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第8話

いつの間にかハゼはマオの隣に来てからかって遊びながら歩いていた。 賑やかに帰路に着く皆から一歩外れた位置を宇佐美が歩いている。 結局、アヤトも最後まで一緒に回った。 何やらアヤトは久我のバイト先の先輩らしい。 世間は狭いな、と真宏は感心した。 出来損ないヒーロー#8 「じゃ、今日は楽しかった〜! また遊ぼうね!」 「真宏く〜ん、また俺とも遊んでね〜!」 「なんでアヤトさん、真宏に懐いてんだよ……」 ハゼと久我とアヤトと別れ、帰る方向が同じである真宏とマオと宇佐美は無言ではあるが、並んで歩いていた。 マオとは和解したけれど、それでも何となく気まずい空気になっており、真宏は少し憂鬱になったが、無言のままというのもそれはそれで辛いので笑顔を作って話しかける事にした。 「きょ、今日は楽しかったですね! 色々迷惑をかけてしまいましたけど……」 そう言うと、宇佐美は「ほんまやなぁ」と言う。 「楽しかったな、また行こう」 マオは優しく微笑んでそう言った。 「ほな俺こっちやから」 「またね、先輩」 素直に手を振れば、宇佐美も「じゃあな」と言って背を向け歩いて行く。 またね、って言って貰えなかったけど、勝手に会いに行くからいいや。 宇佐美の背中が見えなくなったところで、再びマオと並んで歩き出した。 穏やかな夕日に照らされてアスファルトがオレンジ色に染っている。 隣を歩く一つ上の先輩の肩は、真宏の肩よりほんの少し高く、ほんの少ししっかりとした体つきだった。 なんて話題をふろうか、と考えていた時、不意にマオが口を開いた。 「……伊縫って、本当に宇佐美の事好きなんだな」 「はい………………え!?」 思わず返事をしてしまったが、さり気なく恥ずかしい台詞を言われて慌てる。 「えっ!? な、なんで!?」 なんで先輩がその事知ってるの!? 確かに真宏はつい最近、自分が宇佐美の事を好きだと自覚してしまい、それを耐えきれずにハゼや久我にカミングアウトしてしまった上に、現在、宇佐美を押し切って、恋人ごっこなんて事までしてしまっているけれども、わざわざマオには話していなかったはずだ。 隠していた訳では無いけれど、知らないはずの人が知っていたら吃驚してしまうのは致し方ないだろう。 驚いたまま立ち止まればマオはクスクス笑った。 「ずっと伊縫の事見てたら分かるわ。全部顔に出てんぞ、お前」 そんなに顔に出ていたのだろうか。 だとしたら余程締りのない顔だったのだろう、と余計に恥ずかしくなって真宏は両頬を手で隠した。 真宏のあまりにも慌てた様子にマオはケラケラ笑う。 「な、なんでそんな笑うんですか!!」 少しムキになって言えば、マオは一頻り笑ったあと、真宏を優しく見つめて言った。 「なぁ、俺がもしお前のこと好きだって言ったら、どうする?」 「…………え?」 先輩が俺を好きって、言ったら? それは仮定の話? それとも…… 「……えっと、」 「いや、ごめん。今のはナシ。キモイ事聞いたな」 マオは失敗した、そう思って誤魔化した。 真宏の驚く顔が見たいだとか、駆け引きだとかそんなつもりは毛頭なかった。ただ、口からこぼれ落ちた、その程度だったのだ。 マオ自身、自分の口から出た言葉に今一番驚いている。 明らかに動揺した後輩は、これが真意なのかそれともタチの悪い悪戯なのか、それを図っているのだろう。 じっと、マオを見つめていた。 彼のその真っ直ぐな瞳に憧れて恋をしたはずなのに、今はただ彼の探ろうとする瞳に居心地の悪さを感じてしまう。 マオがこの空気をどうしようかと考えている一方で、真宏はこの誤魔化しはスルーしていいものなのか、と考えあぐねていた。 もしこれが本当に先輩の冗談だとしても、からかいだとしても、嘘だよばーかって馬鹿にされたとしても、本気に捉えて、冗談だって分かる方がマシなんじゃないか。 でも俺を? 好き? 先輩が? いやでも先輩は宇佐美と仲良くなりたいから俺に構うのではなかっただろうか……。 ……けど、先輩が、もし本気だったとしたら。 気づけば真宏は、慌ててマオの腕を掴んでいた。 