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ああ迷い子よどこへ行く 前
山手線はスリ師の梁山泊にして登竜門として知られている。
即ち108星のツワモノどもが集いて鎬を削る武門であり、昇りきれば鯉が龍へと成りあがると噂される修羅場の修練場。
ただし山手線を縄張りにしてせっせとシノギに精を出す連中が持て余してるのは108の煩悩であって、108星なんてカッコイイものじゃない。ほかならぬ現役スリ師の俺様が断言するんだから間違いねえ。
俺は山の手のハブ。
この二つ名をだしゃ大抵の奴はびびる……
ってのは誇大妄想の大言壮語、生業を同じくする一部の連中には少しばかりコケオドシがきくがただそれだけ。
二つ名が売れたところでいい事はねえ、俺達の業界で与えられる二つ名は猛犬注意の鑑札と同じだからだ。しかもその殆どがネーミングセンスのかけらもねえ最低にださい代物ときた。
苗字の羽生にひっかけて山の手のハブ、そのまんまじゃねえか。
安直にして短絡の極み、もっと他になかったのかよスタイリッシュに英語にするとか。マウンテンハンドハブとか、ひっくり返してブーハーとか……だせーなこれ。だささに磨きがかかったな。訂正。撤回。今の方がなんぼかマシ。
まあハブのように目にもとまらない手さばきであっというまに財布を抜き取る犯行に由来してると考えりゃ悪くはねえが、俺自身がこの二つ名を気に入ってるとか鼻にかけてるとか思われたかねえんでそこんとこヨロシク。
山手線は俺の縄張りにして釣り堀、獲物の物色を兼ねてぐるぐる周回して流すのが日課。
暇で楽な商売?
車窓観光もできて一石二鳥の山手線めぐり?
冗談、この業界も不景気が続いてなかなかシビアだ。腱鞘炎になるまで財布をスッてスッてスリまくっても稼ぎはしょぼい、というのもこのご時世電子マネーカードが隆盛して大金を持ち歩く奴がぐっと減ったからだ。分厚い万札入りの財布になんてここ暫くお目にかかってねえ。
外目で財布の中身を見分けるのは至難の業、眼球に赤外線レーザーでも埋蔵してなきゃ無理無理絶対無理。
生憎と財布の透視能力まで持ち合わせちゃねえ俺は、札束の厚みとカードの厚みとを間違えてハズレを掴まされる。
想像してみろ、苦労の末にスッた財布を検分したらTカードやポンタやナナコでパンパンに膨らんで現金はちびっと、未練たらしく逆さにふったら百円玉がコロコロ、ガムの包み紙とバナナの香り付コンドームが一個。
そんな収穫のない日々が続けば自然とやる気も失せるしポンタをへし折ってナナコを叩き付けコンドームを噛み切りたくもなる。ていうか香り付コンドームってなんだよ、そこ香り付ける必要あんのかよ?開発者はナニ考えてやがる。ナニがフルーティーなバナナ味(イチゴ味もあります)だ。
いざ広げてみるまでカードが入ってるか万札が入ってるかわからねえ紛らわしいことこの上ねえシュレディンガーの財布。
いくら指先の芸当と神経を磨いた所で、カードと万札を外側から判別するのは難しい。
大物狙いに走るほどハズレる確率は高くなる。
「さすがの俺も命運尽きたか……はあ」
ったく嫌な時代になったもんだ。世の中便利になったが電子マネーカードが流行りゃスリ師は廃れるしかねえ。
せっかく財布をスるのに成功してもカードの暗証番号がわからなきゃどうしようもねえ。
いや、わかったところでどうもしねえが。
皺の酔ったスラックスの尻ポケットを探って舌打ち、煙草が切れてやがる。
気分転換もできやしねえ。
「とことんツイてねえ」
まあ残ってたところでホームは禁煙な訳だが。ノースモーキング。喫煙者はとことん肩身の狭い世の中だ。
ため息まじりにぼやきつつ、ホームを忙しく行きかう老若男女に視線を投じる。
東京有数のダンジョンと名高い新宿駅のホームには、日本人アジア人白人黒人に至るまで、一般人観光客とりまぜて種々雑多な人々があふれている。
矢印が右に左に交錯する案内板と何本にも枝分かれした複雑多岐な乗降口、駅弁や土産物の売店。
猥雑な雑踏に埋もれ、等間隔に並んだ太い柱のひとつに凭れ、アンニュイに物思いに耽る。
……何してんだろうな、俺。
日本語に英語に韓国語に中国語が甲高く飛び交うごった煮の喧騒の中、足早に通り過ぎてく営業らしいリーマンを目で追う。携帯と睨めっこしつつ取引先に急ぐ横顔は時間に追われながらも充実して見え、俺には眩しすぎる。
同級生は定職につき一人前に社畜をやってる。
せっせせっせとパソコンを打ちこんであるいは工場で惣菜を作りながら定時にはタイムカードを切る規則正しい生活、スリルはないが安定は保証されている。俺のトシなら嫁を貰ってガキをこさえて家族を養ってていい頃だ。
子供を真ん中にして仲良く手を繋ぎ歩いてく家族連れを見送りかぶりを振る。
対して俺は……比べるのも情けなくて泣けてくる。勘違いしないでくれ、俺はスリの商売に誇りを持ってる。だが履歴書には書けない。書いたらたちの悪い冗談と誤解されるか無難に警察送りかSNSに晒されて炎上かだ。そんな面接官がいるたぁ思いたくねえが。
