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第11話

ある日、宇佐美はいつものようにハルと公園で話していると、ある一枚の紙を宇佐美に渡して言った。 「これがね、唯一最後まで書けた歌なんだ」 宇佐美がその紙を見ていると、ハルは愛おしそうに目を細めながらゆっくりと指を動かし、ギターを弾き始めた。 「……」 何となくそのメロディが頭から離れなかった。 切なくて苦しくて、愛おしい……そんな思いが心を巡った。 まるでそれが、ハルの心かのように切なかった。 「……camellia」 歌のタイトルを呟くと、ハルは弾くのを止め笑いながら言う。 「''椿''だよ」 ハルはなんとも言えない顔をして、続ける。 「椿の花言葉には、"誇り"って意味があるんだ」 「勿論、それだけじゃないけれどね」と、笑う。 ハルはいつも笑っていて、けどたまにその笑顔が痛々しく思う時がある。 「誇り……?」 聞き返すと、ハルは「うん」と頷いた。 「俺の気持ちへの、誇り」 ハルはこれまでに無い笑顔で宇佐美に笑いかけた。 その時、宇佐美の胸がドキッと高鳴る。 「ねえ壱哉、好きな人……いる?」 ハルの表情は相変わらず分からない。 笑ってるのに笑っていない。 何を考えてるのか分からない。 ただ宇佐美は、この問いに迷うこと無く、 「……居るよ」 と返していた。 「俺もね、居るよ」 ハルの言葉に、宇佐美は一瞬で失恋した。 なんとなく分かっていたけれど、ただ自分の中で爽やかな、気持ちだけが残る。 この初めての感覚に、宇佐美は戸惑った。 「でも俺、嫌われてるんだその人に」 「え……?」 ハルは辛そうな顔で笑いながら、「好きな人に嫌われている」と言った。 「俺の好きな人、男だからさ、この世界じゃ分かってもらおうって方が無理だよね」 苦笑しながらそう言ってくる。 宇佐美はそのカミングアウトにも驚いたが、それよりも''男が好き''というワードで宇佐美にもチャンスがあるなんて汚い事を思った。 「俺の好きな奴も男」 自然と溢れた台詞に宇佐美は驚きと共に確信した。 そうか。惚れてんのか俺は、ハルに。 「そうなの?」 キョトンと見てくるハルの胸倉をグイッと引っ張って、宇佐美はした事ないくせに、下手くそなキスを、した。 「……ん、」 驚いたように目を開き、ちょっとだけ洩らした声に宇佐美は興奮する。 けれど途端に顔が熱くなり心臓の音も激しくなり、「ほな、そゆことやから」と立ち上がって家へと戻ってしまった。 まさか、自分がこんな綺麗な気持ちを持つなんて思わなかった。キスをして、顔も見られないまま逃げ帰ったあの日から宇佐美は、自分の心が分からず何となくあの公園に行けなかった。 まあええか、待ってへんやろし……と、宇佐美は二、三日だけ会う心構えが出来るまで家で大人しくした。 けどそうやって家に居たらいたで、奴の餌食になりやすくなるだけだった。 「お前ずっと夜中出ていたな」 義父は宇佐美には興味無いくせにこういう時ばっか言ってくる。 何かしら「罰を与える」理由を作っているだけだ。 「……アンタと同じ空気吸うたら脳細胞腐って死ぬわ」 笑って睨み返すと、義父は宇佐美の胸倉を掴み顔面に拳を入れてきた。 「……ッ……顔面じゃあ見えてまうやん、ええの?」 「喧嘩に巻き込まれた体で過ごすだろお前なら。 プライドは一丁前に高ぇもんなぁ」 宇佐美は「チッ」と舌打ちをして、三日ぶりに夜、外に出た。 プライドが高いとかそういうのではない。 言ったところで、助けてもらえるなんて思っていないだけだ。 義父には何をしてもどんな大人でも敵わない。 .......そう既に刷り込まれているから。 「面倒事に巻き込まれるなよ」 そんな声が聞こえ、宇佐美は苛立つ。 その言葉は決して息子の心配をしたから言ったわけではない。 面倒事を持ってきて、自分に害があるのが面倒で嫌やから。 自分の事しか考えていないあの男が自分を心配するわけない。 三日ぶりにあの公園に行ってみよか、と宇佐美は思い立ち少しだけ胸を鳴らしながら公園へと近づく。 