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第12話

「……というわけで、何故か宇佐美と付き合う事になりました。まお先輩ごめんなさい」 「……ったく、どんな心境の変化だよ宇佐美」 宇佐美に告白された三日後の今日。 マオに告白の返事をしなくちゃいけないと思い、真宏は宇佐美を連れて三人でファミレスに来ていた。 真宏の話をきいたマオは目を丸くさせて真宏と宇佐美を交互に見ていた。 「ほんまはにゃんこに盗られんの嫌やってん。まあお前ヘタレやし間違いは起こらへんて思っててんけどな」 起こしたくても起こせへんやろ、と嫌味たっぷりでマオを揶揄う宇佐美。 マオはムムッとした表情をしたがいつものように言い返したりはせず、「はぁ……」とため息を吐いた。 「にしても急展開だなぁ。夏休みいっぱいは伊縫を独り占めしよーって思ってたのに」 マオの台詞にちょっとドキッとする。 宇佐美は相変わらずマオの前ではツーンとしたまま、アイスコーヒーを啜っていた。 「そぉかぁ……伊縫も人妻かぁ〜」 「それは違うでしょ」 思わず突っ込んだが隣で宇佐美がニヤニヤし始めたのでふくらはぎ蹴っといた。 「まぁアレだ。ヤリ捨てされそーになったらいつでも俺ん所来いよ。首絞めたる」 「あはは、それ兄貴にも言われました。そうします」 「えっすんの」 宇佐美はビックリした顔して真宏を見た。 「お前がやり捨てするならな。俺もそれなりにやるけど?」 「しないしない!するわけないやん」 宇佐美がぶんぶん首を振った時、「あれー?」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「真宏とうさ先輩じゃん!!あ!まおちゃんもいるー!えっなになに三人で何話してんの!?」 「よぉ〜水族館以来じゃん真宏」 「ハゼ!久我!」 思わぬ友人との出会いに嬉しくて席を立つ。 元々真宏が窓側だったが、宇佐美を窓側に押し込めてハゼと久我を自分らのテーブル席に座らせた。 本当は後で呼び出そうと思ってたけどその手間が省けた。 「なになに?何話してたのー?あっ僕コーラね」 「俺もコーラ〜」 二人分のドリンクを何故かマオが舌打ちしつつ持ってきていた。 漸く全員が落ち着いて座った時、真宏は自分が宇佐美と付き合う事になった報告を二人にもした。 ハゼも久我も驚いていたし、二人ともマオとアイコンタクトしてた。 「いーんだよ、俺はとっくに振られてっから」 ヒラヒラと手を動かしたマオに真宏は苦笑する。 「えー!?何その展開!!初耳なんですけど!!っつーか、うさ先輩が真宏に堕ちるとか想定内過ぎて笑えるんですけど」 ハゼのセリフに「え!?」と身を乗り出す。 「な、なんで!?宇佐美そんな事言ってたの!?」 ジッと宇佐美を見ると、宇佐美もちょっとびっくりして首を横に振っていた。 「いやぁ〜見てたら分かるっしょ。鈍感なまおちゃんでさえ薄々分かったてたんでしょ?うさ先輩は真宏の事好きだって」 「まぁな」 「え!?そうなの!?そうなの!?」 びっくりのオンパレード過ぎて宇佐美に目をやると、宇佐美はちょっと耳と顔赤くしてそっぽ向いてた。 「だから余計にウザかったんだよねぇ〜僕。明らかに真宏に付き纏う時点で好きなくせにさぁ、好きじゃないし、みたいな顔でツーンてしててさぁ。真宏盗られたくなかったなぁ〜」 「と、盗るって別にハゼ達と遊ばなくなるわけじゃないんだし」 笑いながら言うと、久我は「ちげーよ」って言う。 「友達が付き合うのってなんか盗られた気になんねェ?別に恋愛感情持って見てるわけじゃねぇけどさぁ。しかも応援してねェ相手と付き合うってなると余計にな」 さっきっから宇佐美が攻撃されてる……。 可哀想だけどなんとも言えないので、笑うしかない。 「みんな宇佐美のこときらいなの?」 何となくそう聞けばみんな顔を見合わせて口を尖らせた。 「きらーい」 「好きじゃない」 「得意じゃねぇな」 「ぶはっ!!正直者か!!」 あまりの潔さに爆笑した。どんだけ嫌われてんだコイツ。 真宏の隣でいじけて机に突っ伏した宇佐美が可愛かったので、くしゃくしゃに頭を撫でておいた。 「うさ先輩さぁ、真宏泣かしたらマジで許さないかんね。正拳突きからのかかと落としだけじゃ気が済まない」 ハゼの言葉に宇佐美が呆れつつ頬杖をつく。 「なんなん自分ら真宏の親衛隊かなんかなん?」 「まぁ親友兼ALS●Kですかね」 「え!?そうだったの!?」 知らなかった……そんなつもりで一緒に居てくれてたのか。 