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二人の秘密と帰り道
「お前のお味噌汁が呑みたいってどういう意味ですか?」
「そのまんまの意味だろ」
「お味噌汁は飲み物と食べ物、どっちですか」
「あー……食べ物でいいんじゃねえか。朝飯の定番だし具がたくさん入ってるし。油揚げとか豆腐とか長ネギとか」
「みはなはお麩が好きです」
何故だかえっへんと胸を張って主張するみはなに、ハイハイとだるそうに相槌を打ちつつあくびを一つかます大志。
幼稚園からの帰り道、パステルカラーの一戸建てやこぢんまりした駐車場を備えたアパートが建ち並ぶ閑静な住宅街を前後して歩く。
ほんの数時間前、悦巳から携帯に連絡がきた。
「頼むよ、大志しかいねーんだって!どうせ今日フリーだろ?な、頼む、一生のお願い!」
「とっくに一生のお願い使い切ってるヤツが何ぬかす」
「代わりにおむかえ頼む!ぱーっと行ってぱーって帰ってくりゃいいじゃん!」
「あのデカブツはどうしたんだよ」
「アンディは大事な用があって……俺だって行けるもんなら行きてえよ、でもどうしてもムリなんだって!」
「ガキのお守りはお前の専売特許だろうが」
「そう言うなってー。みはなちゃんも懐いてるしさ」
「一人で帰らせろよ」
「正気かお前、事故にあったらどうすんだよ!?あんなすこぶる可愛い子ひとりで歩かせたら誘拐犯の垂涎の的じゃねーか、ひい爺さんに連れられて外国に売られちまったらどうすんだ!?あ、でもひい爺さんなら誠一さんの爺ちゃんで婆ちゃんの旦那だからもう死んでるし、てことは幽霊!?天国から天使のおむかえに!?ますますやべーじゃん!!」
「過保護もそこまで行くと病気を疑うから医者行け、頭の。ちなみに異人さんの間違いな、歌詞」
「頼む、アンディのほかに安心してみはなちゃん預けられんのお前しかいねーんだって!借りは絶対返すから、なっ、なっ?」
そこまで言われたら引き下がれないだろう。
結局のところ、幼馴染の腐れ縁イコール片思い歴の大志は惚れた弱みで悦巳に大甘なのだ。
後半は泣きが入った説得にほだされ、しぶしぶ幼稚園にみはなを引き取りに行った。
自分と同年代の若い保育士にあからさまに警戒されたのは仕方ない、初対面の上にこの見てくれだ。
両耳に無数のピアス、ゴツいシルバーアクセサリーで革ジャンを飾り立てたパンクな若者が保護者代理を自称して園児を引き取りにきたのだから、のっけから不審者扱いで通報されなかっただけ僥倖というものだ。
それでなくても世間に喧嘩を売り歩いてるような尖った風貌と目つきの鋭さで15になる前から不良と呼ばれた大志である、引き渡しの場面で一悶着あったのは言うまでもない。
が、最終的にはむこうが折れた。
しつこいほど確認されうんざりしたが、くりかえし悦巳の名前を出したのと実際に受信したメールを見せたのが決め手となったようだ。
だがその保育士も、大志が騒音全開のバイクで乗りつけたらさすがにみはなを帰さなかっただろう。
バイクをアパートの駐車場に置いて徒歩できたのは五歳児と二人乗りしたのがバレたらあとで悦巳がうるさいし、最悪誠一やアンディにまで雷を落とされると踏んだからだが、マンションまで送り届ける道すがらすれ違う人間に片っ端から胡散臭げに見られてしまうのは誤算だった。
親子には見えない。
兄妹にしては年が離れすぎている。
このふたりは一体どういう関係なんだろうという素朴な疑問が通行人の顔を過ぎるのを見落とすほど大志は鈍くない。
そんなの肝心の自分だって上手く説明できる自信がないのだから聞かれても困る。
いや、正面きってそんな質問をしてくるヤツはいないが。
「ーっと」
いつのまにか隣からみはながいなくなっていた。
革ジャンのポケットに片手を突っ込んだまま体を斜めにして待つ大志のもとへ、おかっぱ頭の女の子がぱたぱた駆けてくる。
ようやく追いついて一息つき、大志を見上げ一回ゆっくりと瞬きする。
「康太くんはみはなのお味噌汁が食べたいって言ってました」
「はあ」
「毎日でもいいそうです。毎日みはなのお味噌汁がいいそうです」
「……そりゃお前、プロポーズだろ」
「ぷろぽーず?」
「つまりは結婚してくださいってことだ」
にしても、最近のガキはませてやがる。
「みはな、康太くんのお嫁さんになるんですか」
「なりてえのか?」
小首を傾げつつの「うん」とも「ううん」ともつかぬボンヤリ間延びした生返事にどっちだよ、とすかさず突っ込む。