「…………じゃねぇかっ!!」 「………………だろ!!」 ……なに?揉め事か? ここら辺の治安は割といい筈やけど……。 宇佐美は男二人の怒鳴り声が聞こえる方へと足を向ける。 公園のベンチの前で男二人が言い争っており、何やら、片方が抑え込まれそうになってる。 「……え、てかあれ……」 ハルやんけ。 抑え込まれそうになっとる男の横顔がチラッと見えた時、宇佐美は目を見開いた。 彼だと確信したその時、ハルが相手の男に殴られそうになっていた。 瞬間、宇佐美の身体は反射的に動き二人の間に入り込みハルを庇った。 「……い゙ッ……てェ」 ガッと鈍い音と、さっき義父に殴られた箇所を見事に殴られ宇佐美は流石に声を出してしまった。 ……いやぁ……二度は痛ぇわ流石に。 「なんだテメェ!!」 良く見ると、男はハルと同じ制服を着とる。 普通な優男っぽい顔して、激昂するタイプか? 冷静にそんな事を考えていると、不意に胸倉を掴まれる。 ……それも本日二度目やわ。 「い、壱哉……?!」 ハルは後ろで驚いた声を出し、宇佐美の腕を掴んでいた。 宇佐美を掴むハルの腕は震えてて、今すぐ抱き締めたくなった。 ……ので、 「……俺もお前も互いに誰だか知らんけど、俺今スゲー機嫌悪ぃんで一旦お開きにしましょーや」 そう言うと、男は「あ゙ぁ゙?!餓鬼が調子こいてんじゃねぇーぞ!!」と再び宇佐美の頬を殴って来た。 「.......ッ」 あ、鼻から血出とる。鼻血やん。 ハルの前でダッセェなぁなんて、呑気に思ってっと、宇佐美の前にズイッとハルが出た。 「もう止めろよ、コイツは関係ないだろ!」 声を荒らげるハルを初めて見た。 宇佐美は何となく、この男がハルの『好きな人』な気がして無性にハルを奪いたくなった。 宇佐美は言い争いを再びはじめてまうハルの腕を掴んでグイッと引き寄せ、その男に見えやすいように立ち位置を変えて、宇佐美はハルの唇を深く、奪った。 「え、……ぁ……ふ……っ」 ハルは驚いた顔をして宇佐美を見るけれど、宇佐美も負けじと見返していると月明かりに照らされたハルの顔は段々赤らんできて、遂には震える手で宇佐美のシャツを掴んで目を瞑ってしまった。 宇佐美はしっかりハルの腰を抱き、男をチラリと見やって深く舌を絡めあった。 「ん……っ……ふ……ぁ」 宇佐美達が口を離すと、二人の間には銀の糸が垂れた。 ハルはカアッと顔を真っ赤にして、口を拭い俯いた。 でも、宇佐美のシャツから手を離すことはしなかった。 「……お前、もうこの男に乗り換えたんか」 男は静かにハルに言った。 ハルはビクッと身体を揺らし、何も言わない。 「ちゃうで」 宇佐美は口を挟む。 ハルの肩を抱き寄せ、男を見据えて言う。 「俺が勝手に、ハルに付き纏っとるだけ。今も見たやろ?ハルとあんな濃い〜キスすんのは今日が初やで」 ハルは宇佐美を「なんで」という目で見てくる。 それが子犬みたいで可愛くて、鼻先にチュッと軽いキスを落とした。 「乗り換えって事は、アンタがハルの元恋人?」 男にそう聞くと、男は自慢気な顔になって「ああ、そうや。俺らはまだ終わってへん」と答えてくる。 宇佐美は呆れた顔をして、ハルを強く抱いたまま言った。 「まぁアンタに興味ないわ。今のハルは俺のモンやし、もう帰ってくれん?」 そう返すと、男は「はぁ?!」と声を荒らげる。 ……あー下品な声がうるせぇーわ。 宇佐美はハルを離し、男の胸倉を掴みベンチに押しやって男の鼻を思いっ切り殴った。 「ゔッ!?」 男は涙目になって鼻を抑え、蹲る。 抑えた手の間からはぽたぽたと血が流れる。 「……もう、"俺のモン"やって、言うたよな?」 ゆっくりと、男の顔を覗き言ってやると男は何も言わないままベンチから立ち上がり、足早に公園を去っていった。 「い、壱哉……」 ぽそりと後ろから声を掛けてくるハル。 良く見ると、ハルのワイシャツがボタンが取れてちょっとはだけとるし、口の端にも傷があった。 「お前、殴られたん?」 そう聞くと、ハルはムッとした顔をして返す。 「それはお前もだろ!