「真宏、危なっかしいさぁ〜……えってかまって、何その腕の包帯」 ハゼが今頃気がついて驚いて見てくる。 「あーコレはちょっと転んで……」 「宇佐美が弄んだ中の1人に八つ当たりで刺されたんだと」 「はあ!?」 まお先輩がしれっと余計な事を言うもんだから、「こ、こら!」と窘める。 「待ってハゼ落ち着いて」 「いややっぱ交際認めたくないんですけど。は?何それ初耳だし、刺された?そいつは?捕まったの?」 「……いや」 言葉を濁すと、ハゼの額にピキピキ青筋が浮かぶ。 「真宏さァ、お人好しにも程があんじゃねぇの」 「い、いや俺だって怒ってるよ?許そうだとか思ってないし。兄貴の知り合いの人が刺してきた子を家まで送ったらしいんだけど、その時にちゃんと両親に説明してくれたみたい。ご両親がその子と家に謝りに来てさ、昨日。本当は治療費だとか警察だとかご両親の方から言ってくれてたんだけど、俺が断ったの。マジで大丈夫ですって。あっ治療費だけは一応全額負担はしてもらうよ!」 「なんでよ!そこはちゃんと法的措置取るべきでしょ!」 ハゼの怒りはご最もなんだけどね。 「そうなんだけど、まぁ……俺が彼を逆上させちゃったようなもんだし、めんどくさいじゃん?なんか色んな手続きしたり色んな人から同じ話聞かれたりするの。そうなると兄貴は絶対俺に着いてきてくれちゃうからさ、あんま迷惑かけたくないっていうか……」 ごにょごにょと言うと、ハゼと久我とマオに「はぁ」とため息をつかれた。 「だから心配なんだって……。今度からそうなったら僕とか久我とかまおちゃんがちゃんと一緒に居たげるから呼んでよ。友達に対して面倒だとか思わないんだからさぁ」 ハゼは眉を寄せて言った。 真宏は照れくさかったけど、「ありがとう」とお礼を言った。 「で?アンタはこの件に関してどう思ってるわけ?」 ハゼの尋問のようなものが始まりハラハラする。 問われた宇佐美はアイスコーヒーちゅるちゅるしながら、じっとハゼを見つめ返していた。 「……一○○%俺のせいやから真宏には大変申し訳なく思っとるし、真宏と付き合う前に他の人間とは縁を切ってきたんで逆恨み的なのも全部俺に向くようにしたし……」 「は?聞いてないんだけど」 何それ?全部自分が被害にあえばいいと思ってるわけ? 「まぁ言うてへんし」 しれっと目をそらす宇佐美にカチンとくる。 「あのねぇ、ハゼも兄貴も俺も宇佐美が刺されれば良かったなんて一言も言ってないだろ!?なんでそういう思考回路になるわけ!?」 「せやけど、そうなりゃ周りも安心やろ?ほら俺は刺されて死んだところで特に……」 「お れ が、居るだろ!!俺が!!」 コイツ今、"刺されたところで悲しむ奴はおらんし"的なこと言おうとしただろ!? この期に及んでまだそんなセリフ吐くか!?俺の前で!! 「お前にはもう俺が居るんだからあんまりそういうセリフ吐きやがると本当にタマ握り潰すぞ」 「まひ、お口悪い」 宇佐美に苦笑され、ムッとする。 「えーなになに、マジのラブラブじゃん」 ハゼの言葉に「どこかだ!!」と返す。 こんなんは俺が想像したラブラブと違う!! ……まあでも、悪くは無いんだけどな。 「まあ何にせよ今ので大体分かるわ。今一番宇佐美サンを理解してんのは真宏なんだな」 久我に優しく微笑まれ、ドキッとする。 え、そうなの……そうなのか。 俺がこの世で一番宇佐美を……? チラッと宇佐美を見ると、宇佐美は「せやで」と頷いた。 .......!!俺だけが宇佐美を理解してる!? うへへへ、うへへへへへへへへへへへ 「真宏、顔キモイよ」 「失礼過ぎない?」 ハゼに指摘され、慌てて頬の緩みを戻した。 「いーなぁー恋人かぁー。僕も欲しいなぁ〜。まおちゃん付き合ってよ〜」 ぶー、と唇を尖らせて言うハゼにマオは「嫌なこった」とそっぽ向いた。 .......パンナコッタ。ふへ。 「そういえば久我は彼女と続いてるの?」 久我とハゼと真宏の三人の中で唯一入学当初から彼女持ちで途切れないのは久我だけだった。 久我はコーラ飲みつつ「んー?」と言う。 「俺も今探し中」 「えっマジ!?別れたの!?」 「だいぶ前にな」 知らなかった。 てか久我ってそういう事あんま自分から言わないよなぁ。 ハゼには言ってんのかな……。 「は?僕も聞いてないんだけど」 言ってないんだ。ちょっと笑ってしまった。 「いやー、そろそろ身を固めようと思いまして」 チャラけて言う久我にハゼと真宏は身を乗り出す。 「えっ何?久我好きな人いるの?」 「けど隆ちゃん、ポスト宇佐美みたいな所あるからな〜。