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第9話
「もしもし瑞原、間違えた、児玉ですが」
『俺だ』
「誠一さんっすか?お仕事お疲れサンデーす、今日は火曜日だけどなんちって」
『いま会社だ。今日は遅いから晩飯はいらない』
「わざわざそれ言いに電話くれたんすか?」
『遅くなるときは連絡いれろとお前がうるさく言ったんだろう、晩飯がもったいなからって。用はすんだ、切るぞ』
「待ってください、みはなちゃんのことでちょっと話あるんすけど……なんとか早く帰ってこれないっすかね」
『むりだ』
「即答っすか!?ちょっとは考えてくださいよ、自分の娘のことでしょ」
『だめだ』
「会話成立してねえし。……いや、マジ困ってるんすよ。俺ひとりじゃ手に余るっていうか頼りねえっていうか……」
『なにをやったんだ?』
「その質問なんだかなあ、なにがあったんだって聞いてくださいよ。犯人て決めつけられてるみてえで感じ悪ぃ」
『前置きが長い。時間が押してるんだ、とっとと本題に入れ』
「へいへい」
『はいは一度』
「今日みはなちゃん幼稚園でともだちと喧嘩しちゃって……誠一さんご存知っすか康太君って子。ガキ大将で有名らしいすけど。女の子のスカートめくったり男の子とどつきあったりわんぱくでもいい逞しく育って欲しいを地で行くお子さんなんすけど、お絵かきの時間中にその子の顔おもいっきりひっかいて、いくら聞いてもわけ話さないもんだからお母さんがカンカンで……こじれちゃって」
『知らん』
「知らんて」
『契約書の条項を忘れたか?みはなの世話はお前に一任してある、娘の不始末はお前の責任の範囲内だ、適当に処理しろ』
「処理って……そういう問題じゃないっしょ。それはおいとくとして、みはなちゃんうち帰ってから寝室にとじこもったきり出てこないんすよ。ドア叩いて呼んでも返事なくて……夕飯もまだだし、おなか空いてんじゃないかって気になって、こっちから誠一さんに掛けようか迷ってたんです」
『寝室から出てこない?』
「はい」
『俺はどこで寝ればいいんだ?』
「は?」
『鍵をかけてとじこもってるんだろう、じゃあ寝室に入れないじゃないか。ベッドはお預けか?俺はどこで寝る?リビングはごめんだ』
「………みはなちゃんが喧嘩して寝室にひきこもったってのに、真っ先にベッドの心配っすか」
『明日も早いんだ。家でくらいぐっすり寝たい』
頭に血が上り受話器を叩きつけ通話を絶つ。
誠一なんかに相談したのが間違いだった。
前々から自分勝手で傲慢な男だとおもっていたが今確信した、児玉誠一は娘の状態より仕事を優先しベッドの心配をする父親失格の男だ。
一時の気の迷いにしろほんのちょっとでもいい人かもしれないと期待した自分はとことん馬鹿でお人よし、詐欺師失格だ。
そう憤ったそばから父親失格と詐欺師失格同士なら案外相性が合うかもしれないという想像が脳裏をかすめ、慌ててかぶりを振る。
「さてと」
ため息ひとつ仕切りなおす。
ずれたヘアバンドを直し、きりっと顔を引き締め寝室のドアに向かう。
帰宅後、みはなの行動は素早かった。
ドアを開け玄関へ入るなり靴をそろえる暇も惜しんで廊下を走り寝室に直行、ドアを閉ざして施錠。
スニーカーを脱ぎかけた悦巳はそのままの姿勢で絶句、致命的な遅れをとってしまった。
「みはなさん、いい加減出てきてくださいす。おなかぺこぺこっしょ、ご飯できてますよ」
軽くドアを叩く。
精一杯優しい声を意識し、ドアのむこうで沈黙を守るみはなへと呼びかける。
「今日の夕飯はみはなちゃんの好きなミートボールっす!甘辛だれでほっぺたおちそうに美味しっすよ。現在ラップをかけて待機中、みはなさんがそっから出てくれば即レンジでチンして出せるんすけど」
説得がだめならばと食べ物で釣ってみる。
今日の夕飯はみはなと作る予定だった。みはなの好物のミートボール。挽き肉をボウルで捏ねて練って一口サイズの団子にする作業にみはな自ら立候補し、昨日ふたりで近所のスーパーにでかけ材料を仕入れた。
