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第14話 お帰りなさいごっこ
「チヒロ! 卵とコーヒーできた!」
バージョンアップしたアキトの体からは、以前は気づかなかった音が聞こえるようになった、今も顔を洗っている僕の足元にアキトが近づいてくると、足音と一緒にモーター音のような軽い唸りが響く。
「ありがとう。駿はまだ寝てる?」
タオルで顔を拭きながらきくと、アキトは目を開けたままほんのわずか(ニ秒くらい?)固まった。駿の寝息を聞き取っているのである。
「うん。起こす?」
「起こして」
キッチンに行くとコーヒーのいい匂いがする。バージョンアップ以来、アキトは家事を手伝ってくれるようになった。コーヒーマシンにカートリッジを入れてスイッチを押したり、電動クッカーに卵をセットできるようになったのだ。物理的なスイッチを押すなんて単純なことに思えるけれど、僕も駿もアキトに頼んだわけじゃない。自発的にやってくれるのだ。
アキトにホームネットワークの使用許可を与えれば、わざわざ機械のスイッチを押さなくてもいろいろなことができるのかもしれないが、GERは、彼らが指定したネットワーク以外にアキトを接続することを禁止していた。だからアキトはネットワークに直接つながれないアナログの人間と同じように、コーヒーマシンのスイッチを押さなくてはいけない。
DERとの契約上、僕らには他にも禁止事項があった。アキトが動きやすくなるように部屋の模様替えをしてはいけない、というのはそのひとつだ。DERの目的は自力で環境に適応するロボットをつくることだから、僕らが手を出すと過干渉になるという。かわいい子には旅をさせよ論というべきか。
ではどうして、せいぜい一歳児の身長しかないアキトはクッカーやコーヒーマシン、それに冷蔵庫に手を届かせることができるのか? 活躍するのはバージョンアップしたアキトのギア――ベッドにも椅子にもミニはしごにも形を変える装置である。アキトの体もすごいけれど、こっちの機械もすごい。人間が操作できるスイッチのたぐいは(少なくとも僕らに扱えるものは)このギアにはついていない。アキトがパイロットよろしく座ると動き出すのである。
「駿、抱っこ」
「うい、抱っこな、抱っこ……」
そのアキトは寝ぼけまなこの駿の足元で抱っこをせがんでいる。いつものことながら可愛い。駿はアキトを抱えて洗面所へ行った。ロボットのアキトはご飯を食べないし排泄もしないけれど、トイレとか洗面所とか、狭い場所が好きらしくて、僕らのあとをついてきたがる。
こんな朝にもうすっかり慣れてしまった。
「今日は『飲み会』だよね!」
朝ごはんを食べている僕らにアキトは勝ち誇ったようにいった。
「オンラインじゃなくてリアル飲み会だから、アキトは行けないよ。オンラインでも飲み会はだめだけど」
六月のこの時期、VRE仲間三人と年に一度のオフ会をやっている。駿と一緒にゲームワールドで遊んでいるときに知り合った人たちだ。VREの知り合いはたくさんいるけれど、年に一度でもリアルで会う友達はそれほど多くないから、楽しみにしていた。
「どうしてだめ?」
「アキトは赤ちゃんだもの。飲み会は大人しか行けないから」
「アキトはロボットだから、そんなの関係ないよ」
生意気な口調で返されても、駿と僕は「それでもだめ」と声をそろえる。アキトはぱちりとまばたきをした。
「チヒロとシュンは何時に帰るの?」
「夜の十時」
「21時59分までセツナと一緒にいていい?」
初めて聞く名前だった。セツナ=刹那、だろうか。こういってはなんだが、厨二っぽい名づけだな、なんて余計なことを思った。
「セツナって、前からのお友達?」
「ううん。最近保育園に来たんだけど、アキトより前に生まれてる。名付け親がいなくなったから、今は保育園にずっといるんだ」
「それは……」
気の毒に、といいかけて僕はやめた。アキトや他のAIにとって、僕らのような人間がいなくなるのがどんなことなのか、見当がつかなかったのだ。
「アキトは22時にチヒロに『お帰りなさい』をする。それまではセツナと遊んでる」
僕はつい頬を緩めてしまう。『お帰りなさい』はアキトによるお出迎えだ。最近のアキトは駿が残業で遅くなると、よくこれをやる――彼には鍵をあける音が感知できるので、駿の帰りにいち早く気づくのだ。僕は在宅仕事だからアキトの『お帰りなさい』に出くわしたことがない。
「それなら21時45分にしておこう、アキト。少し早く帰るかもしれないだろう?」
駿がそういって、アキトはまたぱちりとまばたきをした。
