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第8話

 *  ……真夜中。春樹の両親も眠りについた頃、電気を消した春樹の部屋で二人はベッドの上に座っていた。  律は静かにベッドの縁に体を預けながら、脇にある出窓から外の景色を見つめている。遠くに見える海には三日月の光が降り注いでいた。 「そんなにめずらしい?」  春樹は少し笑って、律の隣に座り直す。  律は月明かりを見ながら「うん……」と心がここに無い様子で答えた。  その様子を見て春樹は律の頬に手を当ててこちらに顔を向かせ、数秒間のキスをした。 「景色もいいけど、今は俺を見て」 「……っ」  律は春樹の顔を見つめては、わずかに顔を赤くして視線を逸らす。その様子に少し不満げな顔をする春樹。 「嫌?」 「嫌じゃ、ないよ……。でもなんか今は気分がその……変っていうか」  するとするりと春樹の手が律の着ているシャツの前に入り込んでボタンをはずし始めた。  その行動に思わず目を見開いて再び春樹の方に目を向ける律。 「ちょっ……春樹」 「……だめ?」  そう聞く春樹の目は完全に男の目をしている。自分も男なはずだけど、不思議と自分とは違う……まるで大人の男のような目だと律は本能で感じた。  ――――これは、一線を超えようとしている。  そのことに律はごくりと唾を飲み込んだ。  こんなにも今までずっと夢見ていたことなのに、いざその場になると何故か胸の高鳴りや動揺が出てくる。  そう思っている間に春樹は律のシャツのボタンをすべて外し終えていた。そしてそのままじっと律を見つめる。  いつの日かの雨の図書室でのようなことはしない。いくら律のことが欲しくても律が自分を求めるまでは、これ以上何もしない。  春樹の閉じた瞼の裏にあの時の怯えた律の表情が浮かぶ。もうあんな顔をさせてはいけない。幸せにすると、自分が言ったのだから。 「……春樹?」  いつの間にか苦々しい顔をしていたのだろうか。律が不安そうな目でこちらを見ていることに気づくと、愛しさで目じりが少し下がった。  そんな春樹の微笑みは、月明かりに浮かぶと何故か無性に胸が苦しくなるような……まるで切なさを彷彿させる。  律はそれを先ほどの自分の態度のせいかと勘違いして焦って言葉を探した。 「違う……違うんだよ、春樹。僕は春樹とその……こういうことするの嫌なわけではなくて、でもなんだか今異常に胸がどきどきしてて……」 「わかってる」  それでも春樹の表情は変わらなかった。  律のなんとなく胸に居座る不安は拭いきれず大きくなって、どうすれば普段の春樹の表情に戻ってくれるか必死で考えた。  そして。 「あ、あのっ……目、閉じて……?」 「ん? うん」  律の両手が春樹の両肩を掴み、ほんのわずかに震えている律の唇が春樹の唇に重なる。  律が自分を求めるまで、と思っていた春樹だが想像より上の律の愛情表現に驚いて目を見開いた。  するとサッと身を引いた律は顔を真っ赤にしながら、それでも顔を見られないようにと月明かりからその表情を手で隠す。  春樹は少し積極的だった律の行動に未だ驚いたまま、何も言わずにいると。 「背中は……見ないで」  少し乱れているシャツから律の肩が、素肌が覗いた。そしてそう一言呟く律はやけに艶やかで色っぽかった。  春樹はその姿に見とれてから少し遅れて言葉を返す。 「なんで?」 「こんな背中見たって、いい気持ちにならないでしょ?」  律は表情に影を湛えて苦笑した。  すると、春樹は真剣な顔つきで律のシャツを剥ぐように下ろして月明かりにその背中をさらけ出す。 「!? 春樹、いやっ……」  春樹は改めてその白い背中に刻まれた幾筋もの生々しい傷跡を見て、辛そうな表情で唇を引き締めた後。 「そんなことない。俺は、この傷跡も含めて律が好きだから」  そしてもうこれ以上癒えることのない傷跡に軽くキスを落とした。 「……!」  律はその瞬間驚いたように目を開いて俯き、その瞳にじわりと涙が浮かぶ。  わかっている。  わかっているんだ。  刃物が怖くて、切ってしまったところから血を見てしまうと呼吸がおかしくなるのも春樹は優しく受け入れてくれた。  