バカ!!」 宇佐美はなぜハルに怒られたのか分からなくて首を傾げる。 「喧嘩してる所に突っ込む奴があるか!」 ひたすら怒るハルを、宇佐美はベンチに腰掛け下から見上げる。 「しかも……っ……きゅうに、来なくなるし……っ」 「……!」 ハルの声は段々震えていき、ぽたぽたと雫が落ちるのが見えた。 宇佐美はバッと立ち上がり、ハルを強く抱き締める。 「……なんでっ……なんで来なかったの……っ! ……っ、お前からキスしたくせにっ……なんで……っ!!」 ハルはぐすぐすと泣きながら宇佐美を責めた。 何してんねん俺は、とすぐに後悔した。 ハルはずっと、宇佐美が来ない間に一人で公園にいたのだ。 一人で空見て、一人で下手くそだけど、でも何処か愛らしい声で歌って、来るか分からないただのガキをたった一人で待っていた。 宇佐美はそれがどれだけ寂しくて、辛くて、虚しいかよぉ知っとる。 ハルに出会うまでずっとそうやった。 宇佐美はハルを抱きしめて、「ごめん……っ」と言った。 「……おれ、おれ……寂しかったんだよ……っ!」 ギュッと抱き締め返してくるハルを宇佐美も抱き締め返す。 「うん……っ、ごめん……ごめんなぁ」 不覚にも泣きそうになりながら、宇佐美は必死でハルの頭を撫で安心させるように抱きしめ続けた。 不意にハルが顔を上げて、ズビズビの顔で宇佐美を見上げた。 「……俺のこと……嫌いになった……?」 怯える顔でそう聞いてくるハルに、宇佐美は真っ直ぐ見つめ返して返す。 「そんな訳やないやろ。俺がガキやっただけや。ハルの事、好きやで」 「……本当に?……」 不安気な顔が可愛くて、宇佐美は不謹慎にも「ふっ」と笑ってしまう。 「ほんまにな、むっちゃ好き」 そう言って頭を撫でてやると、ちょっと気持ち良さそうな顔をした。 その後、ハルはモジモジしだす。 「どした?」 そう問えば、ハルはまた頬を赤らめながら宇佐美を下から見上げボソボソと言いにくそうに口を開いた。 「……じゃ、……じゃあ……えっちも……してくれるの……?」 「えっ」 思わぬセリフに宇佐美はピシッと固まる。 そんな宇佐美を見たハルがサァーッと顔を青くして、「ごっごめん、じょ、冗談だから!!」と慌てふためいて宇佐美から距離を取ろうとする。 宇佐美はそれを阻止するべくハルの腕を掴み、鼻息荒く返した。 「セックスしてええの?!」 俺のセリフに、ハルはぶわぁっと顔を真っ赤にして宇佐美の頬をべチンッと平手打ちした。 「ばかっ!!!声がデカイんだよ!!」 ……今日、三回目の暴力はとても可愛かったです。 それから宇佐美達は夜、公園に来て二人で濃い時間を過ごすようになった。 宇佐美の生き甲斐は、日付が変わるその瞬間をハルと共に過ごして「今日の夜もまた」と次の約束をすることだった。 沢山愛し合ってハルはどこが弱くて、どこが気持ちいいか、一人が嫌いで大勢も嫌いとか色々知った。 歌を作るのが好きで、歌うのは下手。 ハルのギターの相性と宇佐美の歌声の相性がいい事をハルは嬉しそうに言うとった。 そうやって幸せな日々を過ごしていた。 けど、宇佐美はその生温さに浸り過ぎてたのだ。 自分ばっかりがそうやって幸せだと思っていた。 ある日、突然、ハルはいつもの場所に姿を見せなくなった。 本当に、何の前触れもなく突然。 初めは風邪でも引いたのかと、何か用事でもあったのかと思った。 けどよく考えればこうやって会えなくなる前日もハルは元気やったし、身体も熱っぽくなかった。 何か用事があるという話も無かった。 これまで欠かさず来てくれたのに、いきなり来なくなった。 宇佐美はそれからハルが俺を待っとった日数の倍、夜の公園で一人待っていた。 でも、どれだけ待っても結局ハルは宇佐美の前に現れなかった。 宇佐美はハルの高校が終わる時間、校門の前で待った。 住所は知らなかったけど、ハルはいつも制服を着ていたから高校名は知っていた。 何度、ハルに似た奴に声を掛けそうになったか。 結局、教師が校門を閉め、運動部が居残り練を終えて帰宅する時間までハルに会えることは無かった。 