おっぱいでかけりゃ誰でもいけんでしょ?」 ハゼのジト目に久我は笑う。 「いやほんと、今回は大マジのマジよ。俺も今ちょ〜手こずってる。全然落ちてくんねぇんだわ」 久我の言葉に嘘は無さそうで、ハゼと顔を見合わせて驚く。 「……久我にそんな人居たんだ……」 「おう、まぁな」 「写真無いの?写真」 ハゼが楽しそうにウキウキしてるので真宏も楽しみにしてると、「ねぇーよ」と言う。 「あの人写りたがらねぇんだよなぁ〜。ま、でもすっげー美人よ。可愛いし人懐っこい」 「うわベタ惚れじゃん、隆のくせに」 「隆のくせにってなんだ、日向」 時々、ハゼと久我が昔の呼び名で呼び合うのを聞くとレア過ぎて嬉しくなる。 前は何処か疎外感を感じた時もあったけど、最近はこの二人の中にそんな気持ち微塵もなく、ちゃんと自分を友人だと思ってくれてるのを知ってるから、感じないし寧ろ心許してくれてるのかなって思うから、嬉しい。 そっかぁ、じゃあ久我も恋の真っ只中なんだな。 「けど隆ちゃんが落とせないのってかなりレアじゃない?その人もう恋人居るんじゃないの?」 ハゼの言葉に久我は、ううん、と首を捻る。 「そこら辺がなぁどうも分かんねぇんだよなぁ。ってか恋愛系の話題は尽く避けられてるし、なんならこの間はセフレなら良いけど恋人は嫌って言われた」 う、うわぁ〜それって.......。 「望みねぇじゃん」 マオの台詞に久我は「やっぱり〜!?」と叫んで机に突っ伏した。 「やっぱなぁ、ねぇよなぁ望み。はぁ〜恋人居んのかなぁ〜」 珍しく弱気な久我が珍しくてまじまじと見てしまう。 期待を持たせるようなこと言えないしな、かと言って望みがないかなんて俺には分かんないし……。 こういう時ってどうすれば……。 「ま、でも相手の事何にも分かんないならわかんないままアピってくしかないっしょ」 ハゼはさらりとそんな事を言う。 久我はじっとハゼを見つめた。 「大体さぁ、いきなり本命が出来て怖気付くとか隆一らしくない。今のお前かっこ悪い」 「は、ハゼ……」 ハラハラしてハゼの名を呼ぶと、ハゼはため息を吐く。 「好きならぶつかるしかないって、真宏やまおちゃん見てて思わないの?」 「え゛っ」 ここで自分の名前が出てくるとは思わず、顔が熱くなる。 「分からない事うじうじ考えたってどーしようも無いでしょ。希望があるかないかなんて本人に聞くまで分かんないんだから、聞く勇気出ないなら正々堂々好きって言いまくっとけば?振り向いてくれたらラッキー、でいいじゃん」 アイスを注文したハゼはザクザク食べ始める。 バニラアイスにチョコレートソースがかかってる…… 美味しそう。俺も食べようかな。 「まー、そッスよねぇ〜。頑張ろー」 いつの間にか久我が復活していてハゼのアイスを一口貰っていた。 なんだ気負わなくても、言いたい事言っとけば良かったのか。 未だに時々、友達としての距離感が掴めない時がある。 でもその度にハゼや久我がお互いに遠慮せずに、言いたい事を言い合ってるのを見ると、何だかうずうずして羨ましくなって、途端に言えない自分に気づいて落ち込んだ。 "友達"の肩書きを持つと、急に弱気になるの駄目なとこだよなぁ。 まぁ俺が言わなくても二人は二人で完結するし、気負わなくても言いか、別に。 「それより僕は真宏が人妻な事にショックだよ……」 「だろ?しかも宇佐美のだぜ?」 ハゼとまおマオが、おいおいと泣く。 「って、またそこに話題戻るのね」 呆れながら泣き真似してる二人を見る。 「あーあ、まぁねぇ。まぁいいんだけどさぁ〜うさ先輩だからなぁ〜あ〜あ〜」 「お前らほんま俺の事嫌いやな」 流石に苦笑する宇佐美に三人の視線が一気に宇佐美に集まる。 「ってか口数少なくない?なに急に無口ぶってんの?」 ハゼの言葉にほか2人が頷く。 宇佐美は俺を見て「そお?」ときいてくる。 「ん?うーん。まあ、そうかな?でも宇佐美って元々ペラペラ話す方じゃなくない?二人の時も俺ばっかり喋ってるよ?」 「いやそうだけどさ、僕らがこんなに言ってんだから少しは反論したりキレれば良いのにって思っただけ」 「ま、俺ら宇佐美サンの反応見たくて言ってるとこあるしな」 まあ確かに宇佐美はキレたりしないよな。 時々、言い合いにはなるけど激昂したりだとかテンションが上がってるのはそこまで見た事ない。常にLowな感じ。 「そぉか?……んー、まぁどうでもええしなぁ」 「どうでもいい?」 マオの聞き返しに宇佐美は頷く。 「おー。お前らにどう思われてようとどうでもええわ。真宏に嫌われたら凹むけどな」 「!?」 