「……キモくないです」 「へ?」 ぎゅっと、強く、先輩が俺を水族館で、繋いでくれたみたいに、安心させてくれるように、俺も。 「キモイとか、俺思わないです。絶対」 マオが、何を言いたいのかは分からないけど、それだけは絶対に思わない、……思わないから─…… 「……!」 宇佐美の甘い香りとは違った、柑橘系の香りが、ふわりと鼻腔に広がった。 それと同時に汗ばんだ真宏の体は、自分とは違う体温に包まれた。 強く、強く、抱き締められる。 真宏の視界はマオが着ていた服の色、一色。 ……あ、俺、抱き締められてる。 「……好きだよ、伊縫」 「……へ」 マオの腕の中に大人しく収まる真宏は、上から降ってくる低い声に目を見開いた。 「お前に初めて会った時から、俺はずっとお前が好きだ」 何も答えられず黙り込んでいると、そっと体を離し、切なく顔を歪ませたマオは真宏を見つめて微笑んだ。 「困らせるようなこと言って、ごめんな」 僅かに震えるマオの手はゆっくりと真宏の頭を撫で、そしてそっと離れて行く。 真宏はその一挙一動を静かに見守り、またマオの目を見つめた。 マオは優しく微笑んだまま、口を開く。 「宇佐美じゃなくて、俺にしない?」 ひぐらしの声がうるさくて、たまらない。 だけれどそんな音以上に、真宏の心臓は激しく鳴っている。 「お前が宇佐美の事を好きなのは知ってるから、……無理強いはしねぇけどさ」 眉を寄せ笑うマオに、自分はなんと声をかければいいのだろう。 なんて、返事をすればいいのだろうか。 じわじわとねばつく汗が額から湧き出る。 前髪も横髪も張り付いていて、鬱陶しい。 いつの間にか無意識に握りこんだ拳も、手汗が酷かった。 前までの自分であれば、気持ちに答えられません、すみません、と簡単に返せていたかもしれない。 けれど今、何故真宏がこんなにも言い渋ってしまうのかと言えば、真宏自身が振られる事の辛さを知ってしまっていたからだった。 宇佐美に告白した時の、あの時の冷めた目が今も真宏を苦しめる。 あの辛さをマオに味合わせたくは無い。 かと言って、今の自分はハッキリと宇佐美が好きだと思ってしまう。 叶わぬ恋だと知っていても、そこから逃げる勇気は出なかった。 しかし、……断る勇気もまた出なかった。 「……ぁ、おれ……」 「無理に何か言おうとしなくていい。ただ……」 全てを分かっているかのように微笑むマオは真宏の肩に手を置き、グイッと肩を抱き、しっかりと近距離で視線が交わった。 そこまで近づいて初めて、先輩の瞳は少し灰色みがかかってるんだな、なんて知った。 「俺、伊縫を諦める気はねェから。幸せにする自信しかねェ。でもそれは、伊縫がそう思ってくんなきゃ意味無い事だから、押しつけはしねぇよ」 こんなにハッキリと、好意を伝えられたのは真宏にとって人生初めてだった。そればかりか真宏は、誰からも告白とかされた事が無いから、あ、ドラマとかで見る告白のシーンみたい……なんて呑気なこと考えていた。 けれど、頬は熱くて堪らない。 これも夏のせいかな。 違うね、きっとこれは、違う。 恋愛初心者の俺でも分かる、これは、先輩の想いの強さのせいだ。 「ゆっくり考えてくんね? 俺はいつまでも待つし、……まあでも、その間好きって思われてんのキモイって思ったら言ってくれ」 「そ、そんな事!!」 「あるかもしんねぇだろ。人の気持ちは変わるもんだから。……だからお前も、俺を好きになるかもしんねぇじゃん?」 ニヤリ、と妖しく笑われ、どきり、と心臓が鳴る。 マオの言う事は正しい。もしかしたら本当に自分の心が変わるかもしれない。 ……けれど、変わらないかもしれない。 こんな不確定事項に振り回されて先輩は辛くないのだろうか。 真宏がまた答えに迷っていると、マオが「あ、そうだ」と声を上げた。 「言っとくけど俺は宇佐美を好きじゃねぇしまず第一に、俺はゲイではないぞ」 「……え? ……そうだったんですか」 いやゲイだとは思わなかったけれど、宇佐美のことは好きだと思ってた。 違うんだ、……え、あれ? じゃあ今回の水族館も、本当に俺目的だったってこと? 先輩は、俺と会うためにハゼに協力してもらって誘ってくれたの……? 「やっぱり勘違いしてたのかよー。