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ダイヤとヤドリギ

 知らなかった、クリスマスケーキってしょっぱかったんだ。  「頼むフジマ一生のお願い。このとーり」  両手を合わせてフジマを拝む。  幼馴染にしてダチにしてこのほどあんまりめでたくないことに恋人未満の存在に昇格した男が、洒落たダッフルコートを着て隣を歩きながらしげしげ俺を見つめる。  十二月中旬ともなれば街にはクリスマスソングが流れ行き交う人みな浮き足立つ。  キリスト教徒でもないのにどうしてよその神様の誕生日をこぞって祝福しなけりゃいけないんだという疑問はそれを口実にして馬鹿騒ぎしたいヤツらの存在でかたがつく。  そう、人はえてして口実を欲しがるものだ。  クリスマスだから多少ハメをはずしてもいいだろう、クリスマスだから手を握ってもいいだろう、クリスマスだからヤドリギの下でキスしていいだろう、クリスマスだから一線を越えてもいいだろう……  ぱっと思いつくだけでこれだ、毎年クリスマスを好都合の言い訳にして多くのカップルが童貞や処女を捨ててるのは統計学的に信用できるデータ。まあモテない童貞彼女なし、今年のクリスマスもバイトで埋まった学生には関係ねーけど……  俺は相も変わらずコンプレックスの塊の屑石のまま、殻を破れずにいる。  「巧のお願いなら今すぐフィンランドに行って一番高いヤドリギの上から雪をお裾分けしてもらってくるよ」  スリムな長身と均整取れた素晴らしく長い足を軽快に繰り出し、博愛主義の手本のような微笑みを浮かべる。  「いらねーよ。溶けるし」  「アイスボックスに詰めてくる」  「貰ってどうすんだそんなの、雪ウサギ作って冷凍庫に入れとくか。じゃなくて」  俺がじゃあ頼むと言えばよしきた任せとけと喜び勇んで飛行機に乗りそうで油断できず、返しは自然慎重に、突っ込みはきびしめになる。  バロットという料理をご存知だろうか。  一部のゲテモノ食いに絶大な支持を誇る、孵化する前のひよこを卵の中で煮殺して食べる料理だ。見た目はグロいが大変美味らしい。  こいつと一緒にいると一方的に注がれるなまぬるい優しさでもってじわじわ煮殺され、晩餐に美味しく召し上がる為に調理されてるような妄想が育つ。  自分で言うのも恥ずかしいが、フジマは十数年越しの片思いが実ってようやく結ばれたあの夜から俺を甘やかし放題に溺愛してくれちゃってる。  だから俺のお願いならなんでも快く引き受けてくれると見込み、再三手を合わせ拝み倒す。  「他のヤツらも当たってみたけどさすがに予定埋まっててさ、お前が最後の希望なんだよ。頼む、助けると思って」  「どうして真っ先に俺んとこ来なかったの?」  哀しいかな、中学以降運動部に所属してない故に体力がない。  足の長さが違うからフジマが引き離すつもりなら簡単に追いつけるはずもねえ。  「……ずるい」  「ん?」   「足の長さ。すげー股下長いだろ、モデル並に。俺は胴長寸胴体型なのにさ……」  「巧は腰細いよ。脱ぐとわかるけど」  「街なかで腰細いとか言うな」  僻んでるのは足の長さだけじゃねえけど。  ポケットに手を突っ込み、フジマの隣に並びつついじけてみせる。  「中学のバスケ部じゃ万年補欠の俺をさしおいて一年で異例のレギュラー抜擢、他校との交流試合で大活躍。ファンの女の子から山ほどファンレターやらお手製フジマくん人形ユニフォームバージョンやら差し入れ貰ってたバスケの王子様だもんな」  「巧がいたから入ったんだよ。バスケ自体あんま興味なかったし……やってみたらハマったけど」  とことんイヤミなヤツめ。  フジマいわく、入部動機は俺。  しかし肝心の俺はといえば二年の初めに早々に脱落した。  理由は単純、黄色い声援浴びてコート狭しと駆け回る王子の活躍をベンチで見せつけられる補欠の屈辱に耐えかねたから。  ずっとずっと、年が同じで家が近いというただそれだけの理由で幼稚園の頃からずっとフジマと比較されダメだなあと貶され続けてきたのだ。