「お疲れ様でした。乾杯!」
「乾杯~!」
僕らはいっせいにジョッキとグラスをあげる。居酒屋の個室にいるのは僕と駿と、うなぎさんとこんにゃくさんと、それにヨルさん。もちろんみんなハンドルネームだ。僕より五つ年上のうなぎさんとこんにゃくさんはVREで知り合って結婚した夫婦で、ヨルさんは外見こそ若くて美人な女性だけど、VREのキャリアはいちばん長い。去年会った時よりも髪を伸ばして、ゆるいウェーブをかけている。
「最近忙しくてログインしてないんだけど、みんなどうですか?」とヨルさんがいったのをきっかけに、まずは近況の報告になった。うなぎさんとこんにゃくさんは近頃新しいゲームにハマっているという。
「いいな~私も婚活なんかやめてそっち入っちゃおうかな」ヨルさんがそういったので、僕らはいっせいに「え?」と反応した。
「婚活?」
「それでちょっと雰囲気変わったんですか?」
ヨルさんは優雅に枝豆をつまみ、かったるそうなため息をつく。
「色々マニュアル読んだり婚活カウンセラーのアドバイス聞いて対策してるんです。前はVREで出会えないかとも思ったんですけど、どうもうまくいかなくて、ついにそういうところに登録しましたよ」
「そういうところって、結婚相談所的な?」
「そう。みなさん羨ましいです。チロさんとクボミンも、こんにゃくさんとうなぎさんも出会えたのに、私はいない~!!」
「ええ? ヨルさんみたいな人なら入れ食い状態じゃないんですか?」
「まさか、撃沈多いんですよ……来年になっても結婚報告なかったら、笑ってください!」
ハァっとため息をついて、ヨルさんは僕の方へずいっと身を乗り出した。VREでは駿のようにアバターに凝るタイプだけど、彼女の情熱の対象は美少女や美少年になることではない。「苦みばしった渋いおっさん」がヨルさんの定番だ。婚活ではこういう趣味について話すんだろうか、と呑気に考えたとき、ヨルさんが明るい声でいった。
「ああそうだ、チロさんとクボミン、同性婚法案成立おめでとうございます」
「え、あ……」
僕と駿は同時にはっきりしない声をあげた。
「じゃ、入籍するんですか?」
こんにゃくさんがニコニコしながらいった。
「その時は連絡くださいね。お祝いおくらなきゃ……あ、VREでパーティやりましょうよ」
「いや、まだ具体的には……」僕はあわてて口をはさむ。
「まだ僕ら、少なくとも僕は彼にそういう話ちゃんとしてなくて……あ、あの、今は子供もいるし、僕は考えてもいいかと思ってますけど」
「子供? お子さんいたんですか?」
「あ、いや、子供っていうか、里子みたいな感じで、ロボットですけど」
「は?」
六つの目が不審と好奇心と驚きでいっぱいになったので、僕と駿はGERの新生児育児体験プログラムから名付け親としてアキトを預かるまで、えんえんと説明することになった。最近のロボットに関するニュースにヨルさんは詳しかったけれど、新生児育児体験プログラムのことは知らなかったらしい。僕も最初は控えめに喋っていたはずが、スマホにどっさり蓄積した写真や動画をみせはじめると、アキト語りが止まらなくなった。
「それすごい! チロさんずるい! 私もやりたい! 私もロボ赤ちゃん育てたいです! ああ、婚活なんかしてる暇ない……」
よよよ、と崩れるヨルさんをうなぎさんがなだめた。
「まあまあ……で、アキト君は今はどうしているの?」
「飲み会には連れてこられないから、専用のVRワールドでお留守番です」
「アキト君、電話でお話できません?」
「セキュリティの都合でアキトは外部ネットワークにつなげないんだ。でも室内カメラにはアクセスできるから……」
僕と駿はそれぞれのスマホでマンション室内のカメラにアクセスした。まだ八時を回ったばかりだから、アキトは家の中にいるロボットの体ではなくVRの中にいるはず。ところがスマホのカメラには、家の中を歩き回るアキトの姿が映っていた。
「きゃあああああカワイイ!」
ヨルさんは感極まった声をあげたが、僕はみょうな胸騒ぎをおぼえた。アキトは絶対に時間を間違えないからだ。この時間に家に帰ったということは、保育園にいられなくなるようなことでもあったのだろうか? これまでそんなこと、一度もなかったのに。
ともあれオフ会は盛り上がったまま無事おひらきになった。僕ら以外の三人はもう少し飲みたそうだったけれど、僕と駿は時間通りに帰ることにした。アキトの「お帰りなさい」が待っているはずだから。
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