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ああ哀愁の取調室
「ご存知ですか羽生さん、巷では壁ドンが流行ってるそうですよ」
「何いきなり聞いてもねーサブカル知識披露してんの?目立ちたがり屋なの?」
「派生で床ドンや蝉ドンもあるとか」
「随分寝相が悪ィな。蝉もいい迷惑だ、ただでさえ一週間の儚ェ命をあたらに散らして」
「佳人薄命畜生短命ですね」
「酷い事言うなお前。てゆーか蝉は畜生の部類なのか?虫じゃね?」
「そして所轄署では机ドンが流行ってます」
「あー刑事ドラマでよくあるアレだろ?時代錯誤だよな。圧迫面接だって非難されるご時世なのに今だに腕っぷし頼みの石頭の刑事が多いご様子でっと」
「犯罪者に人権はありませんからね。特に羽生さん、アナタには」
「待て待て法治国家だろ日本は。しかも名指しって…たしかに飛べば吹くよーなケチなスリ師なのは否定しねえが痴漢や強姦魔よりは地位が上だろ」
「訂正します。性奴隷に人権はございませんので」
「誰の?」
「私の」
「初耳だよ!何、何なの、俺知らない間にお前の姓奴隷認定されてたの!?アレは弱み掴まれてイヤイヤ不承不承仕方なく……」
「ハイカラにセフレと言い換えますか」
「性奴隷とセフレには天と地の開きがあっから!セレブと鼻セレブ位違うから!」
「公衆便所のトイレットペーパーだってなめてはいけません。日本のティッシュペーパー及びトイレットペーパーの品質は折り紙付き。まさに紙にして神、世界に誇れる最高品質の消耗品です」
「脱線しすぎだろ」
「すいません、私としたことがつい熱くなってしまいました」
「なあ、喋ったら喉渇いたんだけど茶とかでねーの」
「十回ほど使用したティーパックで淹れた出涸らしの緑茶でよければ」
「それ水だろ。水に限りなく近いカテキンウォーターだろ」
「やれやれ、被疑者のくせに態度がでかいですね」
「被疑者って……今日の俺は目撃者だろ」
「まあ一応はそうなりますね。建前では」
「建前ってなんだよ。いいか何か誤解してるみてーだがハッキリ言っとくけど、俺は正義感と良心から任意の取り調べにまかり越してやったんだぜ。感謝してほしいくらいだ。で、カツ丼はでねーの」
「社会のド底辺の犯罪者に善良なる小市民の血税からカツ丼を供出せよと?羽生さん、今日のアナタが有意の情報提供者なのは否定しませんが……少しは遠慮という概念を知ってほしいですね」
「いや、俺もそんな鉄錆びたカツは噛み締めたくねえが……あーいいや、とっとと先進めようぜ。いつまでもこんな密室で野郎と顔つきあわせていたくねえ。特にお前とはな。ナニされるかわかったもんじゃねえ」
「心外ですね、私だって時と場所と人くらいは選びますよ」
「性奴隷よばわりしなかったか?」
「話を戻します」
「無視か。人権だけでなく言葉もスルーか」
「山手線は貴方の仕事場。その日も貴方はホームでカモを物色していた。そして若者が会社員を線路に突き落とす決定的瞬間を目撃した。折しも電車到着のアナウンスが響く。ざわめく客たち。それを見た貴方は反射的に走り出し線路に飛び降り、電車と衝突直前の会社員を見事救出した」
「颯爽とな」
「すごい。素晴らしい。まるで善人だ」
「ふん。ほんの気まぐれだよ」
「貴方の咄嗟の機転と勇気が人命を救助しました。会社員は病院に搬送されましたが命に別状はないそうです。貴方に大変感謝しておりましたよ、羽生さん」
「表彰されたのち金一封をもらってもいい位の大活躍だ」
「……まさかそれが目的で署にきたと?」
「ソンナコトネーヨ」
「美談を台無しにする通俗な守銭奴精神ですね。ある意味尊敬します」
「ドーモ」
「皮肉ですよ。まあ下心の有無はおくとして己が身を顧みない英雄的行為と勇敢さは賞賛しないでもありません」
「あのな、目の前で人がホームから転落したらフツー助けるだろ。どんだけ冷血クズだと思われてんだよ俺は、偏見はなはだしいぜ。そりゃおったまげたが、あの時はオッサン助けなきゃって体が勝手に動いちまった」
「羽生さん」
「んだよ」
「貴方はいい人ですねえ。クズだけど」
「どっちだ」
「そういう所嫌いじゃありませんよ」
「ふん。おだてにのるか」
「他に大勢野次馬がいたのに咄嗟に体が動くのが貴方の美点です。そんな貴方を囮捜査の相棒に見込んだ私の目に狂いはなかった」