卑屈になっちまうのもムリはねえ。  フジマだって知ってるくせに無神経だ、そんなに優越を見せつけたいのかよ。  声に不満がでないよう用心し、薄汚れたスニーカーを睨んでそっけなく聞く。  「あの人形まだ持ってんの?」  「ジョンに食われた」  ジョンはフジマの自宅の飼い犬。補足、悪食。  「一緒に貰ったマフラーはとってあるけど」  「ふーん、女の子からのプレゼント大事にとってあるんだ。やっさしーねフジマは。モテるはずだ」  フジマが他校の女子に告白される現場やプレゼントを手渡しされる現場に居合わせたのは一度や二度じゃない、フジマと一緒に行動してりゃ避けがたい事態だった。  もっとも渡す方や告白する方にしてみりゃフジマの後ろにぼけっと間抜けづらで突っ立ってる友達Aなんて眼中になかったろうけど。  わかってるさ、どうせ世界人類の約半分から無視される運命なのさ。  聖夜の厳粛さよりは前夜祭の高揚を誘発するクリスマスソングが流れ、緑と赤と真綿を雪に見立てた白の装飾も華やかに、めかしこんだ老若男女が笑いさざめく街をあてどなくぶらつきながら気分は鬱々と沈んでいく一方だ。  今の心境を一言で表現するなら、侘しい。  カトリック最大の祝祭一色に染まる街に紛れ込んだ虚無僧さながら場違いな孤立感と疎外感を持て余す。  吹け、滅びの風。  恋人たちに永劫の呪いあれ。  バカップル撲滅運動の旗印となるのも辞さぬ危険思想を膨らます俺と隣り合い、前を向いたままフジマが呟く。  「やきもち?」  「え?」  「だったら嬉しいなって」  「……ばーか。ねえよ」   頬が赤くなるのは自然現象、寒い中ずっと歩いてたから。  俺の内心を読み取ったか、ふいに手が伸びてくる。  「!っ」  人通りの多い街中で。  「巧って冷え性だよな。外でるといつもポケットに手を入れてる」  フジマが俺の顔を抱く。  上背で負け、自然見下ろされる格好になる。  俺の顔を手挟み微笑むフジマ、幸せそうにのろけまくった笑顔。  手のひらはひんやり冷たく、カイロの役目も果たさない。  「やめろよ、人が見てる」  「もうしばらくこのままで。手がかじかんじゃってさ、巧カイロであっためてくれ」  向き合う俺とフジマを避けて流れる人ごみからくすくす笑いが漏れる。  美人なお姉さんがこっちを一瞥、彼氏をつっついて笑い合う。  人間しあわせだと心に余裕ができるもんだ。  現にすれ違う人の大半は彼氏彼女持ちの恋人たちで、往来で堂々いちゃつく男ふたりにいちいち目くじらたてたりしないのだ。  できすぎなほど整った顔が目と鼻の先に迫る。  線が細く甘い顔立ちは頼りなさより優雅さを感じさせ、物腰はいちいち紳士的に洗練されて、頬を包む手のぬくもりに塩と砂糖を一緒くたに傷口に塗りこまれているようなむず痒さを覚える。  劣等感と羞恥心とほんの少しの後ろめたさ、ひょっとしたら幸福感に似たもの。  「……俺カイロは店じまい」  「いたっ」  手の甲をつねってひっぺがせば、フジマが大袈裟に顔を顰め残念そうにため息を吐く。  「恥ずかしがらなくても」   「むり」  しゃらんらジェリービーンズのように俗っぽくパッケージングされた音楽が流れる。  どんちゃか飲み食い浮かれ騒げ大衆どもよ、汝らに幸多からんことを。  めげずに頬をつけ狙うフジマの手を邪険に払い、口を尖らす。  「どうせフジマみたいなモテ男にはわかんねえよ、世を拗ねて儚む一人ものの気持ちは」  「誰が一人ものだって?今お前の頬っぺを抱っこしてる俺は無視なわけ」  「同情するなら奉仕しろ」  ポケットに突っ込んであったチラシをフジマの鼻面につきつける。  フジマが目をしばたたく。  「俺がバイトしてる商店街のケーキ屋。イヴは人手が足りなくてさ、助っ人募集中なの」  毎年この時期に行われるクリスマスケーキの街頭販売、店長に一人ノルマ十枚の配布を厳命された販促チラシをどさまぎで握らせる。  