「うわー、話したと思ったら急に惚気ッスか」 久我のセリフに真宏の赤面が加速する。 「うさ先輩ってそういう感じなんだ。うわ真宏ゆでダコじゃん。大丈夫?苦労してんね」 ハゼにぱたぱた仰がれて髪がそよぐ。 そよいだせいで耳も赤いのがバレて、宇佐美に笑われた。 「な?可愛ええやろ?堕ちひんわけないやんな、こないな可愛ええ奴」 テーブルの下でこっそり手を繋がれて、ドキドキが止まらない。 宇佐美の手、平べったいけどごつごつしてて指も長くて時々当たる指輪が冷たいんだけど、それがまた宇佐美って感じで……なんかこう、ぶわぁって……ぶわぁ〜ってくるんだよ! 「うさ先輩ってそうやって落とすんだ……捕食者って感じ……」 「真宏大丈夫か?俺ん所来る?」 ハゼ、マオ、久我が真宏に同情の眼差しを向けてくる。 一方真宏の右側に座る宇佐美は、右手をぎゅ、ぎゅ、と弄んでくる。 暫く俯いていたが、意を決して宇佐美の手を握り返し、おず……と顔を上げてへにゃり、と笑った。 「好きなので、.......大丈夫.......です」 「う゛っ」 「え!?宇佐美!?」 隣の宇佐美が何故か喉を詰まらせ机におでこを強打。 続いてマオは窓にゴンッとおでこをぶつけていたし、ハゼと久我は既に机に突っ伏して死体ごっこしてた。 えっなに何?どうしたのみんな。 不安になりキョロキョロしていると、ハゼが息も絶え絶えに真宏を見てくる。 「……もぉ……まひろ、……可愛いから……幸せになれよぉ……こんちくしょお……泣かしたら、許さねぇ……宇佐美ぃ……」 宇佐美は机におでこぶつけたまま、OKのサインを手で作りハゼに見せていた。 よく分からないので真宏も一緒に机に突っ伏してみた。 何となく横を見たら宇佐美の顔が見えたので、笑ってみたら宇佐美も笑ってくれたので、いっぱい嬉しくなって宇佐美の手をぎゅーってした。 美味しい物をたくさんおなかいっぱい食べた時よりも、もっと嬉しい気持ちが胸に沢山広がる。 好きってこういう事なんだぁ……幸せだなぁ。 * あれから一1週間ほど過ぎて、高校生活初の夏休みが終わりを告げた。 二週間ほど前に始業式を終え、真宏たちはまた学校に通い淡々と授業を受けている。 宇佐美とは付き合う事になったけれど、未だにあまり実感が湧かないし特別何かが変わった感じもなかった。 今は担任のツバキ先生の担当教科、数学を受けている。 数学は国語よりは得意だけれど、勉強が好きという訳では無いのでまあ眠い。 教卓に立つ先生をぼんやりと見ていると、ぱちりと目が合い真宏は「やべ」と内心焦る。 「おーおー伊縫〜。俺の授業をそんな腑抜けた顔で聞きやがっていい度胸してんなァ〜。前出てこれ解け」 げー、と思い切り顔をしかめると「やれ」と顎で示された。 渋々前に出て問題を解くと、「なんだ正解かよつまんね」と教師とは思えないセリフを平気で吐く。 「生徒が正解して残念がるとか……」 ちょっと文句を言えば、先生はシレッと、 「俺が何時間、時間外労働して指導案書いてっと思ってんだ。ちゃんと起きてりゃ文句は言わねぇよ」 「ね、寝てなかったのに」 「"まだ"の話だろ」 「ちぇー」 一頻り不満を吐き出されたあと席に戻らされた。 再び授業を聞くかと思い体勢を整えていると、隣の男子生徒がコソッと話しかけてきた。 「なぁなぁ伊縫って、なんでツバキちゃんと仲良いんだ?」 確かこの男の子はクラスのムードメーカーの一ノ瀬だ。 髪の色が明るく、前髪をちょんっと縛っているのが特徴。 普段ハゼや久我以外に話しかけられることなんて無いから少しびっくりしたけれど、「ああ、」と返した。 「あの人と俺の兄貴、ちょっと知り合いみたいで、昔から時々だけど会った事あるんだ」 「え゛、ツバキちゃんとお兄さん知り合いなの?だってツバキちゃんって元─……」 「おい一ノ瀬、ヒソヒソ喧しいぞ。お前も俺とお話したいのかー」 「ちがうよー!先生ってイケメンだよねぇ〜って話を伊縫くんとしてただけー」 「ば……っ、ちょ、俺を巻き込むなよ!」 いきなり共犯にされ、……いやまぁ共犯ではあるが、ちょっと一ノ瀬を恨んだ。 「真宏ちゃんはそんなに前に出て俺とお話がしたいのかな?」 「違いますって!い、一ノ瀬くん!」 焦って一ノ瀬を見れば、「ごめーん」と謝る気無さそうな顔で言ってきた。 「ねー先生ー、真宏ばっか構ってないで一ノ瀬も構ってあげなよ〜」 ハゼがイタズラ顔で一ノ瀬を見つつ言うと、一ノ瀬は「げ、枦木め……」と恨めしい顔をする。 救ってくれたハゼに感謝の意味を込めて、笑顔を向けると、ハゼはニヤッと笑った。 