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第3話
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その日の放課後、春樹はプールサイドで水泳部員たちを前に生田から紹介されていた。
「新しい新入部員で、僕と同じクラスの西山春樹くんです。みんな、西山くんが分からないことがあったら教えてあげてね。西山くん、何か一言どうぞ!」
そう言われて一歩前へと背を押される。
春樹は少し考える動作をしてから、「……あぁ」と何か思いついたのか部員たちを見ながら、
「特にないです。よろしく」
と潔く言うものだから生田は「えぇぇ!?」と叫ぶとともに部員たちのにぎやかな笑いが沸き起こった。
春樹は軽く頭を掻く。べつに笑いをとるつもりはなかったんだけど。
そして水泳部らしく生田が先頭に立って準備運動を全員で行う。
「こういうところは部活っぽいよなー……」
春樹のつぶやきに、隣の女子部員はくすりと笑って「一応部ですし、部員に怪我があったら困りますからね」と返してくれる。
「……確かに」
そうぼんやりと返しながら、その笑い方を律と重ねて見ていた。
*
準備運動が終わると、しょっちゅう放課後に学校を抜け出すことで有名な顧問が部員たちの指揮をとる。
「よーし、じゃあ新入部員が入ったことだし、久々にタイムでも計るか!」
その言葉に部員たちは「えー」とブーイングするが、生田は前向きだった。
「確かに西山くんの泳ぎ見てみたいし、タイムも知っておきたいな」
「えー……別に俺はいいよ。まったり泳いでるだけでいい」
「まぁそう言わず一回だけ! ね?」
生田には先ほどの借りがあるため、それ以上拒むことはできなかった。
しかし。
「え、ちょっと待って。俺だけしか泳がないの?」
いざタイムを計るとなると部員は誰一人泳がず、プールサイドで談笑しながら春樹を見ている。
生田は胸の前で手を合わせて「ごめん」のポーズをしてみせた。春樹はため息をつく。
「わかったよ……」
そうして飛び込み台に上った時ちらりと誰のものかは分からないが白い背中を見た。その瞬間、息が詰まる。
律の背中が頭をよぎった。白くて細いあの背中に、幾筋もの古傷になりつつある赤い痕。春樹は固く目をつぶってその映像を振り払おうとしたが、できない。
「西山、大丈夫か?」
「あぁ、はい……」
顧問の声でハッとした春樹はホイッスルの音と同時に水に飛び込む。プールの冷たい水が日差しで火照った春樹の体を鎮めていった。
しかし頭の中ではずっと律のことが気がかりでしょうがない。
あの母親にどのようにして体を傷つけられたかはわからない。でも脳が勝手に色々な可能性を見せていく。そしてその度に架空の痛みが春樹を襲った。
初めて律に出会った時、綺麗だと思った。
髪だけではなかったのかもしれない。きっと律の存在が綺麗だと思ったんだろう。
でもその時にはすでに律の記憶の中にはいじめられていた記憶はあったし、その背中には傷が隠されていた。
そう思うと、昨日一日でたくさん見せてくれた律の笑顔はなんだったのだろうと考えてしまう。
つらい過去を隠すため? それともそのつらい思い出を乗り越えたから?
……あの笑顔は、心からの笑顔だったのか?