カルガモの行進のように何も言わず大志に寄り添うみはな。小さな唇を真っ直ぐ結び、何事か一生懸命頭を働かせている。
「……今日、康太くんから指輪をもらいました」
「へえ」
ガキの色恋沙汰など興味もなかったので視線もむけず適当にあしらえば、それが甚くご不満なご様子でただでさえまんまるい頬っぺをぷくっとふくらませる。仕方ないので先を促す。
「見せろよ、その指輪」
「はい」
「!?ぐえっ、」
蛙を轢き潰したような声が出たのはご愛嬌。
勢いよく突き出された拳が鳩尾にジャストミート、日頃から鍛えている大志にとってはこれしきの事なんでもないが痛いものは痛い。
抉るような角度で打ち込まれた小さな左拳、その薬指には確かに何かが嵌まっている。
「~てっめえ、フツ―はパーだろパー、なんでグーなんだよ!?」
自分でも情けないとは思うがちょっと涙目になっていた。
腹を庇ってしゃがみこむ大志をきょとんと見下ろし、今さら左手をパーにする。
「遅えよ!ーって、なんだこりゃ」
「指輪です」
日頃から表情に乏しく何を考えているかわからないみはなが、ドヤ顔とでも表現したくなるご満悦の色を薄っすらと覗かせる。
ねしょんべんたれの幼稚園児の発想だ、空き缶のプルトップかビーズ製かせいぜいそんなところだろうと踏んでいたのだが……
「輪ゴムって……元手ゼロ円じゃねえか」
みはなの将来の旦那候補である康太やらとは面識ないが、輪ゴムをエンゲージリングに見立てるという発想はいささかせこい、せこすぎる。壊滅的に破滅的に女心がわかってない。
「安い投資で一生分の利益を生む魂胆か」
だが本人はまんざらでもなさげで、左手薬指の根元にぐるぐると巻き付けた輪ゴムを大事そうになでている。
その顔を見るにつけ無粋なツッコミを入れる気力も失せて、大志は苦笑しつつ呟きを落とす。
「大事なのはモノより気持ち、か」
もっと早くその事に気付いてればやり直せただろうか。
悦巳との関係はまた違ったものになっていただろうか。
ただの輪ゴムを指輪に見立てる子供心を忘れないでさえいれば。
純粋に信じる心こそ空想を現実に変える原動力となるなら、あるいは。
「……その康太ってヤツ、化けるかもな」
「化けるんですか?お化けですか!」
目を見張って驚くみはなへ自然と手を伸ばす。
差し伸べられた手とその向こうの大志とを交互に見比べ顔を輝かせる。
しかたねえ、置き去り防止策だ。
みはなと手を繋ぎ再び歩き出す。今度はちゃんと歩調を合わせ、二人一緒に仲良く並んで。
仲良くという表現は無頼を気取りたい大志にとっては心外だろうが、客観的にはそうたとえてもよかろう距離の近さだ。
あたりまえだが、みはなの手は小さい。大志の手よりずっと小さくてかよわくて頼りない。おいてかれまいといじましく縋りついてくるその手を、ほんの少し力を込めて握り返す。
「……前もこんなことがあったっけ」
「はい?」
「帰り道。手え繋いで。ガキの頃だけど」
「えっちゃんと、ですか」
「さあな」
大志はとぼける。
小学生の頃、いじめられて泣きじゃくる悦巳の手を引きながら帰り道を辿ったほろ苦い記憶が甦る。
湿っぽい空気を断ち切るように電線が横切る空へ視線を逃がす。
「……聞いていいですか」
「なんだよ」
「大志さん、えっちゃんに指輪をあげましたか」
「!ばっ」
このガキ、なんで知ってる。俺が悦巳を好きだってなんでバレた、ていうかあの夜の短いやりとりで気付いたんなら勘が良すぎる末恐ろしい。
五歳児の指摘に怯み、うろたえ、動揺し、しどろもどろ赤面する大志に澄んだ凝視を注ぎ、ふっと表情をほころばせる。
「……知ってますよ、大志さんがホントはいい人だって」
とても五歳児とは思えぬ悟りきった笑みと口調で断固言いきり、未だ動揺から立ち直れず無意味に口を開閉する大志に追いうちをかける。
「みはなもえっちゃんが大好きですから。えっちゃんのこと好きなヒトにわるいヒトはいません」
でも俺は、
続けようとした言葉が小骨のように咽喉にひっかかる。
なに五歳児相手に動転してんだ情けねえ、どうしちまったんだ俺、見透かされてんじゃねえよ、しゃきっとしろ。
萎えそうな心を叱咤しつつ言い返そうと口を開き、けれども自分を大きく見せようとする虚勢はみはなが放つ強いまなざしの前に霧散し、ついぽろりと本音が零れてしまう。
「……輪ゴムの指輪でもいいからやっときゃよかったな」
報われぬ片想いだと最初から諦めていた。
でもせめて、カタチあるアカシを贈ればよかった。