「真宏はね、次の中間テストで数学九十点以上取りますって言ってるから許してあげてっ」 「ほぉ〜、言ったな?取れなかったら何してくれるんだ?」 「は、ははははハゼ!!こら!!!」 慌てて立ち上がりハゼを止めようとすると、ハゼが勝手に「ん〜」と考える。 久我が真宏を振り返ってきて、楽しそうに言った。 「坊主で良いんじゃね」 「は、はぁーーーーーー!?」 「真宏の坊主はやばい、ウケる」 「ほぉ、良いな伊縫の坊主姿俺も見てみたいわ〜」 ツバキ先生は何故か乗り気になってしまい、クラスも一ノ瀬を初めとして何でかウキウキしはじめている。 「じゃ、じゃあ、一ノ瀬くんも!!」 「へあ!?」 余裕ぶっこいていた一ノ瀬の腕を掴み先生を見る。 「一ノ瀬くんも、九十点以上取れなかったら坊主にします!!ね!!一ノ瀬くん!!」 ふんす!と鼻息荒く一ノ瀬に詰め寄ると、真っ青な顔した一ノ瀬は、「.......お、おれ.......すーがく.......十点以上とったこと.......な、ない.......」と震えていた。 「いーぞー伊縫〜もっとやれ〜」 周りの生徒からそんな言葉が次々飛んできて、一ノ瀬は「ま、マジ勘弁だって!!せめてじゅ、十五!!」なんて引き下がっていた。 「がちがちの赤点じゃねぇか。んじゃ一ノ瀬は赤点回避出来たら許してやるよ」 「はあ!?なんで俺だけ九十以上なの!?」 理不尽じゃないか!!そんなのフェアじゃない!! 「そもそもの基準値が、お前と一ノ瀬じゃ差があり過ぎんだよ。伊縫の最高点たしか七十三辺りだったろ。一ノ瀬見てみろ、最高点十の最低点ゼロだぞ」 最早点数と呼べるのか.......俺は毎回何を数えさせられているんだ?とツバキ先生は頭を抱え初めてしまった。 「……というわけで、伊縫、一ノ瀬、期待してるぞ」 ツバキ先生からの言葉にクラスが盛り上がってしまい、真宏たちは引くに引けず、逃げるに逃げられずお互いを恨んだ。 ……全ての元凶がハゼと久我だと、後に思い出しキィー!!と怒った。 「……というわけで、中間考査まであと二週間しかないので昼休みと放課後返上して勉強するので、先輩とご飯食べれそうにありません」 数学の授業のあとお昼だった為、夏休み前と同様にハゼ、久我、マオと宇佐美と共に屋上に来て皆でお弁当を食べた。 宇佐美のお弁当は真宏が作った。 「チビに嵌められてるやん、ウケる」 「ホントですよ!!俺は許さないからな!!坊主になったらハゼも坊主だから!!」 「いやいやいや、坊主案出したのは隆ちゃんでしょ〜!?」 「まぁでも伊縫なら坊主も似合うんじゃねぇか?美人は坊主にして初めて分かるって言うし」 マオの唐突な言葉にぼふっと顔が熱くなる。 「はぁい、人のもんに手ぇ出すのやめてくださぁ〜い」 後ろから宇佐美にぎゅっと抱き締められて、ちょっと弁当が食べづらい。 「まおちゃん、吹っ切れてから大胆になったよねぇ〜そっちが本性だったんだ」 「本性……って、やな言い方すんな!」 「唯一のツンデレキャラかと思ってたのになぁざーんねん」 「はあ?」 ハゼとまお先輩は前よりも何だか仲良さそう……というよりかは、まお先輩がなんか柔らかくなった気がして、微笑ましい。 久我は菓子パンを食べ終わって、早々に寝転がり携帯を弄っていた。 「久我もー食べないの?」 宇佐美から離れ、なんとなく話しかけると「おー」と空返事。 「久我も少食だよね」 「そぉか?」 「うん、あんまり食べたり飲んだりしてるの見た事ない」 「あー、食に拘りねぇしなぁ〜」 「ふぅん、それなのになんでこんな筋肉つくの?」 ガシッと腕を掴むと、とても太くてかたい。 真宏は筋トレしても筋肉がつきにくくてやめてしまった。 でも本当は兄とかを守れるぐらいマッチョの大男になるのが夢だった。 ムニムニ触っていると、「くすぐってぇな」と笑われたので手を離した。 「はぁーあ、マッチョになりたい……」 ボソッと呟けば、宇佐美が「ぶはっ」と吹き出したので睨んだ。 「真宏は真宏のままでいいよ〜筋肉ダルマはまおちゃんだけで充分」 「だァれが筋肉ダルマだ!!」 「そういえばまお先輩も筋肉ありますよね……」 じりじり詰め寄ると、パシッと首根っこを掴まれた。 見上げると宇佐美が良い笑顔でそこに居る。 「まひろちゃん変態」 「はー!?変態じゃないわ!!」 バタバタ暴れると、視界の端に少しだけホッとした顔のマオが目に入った。 なんとなく話しかけようと「まおせんぱ─……」と口に出した時、ドンッという衝撃が体に走り真宏の体は宇佐美の手から吹き飛んだ。 「いってぇ!!何!?」 