俺は、ゲイじゃないし、宇佐美に会うために伊縫に会わせろって言った訳じゃなくて、俺は、」 どくん、どくん、鼓動が激しくなる。 頬も耳も背中もジンジン熱い。 ひぐらしの声も大きく聞こえる。 うるさい筈なのに、うるさいのに、先輩の息を吸う音と発せられる声がこんなにもクリアに耳に届く。 真っ直ぐな言葉が、心に届く。 「お前に会いたかっただけだよ」 こんな風に今真宏が一番欲しい言葉をくれるのは、真宏の好きな人じゃない。 嬉しくて堪らなくて、宇佐美が居なかったらマオを好きになっていたかもしれないぐらい嬉しいのに、どうして自分は今、こんなにも泣きたいのだろうか。 叶わない恋に想いを馳せて生きるより、愛してくれる人を選ぶ方が正しい生き方なのだろうか。 好きな人より好きでいてくれる人を選んだ方が、自分は幸せになれるのだろうか。 生き方に正しさもくそも無いのは百も承知だ。 自分が決めなければいけない。 好きな人か、好きになってくれた人…… 彼はすぐ怒るけど、暖かくて優しい人だ。 俺を心配して叱ってくれる。人として真っ直ぐな人。 人として凄く素敵な人なのに、どうして自分の心は宇佐美を前にした時以上の動きを見せないのだろう。 「いつまでも待つ。だから、お前のタイミングで正直な気持ちを聞かせて欲しい」 マオの切実な言葉に、真宏は小さく頷き、「分かりました」と返す。 マオは頷いて、小さく「ありがとう」と言った。 真宏は初めて、彼の声が震えてるのを聞いて、すぐに返事が出来なかった自分に嫌悪した。 宇佐美たちと水族館に行ってから早一週間が経過した。 実はこの一週間、真宏は宇佐美の元へ行けていない。 夏休みも残すところあと二週間程度だというのに、彼の家は疎か、まずまず家の外にすら出ていなかった。 ……なぜなら、 「あ〜!! 終わんない!!」 山のように積み上げられた課題、課題、課題、課題─…… 学生なのだから至極当たり前なのだが、今回は溜めすぎてしまった。 いつもなら、夏休みはむしろ課題しかする事が無いので早く終わるから舐めていたのだ……少し遊んでも大丈夫だろう、と……。 溜め込むとこうやってツケが回ってくるのを忘れて。 気づいたのが夏休み最終日なんかでなくて良かったけれど、そのお陰で宇佐美に会えていない。 ご飯作る約束をしたのは自分なのに、守れてないのは些か悔しい。 けれど一方で、少しほっとしている自分もいた。 会わなくて、ほっとしてる……というか。 なんでほっとしてるのかと聞かれたら明確な答えは返せないけれど、何故だかそう思う。 もしかしたら、マオに告白された時気づいてしまったからなのかもしれない。 自分が思ったより、宇佐美の事を好きなのだと。 あの日マオに言われたセリフ全てが頭から離れず、それと同時に彼を好きになれば幸せになれるかもしれないとか、浅ましい事を考えてしまった。 終いにはすぐに返事も出来ず、マオに気を遣わせた。 絶対に振り向いてくれない人を追いかけるよりも、自分を好きだと思ってくれてる人に着いて行く方が、幸せになれるのは当たり前だ。 それなのに、宇佐美の事が好きなくせに、マオの告白をその場ですぐに拒否れる程、案外自分は強くはなかったらしい。 そんな醜い自分がいることに、酷く自己嫌悪した。 マオに告白された日以来、連絡先を交換し合ったため、マオからは定期的に連絡が来るようになった。 他愛もないのない話を定期的にしている。 課題はどうだ、とか、今日は暑いだとか、明日はホラー番組やるぞ、とか本当にそんな事。 そんな何気ない話が、課題に追われて凹んだ心にちょっとの楽しみだった。 そして今日はそんなマオと午後から遊ぶ予定なのだ。 昨日、映画の話題になって流れで一緒に観に行こうという事になった。 だから午前中に一日のノルマの課題を終わらせようと思ったのだ。 「あー……」 終わらないし外は暑いし、宇佐美に会ってないし。 何だか息詰まる感覚に陥る。 ……まあでも今日は、ずっと観たかった映画も観れるしハゼ達が居ないからまお先輩もプンプン怒らないだろうし、いい息抜きになるかもな。 思考を切り替えて、目の前の課題に再び向き合い、約束の時間まで必死に問題を解きまくる事にした。 「ほれ、チケットな。