だからもしかしたら、この傷ごと自分を愛してくれるんじゃないかって。  でも同時に怖かった。  もし心のどこかで自分の傷跡を気持ち悪いと思っていたらと。  その懸念は拭いきれぬまま、それは春樹を信じていないということにならないかと自分を何度も責めたこともある。  だけど、そんな心配いらなかったんだ。  それが嬉しくて、本当に嬉しくてどうしようもない。  律は涙をこらえきれず目元を服の袖で覆った。  すると春樹は驚いたようで律の顔を覗き込む。 「えっと……ごめん。そんなに嫌だった?」  律はそんな春樹の様子を見て笑った。 「ううん、嬉しくて」  そして儚げに笑ったかと思えば急に色気のある表情に変わり、二人は互いに唇を奪い合う。  すると勢いのまま春樹は律をベッドに押し倒し、その体を組み敷いた。しかし、その瞬間。 「っあ、ちょっと待って!」 「!」  叫ぶような律の震える声に、脳の芯が冷たく凍った。  よく見れば、律のその指先は震えている。  また俺は、同じ過ちを犯したのか? 「律……?」 「ごめん、なんでだろ……。こうされる事が夢だったはずなのに……。本当に自分がわからなくて……」  ――――律は一線を超えるのを怖がっている。  春樹は瞬間的にそう感じた。『こうされる事が夢だった』、その言葉が本当だとしても。  それを察して、あの雨の図書室の二の舞にならぬようにとそっとその体を抱きしめる。壊れ物を扱うように、慈しむように。  すると肩口で泣きながら震える声が聞こえた。 「春樹、こんな僕を嫌わないで……」 「……嫌わない。俺は大丈夫だよ」  そうは言うが、内心律を抱けなかったことは残念だった。まるで、拒絶されたようで。律を自分のものに出来なかった気がして。  それほどに、自分の独占欲は膨れ上がっているのか。  ……そんな自分にも辟易した。  こんな時はどうすればいい? 自分を鎮めて、律を安心させるには。  目を閉じる。そして穏やかに笑った律の顔を思い出した。  ……そうだ。  春樹は震える律を安心させるようにその背中を優しくなでた。 「律、音楽の話でもしようか」 「音楽……?」 「家にもう弾かなくなったアップライトピアノがあるんだ。それをあの海辺の図書室……『海の図書室』でいいか。あそこに運ばないか?」  そう言って目を輝かせながら律と少し体を離してその顔を見つめる。  ……とんだ思い付きだった。でも、次第に目に光が灯っていく律の顔を見たら、間違いじゃないと思えた。 「え、ピアノ……なんで?」 「律だってピアノの練習しなきゃならないんだから、あそこの方がよくないか? 家には母さんいるんだし」 「あ、そうだよね。でもっ……」 「遠慮はいらない。あー、それともあの場所が知られるのが心配、かな」  律の答えは遠慮と心配、そのどちらもだった。 「でも心配要らないと思うな。運んでもらうのを頼もうとしてるのは調律師の俺の叔父さんでここから隣の隣の隣の……隣? まぁそんくらいの街に住んでるし口が堅いからさ」 「そんなすごい人に頼むなんてなんだか申し訳ないよ」 「じゃあどうやって運ぶんだよ、あのピアノ」 「それは、うーん……それもそうだよね」  そうして少ししてから急に律が口元に曲げた人差し指を当ててくすりと笑った。 「春樹は優しいね。僕を和ませようとしてくれたんでしょ」  涙をぬぐいながら発せられるその言葉が図星で何も言えずに春樹は頭を掻く。 「さっきは本当にごめんね。正直言って怖くなったんだ。情けない僕を許して」 「『許す』とか『許さない』とかの問題じゃないだろ。俺がいきなり押し倒したのが悪い。謝るな」  律の表情は泣き笑いのようだった。 「ん、ごめん」 「だからー」 「あ、じゃあその代わり……って言ったら変なんだけどちょっとやってみてほしいことがあって」 「なに?」  すると律が顔を赤らめたのがわかる。月明かりが照らしてくれているからだ。 「腕枕……されてみたい」  ぽつりと落ちた言葉。春樹は間の抜けたように少し驚く。 「え、それだけでいいの」 「うん……いい?」  不安そうな瞳がこちらを向くものだから春樹は笑って、ベッドに寝そべって片腕を投げ出した。  