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第44話「環境の違い」

佐渡ジェンは儚げな印象のある男で、浮世離れした美しさを持っている。 それは竹内メイとはまた違い、透き通るような中性的なものだ。 ジェンがいた頃の芽依は今と同じではあるが、今よりも重度の甘え性だった。 何よりジェンが重度の甘やかし癖のある人間で、芽依はそれにどっぷりだったのだ。 (何かあればジェンに聞くとかジェンに相談するとか多かったもんなあ。本当につまんなかったなあ、あの時期のメイ。今はまあ、やっぱ少しはマシか。こうやってあれこれ悩むし、少しは煽ったりわざと厳しいこと言っても折れなくはなったし) スプリッツァーを飲み切ると、芽依は直ぐに違うものをマスターに頼む事にした。 (何より鷹夜くんがすげーよな。皆んなに変えられなったメイの色んなだらしなさをめちゃくちゃ縛って矯正してくれてる) 初老のマスターは渡辺(わたなべ)と言い、ロマンスグレーの髪をピッシリとオールバックに固めて口髭を生やした穏やかそうな男性だ。 ふ、と芽依が手を上げると、すぐにカウンター越しにそばまで来てくれる。 もう何年かの付き合いになるが、口も硬いし何よりそこにいるのにいないかのような空気を醸し出す、従業員に徹する人間で信頼ができる人で、2人は彼に話を聞かれていても気にせず会話をしていた。 「なんか強めの、」 酔いが回ったわけではないにしろ、目が座っている状態で芽依はそう言いかけた。 「マスター、こいつのシャンディガフにして」 それを横から泰清が邪魔をする。 「はい、かしこまりました」 「おい、勝手に頼むなよ」 「いいから弱めのにしとけよ。鷹夜くんから連絡来たら直ぐ行きたいだろ」 「あ、ああ、、そっか。うん」 (素直だなあ) 「鷹夜」と名前を出すと途端に嬉しそうに口元を緩めながらコクンと頷く芽依に、泰清はまた呆れている。 スプリッツァーにしても弱めだが、シャンディガフもアルコール度数は低い。 泰清は味を変えたいのならその辺にしておけ、と芽依の代わりにマスターに頼むと、自分用にはモスコミュールを頼んだ。 夕飯はこのバー・レオナルドに来る前に撮影中の弁当で済ませてある2人は、延々と酒だけを注文している。 腹はやたらといっぱいだった。 弁当が多かったのだ。 「でもさあ、何回謝っても許してくんないんだよ。鷹夜くん、ガード硬い」 芽依は出されたシャンディガフのグラスに口をつけ、口に含むとゆっくりとそれを飲み下した。 俳優同士とは言え、自分とはまた違った良さのある顔をしている芽依のそんな動作を眺めつつ、「顔だけは良いな」と泰清は思うのだった。 「ガード硬いとか頭硬いとかじゃなくて、お前が心を込めて一回謝れば良いんだっつの」 「え。心込めてるよ?」 「鷹夜くんの思ってること全部理解した上で謝ってないだろ、それ」 「だって話してくれないし、、」 「いやまあ、そうだけど、何つーかなあ」 右手を頸に沿わせると、剃り上げたそこをゾリゾリと撫でる。 芽依は物分かりの良い奴でもあるが、こう言った、何と言うか混み入った人間同士のやり取りを分からせるには少し時間がかかる。 それに何より、泰清のような周りの人間がこうやってひとつひとつ彼に説明してしまうのも甘やかしの内に入るので、本当ならあまりしてはいけないような気がしていた。 これではいつまで経っても、鷹夜の隣に立つにふさわしい大人の男性になれないのではないかと思うのだ。 「鷹夜くんはさ、とにかく大人なのよ。だからよ、メイ。なんつーかさ、押してばっかじゃなくて、我慢も覚えろ。あと行動する前に落ち着いて少し考えろ。お前がジェンのことで色んなことが怖くなってるのは周りの皆んなも鷹夜くんも痛いくらい分かってる。分かってるけど、、その、うーん」 「?」 「、、、それっていつまで続くの?」 「え」 そのひと言に、恐ろしい程に芽依が顔を歪ませた。 泰清はそれを見て、やはりそこまで考えていなかったか、とため息を吐きたくなった。 