あとキャラメルポップコーン。あ、ドリンクはスプライトな」 「うわすご! なんで俺の好み知ってるんですか!?」 なんとか課題を終わらせた真宏は家まで迎えに来たマオと一緒に映画館へ向かった。 真宏がお手洗いに行ってる間に、マオがチケットやポップコーン等揃え、待っていた。 手渡された真宏は、奢ってもらっただけでなく自分の好みをバッチリ把握していたマオに驚き目を瞬かせた。 マオに諸々のお金を渡そうとすると、「いや今日はいい」と頑なに受け取ってくれず、渋々お金を引っ込めてお礼を言った。 「ねえなんで知ってたんですか? 凄いですね、嬉しいです!」 素直にお礼を言うと、若干頬を赤らめたマオはごにょごにょと小さい声で言う。 「……お前に会う前に、あのチビに聞いといたから」 「ちび? あ、ハゼ? 先輩ってマメなんですね!」 真宏の言葉に更に顔を赤くしたマオは、「ふん」とそっぽを向いてしまった。 この人のこういうのを多分、ツンデレと称すんだろうな、と思う。 二人並んで歩き、座席に座ると丁度真ん中の位置で、よく空いてたなぁと思った。 まだ上映時間の十分前なので人も疎らだったけれど、並んで座ってポップコーンを食べてるうちに、徐々に席が埋まっていく。 「先輩、俺の観たい映画でよかったんですか? ……まあ、今更ですけど」 何となくそう聞くと、マオは、「……ああ」と頷いた。 「俺も気になってたし」 「そうなんですか。これ結構感動するみたいですけど平気です?」 「? 平気って何が?」 キョトンとするマオに、真宏もキョトンとし返した。 「これ凄い泣けるって評判のやつだから、……ほら、先輩そういうの弱そうなイメージあるので」 「……お前の中で俺はどんなイメージなんだ?」 訝しげな顔で見られたので真宏は苦笑し、「いや平気なら良いんですけど、新鮮な先輩が観れるのもまた一興か」と一人呟いて適当に笑っておいた。 まもなく上映が始まるとの案内と同時に、館内が薄暗くなり、いくつかの注意事項のあとCMを流していよいよ映画が始まった。 ・ ・ ・ 「いやあ〜面白かったですね!」 ぐいっと伸びをして返事がない隣を見ると、マオは両手で顔を覆い、ひぐひぐと肩を揺らしていた。 「やっぱり先輩、苦手でした?」 なんとなく、マオはこの手の映画泣きそうな気がしていたので、何となく申し訳なくなる。 映画の内容としては、拾われた子犬の成長物語みたいなやつだったが、感動シーンの連続であちこちから鼻をすする声が聞こえてくるほど、心を動かされる素敵な映画だった。 先輩は感受性豊かそうだから、きっと涙ぐむくらいはするだろうと思ってたけど……。 マオが取り繕う余裕も無いくらいにひぐひぐ泣いていて、どうしたものか、と真宏はゆっくりマオの肩に手を置いた。 「先輩、大丈夫ですか? ハンカチ、使います?」 そっと差し出すと、手を離したマオの顔がチラリと見える。 「…………ん」 鼻の頭も目も泣き腫らして真っ赤になっていて、声も鼻声になってしまっていて、とても泣いていた事がわかる。 「やっぱり先輩泣いちゃうと思った……。別の映画にすれば良かったですよね、ごめんなさい」 「……? なんで謝んの?」 真宏のハンカチで目元を拭いて、ズビズビ鼻をすするマオは不思議な気持ちで真宏を見る。 不快だとは一言も言っていないのに、この目の前の後輩の頭の中では小さな俺が激怒していたりしているのだろうか。 「先輩、泣き顔とか見せるの嫌そうなイメージだったので、今あまり気分良くないんじゃないかと……」 そう言うとマオは僅かに眉を寄せた。 「そんな事言ったか? まあ確かに、泣き顔を見せんのは男らしくなくて情けねぇとは思うけど、この映画は泣かせるように作ってんだから、泣いたっておかしくはねぇんじゃねぇの? っつーか、俺は伊縫の方が泣くと思ってた」 上映前にポップコーンと一緒に貰ったティッシュで、鼻をチーンとかみつつ、マオは真宏を見る。 「え、俺も泣きましたよ」 「え? いつ?」 「あのワンちゃんが体張って太郎くんを守ったところとか特に」 「でも顔とか全然名残なくね。っつーか隣で泣いてる様子無かったけど」 「えぇ? ちゃんと泣いてましたよ? ぼろぼろ」 「お前って、無音で泣くタイプ? しゃくりあげたりしねぇの?」 