翌日、宇佐美はまたハルの高校へ行き校門の前で待った。 すると、一人の男子生徒が声を掛けてきた。 「お前、昨日も待っとったやろ。呼ぶか?誰や?」 その男子生徒は宇佐美にそう言った。 宇佐美は頷いて、小さく「……ハル呼んで」と呟いた。 すると男はキョトンとして「女か?」と返してくる。 「いや男、二年の」 そう言うと、声を掛けてきた男子生徒の友達らしき男が「なぁそれって」と言った。 「イジメで自殺した、里見の事とちゃう?」 「…………は?」 宇佐美は何言ってるのか分からず、その男を凝視した。 ……イジメで……自殺……? ……里見……? 「ちゃう……ハルや……男で、訛りがない……」 宇佐美は震える手を、声を、抑えるようにそう呟いた。 すると苦しそうな顔をした男子生徒は頷いた。 「……せや、ソイツが里見 悠(さとみ はる)」 ……ハルが、自殺、した……? 宇佐美は頭が真っ白になった。 「お前、里見のダチやったんか」 男子生徒は心底辛そうな顔をした。 なんでお前らがそんな顔しとるん。 「……イジメ……ってなに」 宇佐美は自分の声が低くなっていることに気づいたけれど、訳の分からない感情に埋め尽くされて制御出来なかった。 男子生徒は二人顔を見合わせて、言いづらそうに口を開いた。 「…………アイツ……、ホモってバレてから……ずっと皆から……アイツの元カレにも、……イジメられとってな」 元カレ……? 元カレってこないだの奴……? 「なんで……」 「里見の元カレが、里見と付き合っとる事バレてダチらにからかわれたんをむっちゃ嫌がってん。……付き合うとらん、付き纏われとるだけやって……イジメ始めたんよ」 宇佐美は、ふつふつと怒りが込み上げてくる。 なんで人が好きなだけやのにハルはイジメられなあかんの? なんで、死ぬまで追い詰められなあかんの? なんで、好きな人からも嫌われなあかんの? なんで、コイツらは見て見ぬ振りしたん? ……なんで、……俺に言うてくれへんかったん……? 思えばハルは、自分が辛くても苦しくてもヘラヘラ笑うような奴だった。 それがきっと、自衛でもあって見栄でもあったのかもしれない。 けど宇佐美は気づけなかった自分と、救えなかった自分、見殺しにしやがった高校の連中と、ハルの元カレへの怒りで頭ん中がぐちゃぐちゃになった。 思うままに、宇佐美は手当り次第そこらにいた生徒達に手をあげていた。 校門前で、知らない奴を殴り殴られ阿鼻叫喚そのものだった。 どいつがハルを無視したのか分からなかったから、全員同罪だと思った。 それは今も変わらない。 その後は、高校の教師らに連れられて警察沙汰になり、義父が呼び出され、宇佐美は言われた。 「俺の顔に泥塗りやがって!!面倒事起こすなと言っただろうが!!お前を此処に置いておくわけにはいかない。こっから出てけ」 義父は宇佐美を数日間監禁しボコボコにして満足した後、金だけ渡して一切家にあげる事はしなかった。 自分も、こんな腐った人間が蔓延る街で息を吸いたくなかった。 そうして宇佐美は、心に燻りと人間に対しての極度の嫌悪と憎悪を持ったままたった一人で、上京した。 「……と、まあこれが俺の昔の話なわけやけど、……って、なんで真宏が泣いてんねん〜」 宇佐美に苦笑されて、はじめて自分が声も出さずに泣いてることに気づいた。 「泣き虫やなぁ」 涙を拭ってくれる宇佐美の手の冷たさに、この人はまだ全部吹っ切れてないんだと気づく。 真夏なのに、こんなにも暑いのに手先が冷たくなるのは、……そういう事なんだろう。 そう思ったら一層涙が溢れて止まらなかった。 「まひ、声出さへんと過呼吸なるで」 何か喋ってみ、と促され真宏は何を言えばいいのか分からず、「う、……ぅしゃ、……うじゃみ……っ」とボロボロ泣きながら言った。 「偉い偉い。なんかそれ、俺がうじゃうじゃおるみたいやん、キショいな」 「うしゃみ……ッ、ひっ……ぐすっ……ひぐっ……」 やっとしゃくりあげられた真宏を、「よしよし、じょーずやねー」だなんて子供みたいに扱ってくる。 これがこの人の過去の全てなんだろうか。 