そしてできるだけ優しい声で言葉を発する。 「……おいで」 「……っうん」  息を飲んだのがわかる律がおずおずと春樹の二の腕あたりに頭を置いた。  春樹はそれを確かめて投げ出していた腕を曲げて律の頭をなでると、「もっと」とでも言うように心地よさそうに笑った律が体ごと春樹に寄せてくる。  それが可愛くて春樹はつい、何度目かのキスをその唇に落としたのだった。  * 「……ん」  次の日、朝の光で春樹は目を覚ました。  そして片腕にかかる重みを感じて、腕枕をして寝かせていた律の顔を見る。  その顔は今まで見た中で一番幸せそうで自分までも幸せな表情になった。  すると、「ん……春樹?」そう言いながら律も目覚める。  春樹は柔らかい声音で「おはよう」と言うと、律は甘えるように春樹の胸に軽く頭を擦りつけながら。 「まだ、このままで居たいな……だめ?」  と、可愛いわがままを言う。 「……いいよ」  そうして春樹は律と共に暖かなまどろみの中にもう一度堕ちていく。  これが律を抱けた日の朝ならよかったのにと、静かな欲の海に足を踏み入れながら。  ***  その日からの夏休みの日々は穏やかで幸せなものだった。  *  とある日、春樹は滝のような汗を流して遠野家の前に大きな荷物を運んできていた。  玄関のチャイムを震える手で押す。すると数秒してから玄関の向こうに影が動いた。 「はい」  律の声だった。春樹はその声に安堵を抱えつつ息も絶え絶えで「俺」とだけなんとか言うと素早く玄関の鍵が開く。 「春樹! って……チェロ持ってきたの!?」 「おう……悪いんだけどちょっと休ませて……」  突然の訪問だった。  * 「なんだよ春にい、バテてんのか?」  リビングのソファに体を投げ出している春樹に陸也は冷えた麦茶を渡した。 「おー……。見ての通りだー」  陸也は小さく「……ちぇっ」とうなだれる。 「春にいに勉強、教えてもらおうかと思ったのに」  その言葉にピクリと春樹は反応した。 「勉強?」 「そ。夏休み明けに大事なテストがあんだよ。春にいが勉強教えてくれたら、学年一位とれるかなーって……」  その瞬間にソファから飛び降りた春樹は陸也に詰め寄った。 「おい陸也、勉強やるぞ。教科書は、テキストは!?」  その速さに若干引いてる陸也は押され気味の姿勢のままで、 「切り替え早っ! つーか、元々何しに来てたんだよあんた……」 「あ、そうだった」  そこにちょうど律が楽譜を持って現れる。 「律、ごめん。連絡し忘れてたんだけど」 「ん、なに?」 「今夜、ピアノが『海の図書室』に来る」 「え!?」 「連絡しなくてごめんな。あとわざわざ夜なのは、その方が人目避けれていいかと思ったんだよ」  申し訳なさそうに謝る春樹に律は首を横に振った。 「いいよ、もう謝らなくて。確かにビックリしたけど……これで練習ができるんだ。楽しみだな」  嬉しそうな律の顔を見た陸也は両手を頭の後ろで組んで、楽しそうに言う。 「俺、兄貴たちの演奏聞きたい。練習頑張れよ。俺もテスト頑張る」 「うん!」  すると何か思い出したように陸也が自室へと向かっていった。  春樹と律は不思議に思いながらも目を合わせ、笑い合う。 「これで春樹と一緒に練習できるんだね。陸也に見せるって目標もできたし……僕、なんだかもうワクワクしてるみたい」 「俺も」  そして、「春にい!」と戻ってきた陸也の手には一つの鍵があった。  それを見て律は目を見開く。 「陸也、これって……!」 「あの海辺の図書室の鍵。俺あんまりあそこ行かなくなったからさ、春にいにやる。言っとくけど……信頼の証だから」  そうして斜め下に視線を向ける陸也の顔は少し赤かった。  春樹は大事そうにその鍵を受け取る。 「ありがとな。これは俺も本腰入れて勉強教えなくちゃ」 「頼むぞ、春にい。そして満点のテスト用紙見せてやるからな!」 「ハードル自分で上げるね、陸也……」  律の苦笑に陸也は自信たっぷりと笑って見せた。  *  陸也の部屋で春樹は勉強を教え、律は扇風機を回したり飲み物を時折持ってくるなどサポートにまわり。  