「悪夢を蒸し返すな」
「話を戻しますが……当時の状況を詳しく知りたい。現場から逃走した若者についてなにか知りませんか」
「詳しくも何も。傍迷惑な奇声を上げてる奴がいると思って振り向いたらオッサンとチンピラが揉みあってて……唾とばしてうるさくがなりあってっし、なんかヤベー雰囲気だなと横目でちらちら見てたらオッサンが突き飛ばされて。ちょうど電車が滑り込んできたから一目散に駆け寄って飛び下りてよ、ぎりぎり間に合ったんだが……飛び下りる前に一瞬すれ違ったな。頬に粗いニキビ痕があって、髪は金茶に染めてイマドキのチンピラっぽい身なりだった」
「ふむ……概ね他の証言者と同じですね」
「だろうよ」
「ひとつ状況を整理しましょう。事件発生時刻は16日08時32分頃、場所は新宿駅山手線ホーム。都内証券会社勤務の某会社員(42)…そうですね、仮にピエール氏としましょう」
「瀧かよ。ピエールどっからきた、純日本人顔だったぞ。岡本さんって顔だったぞ」
「醤油顔とソース顔があるならニョクマム顔があってもいい」
「名倉?東南アジア系か?」
「そのピエール(仮)氏と行きずりの若者の間で口論が起きた。先も申しました通り肩があたったあたってない、足を踏んだ踏んでないのきっかけは日常ごくありふれたトラブル。周囲には目撃者多数、ですが皆恐々眺めているだけで止めに入らなかったそうですね。触らぬDQNに祟りなし、世知辛い世の中です」
「被害者がピエールで加害者がラサール?ははっ」
「加害者は被害者をホームから突き落とし現場から逃走、以降の行方は不明。なお悪い事に入院中のピエール氏は頭を強く打ったショックで前後の記憶が飛んでおり犯人の顔を覚えておらず捜査は手詰まり。そこで貴重な目撃者にして証言者、善意にして任意の情報提供者として貴方に白羽の矢が立ったわけです」
「渾身のボケは無視かよ!?」
「その程度が渾身とは片腹痛い」
「ってもなあ…答えられる事なんてねーよ」
「あ。カツ丼の出前がきました」
「頼んでたのかよ!なんだよ、気ィもたせやがって。やっぱ取調べにゃこれがなきゃなー」
「市民の血税から出たカツ丼、しっかり噛み締めて味わってください」
「いちいち食欲失せる事言うな、口ん中が鉄臭くなりそうだ。ほんじゃま、いただきま」
「ところで羽生さん、被疑者にカツ丼を食べさせるのは勝訴にひっかけてカツ ドン!という縁起担ぎなんでしょうか。つまり勝訴ドン!という」
「知るか」
「あくまでしらばっくれる気ですね」
「あァん?」
「私をだましとおせるとでも?ネタはあがってるんですよ」
「な、なんだよ急に」
「私が今頭の中で何を考えてるかわかりますか」
「ろくでもねーことだろ。そうだな、今日帰りに借りて帰るAVの妄想」
「机を隔て向き合ってると貴方の数少ない取り柄である引き締まったヒップラインが拝めず非常に残念です」
「んなこと考えてたのかよ!?俺の大臀筋はお前に視姦させるために鍛えてるんじゃねえ、てっとりばやくサツを巻く為に跨線橋を上り下りしてたゆまず鍛えてんだ!!」
「せめて兎跳びするくらいの意地は見せてほしいですね」
「テメエの脳内を規制したい」
「手遅れです。もう三十回は犯しました」
「脳内のお前早漏だな!」
「いえ、私はビンビンです。羽生さんは死にかけですが」
「脳内の俺早漏だな!?」
「やれやれ、私の脳内で現在進行形ノンストップエンドレスで繰り広げられる羽生さんの痴態を微に入り細を穿ちご説明しろと?いいでしょう。正常位と騎乗位と後背位どれから」
「却下!全却下!」
「壁に手をついてこちらを向きなさい。ふふ、耳朶まで真っ赤ですよ……浅ましく息を荒げて物欲しげに目を潤ませて。何が欲しいか言ってごらんなさい。しっとり汗ばみ撓う背筋をつぅと指でなであげれば官能の震えに下半身がさざなみだち」
「……お前……俺をおちょくって楽しいか」
「愉しいですとも」
「いい笑顔だな」
「羽生さんは楽しくありません?」
「はあ?楽しい訳あるか不愉快と生理的嫌悪の極みだ!なにを好き好んでむさ苦しい取り調べ室でくそ嫌味ったらしいエリートと小一時間ツラ突き合わせてなきゃなんねーんだ、しかも相手は俺のバックバージン奪いやがった強姦魔ときた。好感を抱く理由が不明だね」
「そうですか」
「ああ」
「それは誠に申し訳ない事をしました。長い間付き纏ったご無礼ご迷惑、平に謝罪いたします」