ていうか何?宇佐美、義理の父親に性的暴行もされてたわけ? 学校の先生にもって言ったよな?古文の? 大人が子供を? それって犯罪じゃんか、なんだよ、なんだよもう……なに……えっ待って、まって、 「もしかして、この間のスーツの男って……」 驚き見上げれば、宇佐美は笑って言った。 「ああアイツは義父な。出てけ〜言うといて俺ん事大好きやからこっちまで来んねん、会いに」 律儀なやつやろー?となんでもないように言う宇佐美が苦しくて苦しくて仕方なかった。 なんだよもう、なんだよもう。 兄貴が怒んなくなって、俺が怒んなくたって、宇佐美は何も悪くないよ、宇佐美もう、なにも、悪くない、悪くない、悪くないのに、…… 「俺なぁ、ハルを救えんくて引きずってんのも勿論やけどな、ほんまはもうずっと人が嫌やねん。家族も嫌いやし周りの人間全部嫌い。自分の事もごっつ嫌いやねん」 ぼたぼたと涙を流し続ける真宏の頭をいつか自分が宇佐美にしたように撫でて、静かに話している。 「けどなぁさっき、ミヤビさんになぁ。お前は、死にたいくせに生きたいって思っとるワガママなやつやって怒鳴られて、ギクッてしてな」 ……涼兄めっちゃ言ったな。……相当キレてたんだろうけど……。 「……俺、ハルさんを言い訳にして死にたい訳でもないし生きたいわけでもない。ただなんで俺は、愛されなかったんやろか。産まれただけやんなぁ〜あそこに。ただ生きてただけやねんけどな」 誰からも、結局ハルからも愛されてへんかったしな、と無表情で言う宇佐美の瞳は、暗くて光が無かった。 ……そうか、結局ハルさんは宇佐美を置いて逝くことにしたし、元彼からの呪縛から宇佐美と逃げる選択肢も自ら絶ってしまったんだ。 宇佐美は一度も、ハルさんから好きと言われなかったと言った。 宇佐美もハルさんも、ただ誰かに、愛して欲しかっただけなのに、…… 「……過去は、たしかに……愛とは縁遠かったかもしれません……。だから、……」 ぎゅ、と痛む腕を気にせずに宇佐美に強く抱きついた。 「……今から愛されるのは、どうですか」 「……まひ、ろ」 どくどくと、宇佐美の鼓動が聞こえる。 真宏も宇佐美も真夏の公園のベンチで、じわじわと汗をかく。 それでも真宏は今、宇佐美を離したくなかった。 離したら宇佐美は、こんなにも自分に愛されてるのに自覚できないままなあなあにしてしまいそうで嫌だった。 「今からなんかじゃない。もっと前から俺は貴方が好きだよ。大好きだよ、離したくなんかない」 ぎゅうっ、と強く抱きしめる度に巻かれた包帯にじわりと血が滲んだ。 腕の傷が開いたかもしれない……先生、涼兄ごめんなさい……。 裁縫針じゃあ縫えませんよね……すみません……。 「真宏にな、素直に好かれとったら俺も良かったなって思うわ。けどあかんねん。真宏の好きを受け入れたら、幸せになってまうやん」 「……え?」 驚き、見上げた。 「そんなんあかんねん。俺ん中の俺が許さへんのに、な。……俺ん中の俺がな、お前に愛されてみたいって思ってんねん。ワガママやろ、ほんま……っ、わがままやねんおれ……っ」 真宏の頬には宇佐美から溢れた大きな滴が落ち、宇佐美は見た事ないぐらい顔を歪めて苦しそうに泣いていた。 初めて泣いたのだろうか。 ハルが亡くなったと知っても、泣けなかったのかもしれない。 人の優しさを受け入れられなかったから、泣けなかったのかもしれない。 そんな彼を見つめていた真宏は、宇佐美によって頭をぐっと宇佐美の胸に押し付けられ、そのまま強く抱きしめられた。 「……っ、おまえを、……すきになったら……おまえは、不幸になんねんッ……今日やって、わかったやろ……俺に巻き込まれんねんお前は、……おれと、……ッ、嫌やろ、こわいやろ、いたかったやろ、……ごめんなッ、ごめんなぁ……ッ」 愛おしいものを慈しむように、強く優しく温かく抱き締められながら謝られて、真宏も止まっていた涙が溢れそうになった。 けどグッと下唇を噛み、口角を上げた。 泣くな、泣いたら話せなくなる、大丈夫。 上向け、俺。 「……っ大馬鹿者!」 