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3. トンネル

五月中旬のある日のこと。僕は同じサークルの丹瀬崎先輩に連れられて、とある場所に来ていた。 大学近くの僕の家から車を走らせて小一時間。到着したのは、ぽっかり空いた穴の前。奥の方は薄暗く、少し不気味だ。 「トンネルですか」 「そう。昔は資材を運ぶための鉄道が走ってた。今は自転車道になってる」 トンネルの入り口に掲げられた看板は薄汚れていて、雰囲気がある。 「何か曰くでも?」 恐る恐る訊ねれば、彼はいや、と首を振る。 「俺が知る限りは何もない。普通の生活道路だな」 その返答に、僕は少し拍子抜けしてしまった。 実はこの先輩、霊感がかなり強い。その上、オカルト方面への造詣が大変深く、サークル内で怪談語りをさせたら右に出るものは居ないと言われているほどだ。 そんな人が紹介する場所なのだから、てっきり最恐心霊スポット的なものかと思っていたのだが。 「そうがっかりすんなよ」 「別にしてないですけど」 「そう? ならいいけど」 ふい、と彼の目がトンネルの奥へと向けられる。あ、行くのか、この先へ。じっとりと湿った空気を感じながら、思わず眉をひそめれば、先輩は薄く笑って言う。 「百聞は一見にしかず、だぜ、後輩」 「百どころか、一くらいしか聞いてませんけどね、僕」 そう返せば、彼はクックッと肩を揺らす。楽しそうで何よりだ。 「ま、そんな大層なもんもねぇからさ」 先輩の、眼鏡の奥の真っ黒な瞳が、きろりと輝く。 「気軽に、行こうぜ」 「……はい」 少し掠れた低い声で囁かれてしまえば、もう断ることなんて出来なかった。 「ここの道は、五つのトンネルが連なってるんだけど」 トンネル内は天井が低く、ちょっとの音でも喧しく響いた。十分ほど歩くと出口が近づいてくる。外は両脇民家に挟まれた細い道になっていた。ただ、どちら側も柵で仕切られており、一本道になっている。 「二つ目」 先輩は小さく呟いて、歩みを進める。 最初のトンネルと違い、二つ目のトンネルはカーブしていて出口は見えないようになっていた。それでも外に出るのに始めのトンネルよりもそう時間は掛からず、ほんの三分ほどで出口に到達した。 また住宅地だ。先程と違い脇道がある。外の道路に繋がっているのだろう。このトンネル群が、生活道路として使われているのは本当らしい。 「で、三つ目」 カツン、コツン、と足音を響かせ彼は行く。 三つ目のトンネルの先は住宅地ではなく、緑が広がっていた。森林公園のようなものだろうか。左右には柵が設置されており、一本道の遊歩道のようになっている。左手には、小さな小川のようなものが流れており、澄んだ空気が心地よい。 四つ目のトンネルは、その遊歩道を少し歩いた先。森林公園を出たところにぽつんとあった。 「この四つ目が一番長くて暗いんだ。足元気を付けろよ」 言いながら、彼はすたすたと歩いていく。 先輩が言ったとおり、四つ目のトンネルの中は今までのものよりも随分と暗いようだった。 「まともに点検してるかどうか、怪しい感じだよな」 流石に点検はしてると思うが、天井の電気が度々点滅しているのを見ると、彼の言葉を否定することはできなかった。 暫し無言で歩くと、ようやく出口が見えた。外は完全な山の中だった。草木が繁り、道らしい道も見当たらない。 「……あれ? トンネルは五つあるって、言ってませんでしたっけ?」 「言った。……こっち」 ぐいっと手を引かれた。 彼に引っ張られるようにして、雑草を踏み分けながら歩けば、すぐに少し開けた空間に出た。明らかに木々が伐採されたその広場の先に、五つ目のトンネル。だが、そこは。 「……封鎖、されてますね」 トンネルは入り口に鉄格子がはめられ、通行止めになっていた。