「しますします。あ、でも今日はしませんでしたよ。ぼーっと観つつぼーっと泣きました」 「ふは、何だそれ」 マオが可笑しそうに笑うので、真宏も「えへへ」と笑った。 映画館を出て、ポップコーンだけじゃ成長期真っ只中の男子高校生は足りず、適当にファミレスでも入ろうという事になり、外をぶらぶら歩いた。 何を食べたいかと話しつつ、並んだお店を見てあーでもないこーでもない、とお互いの話をしていると、ふと見上げた視界の先に見知った後ろ姿を捉えた。 「どうした? 伊縫」 マオの声に、「あ、いや」と言い淀んだが、マオも気づいたのか「あれ宇佐美じゃね」と言ったので、頷く。 「何してんだアイツ……」 二人で目を凝らして宇佐美を見る。 相変わらずの赤い髪だから目立つ上に、周りの通りすがりの女の子達もチラチラ宇佐美を見てヒソヒソ話していた。 今日の宇佐美はいつもみたいにハーフアップにしておらず、そのまま無造作におろしていた。 白い無地のTシャツに黒のスキニーにサンダルというラフ過ぎる格好の宇佐美。 そんな彼の隣を歩いていたのは、宇佐美と並ぶ程の長身で細身のスラッとした男性だった。 グレーのスーツを着こなして、鞄を持ちピリついた雰囲気を纏っている。 黒髪の短髪で、時々見える横顔は整っているように見えた。 宇佐美は時折、そのスーツの男性に話しかけつつも何だか不穏な雰囲気だ。 遠目だからよく見えないけれど。 「……なあ、あっちって」 言いにくそうに言うマオの台詞に、真宏が視線を動かした時視界に入った派手な看板にハッとする。 そういえば宇佐美達が歩いていく方向って、……ラブホ街じゃん。 っつーか、こんな真昼間からどこほっつきあるってんだアイツは!! 何となく不埒なあの男にイラつきつつ、「おい」と制止の言葉をかけるマオを無視し、少し宇佐美の後をつけた。 まさか、そのままホテルに入るとかじゃないよな……? いくらなんでもこんな昼間っから入らないよな……? 頭の中をクエスチョンが駆け巡り、こっそり宇佐美を尾行していると、案の定二人は大人の雰囲気撒き散らしつつ慣れたようにラブホの一つへと足を運んでそのまま建物内に姿を消した。 「は、はぁー!?」 マジか!! アイツまじか!! マジで!? えっマジなの!? 色んな疑問が飛び交い、マジマジとラブホの看板を見上げてしまう。 ショッキングピンクの少し廃れた派手な看板。 如何にも安っぽいホテルで、衛生面が少し気になってしまうような外観だった。それが余計に生々しい。 「お、おい伊縫、とりあえずここから離れんぞ」 気まずそうに真宏の腕を掴むマオ。 しかし、真宏はいたたまれない気持ちになっているマオになんて気づきもせず、掴まれた手に力を込め踏ん張り、言った。 「俺達も入りますよ!!」 「……っはあ!?」 赤い顔したマオをキッと睨みあげる。 「宇佐美が何してやがんのか気になるでしょ!? 俺達も追いかけます! 1人じゃ入れないから!!」 「いやいやいや待てって!! 俺ら高校生な時点で入れねぇから!!」 「でも宇佐美入れたじゃないですか!! きっと緩いんですよここは!! ほら早く!!」 「いやお前、ここで何するのか気になるって、こんなとこ入ったらする事なんて一つしかねぇだろ!!」 「はあ!? ……は、……はぁ?」 する事は、一つって……一つって事は、それってつまり…… 「…………え」 脳内に、あのリーマンを抱く宇佐美の図が浮かぶ。 もしかして、本当にあの人とヤッてるの? 嘘でしょ、……いや、ちょっと待って、宇佐美って好きな人いたよな? 好きな人亡くなってるって……俺の勘違い? じゃあもしかして今隣歩いてた人が、宇佐美があの日寝言で名前呼んでた……"ハルさん"? 呆然とラブホの前で立ち尽くす真宏は「とりあえず離れるぞ」とマオに引っ張られその場から距離を取った。 近くの適当なファミレスに入り、窓際の角の席に座り何も決めようとしない真宏に見兼ねたマオは適当にドリンクバーを頼んでくれた。 「おい伊縫、そろそろこっちに戻ってこい」 むにっ、と頬を抓られ、じっとマオを見つめた。 マオは困ったように笑って、くしゃりと真宏の頭を撫でる。 