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2. 辻

――――いわゆる十字路というのは、怪異が生まれやすい。その理由は十字路の性質に起因する。十字路は交わる場所。道のみならず、あらゆるモノが交わっている。 異なる空間、生と死、此岸と彼岸――――ありとあらゆるモノが交差し、絡まり、関わりあう。だが、多くはそれに気が付かない。そこを通ったことで繋いだ、繋がれてしまった“縁”に気が付くことなく過ぎていく。 するとどうなるか。気付かれなかった“縁”は十字路に溜まり続け、やがて。 「怪異が生まれる」 運転席に座った彼は、そう言って笑った。 深夜一時を少し過ぎた頃、僕は大学の先輩――――丹瀬崎宵介に連れられて、とある十字路に来ていた。 先輩は僕より一つ年上で、怪奇話やらオカルトホラーやらに造詣が深く、霊感もかなり強い。 僕はと言えば、オカルト話は好きだがそこまでの知識があるわけでもなく、霊感のほうもたまに何か見たり、感じたりする程度だ。 新入生へのサークル勧誘にて出会い、彼が所属する民俗学研究サークルに入ったのは、つい半月ほど前のこと。 妙に馬が合い、共に過ごすことが多くなり、折々心霊スポットに連行されるようになった。 ちなみに今日は、深夜のドライブデート、という言葉と共に半ば拉致られる形で連れてこられた。全くひどい先輩だ。まぁ、楽しいからいいけれど。 「で、ここもそういう、怪異が生まれやすい辻なんですか」 「んーや、実はそうでもない。気の流れとかはあまり良くないけど、特別視するほどじゃない。誤差の範囲だ」 気の流れ、とか言われてもよく分からないが、つまりはよくある十字路ということだろうか。まぁ確かに、今のところおかしなところは見受けられないが。 「まぁ、気長に待とうぜ」 先輩はそう言うと運転席側の窓を開け、外へ向けて煙を吐いた。 絡むような灰の匂いが鼻を擽る。閑静な住宅街。何の変哲もない十字路を監視しながら、会話もなくただ何かを待つ。 無駄な時間だ。無意味かは、わからないが。 「……あ、来た」 ふと、先輩が言った。眼鏡の奥の黒い瞳が揺らぐことなく十字路を見つめている。 「え」 彼につられて十字路を見る。街灯の下が照らされている。辺りの夜はひっそりと静まり返っている。そこへ、何かがやって来た。 「…っ」 それは奇妙に滲んだ人影のようで、何かを引き摺って歩いていた。重く冷たい空気が満ちる。鉄錆のような、微かな生臭さが鼻を擽る。 人間、なのか。あれは。 ちらりと隣を見れば、先輩は人差し指でしーっとジェスチャーをした。声を出してはいけないらしい。 それはやがて十字路の真ん中、街灯の下に差し掛かると、引き摺っていた何かを手放した。どちゃ、と湿っぽい音が響き、灯りのもとに黒い塊が落ちる。人影のような者は十字路を過ぎて、住宅街へと消えていく。 じっとりとした重たい空気が、少し緩和された気がした。 「……行った」 先輩の言葉にふ、と力が抜けた。彼は煙草の灰を灰皿へ落としながら言う。 「あれが現れるのは週に一度。一応雨の日には現れないっぽいけど……どっから来てるのかは分からん」 「人……では、ないんですよね?」 念のためと訊ねれば、先輩は小首を傾げる。 「さぁ? お前はどう思う?」 「分からないから聞いたんすけど」 思わず苦笑する僕に彼はハハ、と渇いた笑い声を上げ、十字路のほうを指差して言う。 「百聞は一見にしかず。人かどうか知りたいなら、まずあれを確認してくればいい」 視線の先にあるのは、先程の何かが落としていった黒い塊。あれが何かは分からないが、なんとなく良くない物に思える。 「それは、ちょっと……」 断れば、先輩はチッと舌打ちをして、 「意気地無し」 なんて拗ねたように言う。 「怖いもの見たさとかねぇの?」 「いやありますけど……自分から行くのは、ちょっと」 僕にそこまでの勇気はない。そもそも僕はどちらかと言えばビビりなほうだし、ホラー耐性もそこまで高くはない。 今だって、引きずり込まれそうな恐ろしさを感じる。胸の内には確かな恐怖が渦巻いているのだ。この人には、きっと分からないんだろうけど。 「先輩は、見たんですか」 あれ、と落とし物を指して聞けば、彼は白々しく肩をすくめる。ノーコメント、ということか。どうせこの人のことだから、しっかり確認済みなのだろう。 そのくらい教えてくれてもいいじゃないかと嘆息したところで、ふいに先輩が言った。 「ヒキコさんって知ってる?」 「えっ……と、都市伝説、でしたっけ?」 投げ掛けられた問いに戸惑いながらも答えれば、先輩はこくりと頷く。 「子供の死体を引き摺って街を徘徊する怪異……さっきのあれ、彼女みたいじゃなかったか?」 低く、嘲るように彼は言う。彼女、とは恐らくヒキコさんのことだろう。死臭を纏い、肉塊を引き摺りながらさ迷い歩く女。都市伝説の怪物。 「……まさか、さっきのはヒキコさんだったって言うんですか?」 「そのものではないにしろ、そっから派生した怪異とかの可能性が高い。ま、人間でないとしたら、だけど」 短くなった煙草の吸いさしを灰皿に入れて、彼は箱からまた一本取り出して火を点けた。吸って、吐いて。少しの間の後、彼は静かに言う。 「なぁ、お前はどっちがいい?」 「どっちって、何が」 「人間か、怪異か。どっちのほうがマシだと思う?」 ニタニタと愉しげな笑みを浮かべる先輩は、本当にろくでもないと思う。あれが人であれ怪異であれ、不気味なことには変わりない。 「マシって……甲乙つけがたいんですけど」 「ふは、確かに。だからさ、あれが何かなんて実際どうでもいいんだよ」 言いながら、彼は煙草を灰皿に置いてエンジンをかける。 「正体見たり枯れ尾花、とは言うけどさ、知った後のほうがヤバい場合もあるんだよな」 「それが、あれですか」 「そゆこと。どっちに転んでも、ろくでもないってパターンもある、と。今回の教訓な」 彼は薄く笑って言うと、そろそろ帰ろうか、とハンドルを握った。 交わって、それは生まれる。絡まって、それは現れる。歪んだ縁から膿が出る。積もった塵から顔を出す。ずるり、ずるり、引き摺り落として。人か怪異か、得体の知れない影が来る。 夜の辻、鉄錆の臭いがしたならば。 それがいる。そこへ来る。触れてはならぬ、枯れ尾花。

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