ビックリして叫ぶと、どうや自分は誰かに抱きつかれているらしい。 「は!?何!?何これ誰!!」 こんな事をするのはハゼだと思ったが、視界を彷徨わせた先にハゼが居たので即違うと分かる。 宇佐美もマオも、久我もハゼも驚いた顔をして自分を見ている。 じゃあこれは誰だ?俺は誰に抱きしめられてんだ? 「ね、ねぇ……」 と声をかけると、ガバリと顔が上がって目が合った。 「い、一ノ瀬くん!?」 真宏に抱き着いてきたのはなんと、クラスのムードメーカーの一ノ瀬くんだった。 しかも、何故か一ノ瀬の両目からはボタボタと涙が出ていて真宏の胸にぶつけたからかおでこは赤くなっていて鼻水もべちょべちょだ。 「な、何どうしたの?」 号泣する一ノ瀬の体を起こして、自分も起き上がる。 一ノ瀬くんはえぐえぐ泣きじゃくりながらごちんっとおでこをコンクリートの地面にぶつけながら真宏に土下座をした。 「え!?なに!?」 ビックリして声を上げれば、一ノ瀬は真宏の声を上回る大声で叫んだ。 「勉強教えてください!!」 「えっ…………え?」 その大声にハゼが遠くで「ん゛ふっ!!」と吹き出して笑い転げていた。 「お、おれ……まじで頭悪ぃの……べ、べんきょ、ほんとできない……ぼーずやだぁあああああぁああ!!」 震えながら頑張って話していたのに、最後の方はまた号泣してしまった。 どんだけ嫌なんだよ坊主。いややだよな。わかる、分かるぞ!! 「だよね、嫌だよね!よし、じゃあ一緒に頑張ろう一ノ瀬くん!!二人で頑張れば大丈夫だよ!」 一ノ瀬くんの手を握り、キリッと顔を作ると一ノ瀬はぱあっと笑顔になって「うん!ありがとう!!」と言った。 一ノ瀬はクラスで目立つ位置の人だったから、何となく付き合いにくいかも、なんて思っていたけどそんな事無かった。 一ノ瀬くん、ちょっと可愛いのでは? ぽろぽろ泣きながら笑って、「ありがとぉありがとぉ」と真宏に縋っていた。 可愛かったのでちょっと笑った。 ・ ・ ・ 「うん、だからね、その数式では答え出ないしそもそもそれなんの数式?オリジナル?」 「おりじなりてぃは大事だから……」 「そういうの良いから」 はぁ……これはかなりやばい。やばいのでは? 今は昼休み。 数学準備室を借りて、一ノ瀬くんと二人で勉強しているのだが正直、自分の勉強よりも彼が心配過ぎて全然集中出来ない。 同じワークで同じページから始めたはずなのに、俺が五ページ進んだ間に、一ノ瀬くんは一ページ目の1問目とまだ睨めっこしていた。 暫く黙って見守っていたが、一ノ瀬が段々気分悪そうにし始めたので慌てて助け舟を出したらこのザマだ。 自分で数式は作るわ、答えは当てずっぽうだわ、字は汚いわで……もう……小学校からやり直せと言いたくなるレベル。 それでも真宏がまだ教えようと思えるのは、一ノ瀬は頑張って理解しようとしているのが分かるからだ。 真宏から教えられた事はメモして覚えようとしてるし、出来なくても、"やめたい"と弱音を吐くことは無かった。 そのせいか頭で悩むのが苦手な一ノ瀬は、こっちが声をかけてやるまで悩み過ぎて、時折顔を真っ青にしていた。 問題が解決したり、自分で理解出来るとパッと顔を明るくして「分かった!」と笑顔で言ってくる。 真面目なのかな、案外。 そう思って次の問題に進もうか、と思っていた時ちょうど昼休み終わりのチャイムが鳴った。 がらり、と扉が開く。 「よーし、進んだかぁ〜?授業始まっから出てけ〜」 職員室から戻ってきたらしいツバキ先生が怠そうに入ってくる。 「つばきちゃん!!つばきちゃん!!伊縫が教えるの上手いから、みて!!解けたんだ!ここ!これ!自分でやったの!」 一ノ瀬は嬉しそうに犬みたいに先生に駆け寄って行く。 先生はワークを見て、「おーあってるあってる、偉いでちゅね〜」なんて子供みたいに一ノ瀬の頭を撫でた。 一ノ瀬は「あー!バカにしたー!」と文句を言っていたので、思わず笑ってしまった。 「一ノ瀬くん行こう。授業遅れちゃうよ」 「うん!またね先生!俺絶対坊主なんないように頑張るもんね!!」 「へーへー、はよ行け〜」 先生は面倒くさそうにあしらった。 教室に戻る道すがら、一ノは楽しそうに話しかけてきた。 「俺なぁ〜伊縫ってもっと怖い人だと思ってた!!でもめっちゃ良い奴な!俺嬉しい!!」 満面の笑みでそんな事を言われ、驚く。 「お、俺って怖く見えるの?」 そんなつもり全然無かったし、むしろ俺の方こそ一ノ瀬くん達のこと怖いと思ってたのに……。 「うーん、変な意味じゃなくてなぁ……俺みたいな馬鹿は相手にしてくれないような気がしてた」 「そんな事絶対ないよ!!」 