「そんな顔すんなよ」 そんな顔ってどんな顔なのだろう。 真宏は混乱して、自分の気持ちがよく分かっていない。 もしあれが先輩の好きな人……本命だったのなら、喜んであげるべきなのに、どうも心が納得いかない。 好きな人の幸せを祝福出来ない自分とか、めちゃくちゃ性格悪いじゃん……なんだよ……。 「そんな思い詰めんなよ。アイツの噂忘れたのかよ」 「うわさ……?」 「何個も特殊なのがあんだろー? 遊び人で有名じゃねぇか。きっとあの男もその一人だって。そんな気にすんな」 多分慰めてくれてるのだろう。 ……分かってる、もしかしたらそういう人のうちの一人なのかもって俺も思ってる。 でも何だか、あの二人が話してる感じが会い慣れて居るようで他人では無さそうで、一晩だけの関係っていうには慣れすぎてるような気がして、……胸がざわつく。 「いぬい〜」 ぺちっ、とデコピンをされ「う」と恨めしくマオをみた。 「もういい加減、俺と会話してくんね?」 「……あ」 マオの言葉に、ハッとして慌てて彼の顔を見つめる。 「ご、ごめんなさい、俺……」 「いいよ別に。あんな場面見たら気になっちまう気持ちはわかる」 「……今日の、映画の感想とか……」 「面白かった」 「か、会話続けてくださいよ!」 話そうと言ったくせに会話を切られ、ムッとするとマオはクスクス笑った。 「そうそうその調子。いつものお前が一番可愛いよ」 いきなりドストレートに、しかもナチュラルに褒められて思わず頬がボッと熱くなる。 赤くなった真宏の顔を見て、マオも少し耳を赤くしながらまたクスクス笑っていた。 「か、からかわないでくださいよ」 「からかってねぇよ。俺、伊縫には素直に正面からいくって決めてんだわ」 そんな事を言われちゃ、俺の心がもたなそうだ……。 これ、この漢気溢れる先輩を好きになったら毎日こんな調子で言われるのかもと思うと、……褒め殺しっていう殺人もありそうで怖い。 「まあ好きな奴のあんな場面見たら気になるわなぁ〜。なんつータイミングだよって」 「……いや、……まぁ……」 なんというか、とても気まずい。 マオには告白された手前、宇佐美を好きだと全面に押し出すのはやはり気が引ける。 ……と言っても俺が気を使う必要は多分無いんだろうし、そんな事は先輩も望んでは居ないのだろう……けども、……。 今目の前に居るマオには大変申し訳ないが、やっぱり真宏はあのクソヤリチンのその後が気になって仕方が無い。 ハルさんにそんな場面見せられんのかよあのバカ……。 「いーぬーいー」 「わ!」 じとり、と覗き込まれてびくっと身体が揺れた。 「お前ねぇ、俺と2人でいる時いっつも宇佐美のことばーっか。ったく、憎いなあいつヤリチンのくせに」 ぶー、と口を尖らせるマオに「はぁ……」とため息を吐いた。 「ムカつきますよね、あの人」 何がムカつくって、だって本命居るならああいうセフレ要らなくね? ああでもあの人がその本命さんなのかもしれないんだっけか。 うーん、でもなんか納得いかない。 何がこんなにモヤモヤするのか分からないけれど。 「まあ元から俺はアイツのこと嫌いだけどな」 「俺も初めは大嫌いだったんですよアイツ!!」 「そういやなんで好きになったの?」 「えっ…………え?」 マオに、なんで、と聞かれて真宏は苛立ちがピタリと止む。 ……なんで、と聞かれると……あれ? なんでだっけ? 最初は顔が綺麗だな……っていうか、多分自分は宇佐美の顔が超絶好きだ。 真宏は母親譲りで自他ともに認める面食いであるが故に隠さないが、顔がいい人は問答無用で結構好きになる。 宇佐美の事も顔だけは認めていたんだ確か。 入学当初は宇佐美の存在は知らなかったけど、痴漢から助けてもらったことで宇佐美を知って、顔が良くて印象に残ってて、……なんていうかさ、造形美ってもうずっと見てたくなるだろう。 綺麗な景色ってずーっと見てても不快にはならないし、むしろ居心地がいい。 言わば宇佐美の顔ってあんな感じなのである。 綺麗で心地の良い端正さというか。 だから、自然と目で追うようになっていた。 加えて派手だし。顔も派手だけど、装飾も派手だしやらかす事全部派手だから、そりゃあもういつもキラキラよね。 