春樹が思うに、律の言っていた通り陸也は頭がよく、読み込みが早く感じられた。これは、教え甲斐がある。  そしてこれから夏休みが終わるまで午前中は勉強を教える約束を陸也と交わした時。  突然、春樹のLINEが鳴った。  *  外に出れば軽トラにピアノを乗せた久々に見る叔父の顔。 「よぉ、春樹。大きくなったな」 「そんなに変わってないよ、叔父さん。今日はありがとな」 「いや、ちょうど姉貴たちの顔も見に来ようと思ってたところだったから。ちょうどよかったよ」  そこに遅れて律も出てくる。 「こ、こんばんは。遠野 律といいます。なんとお礼を言ったらいいか……」 「そんなにかしこまらなくていいよ、律くん。このピアノも喜ぶさ」 「ありがとうございます!」  布にくるまれてはいたが、厳重に運ばれてきたピアノを見て嬉しそうな表情をした。  すると春樹は遠野家の玄関からチェロを持ってくる。 「あのさぁ……これも乗せてくれると助かるんだけど……」  すると春樹の叔父は思わず笑った。 「こんなでかいのをあそこから運んできたのか!? なかなかやるな」 「そりゃどーも」 「うーん、この辺りなら乗せてもいいかな。どれ、貸してみろ」  そうして軽トラにチェロも乗せられる。 「で、これをどこに持ってけばいいんだ? 聞いた話だと二人だけの秘密の場所だとか?」 「まぁそんなとこ。誰にも秘密な。叔父さんのこと信頼してんだから」 「わかったわかった。で、どうする?」 「ここから先の、堤防をまたぐように建てられた不思議な形をした建物。そこに持って行ってほしい」 「あぁ、そういえばここに来るとき見かけたような」 「俺たちも走って追い付くからさ、先行っててくれない?」 「わかった」  *  そうして軽トラは出発する。律が陸也に家を頼むと、春樹は律の手首を引いて体ごと引き寄せて笑った。 「行こう」 「……うん!」  そうして二人は月の光が道を作る海沿いを笑顔で走り出す。絆が『音楽』というものでさらに結ばれていく、そんな気さえした。  しばらく走っていくと『海の図書室』前に軽トラのランプがほのかに見えた。  * 「さすがに……疲れた」  どうにか男三人でアップライトピアノを階段上のこの『海の図書室』に運び込み、調律を終えて。叔父と別れた後に春樹はどかっと本棚の前に大の字で倒れこんだ。  それを見た律も汗を拭いながらくすりと笑う。 「今日は家からチェロ持ってきた上に陸也の勉強まで見てくれたからね。それにこの重労働だもん、疲れるよ。でも……嬉しい、ありがとう」  そう言って律も春樹の傍らに寝転んだ。 「あれ、ここの床汚いんじゃなかったっけ」 「日中、春樹が陸也に勉強を教えてくれてた間にモップとか使って綺麗にしておいたんだ。だって立派な楽器も来るし」 「そっか」  そして春樹がごろんと横になって律の方を向き、キスをしかけて一度止まる。 「……鍵は?」  すると律は思わせぶるような表情で妖艶に笑う。 「もうかけた」  それを見て春樹も色気のある表情に変わり、キスを交わした。 「練習、明日からでもいいかな」  キスの途中で春樹がそう遮ると、 「いいよ。だから今は僕を見て」 「……ん」  ねだるように律からキスをする。  それ以上のことは、この日もしなかった。  *  翌日。  午後の『海の図書室』からは二つの音色が途切れ途切れに響いていた。  ある程度ピアノの練習をした律はそっと背後にいる、初めて見るチェロを奏でる春樹を見つめた。  深みのある良い音を奏でるその姿は見惚れるほどかっこよくて、その姿を独占しているのが自分だけだということに胸が高鳴る。 「……律」 「えっ」  突然名前を呼ばれてビックリすると、真面目な顔つきの春樹が楽譜を指さしていた。 「途中まで合わせてみないか」 「あ、うん。そうだね。でもどうやって一緒のタイミングで入ろうか……。僕は背中を向けているから目は見合わせづらいし」  その言葉に春樹は笑ったようだった。 「呼吸だよ。お互いの呼吸を合わせるんだ。まずは俺の呼吸を聞いて入ってみて」 「やってみる」  正直律に自信はなかったが、自信のありそうな春樹の言葉に自分を叱咤する。  そして静寂の中。 「……――――」 「……!」  