「いつ、まで、、、」 鷹夜だって本当は言いたかったのだ。 一体いつまで、と。 (いつまでって、、何、が、?) 芽依はその言葉の意味を理解したくなくて、わざと頭を混乱させていた。 うやむやにしようと言うのだ。 まだまだ彼には耐えられないし、向き合って考えるには恐ろし過ぎるのだ。 「鷹夜くんも、いい加減にして欲しいんだと思うよ」 泰清はやはり呆れてため息をついた。 抑えられなかった。 成長したとは言え、芽依がまだまだ大人になる事、過去の自分や出来事から脱却する為に必要なものに対して向き合う気がないのだと分かってしまい、鷹夜が可哀想に思えたからだ。 鷹夜もきっと言いたかったに違いない。 一体いつまで、佐渡ジェンにつけられた傷を見つめ続けるのか、と。 「今日、どした?」 上野が帰った事を確認すると、長谷川は印刷機の前にいる鷹夜の元を訪れた。 午後22時過ぎのオフィスには、鷹夜、長谷川、今田、油島、それから現場管理の部署の数名が残っている。 全員合わせると10人くらいだろうか。 「あ、、すみません、本当に。迷惑掛けて」 「うーん、ちょっとミス多かったな。いや、資料とかは良かったけどよ、分かりやすくて。そうじゃなくてちょっとつっけんどんだったし、何かイラついてなかったか?」 「谷本家具さん来たときですよね?本当にすみません。あんまりにも態度が酷かったので、、自分のこと抑えられなくて」 鷹夜は、久々に長谷川に真剣に怒られているな、と頭を下げながら考えていた。 基本的には彼は怒られる事をしない。 自分を律する事はできるし、後輩のフォローも気配りも完璧にできる。 上野は細かいどうでもいいミスを見つけては彼を呼び出すが、今日はやたらと優しくて帰り際に「鷹夜、お疲れ!」と名前で呼んできたくらいには上機嫌だった。 多分、出張に行っていた旦那が帰ってくる日だからだ。 帰りもいつもより早い時間にいなくなった。 長谷川が怒っているのは、89の人間達が帰った後、急遽来る事になった飛び込みの家具の営業の会社の態度があまり良くなく、それに対して鷹夜も同じような態度で対応した事だ。 「眼には目を」は、社会では通用しない。 丁寧に接して帰ってもらい、契約を結ばなければ良い話しなのだ。 何も売られた喧嘩を買う必要はない。 「いや、いいよ。疲れてんだろお前」 「いや、、んー、どうなんでしょう。昨日あまり眠れなくて。でもそれは、自分の都合ですから。すみませんでした。もうないようにします」 「うん。お前が分かってんのは分かってる、、どうすっか。風俗行く?」 「あはは。行きませんて」 鷹夜が反省している事を理解した長谷川はお得意の冗談で気を紛らわせようとしてくれたのだが、それも上手くはいかなかった。 鷹夜の頭の中では、ぐるぐると芽依の事が回り続けていて、そろそろ沈殿してドロドロしてきているところだ。 もうぐっちゃぐちゃなのだ。 「何か困ってんだろ?悩み?聞くから、そんな顔すんなよ。らしくねぇぞ、鷹夜」 「すんません、ホント、、あはは」 「もう謝んなって。謝り癖直せ」 「はい」 ダメだ。 いつもの調子が出ない。 けれどこの胸の中のどす黒い塊を吐き出す相手として、長谷川をアテにしたくないのだ。 (ゲイって、こう言うところも辛いな) 別に同性愛者になったとバレても良い。 けれど、仕事に支障が出たり、万が一にでも相手が竹内メイだとバレる訳にはいかない。 長谷川は鷹夜にとっては近過ぎて、こう言った話しをする相手としては苦しいのだ。 (向こうは泰清くんも、遥香ちゃんも、凪くんもいるのに、、俺は、) そうだ。 鷹夜には相談できる相手がいない。 弟の碧星なら話しを分かってくれるかもしれないが、けれど同じゲイではない。 それに家族だ。 話しにくい部分もある。 何もかも包み隠さず、現状を全て話せる相手。 そんなもの、彼のそばにはいないのだ。

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