「うちの店イヴは毎年街頭に立って販売するんだ。けどさ、肝心のバイトが彼氏彼女との乳繰り合い優先してごっそり抜けちまって……心当たりあるヤツ引っ張ってこいって言われて思い出したのがお前」  「巧のお願いならなんでも聞いてやりたいけど、俺、ケーキ屋のバイトって初めてだよ。接客やったことないしトチるかも」  「嘘だろ、お前の失敗なんて想像つかねえ」  「足滑ってケーキとか投げちまうかも」  「コントかよ。んなむずかしい仕事じゃねえし大丈夫、たんにケーキ売りさばくだけだから。サンタの服着て」  「コスプレすんの?巧も?」  「そ。客寄せサンタ」  フジマがふむと考えこむ。心なしか口元がにやけている。  ろくでもないこと企んでるな、また。  経験に基づく勘が騒ぐ。  「……行ってもいいよ」  「マジで?」  フジマが振った釣り針にぱっと顔を輝かせ食いつく。  「ありがとう、感謝するフジマ!」  「その代わりプレゼントね」  「えっ」  「イヴ返上で巧の為に働くんだから見返り求めるのは当然だろ?」  俺のためにってとこをことさら強調する確信犯。策士。  目を細めて笑う食えない顔に警戒せよと警報が鳴り響く。  ためて囁かれた見返りという単語が不安を煽る。  俺の為にイヴを返上すると宣言したフジマの顔を見つめ、迷い、妥協する。   「………わかった。用意しとく」  駆け引きじゃこいつに勝てない。  しぶしぶ請け負う俺とは対照的にフジマは嬉しげ、「そうこなくっちゃ働き甲斐ない」と舞い上がっている。寂しい限りの自分の懐具合を思い出し、フジマが期待しすぎないようあせって歯止めをかける。  「あんま期待すんな、ビンボーだからな」  「聖夜の奇跡に期待する」  陽気なクリスマスソングを口ずさみつつ遠ざかっていくフジマを追いかけながら、粘り強い説得を重ね助っ人の約束をとりつけたというのにどうしてだか胸騒ぎがし、今年のイヴは受難に見舞われそうだなあと諦め気味に思った。  結論から言うと、フジマを助っ人に抜擢した俺の目論見は大当たりだった。  「すっげえ売れたな!積んどいた山が端から売れてった!去年一昨年より捌けるの早かった、外売り始めてから一番の売り上げだってさ!」  「お役に立てて嬉しいよ」  「店長からケーキ貰ったし食お!賞味期限切れねえうちに!」  「ここで?家帰ってからのがよくないか、フォークもないのに」  「日付変わる前に食わなきゃクリスマスケーキの意味ねえよ!いや、まだイヴだからクリスマスイヴケーキが正解?」    はしゃいで扉を開け放ち更衣室にはなだれこむ。  壁に沿って等間隔にロッカーが並んだ更衣室の中央には長い机とパイプ椅子がある。  「ありゃ、俺たちだけ?須賀さんとかはもう帰っちゃったのか」  からっぽの更衣室を見回し呟く。  須賀さんは俺のバイト仲間で現役女子大生、親しみやすい笑顔が魅力の清潔感ある美人だ。  ほんの三十分前まで表で一緒に売り子してたんだけどどこにも姿がないってことはとっとと帰っちまったんだろう。着替えを覗こうって下心があったわけじゃないが、ちょっと寂しい。  「この店の更衣室って男女共用なの?」  ぎくりとする。  フジマのヤツが俺の心を読んだように絶妙のタイミングできわどい質問をしてくる。  「あー……大丈夫、女の子が着替える時はちゃんと時間ずらして男は外で待つ決まりだから。覗きません、誓って。そんなけしからんまね神様仏様イエス様ついでにお袋さまに誓っていたしません」  「むしろ巧が覗かれないか心配だな」  「~お前はまたそういう……」  脱力。  右手にケーキの箱をぶらさげ敷居を跨ぎ入室、背後でフジマがドアを閉ざす。  「なんにせよ無事終わってよかった。一時はどうなることかと思ったけど」  ケーキは売れた。  売れすぎたのだ、予想を超えて。  積み上げた山の端から飛ぶように売れていく様は壮観だった。  一時は在庫が追いつかないのではないかと危惧したほどだ。  