「うわびっくりした」 一ノ瀬が自分を卑下するセリフについ大声で反論してしまい、一ノ瀬はビクッと肩を揺らしていた。 「あ、わ、ご、ごめんね、つい……」 焦って吃ってしまう。 「ううん、これは俺の偏見だったから俺の方こそごめんな。もっと早く伊縫と話してたかった!」 屈託のない笑顔で言ってくれる一ノ瀬に、何だか嬉しくて、「お、俺も……」なんて言う。 「あ、なぁ下の名前で呼んでいい!?枦木が伊縫のこと、真宏って呼んでんのちょっと憧れてんの!」 憧れ?名前で呼ぶことに憧れとかあるのか? と思いつつも、とても嬉しいので「もちろん」と返したら、「じゃあ真宏も俺の事"旭(あさひ)"ってよんで!」と言ってくれた。 「うん、旭くん」 「えへへ、真宏!!」 名前を呼んだら友達が一人、増えたみたいで凄く嬉しくなった。 その後も旭くんとは昼休みと放課後、授業の合間合間の短い時間も席が隣のためかずっと一緒に勉強をするようになった。 時々ハゼと久我も混ざりに来るけれど、旭くんをからかって直ぐにもどっていった。 旭くんと勉強し始めてから宇佐美とは全くと言って良いほど会えていない。 時々移動教室とかですれ違った時に、「ちゃんと食べてます?」って聞いたら「でも真宏のご飯がいー」なんて強請ってくるのがちょっと可愛くて「ばか」と返しておいた。 今日の放課後も、旭と居残り自習をしていた。 「まひろぉ、わかんないいぃ……」 今日も今日とて、べそべそ泣いている。 「あーここは……」 「あれ〜、旭と伊縫じゃーん、まだやってんのー?」 ガラッと教室の扉が開いていつも、旭の周りにいる男の子達が騒がしくやって来た。 「やってるに決まってんだろー、坊主やだもん」 「お前バカだもんなぁ〜、いーんじゃね?坊主でも」 「ほらほらお前みたいなキャラだと坊主にしても笑えんじゃん」 「いっつもデコあげてほぼ坊主みてぇなもんだしな!」 何でかゲラゲラと笑う男の子達の真ん中で、旭も笑っている。 ……なんでだろう。上手く笑えない。 今の何が面白かったんだろう。 旭くんは頭は良くないかもしれないけど、そんなにバカバカ周りが言うほどじゃないと思う。 なんか、言葉に棘を感じて、あまり楽しくない。 「なぁー伊縫、コイツすっげー馬鹿じゃん?俺も前に教えた事あったんだけどさぁ、ぜんっぜん頭に入ってかねぇみてぇでもー宇宙人かよって!」 「そこまで言うことないじゃんー!」 旭は、ヘラヘラして気にしていなさそうな顔だ。 ……本当に? 「伊縫もコイツの頭は諦めて、自分の坊主の心配した方が良いんじゃねー?」 「伊縫がハゲたら女子連中悲しむぞ〜」 「隠れモテ男だからなぁ〜」 なんだろう、そんなのどうでもいい。 モヤモヤする、なんだろう、……なんでだろう。 「ちょっとー、真宏まで巻き込むの止めろって」 「ま、いーや。それより旭、カラオケ行かね?人足りねぇーんだよ、女子呼ぶしツラとノリが良い奴一人欲しくてさぁ〜」 「そーそ!これ以上伊縫の邪魔すんのもやめて来いよ」 ああ、なんだろう。 なんかわかった気がする。 イライラする。 すっごい、イライラする。 「……そ、そうだね。からおけ、……行こうかなぁ〜!」 旭くんは皆の言葉に何かを察したように勉強道具を片付けようとしていた。 周りの男子はまだ騒いでいる。 こういう空気、本当うるさくて、.......うざったい。 旭くんの片付けをする手をパシッと掴んだ。 「まひろ?」 驚いた声を出す旭くんを見つめた。 「旭くんは馬鹿じゃないよ。ちゃんと問題も解けてたし、ワークもしっかり進んでる。俺は迷惑だって思ったらちゃんと、迷惑ですって相手に言えるよ。旭くんに言ったことある?」 ぎゅ、と手首を掴むと、旭くんは「え……」と驚いた顔をしたまま固まる。 すると周りの男子がやんややんやと言ってくる。 「伊縫〜、別にそいつの事庇わなくても冗談だぜ?」 「いつものノリよノリ!伊縫はほんっと真面目だなぁ〜」 そんな言葉が聞こえ、ぷつん、と何かが切れた瞬間、ガラッと扉が開く音がした。 「おーいお前らいつまで残ってんだ〜、閉めちまうぞ〜」 ツバキ先生が入ってきて、男の子たちは「げー、ツバキちゃんだぁ〜」なんてぶーぶーへらへら文句を言って先生に絡みに行っていた。 先生が追い返したのか、廊下から「旭ー!いつもんとこで待ってんぞー!」と男の子達の声が聞こえてそのまま足音が遠ざかって行った。 真宏はずっと旭の腕を掴んだままな事を思い出し、ハッとして手を離した。 「ご、ごめん旭くん!