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第64話 ある騎士side脚の生えた人魚

白騎士団で泳法の演習があると聞いた時、俺は人魚の伝説を思い浮かべた。 団長のご令息がキリウム王子に人魚と見間違えられたという話は、もうすっかり皆の知るところになっていたからだ。 人魚伝説の頃は王子を魅了する美しさという話には大袈裟な部分もあるのではと懐疑的な人間も多かったはずだ。 しかし今年、人魚や天使の様に美しいご令息が社交界デビューしたという噂はあっという間に俺たちの関心をさらった。 それが他でもない我らが白騎士団長、スペード伯爵家のご令息だったからだ。 騎士団長は今でも充分美丈夫だが、伯爵夫人は妖精姫と名高い方だったらしい。 そんな話を俺たち騎士は酒のつまみに話してたのだが、それが生々しい話になってきたキッカケがある。 ご令息の武術の稽古に、父親サイドの圧力に負けた団長が息子達若手を何人か連れて行ってからだ。 稽古から戻ってきた騎士達は一様に顔を赤らめながら、その麗しさ、愛らしさ、輝かしい笑顔について力説した。 その上での、この泳法の演習。この国では泳ぐということを貴族はしない。唯一出来る人間と言えば噂の人魚しかいない。 そう考える仲間は多かった様で、その人魚とお近づきになれるこの権利を得るために今回の参加希望者はどれだけ競り合ったことか…。俺もその一人だが。 まぁ、反対に今も苦々しい顔の白騎士団長だが、かの方の機嫌は演習が決まってからずっと悪かった。 この演習自体、王宮からの横やりがあったとか無かったとか。 そして今日その日を迎えたんだ。 目の前でこぼれ落ちそうな大きな青い瞳を瞬かせながら、口元に柔らかい微笑みを浮かべた天使はスルリとローブを脱いだ。 さっきから見えそうで見えなかった白い素肌が俺たちの視線を奪った。 シミひとつない滑らかな背中から引き締まった細い腰、そこから続くキュッと立ち上がった丸い臀部がピッタリした服から透けて見える様だ。 俺は胸の鼓動が忙しなく打ち始めるのを感じながら、その天使、いや人魚がトンと弾んだかと思いきや、あっという間に波間に水飛沫を上げて飛び込んでいくのを呆然と見つめた。 それからの出来事は俺には現実なのか、そうでないのか今でも不確かな気がする。 人魚は顔を出してこちらに視線を送ったかと思いきや、息を深く吸い込むと水の中をそれこそ魚の様にスピードを上げて移動した。 そして勢いよく浮かび上がったと思うと、ニッコリ笑って手を振った。俺たちは皆できっと締まりのない顔で手をふり返したと思う。団長が睨みつけてきたから、たぶん。 次は手を大きく回し、足からも水飛沫を上げながら先程よりスピードを上げて泳いだ。 俺たちは魅入られた様に人魚を凝視していた。 最後に水飛沫のないゆっくりした動きで俺たちのいる岸へ泳ぎ寄ってくると、長い髪を胸元に滴らせながらすんなりと伸びたそのたおやかな肢体を地上に現した。 俺たちはもう誰も笑ってなかったし、只々その輝く、脚のある人魚のごとき姿に目を奪われていたんだ。 胸を高鳴らせて、身体を熱くしながら…。

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