というか、例年になく好調で快調な売れ行きだったのはフジマのおかげというかせいなんだが。  「ふ~……」  どちらからともなくパイプ椅子を引いて疲れきった体を投げ出す。右手に下げたケーキの箱を机に置く。  隣でため息をつくフジマを一瞥、素直な感想を述べる。  「なに着てもいやみなほど似合うなあ」  今のフジマは俺とおそろいの赤いサンタ服、おまけに先端がくたりとしなだれたトンガリ帽子を被っている。珍しく意外性を狙ったイロモノお笑い路線だが、なにしろ素材が申し分ないので、インパクト満点のコスプレにも霞まぬ中身が輝く。  サンタクロースのコスプレがけっして滑稽に見えず、これはこれでありかなと錯覚来たすお茶目で遊び心にあふれた着こなしに見えてくるのは絶対こいつが美形だからだ。  その証拠に立ちん坊で比較される俺ときたら、ほら。  「もごもごしてないでひげとったら?暑いだろ」  「むがっ!」  フジマが前かがみになり一気に付け髭を毟りとる。  ひりつく頬をさすりつつ、恨みつらみをこめた目つきで幼馴染をねめつける。  「不公平だ、なんでお前だけ髭免除なわけ?」  「似合わないから?」  「差別反対!イケメン贔屓反対!」  ああわかってますとも、所詮は負け犬の遠吠え、平凡な顔の平凡な男の僻み。  鼻息荒く異議を申し立てる俺を爽やかな笑みで宥め透かし席を立つ。  「喉渇いたろ。飲み物買ってくる。何がいい?」  「ミルクティー!」  「じゃあ俺も」  当然フジマのおごり。王子様は気前がいいのだ。  無理言ってイヴを潰させバイトに引っ張り込んだけど、本当ならバイトの必要なんてないほど財布の中には金が唸ってるのだ。一応これでもイヴを潰させた引け目があるので、まだ言い足りない口元を引き結んで無造作に足を投げ出す。  街頭販売は盛況だった。  フジマのおかげで。  間違いなく本日のМVPはフジマだ。  こいつがちょっと微笑みかけりゃ寒空の下に立つ売り子など無視してさっさと通り過ぎようとしていたご婦人方がわらわら寄ってきて「今晩は、寒いですね」「よかったらケーキ持って来ません、美味しいですよ。キャンドルもサービスします」「ご家族もきっと喜びますよ」と故あってサンタに身を窶した王子様がはにかみがちに囁こうものなら、じゃあひとつ頂こうかしらと餓鬼の如く手が出るやら手が出るやら。  「フジマサンタさまさまだなあ……もうあれだ、お前のたらしの技術には感心するっきゃないね。プロの領域」  「たらしのプロってナンパ師みたいでやだな。心外」  「事実だからしょうがねーだろ?」  フジマサンタの働きぶりは目覚ましかった。  後光をしょった千手観音の如き八面六臂の大活躍で、行列を右に左に遅滞なくさばいてケーキの箱を渡して行くフジマの横で、俺はといえばちんたらもたついてトチって怒鳴られての冴えないくりかえしで、おまけに俺に当たった女が「なんだ、あっちのかっこいい子じゃないの。がっかり」みたいな、お姉さんそれちょっと正直すぎですよみたいな落胆の表情をしやがって、実を言うとかなり、いや、ひどく傷付いていた。  努力が報われないのは慣れてるけど、頑張りが認められないのはやっぱり、ちょっと、来る。へこむ。  「巧サンタもがんばった。お疲れ様」  フジマが優しく労う。  俺は俯き、店から貸し与えられたサンタ服の裾にまとわりついた埃をつまんで捨てる。  イヴしのぎの手伝いのつもりで呼んだのに、ふたを開けてみれば足手まといは俺のほうだった。  フジマが更衣室の片隅の自販機に歩み寄って硬貨を投入、しばらくして鈍い音たて保温された缶が落下。取り出し口に手を突っ込んで缶紅茶を二本取り出す。  褒められて胸がざわつく。  自分より優秀な人間に褒められるのと、そう言ってくれるのがそいつしかいないという寒々しい現実はまったく別の意味を持つ。  「熱いから火傷しないように気をつけて」  「ん」  フジマの手から缶を受け取る。  長時間外気に晒され冷えきった手をこすって温める。  