パシンッと宇佐美の両頬を両の手のひらで叩き包む。 宇佐美はボロボロと涙を零して真宏を見つめる。 「それって俺が、宇佐美の人生に巻き込まれるってこと?なんだよ最高じゃん!だって先輩は気づいてないの?」 真宏のセリフに宇佐美が「何に?」と首を傾げる。 「アナタはもう、俺の人生に巻き込まれてるんだよ!今の日常俺が居て楽しいでしょ?明るいでしょう?だから、手遅れだ!参ったかー!」 くしゃくしゃとセットされていない大好きな赤い髪を撫で回すと、宇佐美はキョトンと真宏を見てくる。 「だってそうでしょ?宇佐美はパーソナルスペースが狭いのに俺を抱き枕として選んだ時点で、っていうかそもそも人に共感性が無いくせに俺を痴漢から救って俺に関わろうとした時点で、貴方はもう自分から俺の人生に関わってきてる!」 ぴんっ、と人差し指を立てて説明すれば宇佐美の視線が真宏の人差し指に向けられる。 「それに、俺が宇佐美の事を考えて行動してこれだけ好き勝手振舞ってて、それに対して宇佐美が嫌々でも付き合ってくれてる時点でアナタはもう俺に振り回されてる!」 これは……無理やり過ぎたか? けど、宇佐美が自分の人生に俺を巻き込むのが嫌だってだけの理由で好かれてないんだとしたらそれは流石に納得いかない。 「自分の都合だけじゃなくてちゃんと俺を見てよ。 宇佐美 壱哉から見えてる伊縫 真宏は、 カッコ悪いですか?好きじゃないですか? 俺はずっとそれだけが知りたいんです」 目を開いて真宏を見つめる宇佐美は、再び涙を流して笑って言った。 「……世界一の男前やなぁ」 「まあね!俺ですから!」 へへん、とドヤ顔で言ってやれば宇佐美はクスクス笑って頭を撫でてくる。 心地がいいのでそのまま会話を続ける事にした。 「先輩がなんで、"またな"って言ってくれないのかやっと分かりました。無意識にでも言いたくないんですね、ハルさんが戻って来なかったから」 「……またな、があかんかったのかもなんて意味わからん事まで思ってしまうんよ、なんでか知らんけどな」 苦笑する宇佐美ににんまり笑う。 「でも俺は戻ったでしょう?」 「え?」 「ほらこれ!腕刺されても戻ったでしょう?」 宇佐美は困ったように言う。 「けどそれは状況がちゃうやん……てか、運良かったなほんまに……いや、悪かったんか?」 しみじみと腕を観察され、真宏はむうっとむくれる。 「違いますよ!俺あの時、本当にダメかもって一瞬思った。だって自分でナイフ抜いた時痛くて唇噛み切ったし変な汁が穴という穴から出てくるし、血は止まんないし吐き気はするし、目の前のあの男の子は震えて何もしてくれないしさ」 「ほんまごめんな……」 「違うっつーの!!俺が言いたいのは、その時俺はアンタの事考えてたってこと!!」 「え?」 顔を上げてキッと宇佐美を見る。 「俺がまたねって言ったのに、このまま宇佐美と会えなくなるかもって思ったら嫌で嫌で、このまま目を瞑ったらまたねじゃなくなっちゃうかもしんないって……。そんときに初めて、宇佐美が言わない理由ってこういう事なのかなって少し思った。それがさっき確信に変わったんだ」 「……」 「またね、ってならない事もあるかもしれないから、そう考えたら怖いよなって思う。明日の約束してそれが永遠に来ないのは、……俺だって考えたくないよ。 ……でもさ、でもそれだとさ、逆に明日が来なくても……会えなくても平気だよって言われてる気分になって、……こっちは少し、寂しいんだよ」 「……あ」 宇佐美は何かを察したように声を洩らした。 「またねって言わないのも言われないのも、次はもう会わないよ、会えないよって暗に言われてる気分になる。そのつもりが無くても、俺はずっと寂しいなって思ってた……」 「まひ、」 「けど言えないなら話は別だよ!やりたくても出来ないことが沢山あるなら、俺を使っていいよ!」 「え?」 宇佐美の手をぎゅ、と握り自分が震えないように力を込めた。 「俺の事好きになれなくてもいいから、何だっていいから、宇佐美が前向くための踏み台として使ってくれて全然大丈夫だから、だから、……あんまり寂しい事言わないでね……」 俺は好きな人には笑ってて欲しい。 