みはなだって楽しみにしてたはずなのに、どうしてこんなことになったんだろう。
「…………はあ」
結局ミートボールは悦巳ひとりで作った。
ラップを掛けたままテーブルに放置したミートボールを連想し腹が鳴る。
まだ夕飯を食べてない。
みはなが夕飯抜きでひきこもっているのに先に食べる気にはどうしてもなれなかった。
一人ではテーブルが広すぎて、料理もあじけない。
誠一とみはなの分を取り分けてから寝室に足を運び、みはなが機嫌を直してドアを開けてくれるのをひもじさに耐えつつ待つも、説得に疲れてしゃがみこむ。
悦巳が身につけるエプロンは、家政夫として住み込みで働く事が決定した日に誠一に手ずから支給された。
クレジットカードでネットショッピングに淫する悦巳だが、誠一からの直接の贈り物はこれが初めて。
笑顔など滅多に見せない男が実用性重視のデザインの中にも遊び心を感じさせるピンクのエプロンを持つ姿はなかなかにシュールで、真面目くさって向き合いつつ吹き出しそうなのを必死に堪えた。
スウェットにエプロンというミスマッチな組み合わせに最初は抵抗を感じたが「お似合いですよ」とみはなが太鼓判を押したので、以来、家にいてなおかつみはなの姿がちらつくときは気を引き締めるため必ず上にひっかけている。
廊下の先に繋がる玄関を一瞥する。
誠一はまだ帰らない。今日も遅くなるという。
固いドアに背をもたせ、目をつぶる。
『どういう躾してるんですか!』
『みんなが見てる前で暴力ふるうなんて非常識よ、どれだけ恥かかせば気がすむの、許せない!後日お父さんに抗議の電話しますからね!』
両手ビンタの現場に居合わせた康太の母は、掴みかからんばかりの剣幕で悦巳をなじった。
保育士とふたりがかりで平謝りに謝ってなんとかその場はおさめたが、後始末を考えると憂鬱になる。
「理由あるとおもうんだけどなあ……」
話してくれなきゃどうしようもない。
「信用ねえのかな、俺」
あるはずない。
悦巳はこんなに頼りなくてだらしなくて、みはなの親代わりをできるような人生を歩んできてないのだ。
子供を育てるには責任が伴う。
悦巳は振りこめ詐欺の常習犯。
自分のせいで何人もの被害者が泣いた事実を忘れちゃいけない、絶対に。
そんな人間に、一時的とはいえ子供を預かり育てる資格があるはずない。
静かすぎて不安になり、ちょっと体を傾け、人さし指と中指の背でドアを叩く。
「……寝ちゃったんすか?」
しばらく待つも反応がなく虚しくなる。
ドアのむこうでみはなもきっと膝を抱えている。
みはなを一人ぼっちにして自分ひとり夕飯を済ませられるわけがない。
「……一人で飯食うのもーこりごり………」
腹の虫をごまかし、天井を仰いでぼやく。
「みはなさぁん、俺もー腹へりすぎておなかとせなかがくっつきそっす」
「………」
「一緒に食べましょうよ」
「………」
「ミートボール自信作っす」
こんこん、こんこん。
二本指でドアを叩いて合図を送る。無視。
どうしたらいいんだろう。わからない。だれか教えてくれ。
みはながひきこもった原因も喧嘩の理由もなにもわからない、なにも知らない、お手上げ状態。誠一は頼りにならない、相談相手はいない。
あいつがいてくれたら
子供のように膝を抱えこむ。
膝に顔をこすりつける。
誠一とみはなが暮らすマンションは広く清潔で、殺伐と寒々しい。
瞼がしょぼつく。首が不安定に上下する。意識は闇に滑落する……
意識の表層に懐かしい情景が像を結ぶ。
電気を消した暗い部屋、両側に並ぶ二段ベッド、壁に面して机が四つ。
部屋の片隅に身を寄せ、膝を抱えて泣いているのは学生服の少年。
『もうやだ、ここ出る』
高校の制服を脱ぎもせず、ベッドと机のはざまにしゃがみこんでしゃくりあげる少年に、だれかが声をかける。
『高校卒業まで我慢しろ、それまでの辛抱だ』
『我慢ならした、ずっとしてきた』
ああ、これは俺だ。昔の悦巳だ。
学ランの下に浮く骨格はできあがりきっておらず、貧弱な手足が頼りなく泳ぐ。
