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第34話「怪しい2人」

10月最後の月曜日に、芽依、泰清、七菜香、妻戸は集まる事になった。 いつもの酒処・霧谷に先に集まったのは泰清と七菜香で、芽依は珍しく起用されたナレーションの仕事で少し戸惑い、録音時間を伸ばしてしまった為に遅れてやってきた。 妻戸も遅れているが、元から22時過ぎまで仕事があると言っていたので仕方がない。 けれど、後30分もすれば到着する。 「おばちゃんこんばんはー!」 「あらー!いらっしゃい!」 引き戸を開けて中に入ると、相変わらず煙臭い店内の奥から女将が現れ、ふくふくと笑いながら手を振り、いつも通りの座敷席を指差した。 「あっちね!」 「はい!ありがと!」 「ゆっくりしてってねえ」 カウンターの中にいる店の店主である旦那は、会釈した芽依に軽く手を挙げてそのまま目の前で焼き続けている串焼きに視線を落とす。 店の中は少し混んでいたが、最近買った変装用のメガネとマスクをつけ、竹内メイが被らなそうな帽子を深くかぶっているからか、客は誰1人として芽依に気が付かなかった。 (月曜日なのに結構混んでる) 団体の予約が入っていたのだろうか。 平日の週初めでも、店内はそれなりに混んでいる。 ただ全体的に60代後半かそれ以上と言う年齢層しかいなかった。 午後22時半前。流石に月曜日だ。 もしかしたらここから先が人が減る時間帯なのかもしれない。 「入るよー」 ひと言そう言って、芽依は靴を脱ぎながら座敷席の襖を静かに開けた。 「あ」 「え?」 コソコソ話しでもしていたのだろうか。 少しだけ開けた襖の向こうの2人は座卓を挟んで向かい合っており、何やら顔を近づけている。 真城七菜香と、窪田泰清。 そして2人して、「まずい」と言う表情で芽依の方を見ていた。 「え。何、どしたの」 履いてきたブーツを脱いで並べ直し、座敷席に上がって畳の上に立つと、芽依は何故だか不審な雰囲気の2人を見下ろした。 「いや別に。思ったより来るの早かったなって」 「あー、うん。スタジオ近かったし?」 「そっかそっか。あ、何頼む?ハイボール?」 「明日早いから飲むのはやめとく。烏龍茶頼む」 「おう、分かった」 何だ? 何かぎこちないな。 「、、、」 いつもの泰清らしくない歯切れの悪さを感じた。 この2人自体、きっと久しぶりに顔を合わせるのだが、一体芽依が来るまで何の話をしていたのだろうか。 泰清に限って人の女、しかも荘次郎と言う自分と一番仲の良い友人の恋人に手を出す事はあり得ないだろう。 だとすれば何だろうか。 また荘次郎の事に進展があったのだろうか。 それが芽依に話せないような深刻な内容なのだろうか。 「何の話ししてたの」 芽依は泰清の隣に腰掛けながらそう聞いた。 年季の入った座布団に座り、唯一の持ち物であるサコッシュと身に付けていた帽子、メガネ、マスクを外し、ひょいひょいと座敷の隅の方に置く。 「ん?んんと、最近どうだった?的な」 「ふうん。荘次郎のことかと思った」 「いや、荘次郎のことは全然、進展がない。情報が入って来ない」 「え。そうなんだ」 それはそれで行き詰まりだ。 入ってきた出入り口用の襖を開けて、芽依は女将に烏龍茶を頼んだ。 泰清は相変わらず緑茶、ハイボール、生ビールのジョッキをひとつずつテーブルに並べ、色んな順番で飲んでいるようだ。 七菜香は可愛いらしいピンク色の飲み物で、多分イチゴオレ系の何かだろう。 「まずアレだな。一定層に森沢さんの話し出すと、皆んな嫌な顔する」 「何歳くらい?」 「40代、前半から少しずつかな。50代は聞いた人皆んな、あーごめんその話しは、みたいな反応だった」 「んー。聞いてもくれない?」 「ダメだな。