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第96話 ヘンリック様の願い※

「…一度だけ、私に口づけてくれないか?」 僕はキョトンとしていたに違いない。 ヘンリック様は苦笑すると自嘲する様に言った。 「…我ながら諦めが悪いと思うのだが、私は昔からリオンの事を大事な弟分の様に思ってきた。 それはリオンとリュードの強い想いの間に割り込む自信が無かったから、そう思い込む様にしていたんだ。 …本当はリオンの事を好きだった。 だから婚約の話を聞いた時に酷く落ち込んでしまって、はっきり自分の気持ちが分かった時には遅かったんだ。 そしてその後悔は、今も私を責め立てる。 もう終わりにしたいんだ。リオンをもう一度弟分として大事にしたい。 この恋心を昇華するためにリオンに口づけてもらいたいんだ。…ダメだろうか。」 ヘンリック様はそう言うと項垂れてしまった。 僕は無意識に手を伸ばすと、ヘンリック様を抱きしめた。 「…ヘンリック様。僕、知らぬ間にヘンリック様を傷つけて居たんですね? あの幼い日の僕にとって、ヘンリック様は大事な拠り所でした。あなたの優しさが、愛情が、僕に笑顔を取り戻させた…。 ありがとうございます。僕に優しくしてくださって。…僕を愛してくださって。 僕は今、愛する人が居てヘンリック様の想いには応えられないけれど、あなたの恋心に口づけを贈ることはできます。」 僕はゆっくり腕を解くと、少し潤んだヘンリック様の黒い瞳を見つめて微笑むと顔を両手で掴んで口づけた。 慈しむ様に、幼い日々の淡いヘンリック様への慕情を懐かしむ様に、ヘンリック様を敬愛する真っ直ぐな想いを乗せて。 ゆっくりとした、深い口づけではあったけれど、そこには情欲はなく、寂しさと癒しを感じた。 僕が瞼をゆっくりと上げると、ヘンリック様の目から涙が一粒零れ落ちた。 「…リオン、ありがとう。…慈しみの口づけをありがとう。私はやっと前に進めそうだ。」 そう言うと、ヘンリック様はとても美しく微笑んだんだ。 僕はその笑顔を見て少し胸が痛くなってしまった。 敬愛するヘンリック様。僕はあなたが昔も今も大好きですよ。 それ以来、僕とヘンリック様はその事について一切触れる事は無かった。 そして前より僕たちは仲が良くなって、ヘンリック様が僕を大事に思ってくれているのは相変わらずで。 恋心の昇華が無ければ、いずれギクシャクしてしまったかも知れないこの関係を、僕たちはヘンリック様の勇気で取り戻せたんだ。 そして僕もまたひとつ大人への階段を登った気がした。

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