キラキラのキラキラなのである。 目立ちまくってるからやっぱり目に入るし。 女の子の話題もいつも宇佐美で持ち切りだし、この間なんか、男子生徒も何人か「俺、うさ先輩なら抱けそう」とか言ってたし、「抱かれたい」とも話してたな。 スーパー行った時もおばちゃん達から可愛がられていたし…… 老若男女からモテる宇佐美を見ないわけないじゃない。 というか、嫌でも目に入るから、恋をしてしまうのは不可抗力なのではないか。 自分の思考に入り込んでいたところで、ばちんっ、とデコピンをくらった。 「おーい、戻ってこーい」 「いでっ!」 マオの声に再び思考をこちら側へ戻す。 いかんいかん、宇佐美の事を考えるとすぐ思考が遊びに行ってしまう。 「で? どこが好きなの?」 再びされた質問に、「う〜ん」と首を傾げる。 「どことか、何がって聞かれると……明確に言えるのは、顔だけなんですけど……」 「素直だな」 顔以外でってなると…… 「具体的なのは見つからないんですが、強いて言えば心配なんですよ」 「? 心配?」 マオはキョトンとした顔で見てくる。 真宏は苦笑しながら返した。 「はい。宇佐美って、見てると不安になるんです。いつ消えてもおかしくなくて、昨日死にました、とか言われても、ああやっぱりな、とか納得してしまいそうになるぐらい、毎日を生きてないというか……」 我ながら本当に兄に似て困った性格だとは思う。 何でもかんでも心配になって、過保護になるのだ。 宇佐美はそれが一番嫌いなのに……。 けれど、……一番嫌いだけれど、宇佐美自身が一番ソレを欲しているのかもしれない。 「宇佐美の帰る所はきっとあのアパートなんです、物理的には。……でも、俺の目にうつる宇佐美には帰る場所が無いようにみえるんです。こんな言い方、ちょっとクサイかもですけど……」 マオは「あー」と何処か覚えがあるのか共感するような返事をした。 「それにあの人、まともに生きようとしてなくて怖いんですよ。夏休み始まって三日くらい経った時アポ無しで遊びに行ったら熱中症でぶっ倒れてたんですよ? 有り得なくないですか? でもヘラヘラ笑ってんですよ、まひろ〜って」 あの時は心底怖かった。 宇佐美のいつも血の気のない顔が赤くなってて、苦しそうで医療知識なんて無いからネットで調べて、いっぱい色々買った。 「生きる事に無頓着なあの人を、"生"に繋ぎ止めてくれる誰かが居てくれないと、不安なんです。……多分俺は、……」 ……俺は、きっと、 「宇佐美にそういう人が現れるまで、宇佐美の事を好きで居続けるんだと思います」 「心配だから好きなのか? 好きだから心配なのか?」 真剣な顔で言うマオに、真宏は少しだけ考え込んでまた、笑った。 「……どっちも、なんじゃないですかね。心配するのって多分、相手に興味があるからで、興味があるってことは好きか嫌いかの感情を抱いてるって事だと思うので……」 なんて、自分は恋愛初心者だ。 こんな所で語ったって、結局の所何にも分からない。 想像でしかない。 「母性出させんのうまそうだよな、宇佐美って」 「母性って」 つまんなそうに言うマオの台詞に、吹き出してしまう。 「アイツさ、一年の頃からやっぱ浮いてたんだよ」 マオはジンジャーエールが入ったグラスの氷を、ストローでカランコロンと弄びながら、静かに宇佐美の事を話し始めた。 「宇佐美って前から他人と馴れ合おうとはしなくてさ、宇佐美からモテにいってんじゃなくて、アイツのルックスとか浮世離れしたオーラっつーのかな。そういうのに惹かれた女が勝手に群がってて今みたいになってんの」 何となく分かる。 宇佐美は他人と一線を引くところが凄くあるから、宇佐美がモテたくてやってる事では無いんだろう。 「モテようとせずモテる男って、男に僻まれたりするみてぇでさ、1年の頃はアイツよく嫌がらせ受けてたらしーんだよな。ま、幼なじみから聞いただけで俺は見てねぇんだけど。靴隠されたり体操着破かれたりとか、してたらしーぜ。教科書とかな」 「陰湿ですね」 真宏はそういった類のことは心底大嫌いだ。 今の話だけで、苛立つ。いじめだのなんだのって、やる側が一○○パーセント悪いとしか思えない。 やられる側に非がある事もあるだろう。 