俺、余計なことして……」 もし本当に旭くんが俺より彼らと遊びたかったとしたら、まじで申し訳ない事したな……。 そう思って少し旭を覗き込むと、旭は黙ったまま俯いて、ボタボタと涙を零していた。 「……あ、旭くん?ごめん、そんなにカラオケ行きたかったのか、ごめん。勉強より、その方がいいよね、ごめんね……」 謝りまくってポケットからハンカチを出すと、ツバキ先生が足早にこちらに来て旭に声をかけた。 「旭、呼吸しろ」 「……え」 先生の言葉に思わず真宏の方が声を出してしまった。 旭くん、呼吸してないの? 「旭、大丈夫。呼吸して、声出して泣きなさい」 ……あ、それ……俺も、宇佐美に言われた事ある……。 慌てて先生と反対側に回り、旭の手を掴んだ。 「旭くん!旭くん、大丈夫だよ、ゆっくり息しよう!!」 近くに行くまで気づかなかったが、旭は呼吸が止まってるわけじゃなくて、ひゅっひゅっ、と浅くなっていた。 握った手は冷や汗をかいており酷く冷たくて僅かに震えている。 それでも尚、旭の目から涙が止まらない。 「旭くん、旭くん、大丈夫だよ」 何でか真宏が泣きそうになった。 いつも明るい旭しか見た事がなくて、みんなに愛されてて笑顔で、先生達からも好かれてると思ってた。 だから、こんな旭を見た事がなくて真宏はどうすればいいかパニックになった。 すると先生は旭を抱き締めて、背中をぽんぽん撫でてゆっくりと旭に話しかけた。 「……旭、嬉しかったんだろ。伊縫が守ってくれて。良かったなぁ」 ……え?俺が守った……? いや俺は邪魔しただけで……、 「大丈夫だ、旭は馬鹿じゃねぇよ。お前を馬鹿だと思った事なんて一度もねぇよ、旭」 語りかける先生の声音が酷く優しくて、段々旭の心を溶かしているのが分かる。 旭は先生の腕の中で、徐々に呼吸音を大きくさせていた。 ひゅっひゅ、という苦しそうな音が、ハッキリと分かるほどに。 痙攣してしまうのでというほど、旭は震えていて痛々しい。 いつの間にか真宏の手を旭が目いっぱいの力で握り返していて、苦しさが伺える。 「大丈夫だ、お前がいつも頑張っているのを俺も伊縫も見てる、落ち着きなさい」 徐々に呼吸が荒くなった旭は、またぼたぼたと涙をこぼしながら今度は少しずつ声を出し始めた。 「……っぁ、ひゅ、……まひ、……、ま、ひろ……ッ」 苦しそうな声で名前を呼ばれ、反射的に「は、はい!」と姿勢を正して返事してしまい、先生に「ぶはっ」と笑われた。 「ま、……ぃろ、ッひゅ、……けほっ、ゲホッ」 咳き込んでしまって喉が痛そうだ。 先生はゆっくり旭の背中を撫でてあげていた。 落ち着きを取り戻したらしい旭は先生の腕の中でぐったりとしてもたれかかっていた。 今もまだ真宏の手を旭が握っている。 「……旭くん」 なんて声かければ良いかわかんなくて、とりあえず名前を呼んでみた。 すると旭は、へらっと笑った。 「……ごめんねぇ。俺、時々こーなっちゃうの」 汗で顔に張り付いてる髪を退かしてあげつつ、ハンカチで拭ってあげた。 「……ありがとぉ……」 弱々しく呟く旭は次第に瞼をおろして、すぅすぅと寝息を立てていた。 その様子を見た先生は、「はぁ……」とため息を吐いて脱力した。 「……せ、先生……」 そう呟くと、先生は手で真宏の言葉を制止するジェスチャーをした。 「今日はコイツの家族に連絡取って帰すから、荷物纏めてやってくれ。とりあえず保健室までおぶってくっから」 慣れたように言う先生に疑問を抱きつつも「は、はい」と返す。 先生は旭をおぶって教室から出ていった。 教室に一人残された真宏は、言われた通り旭の荷物を片付けて考える。 ……あれは……パニック?過呼吸……だったよね? 真宏も過去に一度、なった事があるから何となく分かる。 旭くん……。 いや今は何を考えてもただの推測に過ぎないよな。 先生が話してくれると思うし、それまでは……。 旭の荷物を片付け、自分のも片して足早に保健室へと向かった。がらり、と音を立てて保健室の扉を開けると、保健室の先生と話していたツバキ先生は「おー悪ぃな」と言いながら真宏からカバンを取った。 「旭くん、大丈夫ですか?」 「眠ってっからとりあえず大丈夫だわ。伊縫、ちょっと話しあっから数学準備室行っててくんね?時間ある?」 「大丈夫です、分かりました」 背を向けて教室から出る時、先生と保健室の先生が再び難しい顔で話をし始めていた。 しかし、立ち聞きするわけにも行かずに、室内から出る事にした。 旭くんは、大丈夫だろうか。

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