安上がりだとかかっこ悪いとかつまらないことをうだうだ気にせず、想いをカタチにして残せばよかった。
そうすれば何かが変わっただろうか。
何も変わらなかっただろうか。
今となってはわからない。
いまあいつが幸せならそれでいい。
あいつの隣にいるのが俺じゃなくても、それでいい。
「………」
俯く耳に届く軽い足音。自分を迂回し背後にまわりこむ気配。
人肌のぬくもりを伴う優しい闇が視界を包む。
「泣いてもいいですよ」
歩道の真ん中にしゃがみこむ大志の背後に爪先立ち、小さなてのひらで目隠し。
傷口にそっと絆創膏を貼るように、宥めるように耳元で囁く。
「こうすればわかりませんから。いないいない……」
「ばーか」
口元に不敵な笑みがちらつく。
目を覆う手に手をかけゆっくり外していけば、指の隙間からあの頃と同じノスタルジックな茜空が覗く。
虚勢か男の意地か、優しさの度が過ぎて心配性な子供の気遣いを鼻先で笑い飛ばし、行き場をなくしてさまよう手を振り返りざまひったくる。
「大人の心配なんざ十年はええ。ガキはガキとままごとやってろ」
驚きあとじさるみはなを担ぎ上げ、肩車する。意外にも結構重たい。
はずみでよろけかけるも我慢して踏みとどまり、大股に肩で風を切って颯爽と歩き出す。
「高いです!怖いです!」
「やめるか?」
「もっと、もっと!」
「ちょ、暴れんな、首が締まるぐえっ」
「電線さんにタッチできそうです!」
「したら死ぬぞ馬鹿」
怖い事は怖いが、どうやら嫌いじゃないらしい。大志の肩にちょこんと腰掛け、逆立てた髪を両手で鷲掴んではしゃいでいたが、道路のかなたに視線を投げて一際甲高い歓声を上げる。
「えっちゃん!アンディさん!」
噂をすればなんとやら、ちょうど大志とみはながいる道の先から悦巳とアンディが連れ立って歩いてくる。
「~悦巳てめえ、なんだそりゃ」
「いやー、今日スーパーのトイレットペーパー特売日で!帰りに寄ろうかと思ったけど夕方には売り切れ必至だし、んなわけで即戦力のアンディに助っ人頼んだんすよ」
悦巳とアンディがお揃いで両手にぶらさげていたのは特大の買い物袋。
アンディに至ってはインドの売り子よろしく絶妙のバランス感覚で頭の上にトイレットペーパーを二段重ねしている。
黒スーツにサングラスの大男がトイレットペーパー入りの買い物袋を両手に下げ腋にも同時に挟み、さらには頭上に二・三個積み上げ住宅街をのし歩くのは面白おかしいを通り越しシュールな光景だ。
「幼稚園の帰り時間と重なっちまうからどうしようか困って……まさかセール会場という名の主婦の戦場に連れてくわけにゃいかねえし、踏み潰されてぺらっぺらになったら息吹きこんでふくらませなきゃいけねえし大惨事の一大事だし。その点でかい・固い・強いと三拍子そろったアンディならいざって時の盾になってくれっし荷物持ちでも大活躍!ちょうどよかった大志も手伝、いてっ!?」
「わりぃ、いま手えふさがってんだ」
アンディまで駆り出しといて、大事な用ってこれかよ。
拍子抜けから憤りへ、腹立ち紛れに悦巳の腰に蹴りを入れ、衝撃に少し傾いたみはなの体をしっかりと据え直す。
ほんと、こんな奴のどこに惚れたんだかな。
ぽんぽんと頭を叩かれ首をねじって振り仰げば、みはなが逆さの口元に人差し指をあて歯の間から吐息を出す。
ナイショの合図。
『さっきのはヒミツですよ』
康太にもらった指輪の話か失恋の痛手から立ち直れぬ大志の甘酸っぱい告白か、あるいはその両方か。
妙に大人びた仕草で口止めされ、秘密を分かち合うこそばゆさに笑みを零した大志は、悦巳とアンディに気取られぬよう一瞬だけみはなを真似て口元に人差し指を立てる。
「なになに、スパイごっこっすか?俺も混ぜてくださいよー」
「えっちゃんはだめです」
「仲間外れはだめっすよー!なあ大志教えろよー今の何?」
トイレットペーパーを両脇に抱え駄々をこねる悦巳にほとほと呆れ返って顔を見合わせた大志とみはなだが、この状況でシリアスな表情を保つのはむずかしく、同時にぷっと吹き出してしまう。
「なんだよ一体……」
笑い合う大志とみはなの間に割り込めず、完全においてけぼりをくらって立ち尽くす悦巳の肩を訳知り顔のアンディが叩く。
これが日常なら悪かねえ。
下手なプロポーズや安上がりの指輪なんかなくてもコイツと馬鹿できる毎日が続くなら上等な人生じゃねえか?
幸か不幸か、俺の味噌汁を飲みたいって言ってくれる物好きもできたことだしな。
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