そこまで考えが行きついたとき、律の微笑みとともに言葉がよみがえった。
『僕、こうやって人に好かれたことなかったから。名前で呼ばれることも少なかったし、『家にきてもいいよ』って言われることも少なかったし。……すごいな、こんな気持ちになるんだ。嬉しくてたまらないな……』
あぁ、何を疑っていたんだ。
少なくともあの言葉に嘘はなかった。それだけで、いいじゃないか。
そのまま最後の力を振り絞るようにして水を薙いでいく。
「ゴール!」
プールの壁に手が触れて生田の声が聞こえた。春樹は水泳キャップとゴーグルを取って、鬱陶しく肌につく前髪を掻き上げた。
するとプールサイドでどよめきがあがる。
「副部長、タイムは!?」
「に、二十三秒……市の記録だけじゃなく県の記録も超えてます!」
「ウソ……! すごい、すごいよ西山くん!」
そこに顧問も笑顔で拍手をしながら近づいた。
「すごいじゃないか! 西山、大会とか目指さないか? お前の力量だったら軽く優勝は狙えるぞ!」
しかし、春樹はそんなことなどどうでもよかった。
「あ、いや……別に優勝とか速さとかどうでもいいんで……」
春樹の言葉に部員たちが再びどよめく。
「えぇっ!? もったいないよ、こんなに素質あるのに」
「それよりもさ、部長」
「え、なに?」
「まったり泳いでいい? 全力で泳ぐのは疲れたから」
春樹の言葉に、「うん……」と生田はさも残念そうにうなだれた。しかしいつまでもそうしていられないと思ったのか、パシッと両頬を叩いて頭を切り替える。
「……よし。じゃあ、ここからはいつもの通りに自由時間! みんな好きに泳いで!」
その言葉をきっかけに部員たちは自由に好きなレーンで泳ぎ始めた。こっちの方が活気があっていい。みんながいかに水泳を楽しんでいるか知ることができる。
春樹は空を見ながらゆったりと水に浮いていた。
律の背中の傷は、もう起きてしまったことだからどうしようもない。広野からの悪質ないじめも、今日までのものはすべて起こってしまったことだからしょうがない。
だったら俺ができることは、もうわかっている。
なるべく律が母親に暴力を振るわれるのを避けるために外に連れ出し、学校では広野からのいじめがないように広野をさりげなく監視する。もしかしたらもっと仲良くなれば止めてくれるかもしれないし。そうしたら各々のことは未然に防ぐことはできないだろうか。
あぁ、こうしている間にも律は背と心に傷を負いながら誰も来ない図書室で一人本を読んでいるのだろう。そうして、誰か稀に利用者が来たらあの柔らかい笑みを見せて……。
そこまで考えたら、なんか心がモヤモヤとした。俺、どうしたんだろう。
春樹は手を日差しにかざす。手についていた水がぽたぽたと優しく春樹に雨を降らした。
「はやく……雨降らないかなぁ」
ついポロッと口に出してしまってから自分のすぐ横を見ると、口をポカンと開けた生田がいて。
「あ」
ヤバいと思った直後に生田が「辞めないでぇぇぇ!」と泣きついてきたのは言うまでもない。
*
「辞めないでぇぇぇ!」
図書室の窓の外から生田の叫びを聞いた律は、読んでいた本に栞を挟んで立ち上がった。
窓の外を見れば体育館の奥にプールが半分ほど見える。ちょうどそこに見慣れた二人らしき人物を見た。
「春樹……?」
生田は春樹の腕にしがみつき、必死に振り払われないようにしていて周りの部員たちは笑っている。
笑顔の中心にいる春樹は困った様子ではあるものの、様になっていた。
律はその様子を、窓に頬杖をついて悲しげに笑って見つめる。
「かっこいいな……。それに比べて僕は……」
どこまでも陰気だと思った。あんなに輝いている場所に、自分はあまりに似合わない。
これだから、広野にいじめられていたのだろうか。
そう思うと、今まで起こってきた嫌なことはすべて自分のせいだったのかもしれないと錯覚する。
「つらいな」
律はそうつぶやいて、窓辺から目を背けた。
*
時計が午後七時を指す頃、外は土砂降りになっていた。
律は一人図書室の中で雨音を聞き、その時間にハッとする。
すでに校庭には誰の姿もない。もちろん、春樹も。
自分でも自覚がないうちに、ずっと色んなことを考えていたようだった。その証拠に、本は栞を挟んだところから一行程度しか読めていない。
いや。
「もしかしたら、期待してたのかな。春樹が来てくれるかもって」
帰る用意をしながら嘲笑する。自分は春樹に甘えすぎだと。
早く帰ろう。傘は持っている。多少濡れるけど大丈夫。大丈夫だ。
……それなのに。
*
――ガラガラガラッ
陸也が玄関の磨りガラスをいつものように開けた。
「おかえり、兄貴。って……え?」
「え……?」
そこに不思議そうな顔でこちらを見つめて茫然と立つ律の姿がある。……傘を持っているのに、ずぶ濡れの恰好で。
「おい、なにやってんだよ……傘持ってんのに」
「あれ……本当だ。どうしたんだろう、せっかく持ってったのに意味なかったね」
そう気丈にふるまって傘を差そうとして、
――バシャッ!