ご丁寧に、立ち入り禁止の看板まで提げられている。 かしゃん、と鉄格子に触れて、彼は言う。 「このトンネルは、鉄道から自転車道になってすぐに封鎖されたらしい。ただ山の奥深くに続くだけの道だからな。点検費やら安全管理やらの関係で、閉じられたんだろう」 かさり、と落ち葉がゆるく風に舞う。 「でも、あっち側は、閉じられてない」 「あっち側?」 「そ。トンネルの、もう片方の出入り口。向こうからは入れるんだよ」 鉄格子の奥は、闇が広がっている。あっち側なんて全然見えない。本当にどこかに繋がっているのかと疑いたくなるほどに、そこは暗く、淀んでいる。 「長い長いトンネルを抜けて、こっちに来ようとする。でも、ここは塞がってるから出られない。どこにも行けない、どん詰まり」 彼は、そう吐き捨てるように言って、僅かに目を伏せた。 「ここが、どんな場所に繋がってるかはよく知りませんけど、入ってくる人なんて居るわけないじゃないですか」 取り繕うように言えば、先輩はふはっ、と笑う。 「……本気で、そう思ってる?」 僕は、何も言えなかった。 「……そろそろ戻ろうか」 やがて先輩はそう静かに言うと、くるりと踵を返した。 引き返す直前、足を止めて五つ目のトンネルを振り返る。 鉄格子の向こう、闇の中で何かが恨めしげにこちらを見つめているような気がした。 薄暗いトンネルを歩きながら、先輩は言う。 「ズイドウって知ってる?」 「ずい……ええと、なんか難しい字を書きそうですね?」 「あはは、うん、当たり。こういう字書くんだけどさ」 先輩は笑って、携帯で字を出しながら言う。 「隧道ってのはまぁ、トンネルのことなんだけど。他にも墓室…棺が納められる部屋への通路って意味もある」 カツン、コツン、足音が響く。眼鏡の奥の黒い瞳は、真っ直ぐ前に向けられているせいで僕には見えない。 「どこにも行けないトンネルは、どっちかって言うとそっちのほうが近い気がするんだよな」 地中に掘られた墓室に通じる道。暗いトンネル。死の詰まった密室への通路。 想像したら、少しゾッとした。 「……何か、見た?」 「え……いや、僕は、別に……」 「そう。ならいいけど」 全てのトンネルを抜けて外に出れば、空はもう暗くなっていた。近くのコンビニの駐車場に止めた彼の車に向かう。辺りに人の姿はなく、ちょっと不気味な感じだ。 助手席に乗り込めば、運転席に座った先輩が言う。 「トンネルって、危ないんだよ。トンネルの怪談とか、心霊スポットとか、結構あるだろ」 「確かに。心霊番組なんかにも出ますよね」 トンネルなんて、結局はただの道でしかないはずなのに。もしや先ほど言っていた、隧道のもう一つの意味のためだろうか。 墓室への通路、死へ向かう道。意味を持つ以上、使用目的が違えど性質はそちらに寄る、とか。でも、危ないと言うのはどういうことだろう。 「トンネルと聞いて死を連想する人は、そう多くないだろ。本来の性質は、死や、彼岸に寄っているのにさ」 「……その性質が、隠されている?」 「そゆこと。もちろん、トンネルを不気味に思ったり、怖く感じる人はいる。でもそれだけじゃ、足りない。そんな忌避感だけじゃ、いざというとき逃げられない」 低く、けれど実に楽しげにそう言って、先輩は薄く笑った。 「……気を付けろよ、お前も」 引っ張られないように、と嘯いて、先輩は車を発進させる。僕は何も返せなくて、ただ窓の外を流れていく町並みを眺めるしかできなかった。 目を閉じれば、あの塞がれたトンネルが瞼の裏に甦る。とても見通せないほどの暗闇は、夜のそれより無機質で、不気味なもの。 トンネル。隧道。日の差さない暗い道。 歩むときには気を付けて。 足元や頭上の影に、死が潜んでいるかもしれない。

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