後片付けは俺たち二人の担当だった。店長含めた他のバイトはそれぞれ私用で先に帰った。  「店長はこれから家族とパーティーだってさ」  「へえ、結婚してるんだ」  「小学生の子供が二人。一人は女の子でもう一人は男の子。ラブラブ夫婦なんだと。須賀さんは……彼氏かなあ、やっぱ」  「巧やけにあの子のこと気にするね。仲いいの?」  椅子に座ったフジマの目が不穏なかんじに細まる。  「仲いい……ってほどじゃねえけど、シフトおなじだし割によくしゃべる。こないだメアド交換してもらったし」  「へえ」  「……なんだよ、その『へえ』は」  「惚れっぽいの治ってないんだ」  またか。病気が始まったよ。  こいつの嫉妬深さは異常だ。  相手が女だろうが男だろうが俺に接触するヤツは片っ端から敵視する。  バイト仲間の女の子にまであらぬ疑いを抱く腐れ縁以上恋人未満の幼馴染にあきれ、輝かしい戦利品でも獲得したようにメアド入手を自慢してしまった愚を悔やむ。  けれどこんなやりとりは毎度の事で、フジマが俺に長年の片思いを明かしそれを前向きに検討しますと保留してから何十回も繰り返してきたささやかな行き違いであって、対応を間違いさえしなければ深刻な事態にならずにすんだのだ。  「……お前ってそんなめんどくさいヤツだっけ」  まずい、口が滑った。  フジマの目が据わる。  本格的に機嫌を損ねたのが、笑みを薄めて酷薄さを増した表情で、わかる。  待て、弁解させてくれ。俺の言い分を聞いてくれ、一方的に悪者扱いされるのは癪だ。  確かにそう、助っ人に入ってくれと泣きついたのは俺だ。頼み込んだのは俺だ、それは認めよう。  フジマ王子の潜在能力をなめていた。  一日限りの助っ人だというのに店長以下バイト仲間に引き合わせるや「巧の友達のフジマです。皆さんの足手まといにならないよう精一杯がんばりますんでよろしく」と礼儀正しく謙遜し古参を立て、されどけっして卑屈に成り下がらない物腰に友好的な笑みを添えて好印象の挨拶をかまし、皆の心をがっちり掴み、「フジマくんはむしろそのままがイイ」「店長これでいきましょ、せっかくの高級素材生かさなきゃもったいないです!」「客寄せパンダに覆面させるなんて愚の骨頂!」という女性陣の強い希望によって付け髭を特別に免除され、街頭販売では陣頭に立って見込まれた効果を存分に発揮し、ケーキよりもむしろフジマめあての女性客が殺到するという異例の事態が発生した。  俺は?  フジマのまわりをどんくさく走り回ってけつまずき、転倒の際にテーブルに手をぶつけて、ケーキをひとつ踏みつけてだめにしちまった。店長には「なにやってんの高橋くん!」と叱られ、テーブルを囲んだ客には笑いものにされてさんざんだった。  問題のケーキはいま、机にのってる。  さいわい俺が踏みつけたのは角っこで、箱が少しひしゃげただけで中身の大半は無事だったのだが、売り物にはできないという店長の判断で下げられたのだ。  そして在庫一掃後。  「余り物でよければ持ってっていいよ」なる寛大なお言葉を店長より賜って、ドジの責任をとらんとする一念で……というのは建前で、ちょっと潰れただけで捨てちゃもったいないという貧乏性と意地汚さとでお持ち帰り。  フジマ以外誰も褒めちゃくれないけど頑張った自分へのご褒美として有り難くいただくつもりだったのだが。  「……なんだよ、言いてえことあんならはっきり言えよ」  重苦しい沈黙に痺れを切らし、強請る。  しかしフジマは沈黙を保ち、机にのったケーキの箱に手を伸ばして静かに開け始める。  「待てよそれ俺のケーキ、」  「『俺たちの』だろ?」  フジマが無表情に訂正する。  確かにあの場にはフジマがいた、後片付けを請け負った報酬として二人一緒にケーキを貰い受けた。  「小学生レベルの簡単な分数。二人で一個なら半分こするのが筋じゃないか」  優しくご丁寧に教え諭しながら箱の口を開けて微笑む。   「よかった、ナプキン入ってる。汚れた手で食うのは抵抗あるもんな」  「……手掴みで食うの?」  