宇佐美が風呂で大爆笑してた時のあの笑顔、大好きなんだ。 あの笑顔でもう一度笑い合いたいよ。 でも笑い合う相手が俺じゃなくてもいいんだよ。 宇佐美が笑えれば、俺も笑えるんだよ。 きっと少し、時間がかかるけど。 「ねえ、宇佐美……俺も、……ワガママで、ごめんね……」 そう呟くと、ごちんっと俯いた真宏の後頭部に宇佐美のおでこがぶつかった。 「えっ何」 しんみりしてたのに、何すんのよと抗議の声を上げると宇佐美が「やられた」と小さく呟いた。 「……蚊?潰しな?」 意味分からず言うと、宇佐美が豪快に笑った。 それを見逃さないように急いで顔を上げる。 さっきまでの苦しげな表情はなく、あの時の、真宏の大好きな宇佐美の笑顔がそこにある。 宇佐美は八重歯を見せ散々笑った後、目尻に浮かぶ涙を拭いて微笑んだ。 「なあ真宏。ほんまはちょっと前から真宏に惚れとった、なんて言うたら怒る?」 「…………………………………………へ?」 まったく、何言われたのか理解できない。 いや言葉の意味は分かる。分かるけれども。 なんだ?これはドッキリかなにかか? そろそろネタバレかなんかで、涼兄あたりがプラカード持って出てくるのか? ホームビデオのネタ的な? 涼兄ならやりそうだしな、うんきっとそうなんだろ…… 「ほんまは昨日真宏が来て介抱してくれて助かったし嬉しかった。真宏に裸見せたんもアレで嫌いになってくれへんかなって思っとったからや。けどな?嫌いになって〜って思う時点で、俺はじめからお前に惚れてた事にならん?」 「……んぇ?」 「だってな、俺、自分が真宏を嫌いになったら良かったのにずっと、お前にどう嫌われようかばっか考えとった。それに気づいた時、あーあ、惚れよったわーって」 何を吹っ切れたように話してるのだこの先輩は。 俺はまだ処理しきれてません。 つまりは?どういう? 「俺、真宏に惚れたわ」 「え!?」 「もーな、ぎゅーって丸め込んでもっちもちにしてふわふわとろっとろにしたところを食いたいくらい好きやねん」 「それはどういう!?食われんの!?」 「あれ?食われる覚悟もないのに俺に好きとか言うてたん?」 「え!?何!?食うって!?」 「あーほらほら冗談よ。パニクっちゃったよな、すまんすまん。とりあえず、ぎゅーしとこか?」 ぐいっと引き寄せられて今日何度目かのぎゅうをくれた。 何が起こってるのだろうか? 俺は今宇佐美に告白された? 宇佐美に告白ってことは、俺も告白したので、両思いってこと? 宇佐美と?なんで? 「真宏、そろそろ理解出来た?」 「……」 ふるふる、首を横に振って否定すると「なんでなーん」と笑う宇佐美。 宇佐美は真宏を抱きしめて楽しそうに笑ってる。 .......いやこっちこそ、なんでなーん!? 「っお前、絆(ほだ)されたろ!!俺に!!ちょろ過ぎるだろ!!だから下半身ふしだらって言われんだよ!!ばーか!!ばーか!!」 「こらお口が悪いなぁ真宏ちゃん」 「ちゃん付けすんな!!大体俺のどこを好きになったわけ!?いつ!?あんだけのらりくらり俺を誤魔化しておいて!!何!?なんなの!?俺に合わせてんならやめてよ!!同情とか、そういうの……」 「真宏」 「ほんと、……今は、キツい、から……っ」 あ、言ってて泣けてきた…… どうしよう、今、同情やわ、とか言われたら本当に吐く……吐く自信がある…… いや吐く自信とは。 さっき見舞い品で杏が買ってきてくれたフランクフルトが出る。 あとお茶。 それしか出ないが。 「まひろ〜ごめんよ〜俺がなぁ、そういう態度ばっかとったから不安になるよな、ごめん」 ぎゅうぎゅう、と抱きしめて撫でられて益々訳わかんなくてパニックになる。 「……っだって宇佐美、おれのこと、すきにならないって……いった、もん……」 「言うたなぁ」 「宇佐美、好きな人、……いるって、……いったもん……」 「言うたわぁ」 「……うさみの、ばか……」 「ほんまやな」 宇佐美はよしよし、と慰めてくれる。 