっとした声でいった。「様子がおかしいと思ったらこんなところで浮気――」
「ちがうって! アイさんはレインボーカフェの相談員で……」
『ハーイ! アイよ!』
いきなりスピーカーから野太い声の音声が流れ出した。
『私はデータアース・ロボティクス・コーポレーションが開発したデジタル生命の第三世代。今はVREレインボーカフェで働いています。ここで知りあう人を通して、リアルの世界を学習しているの。私との会話は完全なセキュリティに守られているから、何でも遠慮なく話してね。私のことは『アイさん』って呼んでほしいわ。AIだからアイさんなの』
え?
アイさんって、人間のアバターじゃなかったの?
僕はぽかんと口をあけてモニター画面をみつめた。
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