傘を閉じた状態で雨水が中に溜まっていたらしく、傘を開いた瞬間に律はまたびしょ濡れになった。
「あ、あはは……どうしたんだろ、僕……」
陸也はその顔を見てハッとする。泣いているように見えたのだ。そしてすぐ家の中に引き入れる。
「春にいと、何かあったのか」
そう聞いた瞬間、一瞬だけ律は目を見開いてからすぐ笑顔で動揺を隠した。
「……何もない」
「嘘だ」
「本当にないよ……。ただ、僕が勝手に勘違いしただけで」
「勘違いって?」
「……春樹は僕だけの友達じゃない。今日色んな人の笑顔に囲まれてる春樹を見てそう思った。春樹が僕のこと親友だって特別扱いしてくれてるの、本当に嬉しかったのに……僕が『釣り合わないんじゃないか』って勝手に思って落ち込んでたんだ」
「……」
陸也はじっと律の言葉を聞いていた。確かに嘘は言ってない。でも律の心の傷が他にもあるように思えた。
「そっか……。とりあえずタオル持ってくる。風呂沸いてるからある程度拭いたら入って」
「はは、陸也は本当にいい弟だなぁ」
「はいはい。風邪ひくなよ」
タオルを持って軽く律の背を叩いた陸也は、律が脱衣所に入るまでを見届けてスマホを握る。
そしてLINEを開き、『春にい』の項目をタッチした。
*
風呂上りの春樹はまだ乾ききっていない頭にタオルを乗せて自室に戻る。するとタイミングよくスマホが鳴った。
名前を見てハッとする。陸也だ。陸也から連絡があるということは律に何かあったんじゃないかと思い、素早く電話に出る。
「春にい、いま大丈夫?」
「あぁ、大丈夫」
「今日さ、……兄貴と何かあった?」
そう聞かれて春樹は真っ先に律の背中の傷を思い出した。
「いや、何もないならいいんだけど。でも、兄貴変だったから……」
「変って?」
「外、いま土砂降りだろ。それで傘持ってったのに、傘ささないで帰ってきて、ずぶ濡れで……。何かぼーっとしてる感じだったんだけど」
そこで春樹は背中の傷について話してみる。
「……律の背中の傷を見たからかもしれない」
「背中? 傷? なんのことだよ」
……え?
春樹は瞠目 した。陸也は知らないのか?
「おい、春にい。詳しく話せ、俺はそんなこと知らない」
春樹は、しまったと思った。もしかしたらこれは、律にとって他の人に知られたくなかったことなのかもしれないからだ。
「春にい、頼む。教えてくれ」
電話口から聞こえる陸也の声に、春樹はため息をついた。
「……俺の方こそ頼む、これを聞いても律の前では聞かなかったことにしてくれ」
「どういうことだよ」
「たぶんこれは……他の誰にも知られたくなかったことだ」
そうして春樹は今日あったことと律の背中の傷、そして律が言っていた言葉を順を追って陸也に話した。
それを聞いて陸也は息を詰まらせる。
「なんだよ、それ……。母さんが、そんなこと……」
「くれぐれも律に気づかれるなよ。俺は陸也に何も言ってない。陸也も、今のことは俺から聞いてない」
「……わかった」
そして会話が自然と止まった。しばらく無言が続く。そして陸也が口を開いた。
「兄貴、泣いてたみたいなんだ」
「泣いてた?」
「あと、春にいに自分は釣り合わないんじゃないかとか言ってた」
「……なんだよ、それ」