春樹の呼吸が聞こえ、静かなチェロの旋律とピアノの伴奏が同時に呼応した。  律は初めての感覚とその心地よさ、衝撃に身を震わせるが、旋律は止まらない。音楽はとめどなく流れていく。律は置いてかれないように伴奏を続けた。  しばらく演奏は続き、次に律がメインの旋律を弾く所で音の流れはスッと余韻を残して止まる。  律は両手の指が震えていることに気づいた。  春樹はそれに気づくことなく、「おー、なかなか初めてにしてはできたな」とのんびり言うが。 「春樹……、どうしよう」  律の震えた声にすぐ視線を向ける。すると泣きそうな顔の律が胸の前で震える両手を握りしめていた。 「こんな感覚、初めてだ。呼吸があった時の瞬間とか、誰かと旋律が混ざり合う気持ちよさとか……こんな経験初めてで、全身の震えが止まらないんだ」  すると春樹は一旦チェロを置き、律を抱きしめる。 「音楽って、楽しいんだな。俺は音楽を嫌になりかけてたけど、律がそんな俺に音楽の楽しさをまた教えてくれた。ありがとな」  お礼を言うのは僕の方なのに、と言おうとした律だが言葉が喉につまって出なかった。ひたすら、涙が流れる。 「あり……がと」  言えたのはそれだけだった。  *  夏休み中盤。陸也の勉強の出来はこの時点でかなり良かった。 「すげーじゃん。このページも全問正解」 「っしゃあ!」 「たまには休憩もしなよ、陸也」  勉強する二人に麦茶を持ってきた律が陸也に言うと、陸也は宙を見ながら楽しそうに言う。 「前からそうだったって言えば間違いじゃねーんだけど、最近もっと勉強が楽しくてさ」 「そっか。陸也はやっぱりすごいね。春樹のおかげでもあるのかな」 「ま、まぁな」  そして照れながらぶっきらぼうに言った陸也は真面目な顔つきになって春樹を見据えた。 「……あんた、絶対教師になれよ。こんなに教え方上手いんだ。本当に、俺の通ってる学校の先生よりわかりやすい。俺が保証する」  その言葉に、春樹は腕を組みながら苦笑する。 「そうだなぁ。陸也の保証があるなら教師になる勉強もしないとなぁ」 「春にいも……頑張れ。俺も頑張るから」 「……おう」  二人の会話を聞きながら律は微笑して、数秒後思い出したかのように手を叩いた。 「そうだ春樹! 今日から演奏の練習するとき、これ使わない?」  そう言って持ってきたのは、かなり古い大きめなカセットレコーダーだった。 「……」 「これで練習を録音してくんだよ! どう?」  陸也は顔を歪ませる。 「『どう』って……今どきカセットレコーダーなんて使う高校生、兄貴くらいじゃねーの」 「う、うるさいな! 父さんの部屋にあったんだよ! それに流行は巡り巡ってくるものなんだからいつかカセットレコーダーだって……」 「はいはい、わかったわかった。それ使おう。録音できるカセットはあるの?」  春樹の問いかけに律は「あるよ!」と嬉しそうに言った。  それから二人の演奏の様子は録音されていく。  *  夏休み最後の日。 「りーつー。いま間違っただろ」 「ははは、ごめん。つい」  そんな会話までも録音されている環境の中、律のLINEに陸也からメッセージが来た。 『どう? 俺聞きに行っていい?』  ……演奏の件だ。 「春樹、陸也が演奏聞きに行ってもいいかって……」  律の言葉に春樹はチェロを抱えながら渋い顔をした。 「んー……まだしっかりした演奏ができた回数が安定してないからなぁ」 「そうだね……。じゃあ、明日! テストが終わった陸也に聞かせよう。その時には点数も出てるから……」 「え、その日に点数出るのか?」 「陸也が通ってるところは偏差値高めだけど生徒数が少ないんだ。だから希望さえすれば、ちょっと待つだけですぐに採点して返してもらうこともできるんだよ」 「へぇ……そんな学校もあるのか」 「きっとこの方がいいよ。点数がよければ陸也も気持ちよく聞けるし、点数が悪くてもその時は心の傷が少しでも癒えるかもしれない。LINE返すね」 「あぁ」  そうして、夜更けになるまで練習が続行されたのだった。

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