「悪いか」  「……好きにしたら?」  むきになる、意地になる。  どうせ食うのはお前なんだから勝手にしろよと投げだしてそっぽをむく。  俺はただ、王子様なフジマが豪快にも手掴みでケーキを召し上がりなさるなんてイメージできないと思っただけなのだ。  「どうでもいいけど服汚すなよ。年一回っきゃ出番なくても店の備品だから汚したらクリーニング代請求……」  言いかけた注意が途切れる。フジマが右手でクリームをたっぷりすくい、俺の口元にこすりつける。  「!?なっ、」  「髭だ」  「ふざけんなフジマ、やめ」  俺の肩を掴んで固定し、身を乗り出し、今度は頬へとクリームをなすりつける。お次は鼻の頭。いやがる俺の顔中クリームを塗りたくりながらフジマは無邪気に笑う。  「面白い顔」  「いい加減にしねえとキレるぞこのボケ王子、食い物粗末にしたら血糖値が上がる呪いかけるぞ!!」  椅子の脚ががたつく。  無理矢理おさえつける手をふりほどこうと必死にばたつくも、フジマはすっかり悪ふざけに夢中で、俺が暴れるほど興が乗って満悦し、長くしなやかな指を器用に操って頬へ瞼へ鼻へ顎へとクリームを乗せて洗顔料を泡立てる要領で伸ばしていき、俺の靴の下敷きになり不恰好に潰れたケーキの端っこを一口サイズ毟り取る。  「あーんして、巧」  やなこった。  がんとして口を閉じ顔を背け抵抗を試みる、しかしフジマは執拗に攻勢を仕掛けてくる、手掴みのケーキを俺の頬へ押しつけ唇に押しつけクリームのべとつきを移していく。  「食べ物で遊ぶな、もったいねえ」  「ちがう、巧で遊んでるんだ」  悪戯っぽく意地悪い囁きに酔わされ、目の前に唇が迫ったと思った次の瞬間に奪われていた。  手中のケーキの切れ端にばかり注意をひかれ油断した。  フジマが唇に吸い付く。  唇をこじ開けてもぐりこんだ舌が浅く入り口をつつく、刺激に弱い口腔を潤う程にかきまぜられ手足がふやける、椅子に腰掛けてなかったらそのまま床にへたりこんでしまいそうな脱力感が襲う。  「口、もっと大きく開けて」  「!んっ、む」  フジマの唇が離れ物足りなさを覚える。  抜かれた舌の代わりに純白のクリームを纏わせた指がもぐりこむ。フジマの手から直接ケーキを食う。俺の口にケーキの切れ端を無理矢理押し込んで咀嚼を強要する。ケーキのスポンジ生地が歯に当たって脆く崩れ、イチゴの甘酸っぱさがそこに加わり、クリームの甘さが口全体に溶け出して  頬を這う舌の感触に驚く。  フジマが完全に席を立ち、俺の両肩を掴んで顔中のクリームを舐めとる。耳朶にちらつく舌に体温が上がる、溶け出した頬のクリームを味わう、唇の端にくっついた塊に接吻する。  「なに考えてんだ更衣室で、だれか来たらどうすんだ……」  「みんな帰ったって言ったの巧だろ」  フジマの舌がくすぐったい。猫みたいだ。思わず笑っちまう。  フジマは実に美味そうに、どこまでも丁寧に、すみずみまで心をこめてクリームを舐めとる。  もっともこもっていたのは心は心でも「下」がつくほうで、やたらねちっこい舌遣いはクリームを舐めとるという建前とは別の不純な動機を感じさせるに十分で、実際フジマは俺のサンタ服に手をのばして前を寛げ始めてるじゃないか。  「……勘弁してくれ……」  更衣室で、しかもコスプレ姿でことに及ぶのはいやだ。変態臭すぎる。  「このかっこはいやだってマジ、イヴにサンタコスで男とヤるなんてギャグだろ……!?」  「終了」  「えっ」  案外あっさりと離れていくフジマにびっくりする。後味を反芻するように色っぽく唇を舐め、挑発的に微笑む。  「かわりばんこ。今度は巧が食わせて」  「食わせるって……フォークもねえのに……」  「俺がやったの見てなかったのか?」  それはつまり、たった今フジマがやったのとおなじやりかたで食わせろということで。  「…………っ、んなしょっぱいまねお断りだ!