何か面倒ごとってのがすぐ分かるんだろうな」 アルコールで体温の上がった泰清が、はあ、とため息をつく。 芽依自身も調べてみたが、細田翔はあの一件のとき20歳ちょうどだった。 今では32歳になっているらしい。 森沢幸穂が今現在は54歳。 だとすると、細田翔が関係していたときの彼女は42歳だ。 七菜香は30歳下と言っていたが、正確には22歳歳下の男を手玉に取っていた、と言う事になる。 今回の荘次郎と同じような出来事が起きていた12年前、芽依達は13歳くらいで、中学生だ。 まだ芸能界にも入っておらず、将来役者になるなんて全く考えていない頃になる。 テレビはアニメか子供も見られるようなドラマやバラエティしか興味がなかったし、部活が始まってからはそれもあまり見ていなかった。 彼らがこの辺の、あまりニュースにも取り沙汰されなかった事件を知らないのも無理はない。 けれど森沢と同年代で既に芸能界にいただろう人間達に聞いてもはぐらかされてしまうと言うのは中々に衝撃だ。 (そのくらい厄介なんだ。この件は) やがて烏龍茶が届くと、一応乾杯をしておいた。 芽依と七菜香もこうしてプライベートで居酒屋等で会うのは何年ぶりだった。 「あ。妻戸さんもうそろそろ着くって」 「ん、了解、、あ。ちょっとトイレ行ってくる」 「ん」 泰清の携帯電話に連絡が入り、芽依は自分も鷹夜からの連絡を確認しながら一旦トイレへと消えて行った。 霧谷のトイレは座敷席の出入り口の襖を開けて靴を履き、そのまま右に曲がって数歩歩くと先が暗い廊下があり、真っ直ぐ進んで左に曲がるとそこにある。 「、、、」 泰清は芽依が座敷席からいなくなり、妻戸に「先に飲んでます」と返信を打ってから携帯電話をテーブルに置き、また、ふう、と息をついた。 「言った方がいいんじゃないの?泰清くん」 七菜香は彼の様子をずっと見ていた。 そして、芽依がいなくなって泰清の動きが落ち着いた瞬間にそう言った。 「んんー、、」 唸るような返事をして、ゴクン、とハイボールを飲んだ泰清。 その表情はどこか曇ったものだった。 「いや、ちょっと今、アイツもさ、色々前と状況が違うからあんまり掻き回したくないんだわ」 店内にかかっている有線の音楽が、いつの間にか、芽依が数日前にリリースした「夜空」に変わっている。 ファンが待ちに待った待望の新曲。 それは、泰清が聞くと明らかに分かる、芽依から鷹夜へのラブレターのような一曲だった。 「分かるけど、でも、、後から知って泰清くんが自分に黙ってたって言うのも、メイくん傷付くんじゃないかな」 「、、、」 そのひと言は泰清の胸にドンと刺さった。 芽依が来るまでに話していた2人の会話の続きを、彼はあまりしたくはなかった。 けれど、考えなくてはならないのも事実だ。 (前と違い過ぎる) 流れてくる「夜空」を歌う芽依の声は透き通っていて、しかし力強くて格好良い響きがある。 めちゃくちゃになったソロライブすらも観に行っていた泰清からしても考えられないくらいに自信に満ちた声で、そして何より、恐れのない歌声だ。 ボロボロだった時期からここまで回復するなんて思っていなかった。 それこそ、今の荘次郎と芽依の立場が逆になっていたとしても納得するくらいには、彼は荒れていたのだから。 (メイにはもう鷹夜くんがいる。だから、そっとしておきたい) グッと、下唇の裏を噛んだ。 「もう少し考えてみるから、頼むからアイツには何にも言わないで」 泰清はじっとりとした視線で七菜香を見つめた。 「、、うん。分かった」 「ありがと」 「ううん。私はもうメイくんのことはあんまり分からないから。泰清くんに任せるよ」 「うん」 その会話が終わってすぐ、引き戸の開くカラカラと言う音がした。 きっと妻戸が到着したのだ。

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