「だからさ、後で少しでいいから兄貴に電話してみてくれないか? ……これも、俺が言ってたってことは秘密にして」
「わかった」
そして二言、三言話して電話を切る。春樹はベッドに体を横たえながら自分の額に拳を当てた。
「『釣り合わない』って、なんだよ……」
***
律は風呂から上がり、脱衣所から母の姿がリビングにないか確認して二階の自室に入る。
ずぶ濡れになってしまった鞄はそのままに、ベッドの脇で両膝を折って座った。
……もう、何もできそうになかった。鞄から覗く雨に濡れた教科書を見ては、同じくらいに心がぐしゃぐしゃになる。
こんな弱い自分に再び涙がこみあげて、律は着ている部屋着の袖で涙をぬぐった。
そのとき。
「……!」
スマホが鳴った。……春樹からだった。
「どうしよう……」
泣いてることがバレないだろうか。あぁ、でも春樹の声が聞きたい。
律はしばらく心の中で葛藤した後、着信音が切れる寸前で電話に出た。
「こんばんは。どうしたの、春樹」
「……こんばんは」
そのたった一言を聞くだけで律は安心して再びベッド脇に腰を下ろす。安心して、また泣きそうだった。自然と声が震える。
「突然電話が来たからビックリしちゃったよ」
……だめだ。電話を切らないと。春樹に泣きそうになってるのがバレてしまう。
「今日は悪かった。律が知られたくなかったこと、問い詰めたりして」
「ううん、気にしないで! 本当に大丈夫だから……僕の方こそ、心配してくれたのにごめんね」
「……律、泣いてる?」
春樹の一言で言葉が紡げなくなった。
これ以上聞かないで。こみあげてくる涙を止められそうにない。
そう心の中で懇願する律の瞳から涙がこぼれる。
切らなきゃ、この電話を。
なのにその唇は裏腹に、律の本当の気持ちを紡いだ。
「――……会いたい……」
無意識に口から漏れ出る、絞り出したような言葉に一番驚いたのは律自身だ。
涙がこぼれるまま、目を見開く。そして動揺して髪をくしゃっと握った。
「あ、あれ、なんだろう。ごめん春樹、電話切るね。今のは聞かなかったことに……」
「……会いに行く」
「え……?」
「今から行くから、玄関の鍵開けといて。チャイム鳴らしたらお前の母さんに俺が来た事、気づかれるかもしれないから」
「ま、待って。もう九時近いし、しかもこんな土砂降りの中……だめだよ!」
「会いに行くって俺が決めた。俺って諦めが悪いからさぁ、律も俺を引き留めることはもう諦めろ。それじゃ、後でな」
「春樹っ……!」
律の呼びかけに、反応はなかった。
*
茫然と階段を降りてくる律に、ちょうどリビングから出てきた陸也はハッとする。律が泣いていたからだ。
「兄貴……どうした?」
もしや春樹と電話越しにケンカになったのではと、内心ヒヤヒヤする。しかし、涙を隠すことさえ忘れているらしい律はつぶやいた。
「どうしよう……」
「え?」
「春樹が、今から会いに来るって……」
「は!?」
律はぼーっとしながらぺたぺたと陸也の横を通り過ぎて、たくさんのタオルを抱えたまま戻ってきた。そして玄関の鍵を開けてから大量のタオルを胸に抱きこんだまま玄関にぺたんと正座で座り込み。
「どうしよう……」
また同じことをつぶやいた。陸也は言葉を失う。
(だいぶ重症じゃん……! ってか今からこんな雨の中来るって春にい頭大丈夫か!?)