なんだってイブに更衣室で男ふたりっきりケーキの食べさせっこなんて」  「巧の頼み聞いてやったのに」  「ずりーぞ」  「どっちが?」  揚げ足をとられる。フジマは再び椅子に腰掛け決断を待つ。  苦悩を克服してため息をつく。  頬にはまだ艶かしい舌の感触が残っていて、乾き始めた唾液のあとを手の甲で一拭きし、ナプキンで手のひらを拭ってからケーキの一角をむんずと手掴みでむしりとる。  挑発に乗り、すっかり観察者の姿勢で取り澄ましたフジマの口元へと、おそるおそるケーキの切れ端をもっていく。  「口開けろ」  素直に口を開く。  無理矢理突っ込んでむせさせたい誘惑が襲うが、大人げないと自らを諌めて発作を封じ込め、上品に開けた口へとケーキを近づける。フジマが切れ端をぱくつく。唇にクリームがつく。  「甘い」  フジマが俺の手からケーキを犬食いする光景はひどく倒錯的で、与える側までやましい気分になってくる。  伏せた睫毛が落とす影のせいか、唇にこびりついた生クリームのせいか、俯き加減の顔から普段にも増して大人びた色気が匂い立つ。  「……っ……くすぐったいからよせ……」  切れ端をすっかりたいらげてしまってから、意地汚く手のひらのすみずみまでなめる。指の股にまでもぐりこんだクリームをこそぎ、手のひらの中央の窪みにくちづけ、啜り、指を一本ずつ咥えてしゃぶる。  「……フジマ、……~っ、お前ぜってえわざと」  「じっとして。食べにくい」  そっけなく注意し、五本全部の指を強弱つけ、絞るように吸う。  指先には神経が集っているという。だからだろうか、手のひらをなめらてるだけで体が変に火照ってくる。  くすぐったさを通り越した秘密めいた快感がこみ上げて、クリームと唾液に塗れた手のひらが疼く。  「っ………」  「ごちそうさま。どうしたの巧、顔赤い」  フジマの指が頬にじゃれつく。それを払う気力もない。勝手に目が潤んでくる。  「……お前って……すっげえヤなヤツ」  頼ったのは俺なのに、弱みにつけこまれたような気がするのはどうしてだろう。  自己中で身勝手で卑屈な自分が嫌いだ。  一年に一度のイヴになにやってんだか。  恨み言を呟いて俯いた俺の肩を抱き、やりすぎたかなと心配げに覗き込んでくる顔に向かい、ぶっきらぼうに言い放つ。  「プレゼント、やる」  フジマが面食らう。  自分から言いだしたくせに今の今まで忘れていたといった反応に余計苛立ち、ロッカーに歩み寄るや乱暴に扉を開け、上段の小包みを腕ふりかぶって投げつける。  つまらないいやがらせ。  だけどこれくらいは許されるだろう。  ロッカーの扉を後ろ手に閉じてもたれ、息を詰め反応をうかがう。  「開けていいか」  フジマはいつになく緊張し、急かされてるともじらされてるともつかぬ手つきでもって包装紙をがさつかせる。  がっかりした顔が見れるだろうかと内心残酷な期待を抱く。  「マフラーか」  フジマへの贈り物はバーバリーのマフラー。よく女子高生が首に巻いてるあれだ。  それがフジマの趣味ではないと知りつつ贈ったのは、今フジマの手の中にあるマフラーはかつてバスケ部のエースに憧れた他校の女子が渡したプレゼントだからで、俺もその場に居合わせてフジマが贈り物を受け取る瞬間をばっちり目撃したからで。  だけどもその後、フジマがそのマフラーを巻いて登校したことは一度もない。  早い話、俺は最低なやりかたでフジマを試したのだ。  「………ありがとう」  フジマは心底嬉しげにマフラーを受け取った。  包装紙を破いて出てきたのが以前貰ったのと全く同じマフラーでも幻滅せず、大事そうな手つきでもって取り上げて首に巻き、そうしてからクリームがつくのを恐れ、なにをやらせてもそつなくこなす完璧な王子様にはふさわしからぬ慌てぶりで指を拭く。  「がっかりしないのか?」  まさか忘れてるのか。  むかし女の子から貰ったプレゼントのことなんて、すっかり。  「それ、中学ン時もらったのと同じのだろ。