ただ、手を上げてしまったらやった側が完全に悪くなるに決まってる。 暴力なんかじゃ何も解決しない、何も生まない。 もっと別の方法を考えるべきなんだ。 「まあでもさ宇佐美だから。案の定なーんにも抵抗しねぇわけ。やられてキレるだとか、やり返すだとかさ、何もしねぇの。チクるわけでもなく、周りに相談するでもなく、淡々とやられた事をスルーしてるっつーかさぁ」 ほんとすげぇ奴だよ、とマオは言った。 「だからやってる側も馬鹿らしくなったんだろうな。今はもうぱったり無くなったみてぇだな、そういう事は」 いじめる側は大抵、いじめられてる奴の反応を見て楽しんでいるんだろうな。 想像でしかないから実際は分からない。 ……けど、それしかいじめる側の楽しみやメリットが俺には思い浮かばない。 「宇佐美が生きる事に固執してねぇっつーのは俺も思う。アイツは多分いつ死んでも構わねぇって思ってるんだと思う」 いつ死んでも……。 死にたい訳では無いのだろう。だけれど、死んでしまったら、それはそれで良いと思ってはいるのだと思う。 それほどまでに、生きる事に執着がない。 「まーでもカッコイイんだよなーアイツ。だからムカつくんだけどさ〜」 マオは、ぐいーっと背を伸ばしてぼすんっと背もたれに体を預けた。 「アイツの他人に流されない、自分の意思を貫く姿勢っつーのかなぁ。興味ねぇ事にはとことん興味ねぇし付き合わねぇっていうあのスタンス、憧れるわ、同じ男として。ちょっとだけだけどな」 恐らくそういう宇佐美の無意識の強さだとか、そういうものが唯一無二の自分というものを創り出して居るのかな、と思うと……やっぱりカッコイイと真宏も思ってしまう。 自分は宇佐美の事が好きだから、カッコイイと思う。 顔も好き、……性格も好き、声も好き、不器用な思いやりと優しさを持ってるところも好き。 ああ、全部だ。 全部好きなんだ。 宇佐美の全部が好き。 全てを知った訳じゃないけれど、もし万が一全てを知ったとしても真宏は好きで居続けられる気しかしなかった。 これは『恋』なのだろうか。 それとも、単なる『執着心』なのだろうか。 どちらにせよ、 「俺は噂は基本信じてません。自分の目で見たものしか信じない。参考程度にはしますけど、噂なんてあてにならないし。だからどれが本当でも嘘でも俺には関係無いですね。自分で見て知った宇佐美だけを信じてます」 少し微笑んでまお先輩を見つめると、少しだけ驚いた顔をしたまお先輩が、ふ、と表情を緩めた。 「……お前らは、似てるな。多分」 「? そうですか?」 「頑固で融通効かねぇとこそっくり」 「それは褒め言葉じゃないですよね!?」 むぅ、とむくれると先輩は「はいはい、かわいいかわいい」とからかってきたので更にむくれておいた。 「さて、この後はどーするよ伊縫」 「うーん、どうします? ショッピングでもしますか?」 左手首につけた腕時計を見ると、夕方に差し掛かっていた。 今日の夕飯は涼雅の担当なので、夜は少しゆっくり出来る。 「あ? いいのか? 宇佐美の追っかけはしなくて」 「え? なんでですか? 追っかけしたいんですか?」 首を傾げると、「いや俺はしたくねぇよ」と突っ込まれる。 「さっき気になって気になってもじもじそわそわしてたじゃねぇか。別にいいぜ気遣わなくても」 マオがそんな事を言うので真宏は「ああ!」と思い出す。 「いいんですもう。先輩と話してるうちにモヤモヤがちょっと晴れましたし、アレは単なる好奇心だと思うので。好奇心でストーカーして嫌われたくないですし」 「まあ確かに、宇佐美は嫌がりそうだな」 「ですよね。それに、今日はまお先輩とお出かけしてるんですもん。まお先輩と楽しみます」 笑ってそう言うと、マオは少し目を開いて頬を赤らめそっぽ向いた。 「……不意打ちは、ズリぃだろ」 「なんですか?」 「何でもねぇよ!」 「不意打ちはずるいって?」 「聞こえてんじゃねぇか!!」 赤い顔でぷんすかするマオに真宏クスクス笑う。 二人このままファミレスで軽食を食べショッピングをし、夕飯の時間辺りに解散した。

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