「……いやに殊勝じゃねえか。気味ワリィ」
「まさか羽生さんにそこまでご不快に思われていたとは……てっきり勘違いをしてました。無理矢理といえど一度は体を繋げた仲、多少は私に好意を持ってくれてるのではと不肖玉城些か思い上がっておりました。羽生さん、誤解しているならこの機会にちゃんと申し上げておきますが私は貴方に一目おいているんですよ。スリ師としての天与の才、狙った財布は逃がさない動体視力……なにより自分の職業に誇りを持っている」
「………」
「そう、貴方は口達者ですが本来口より先に手が出る人だ。それこそが山手のハブ、プロのスリ師。実際の所貴方は強い正義感の持ち主だ。女子供や年寄りはけっして狙わない、あきらかな貧乏人からは盗まない、スリを是としても人を傷付ける行為は邪道と否む。そんないまどき時代遅れの意固地な信念を曲げない貴方だからこそ羽生さん……いまだに逮捕などせずに泳がし続けているのですよ」
「都合よく使ってるだけだろ。パシリとして」
「否定はしません。それでも世間に害しかおよぼさないなら即逮捕して刑務所にぶちこんでいます。私が何故それをしないかわかります」
「さてな」
「山手のハブの心意気にとことん惚れているからです」
「…………」
「スリ師は貴方にとって天職だ。なるほど、貴方はこの業界では知らぬ者とてない天才だ。一流の職業人だ。ですが人品卑しい犯罪者ならその手に手錠を嵌めぬ道理はありません、私が貴方の手をそうしていつでも自慰できるよう自由にさせておくのは貴方がけっしてその手で人を傷付けないと信じているからです。現に貴方は線路におちた赤の他人を苦心惨憺引っ張り上げた、電車に身を曝す危険を犯してまで」
「…………」
「悪人になりきれないお人好しだ。だからこそ私は」
「……もういい。俺の敗けだ。めあてはコレだろ」
「――やっぱり貴方が持ってたんですね」
「しゃらくせえ、とうに察しはついてたくせに。すれ違い際つい手がでちまったんだ。疑うなら調べな、免許証にクレジット、ネカフェの会員証まであるぜ。住所氏名年齢ばっちりだ」
「……貴方を責める気はありませんよ」
「俺だってテメエの身が可愛い。サツが行方くらましたホシをさがしてるたぁ聞いたが、馬鹿正直にコレ持ってったらどうやって手に入れたか疑われんじゃねーか」
「落とし物と言い抜ければ」
「身バレしてなきゃな。山手のハブのツラと名前は売れちまってる。……正直持て余してたんだよ、何度匿名で警察に投げ込もうと思った事か」
「さっさとそうしてしまえばお互い手間が省けたのに要領が悪いですね」
「うるせえ、ぶっちゃけ交番なんざ近寄るのも願い下げだよガキの頃からおまわり見たら逃げろって躾けられてんだ今日だってテメエに呼び出されなきゃ誰がくるか!」
「どんなご家庭ですか」
「こっちも責任感じてんだよ」
「何故?人を助けたんでしょう、誇りこそすれ自分を責める必要はありませんよ」
「……あのおっさん、元気か」
「ええ。怪我も治って近日中には退院するとか。命の恩人に大変感謝しておりましたよ」
「……ならいい」
「なんですか、その手」
「なにって、とっとと手錠かけて留置所にぶちこめ。それが狙いなんだろ。やっちまったことはやっちまったことだ。現物もあるし言い逃れはできねえ。潔く腹をくくるさ」
「……しょうがないひとですね」
玉城が苦笑いし、そろえて突きだされた羽生の手をとる。
その手をおもむろに引き寄せ、手の甲に接吻する。
「………!?な、」
「満足しました?ならさっさと帰ってください、警察も暇じゃなくてね……裏ビデオ業者酔っ払い痴漢露出狂とあとがつかえてるんです」
「?は?……逮捕は?留置所は?カツ丼は?」
「もう貴方に食わせるカツ丼はありませんよ。経費削減中なので」
机上に放置された財布を拾いあげ、呆然とする羽生の前でひらひらと翳してみせる。
「この財布は善意の第三者が拾って届けてくれたと報告を上げます。おかげで捜査もはかどります、犯人もじき捕まるでしょう」
「それで……いいのかよ」
「いいもなにも」
玉城がしてやったりとほくそえみ、面映ゆげに羽生を眺める。
「惚れた弱みって奴ですよ」
言わせないでください恥ずかしい。
実際の所、マングースはハブにぞっこんなのだった。
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