そう思ったがすぐに頭を切り替えた。
「とりあえず、風邪ひかないように風呂追い炊きしてくる」
「うん、ありがとう……」
だいぶ頭が重症な兄たちに振り回される弟であった。
*
やがて磨りガラスの向こうに人の影が動いた。
――ガラガラガラ。
「お邪魔しまー……」
春樹は雨でびっしょりと濡れた姿で、家に入る寸前にピタリとその動きを止める。
なぜなら目の前にはどういうわけか玄関で正座をしながら、一人では使いきれないほどのタオルを持った律がいたからだ。顔までタオルで埋まりそうである。しかも未だ乾いていない涙の跡がその頬にあった。
「えーっと、予想の斜め上を行く出迎えで言葉が出ないんだけど」
「春樹……、僕のせいで本当にごめん……」
そう言いながら律は自分が持ってる大量のタオルの中から一枚取り出して、自分の涙をぬぐった。そしてそれを冷静にツッコむ春樹。
「あ、それ俺にじゃなくて自分で使う用?」
そこに陸也がリビングから新聞紙を持って現れる。
「よう、春にい。早く入れよ、こっちまで寒いだろ」
「あぁ……。いや、予想外の光景が目の前にあるもんだからつい……。あらためて、お邪魔します」
そう言いながら春樹は律を指さし、開け放たれたままの玄関の戸を閉めた。
「俺だって予想外すぎる状況に頭ついていかなかったっつーの。ほら、新聞紙床に敷くからこの上に立って。ほら兄貴も、いつまでも正座してないで立てよ」
「うん……」
そうして靴を脱いだ春樹が新聞紙の上に立つと、目の前に立った律がタオルの山からまた新たに一枚取り出して、タオルの山をどうしようかとキョロキョロとした。
「あー、はいはい。俺が持つから」
「あ、ごめんね。ありがとう」
するとタオルの山を春樹に持たせた律はタオルで春樹の髪を拭き始める。それを見た陸也は「客に物持たせるなよ」とその山を春樹から受け取って、しまいに行った。
「あのさ、律」
「なに?」
「髪拭くくらいなら俺も自分でできるけど……」
「ごめん、でもこれは僕にやらせてほしいんだ。これくらいしないと、申し訳ないから」
わしゃわしゃとされてる間に春樹は目のやり場に少々困ったが、あえて律をじっと見つめてみる。律は春樹からしたら美形で、しかも自分の髪を拭いてくれているその一生懸命なところが思いのほか可愛かった。
「……律、可愛いな」
「え?」
特に何を考えるわけでもなく春樹は律を抱きしめてみる。イメージとしてはテーマパークのキャラクターに抱き着くような感覚。
さすがに律もドキッとしたのか両手をわたわたと動かした。
「あ、あの、春樹、顔近いよ!」
「うん」
律からすれば春樹はかっこよくて憧れで、テーマパークのキャラクターになど感じられるはずがない。そんな人物に抱きしめられてるこの時間が信じられなかった。
「おいこら春にい」
そこにリビングから戻ってきた陸也は冷めた目で抱き合う兄たちを見る。
「なに男二人して抱き合ってんだよ、ビックリしたじゃねーか」
すると陸也を見ながら春樹は何度か律を強く抱きしめてみた。
「陸也、お前の兄貴って抱き心地いいんだな。こう……ちょうど身体にフィットするというか……」
「は、はははは春樹が近いっ……」
そこでパニックになったのか律はわけもわからずガバッと春樹を抱きしめ返す。
「お、もっとフィットした」
そう言いながらちょっと離れてる律の頭を春樹は片手で自分の胸元にピタリと引き寄せた。
「は、ぅ……」
春樹、と言おうとした律だったが、その温かでたくましさを感じる体温に触れて言葉が溶ける。
陸也は顔が赤くなっている兄を見て自分まで顔が赤くなりそうになっていた。
(おい、兄貴……! なにマジな顔になってんだよ、二人きりの時にやれよ、そういうのは!)
純情な兄弟がどんどん顔を赤くしていくことに気づいていないのか、春樹は心地よさそうにため息をつく。
「はー、落ち着く……」
そのまま数秒が経った後、沈黙を破ったのは陸也だった。
「と、とにかくだな! 風呂入れる状態だから春にいは風呂入ってこい! 風邪ひくだろ!」
「あ、風呂入ってもいいの? 助かるー。着替え持ってきて正解だった」
「わかったなら兄貴を離せ!」
そう言いながら抱き合う春樹と律を引き離す。すると律は少し切なさをにじませた悲しそうな顔をした。
「あ……」
「『あ……』じゃねぇよ……。なんだか悪いことしたみたいじゃねーか……」
……やっぱり兄たちに振り回される弟だった。
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