子供の頃から哀しいことがあるたびここに隠れて泣いた。
施設は通常四人部屋で、悦巳の他にも三人ルームメイトがいるのだが、そのうちふたりは泣き虫の悦巳に愛想を尽かしてテレビのある談話室へ行ってしまった。
『服脱げよ、皺になるぞ』
『……ほっとけ。構うなよ』
『また電話でなんか言われたのか?』
図星だ。
悦巳は膝を抱きしめ、こみ上げる嗚咽を噛み殺す。
『電話なんか無視すりゃいいじゃんか』
『そう何度も居留守使えないし、むこうは門限知ってるから、必ず俺がいる時間ねらってかけてくる。逃げたくたって逃げらんねえ、頭おかしくなりそう』
本当に頭がどうかしてしまいそうだ。
電話を切ってもヒステリックな喚き声が耳にこびりついて消えない。
電話にでなければさらに怒りを買う、神経を逆なでしてしまう、職員が心配する。
一日一回、必ず同じ時間にかかってくる電話は悦巳にとって逃れ得ぬ恐怖の対象だった。
最初に電話をとるのは必ず職員で児童の関係者である事実を確認後個別に呼び出すのだが、まさかでたくないとは言えず、そんなことを言えば職員を困らせるのはわかりきっていて、上手く断る理由も思いつかず、けたたましいベルに続いて自分の名が呼ばれるたび悦巳は諦めきった足取りで廊下を歩いていくのだった。
『こんなんなら高校なんか行かないでよかった、とっととこっから出てきゃよかった、どうしてあそこまで言われなきゃなんねーんだよ俺なんかしたかあの人に、なんもしてねえよ俺のせいじゃねえよ、あの人の旦那が浮気してんのも子供が反抗期なのも俺関係じゃねえじゃん、なのに全部俺が悪いってことになって……あの人んちが不幸なのは俺のせいだって、俺みたいな厄介者がいるから、学費までだしてやってんだから感謝しろ、俺のようなクズが高校まで行けたのだれのおかげか忘れんなって』
もう電話なんか見たくない、ベルを聞きたくない、金属バッドで破壊してしまいたい。
身の内で悪意が発酵していく。
本来感謝すべきはずの人間に対し殺意を抱くのは間違いと理性じゃわかってる、だけど地獄だ、毎日毎日毎日先が見えない堂々巡り……
『ぜんぶ捨ててどっか行っちまいてえよ』
『じゃあ行くか』
予期せぬ答えに顔を上げ、正面に立つ影を凝視する。
同じ学ラン姿の影が、悦巳に手をさしのべ誘う。
ゆっくりと耳から手をはなし、あっけにとられてその顔と手を見比べる。
心のどこかでずっとずっとその言葉を待っていた。
誰かがそう言ってくれるのを待ちわびていた。
『しかたねえ、お前一人じゃ頼りねえからついてってやる』
使い古した二段ベッド、机の上には学校指定のまだ新しい鞄と漫画の単行本、壁にはバスケット選手のポスターが貼られている。
見慣れた部屋に別れを告げ、涙を拭いて手を握る。
置き去りにしていくもの、世話になった職員や自分に懐く年少の子供たちの面影が瞼に去来して一瞬躊躇するも、繋いだ手からながれこむぬくもりに勇気づけられ、決別の一歩を踏み出す。
「……大志……」
「誰だ?」
目を開く。
鼻の先端が触れ合う距離に誠一がいた。
「――っ、な、」
眠気が吹っ飛び、現実を認識するにつれ羞恥で首元まで染まり行く。
悦巳とした事が廊下に座り込んだままうたたねしていたようだ。
「帰宅に気付かないとは物騒だな」
「誠一さん、え、いま何時……さっき電話で遅くなるって」
「よだれを拭け」
顔が近くて、どアップで、夢で手をさしのべた幼馴染と現実の誠一の顔とが重なって心臓が跳ね回って、高速で膝の屈伸運動しつつ口の端から垂れた涎をぬぐう。
「さっき?もう五時間たってるぞ」
いつのまに帰宅したんだろう。
誠一は鍵をもってるから玄関が閉まってても問題ないが勝手に寝顔を見られた悦巳の方はおおいに問題ある。
悦巳の背後のドアを一瞥、誠一が眉をひそめる。
「まだでてこないのか?」
いささか強い調子でドアを叩く。
「みはな、いい加減にしろ。わがままはよせ、さっさとそこから出て夕飯を片付けなさい」
「たんま、んな脅しつけるようにしたら怖がります」