「真宏を好きにならんて言うてたのは自衛の為。嫌やん。また人を好きになって裏切られたり消えられたり、そういうんは。けど言い訳やなこれは。真宏の為やとか自分の為やとか後付けの言い訳や。怖いねんな、俺には全部、初めてやから」 「…………うさみさぁ、……ほんとに、……おれのこと、……すき……?」 「好きやで」 「…………本当に今一○○俺の事好きで、いいの?それはハルさんを忘れるだとかじゃないんでしょ?……宇佐美なりにハルさんを愛してる上で、だよね?」 真剣に宇佐美を見つめると、宇佐美は少し驚いた顔をしたけどゆっくり頷いた。 「ほんまに真宏が好き。……真宏の言う通りハルさんを忘れる事も乗り越える事も俺には出来ひんわ。やれたらとっくにやっとる。けど、ハルさんを理由に使うのはもう止める、それだけの話や」 「……俺は、宇佐美を信じるよ。本当に俺が、宇佐美を信じていいの?」 「……?それは、どういう意味?」 真宏の質問に宇佐美は首を傾げた。 「俺は、……本当に人を信じちゃうよ。本当に本当に信じるんだよ。……それでもいいの?俺はすっごく宇佐美の事が好きなんだよ……?」 「……どこかあかんの?」 宇佐美の言葉に、いや……と首を横に振る。 「……ただ、……なんとなく、思っただけ」 小さく返事した自分の声が、震えてなくて良かった。 「……そか。……俺はその方が嬉しいわ。俺なぁこんなやから信じられへんかもしれんけど、恋人にはめちゃめちゃ一途なんやで?せやからもう遊んだりせぇへんし、っつーかな、ちょっと前から遊ばれへんねん、俺」 「え?どゆこと?」 宇佐美が、うーん?と首を傾げながら言う。 「真宏と昼寝するようになったりした辺りからなぁ、勃ちが悪なってきててなぁ。この間義父ん時も結局俺だけ勃起せんくてキレられてもぉ大変。しゃあないやんな?勃たれへんねやから。けどな?インポやないねんで。昨日真宏と風呂入った時勃ったしなんならあの後抜いたわ」 当たり前の事のように言う宇佐美に真宏はどう返せばいいのか分からない。 えっ俺で抜いたの……? 俺のあの恥じらいのない裸体で……? ある意味スゲーな…… 「……なんて答えればいいんですかそれは……」 そこまで思い出して、真宏ははたと気づく。 「あ、そうだ。義父さんの事だけど、次呼び出されたら俺も呼んで」 「それは嫌」 「はあ!?今俺たち付き合ったよね!?何その即答!!よく即答出来ましたねこの甘々な空気の中で!!」 「甘々って自分でゆーの、かわええなー」 「いやそこじゃねぇし、勝手に和むな!!」 キーっと怒ると宇佐美は真宏を宥めつつ真剣な顔になる。 「アイツはマジであかん。真宏には会わせたくないし、アレに関しては平気やからマジで大丈夫」 宇佐美のマジ顔は迫力あって、俺じゃなきゃビビると思う。 俺じゃなきゃ。 「嫌です」 「なぁんで真宏が嫌がんねん」 「俺、好きな人勝手に傷つけられてんの嫌だし」 「せやから傷つかへんし大丈夫やって」 「吐くほどぶっ倒れといてなぁにが傷つかへんし、だよ。嘘も大概にしろ」 「はあー?付き合うて早々喧嘩かぁ?」 「受けて立つわアホ!!」 宇佐美の胸倉を掴むと、ムッとした顔をするので睨み返した。 「親子関係に関して他人は口出し出来ひんやろが」 「はぁーそうですか、ここで"他人"ワード出しますかぁ〜!!アナタは伊縫 真宏怒らし検定超一級ですよ、本当!!」 宇佐美がグッと押し黙ったので、真宏はそのまま宇佐美を引き寄せガチンッと歯がぶつかる乱暴なキスをした。 真宏の切れてた唇の傷がまた開いて血の味がした。 「好きな奴なら、抱くのも抱かれてんのも俺だけが良いに決まってんだろ!!そんぐらい分かれよ脳チン野郎!!今ここで俺に悔い改めろ!!」 真宏のブチ切れに宇佐美はポカンとした後、ぽっと頬を赤らめて、間抜けな事を言った。 「まひって、……ほんまに男前やな……すき!!」 やっぱコイツとはどこか噛み合わねぇな、と交際早々思った。 ダメだこいつ。

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