おなじのふたつ持ってたって意味ねえ」  「巧は特別」  俺が言いかけたのを遮り、二重に巻いたマフラーの端をたらして颯爽と歩いてくる。顔には極上の笑み。心底幸せそうな顔。  サンタ服にチェックのマフラーはどう考えたって不釣合いで不自然なのに、フジマの場合どうしてもそうは見えず、この組み合わせは全然ありに思えてきて、だけどそれはフジマが颯爽と背筋を伸ばし自信満々に歩いてるからだと今気付く。  近くて遠い場所にあるなにか素晴らしいもの、特別なものへと向かっていくように。  「巧がくれたものだから特別になる。巧が俺の一番だ」    反則だサンタさん。  この男にこんな顔でこんな事言わせるなんて。  それを言わせてるのが俺だって現実にお手上げだ。    「……お前って……俺なんかのどこがいいんだよ……」  卑屈で。  地味で。  モテなくて。  「『なんか』じゃない。巧は原石だ。俺なんかよりもっと光り輝く、もっとキレイで素晴らしいものだ」  「あてつけだぞマフラーは」  「どんどんあてつけてくれ。巧からの贈り物ならなんだろうが歓迎だ、巧が俺のためにわざわざ店に足を運んでそれを選んでくれたって事実だけでしあわせになれるお手軽な男なんだ、フジマ様は。プレゼント選びのあいだ俺のことで頭をいっぱいにしてくれたってだけで」   俺は原石だとフジマは言う。  それは嘘だと否定する。  あれはフジマがついた嘘で、俺はやっぱり石ころで、対等になりたいと足掻きつつなにひとつこいつにかなわないんじゃないかという疑惑がつきまとい、無性に意地悪をしたくなる。  おそろしく甘いこの男の、なにをどこで間違えたか俺なんぞに惚れてるという物好きな幼馴染の本気を確かめたくて、俺が泥んこの石ころでもダイヤモンドは変わらず好きでいてくれるのか、嫉妬と羨望と劣等感に塗れた俺の醜く汚い面を目の当たりにしても引かないでいてくれるか、いちかばちかの賭けにでる。  イヴにはささやかな奇跡が起きる。  どうか今だけ劣等感よ、素直になることを許してくれ。  どうか今宵一晩限り、殻を破る勇気をくれ。    「気が変わった。返せ」  「えっ?」  目を見張るフジマの首から無理矢理マフラーをひったくる。  「待てよ、それ俺にくれたんだろ?一度もらったもんを返せなんてずるい、そんな、さっきのケーキのことで怒ってるなら謝るから」  しどろもどろ動揺しまくって謝罪を口走り、マフラーを奪還せんと手を開閉するフジマに命令する。  「こっちは俺が使う。お前は前に貰ったの使え」  「え?えっ?えっ?」  「鈍いな。言わせるなよ。これとおんなじ」  無造作にマフラーを巻き、赤らんだ顔をチェックの生地に埋め、サンタ服の端っこをつまんでたくしあげる。  「………ペアルックってこと?」  確認にあえて無視をきめこみ、困惑顔のフジマの前に立ち、殆ど喧嘩を売るような調子で祝福する。  「めりーくりすます」  フジマに向かい立つやマフラーの切れ端をさっと跳ね上げ、その切れ端にフジマが目を奪われそっぽを向いた隙につけこみ、頬に唇をおしつける。  フジマが顔を正面に戻す前に素早く唇と体を放し、とびのき、唇に残る感触を手の甲で擦って消して赤面をごまかす。  「巧サンタからフジマサンタへの酸っぱいプレゼントだ。有り難く受け取れ」  「酸っぱい?」  とろけるように笑み崩れたフジマが俺の肘を掴み、けつまずいて倒れ、サンタ服の胸元へと顔面から突進する。  腕の中でもがくも抱擁はさっぱりゆるまず、俺のマフラーを引っ張って自分の首へと巻きなおし、改めて耳元で囁く。  「とんでもない。すごく甘い。さっきのクリームなんか比べ物にならないほど最高に甘かった」    知らなかった。  人の手から食うクリスマスケーキってしょっぱかったんだ。      マフラーをヤドリギ代わりの隠れ蓑にしたクリスマス・イヴ、またひとつ大人になった。  ダイヤモンドへの道のりは、遠い。

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