「それで?お前はなにもせず指をくわえてじっと待ってたのか」
悦巳の注意を鼻で一蹴、苛立たしげにノックするもやはり反応はなく、痺れを切らしてノブを掴む。
「どいてろ、お前はもうあてにしない」
「ドアを破るんすか!?」
「俺はベッドで寝たい」
「みはなちゃんが中にいるんすよ、少しは気持ちも考えてあげてください」
ドアを破り押し入らんとする男に縋りつく、間抜けな寝顔をさらした恥ずかしさと自分勝手な誠一への怒りとに駆り立てられ負けじと肩ぶつけあうにつれ主導権争いの攻防が激化しノブを奪い合う手に力がこもる。
ドアが意外にあっさり抵抗なく内側に開く。
「!!おわっ、」
開け放った勢いを殺せずぐらつく悦巳の肘を掴み、誠一が引き戻す。
「馬鹿が。空いてるじゃないか」
「むりやりこじ開けようとしたのどっちっすか!……おっかしいな、さっきまで鍵かかってたのに」
「急にしずかになったから不安になって隙間から覗いたんだ」
誠一の推理に納得、あらためて寝室を見回す。
いた。ドアの横の壁に凭れて寝ている。
「……風邪ひいちゃいますよ」
安らかな寝息を立てるみはなに苦笑ひとつ、そばに落ちていた黄色い鞄を拾う。
まだ連絡帳をチェックしてない。
今日の喧嘩について保育士になにか言われるだろうと覚悟し、ジッパーを引いて中身をさぐれば、くしゃくしゃに握り潰された紙に指先が当たる。
不審がりつつ引っ張り出し、目を見開く。
画用紙いっぱにクレヨンで描かれていたのは、おそらく悦巳。
白いヘアバンドで前髪を上げ額を露出し、耳まで裂けた口で能天気に笑っている。笑顔が印象の全てのような絵だ。
稚拙だが的確に特徴を捉えた似顔絵の上に、黒いクレヨンででかでか殴り書きされた文字は……
ばか せいふ。
「五歳で政治批判とは大胆っすね……」
「馬鹿な家政夫でばかせいふだろう」
そこで区切るのか。
悦巳の勘違いを訂正、画用紙を奪い目を細めて観察後、興味を失って突っ返す。
「みはなの字じゃない」
「え?」
「みはなはもっときれいな字を書く」
そっけなく、かつ自信をもって断言する。
突っ返された絵を抱き、途方に暮れる悦巳の足元で弱弱しい声がする。
「……今日のお絵かきで……ごはんを作ってくれる人の絵を描きましょうと先生が言いました」
手の甲で眠たげに目をこする。
最近は両親の離婚なり共働きなりで複雑な家庭が多いから、お絵かきのテーマにもっとも身近な家族を取り上げる時はお母さんといわずあえて「お弁当を作ってくれる人」と広義で括るのだと保育士が言っていた。
瞼をこすっていた手をおろし、腫れぼったい顔で呟く。
「みはなはみずはらさんを描きました」
お弁当を作ってくれる人。
「………そしたらこうたくんが……普通はおかあさんを描くのにおかしいって」
ばかせいふ。
未完成の似顔絵の上に殴り書きされた汚い字。
「みずはらさんは男の人でかせいふだからおかあさんじゃないって、みはな言いました、だけどお弁当を作ってくれるのはこの人だよって……おかあさんじゃないけどお弁当を作ってくれたし、毎日ご飯作ってくれるし、だから」
日ごろ素直なみはならしくもなくむきになり意地になり、悦巳が眼前に翳す皺くちゃの画用紙を睨みつける。
「……みはなわるくありません。わるいのこうたくんです」
つっかえつっかえ、たどたどしく、言う。
大人ふたりの沈黙になにを思ったか、ふいっと後ろを向くや浅く肩を上下させる。
小さくいたいけな背中。必死に我慢する背中。
「鞄の底に突っ込んであったのは」
「………みずはらさんの恥ずかしいお顔、見せたくなかったんです」
他の子供たちはそれぞれお絵かきに夢中でみはなと康太のやりとりに気付かなかった。
未完成の絵に中傷を殴り書く康太の暴挙に激怒し、みはながその顔をおもいっきりひっかくまでは。
「画用紙がくしゃくしゃなのは……」
「かく、かくしたんです。こうたくんが泣いて、みんながたくさんやってきて、見られるのやだから、恥ずかしいし、お洋服の下に」
壁を向いたみはなの声が湿り気を含み、鼻がぐずつく。
みはなはいつも家でお絵かきをしている。内向的な性格だからという消極的な理由だけじゃなく、本当にお絵かきが好きで得意だったのだろう。出来上がった絵はおそらく悦巳にプレゼントするつもりだったのだ。
だからこそ、康太の無神経が許せなかった。
悦巳を侮辱され、怒りに任せた行動をとった。
「わるくありません」
繰り返す。
「わるいのこうたくんです、こうたくんのおかあさんはまちがってます、こうたくんもおかあさんもだいきらいです」
主張する。
沈黙の内に抑圧し続けた分も一気に怒りをぶちまけ上下する背中を凪いだ眼差しで見つめ、丁寧に、真心こめて画用紙を畳む。
「みはなさん」
平坦な呼びかけに鞭打たれ、びくりと肩が跳ねる。
叱責の予感に竦み、振り返る勇気が湧かず、頑固に壁を凝視し続けるみはなへと両手をさしのべ―……
「こちょぎゅうっす!」
「うにゃあ!!」
いやらしく蠢く五指で脇腹にくすぐり攻撃をかますや、耐え切れず身をくねらせるみはなを膝の間に抱っこし、愛らしいつむじを顎でぐりぐりしつつ盛大にニヤつく。
「悪い子にはお仕置きっす」
「みはな悪い子じゃあ、」
「どんな理由があったってお友達の顔をひっかくのはいけない事っす」
「康太くんが先に、ぅにゃは、や、あにゃは」
泣き笑いに似た表情で身をよじるみはなの脇腹を手加減してくすぐりつつ、底抜けに明るい声で宣言を放つ。
「俺はちーっとも痛くも痒くもありませんよ?俺がばかなのも家政夫なのもホントのことっすから、康太くんには吹き出しに自己紹介添えてくれてありがとうって礼を言たいくらいっす!」
くすぐり責めを中断し、力の抜けきったみはなを改めて抱っこし、呟く。
「……ありがとう」
「……みはな、わるい子なのに……なんでありがとうですか」
「似顔絵の代わりに怒ってくれたからありがとうっす」
「へんです」
「へんっすか」
「へんてこです。おかしいです」
「ばかせいふだからへんてこでいいんです」
「……………」
顔を逆さにし、ふくれっつらのみはなを覗き込む。
「みはなさんはねこですか?」
「ちがいます」
「ならお友達の顔をひっかいちゃいけません。そんなことしたらお耳としっぽが生えてきますよ」
悦巳がついた嘘にぎょっとする。
「ねこさんになっちゃいますか?」
「お魚しか食べられなくなっちゃいます」
「いやです!……みはな骨のないお魚しか好きじゃありません」
「じゃあ約束。もう友達の顔をひっかりたりビンタしちゃめっす」
側頭部を手で包んでこねくりまわし、尖った猫耳が生えてこないようおまじないをかける。
膝の間にちょこんと蹲るみはなはといえば、慣れないスキンシップに戸惑いつつ尻をもぞつかせ位置を微調整後、悦巳を仰け反り見上げヘアバンドをつつく。
ばつの悪さとくすぐったさとで利かん気の強い口元をむずむずさせるみはなに対し、悪戯っぽく笑いかける。
「代わりにこんど康太くんが悪さしてきたらくすぐっちゃえばいいんです。康太くんが笑い転げて、それを見てるみはなさんも楽しくて二倍お得っす」
くっついた体から体温が伝う。子供の肌は乳臭く、懐かしい安心の匂いがする。
「ミートボール食べるでしょう」
「………はい」
頬を染めて頷くみはなをひっぺがし、いざ台所へ向かう。
電子レンジで加熱が終わるのを待つ間、エプロンのポケットを軽く押さえてリビングを徘徊し悩んだ末、名案を思いつき台所へ取って返すや、ポケットから引っこ抜いた画用紙の皺を丁寧にならしてのばし、そこそこ見られる状態に仕上げて冷蔵庫の表面にマグネットでとめる。
「捨てないのか?」
誠一とならんでやってきたみはなも悦巳の行動にあぜんとする。
冷蔵庫のど真ん中に掲げた似顔絵と顔をならべ、胸のうちで炭酸のように弾ける幸福感と少しばかりの照れをもてあまし、とびっきりの笑顔を浮かべる。
「こいつは俺の目標っす。いつか一人前になったら『ば』を消してやるんす」
電子レンジがチンと鳴った。
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