馬車馬の如くこき使われるのも働き蟻のようにあくせくするのもまっぴらごめんで、右手頼みで世を渡るアウトローな自由業を謳歌してたが、最近悩む事が増えている。
確定申告だの原泉徴収だのの細かい数字の些事に煩わされるのがいやで選んだ仕事だが、俗にいうスランプってヤツだ。俺も人間、山あり谷あり好不調の波はある。
俺らしくもねえ、がらじゃねえ。おかげで右手のキレもねえ。商売道具が錆びたらスリ師はご愁傷さま店じまいだ。
新宿駅は社会の縮図だ。段ボールにくるまって丸まるホームレスの傍らを小綺麗なOLや楽器を担いでヘッドフォンを掛けた学生が無関心に横切っていく。
柱を背にした虚無僧が無言で突っ立ち、かと思えば何かのオフ会かライブ帰りか、髪をカラフルに染めたギャルたちが蓮っぱな矯声をあげ姦しくはしゃいでる。
孤立感、倦怠感、疎外感、徒労感。
いろんな感情が混じりあってため息を量産する。
好きでこの道を選んだ。勝ちも負けもあるもんか。そう粋がって見せたところで現状は好転しねえ、実入りは横這いで先行きは真っ暗とはいかないまでも薄暗く不安しかねえ。
これからディズニーランドにでも行くのだろうか、ミッキーとミニーのリュックを背負った小さい女の子が、母親と父親の手にぶらさがってブランコする。
「ガキはいいな気楽で」
思わず羨望の呟きを零す。俺も「将来の夢」って表題の作文に「石油王」って書いて説教くらったガキの時分に戻りてえ。
物欲しさ八割、微笑ましさ二割のジト目で家族連れを眺めてたら、だしぬけにシャツの裾を引っ張られる。
「ん?」
つられて視線をおとす。
ガキがいた。
「………ん?」
どっから沸いた。
外見から判断するに推定年齢3・4歳、背中に戦隊ヒーローがプリントされた子供用のスカジャンを羽織った女の子。眉が太い。なかなかにふてぶてしくきかん気の強そうな面構えだ。まるまると赤いりんごほっぺが田舎臭い。背中にはタオルケットでできたうさぎのリュックを背負っている。
「えーと」
目を合わせ言葉に迷う。女の子はジッと俺を見上げている。見上げ続けている。やめろそんな目で俺を見るな。子供の純粋な眼差しは俺には眩しすぎて塩をかけられたナメクジのように溶けて消えちまいそうだ。スリなんて後ろ暗い商売を長年やってるせいか、こちとらガキにはてんで免疫がねえ。
「……お嬢ちゃん迷子?おかーさんとおとーさんは?」
とりあえず目線を合わせてしゃがみ、この状況に直面した常識人なら一番に訊くだろう無難な質問を投げかけてみる。
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙が痛い。女の子は黙ってる。黒く潤んだつぶらな目で、面白おかしくもねえ俺のつらをまじまじ見つめている。
柱の影でいたいけな幼子と見つめ合うこと数秒、先にいたたまれなくなって白旗を上げたのは俺だ。
「わかった迷子だな、迷子だろ、そうに決まってる。ていうかこの状況それしか考えらんねえ。ったく親はなにしてんだ、こんな小さい子ほっぽってよ……」
まあこの人ごみじゃはぐれても無理はねえ、一方的に親だけ責めるのも気の毒だ。どんなに目を光らせても券売機に並んでる最中や案内板を見てる最中に小さい子はよちよち歩きでどっか行っちまうもんだ。
駅員はどこだ。
ムッツリ幼女との会話を諦めた俺は、あたりを見回し駅員をさがす。
落とし物は遺失物係へ、荷物は網棚へ、迷子は駅員へ託してさよならバイバイ後腐れなくすっきりさっぱりだ。
責任なんて知るか。
俺は早く身軽になりたい。
身軽でいたいからスリになった。
生きてく上で足枷になる余計なモノは背負いこみたくねえ。
手前勝手だろうが無責任だろうがこれが俺だ、生憎とこういう風にしか生きられねえ、厄介ごとからはケツまくって逃げるのが事なかれ処世術だ。
「あ、いた。おーい、ここに迷子が」
たまたまそこに居合わせた駅員に手を挙げてしらせようとして……
ぎゅっ。
振り向く。
女の子が俺のシャツの裾を握り締めている。
「みーちゃんまいごじゃない」
「は?」
「みーちゃんまいごちがう」
「はあ。じゃあおかーさんが迷子か」
「おかーさんもまいごちがう」
なるほどわからねえ。
自称みーちゃんは俺のシャツの裾を両手で握り締め、キッとおっかない顔で睨んでくる。目ヂカラのある子だ。
「えーと……わかった。わからねーけどわかった。おかーさんもみーちゃんも迷子じゃない、と」
「そ」
「迷子じゃないけど突然いなくなっちゃったと」
「そ」
「だったらあそこの駅員さんにおかーさんさがしてもらおうぜ。すぐ見つかるからさ、な?」
たどたどしく舌足らずに喋るみーちゃんに、駅員を指さし辛抱強く教え諭す。だがみーちゃんは頑として首を縦に振らない。唇を一文字に引き結び、さも理不尽なことを言われたというふうに批判がましく俺を見てくる。
「……やだ」
「なんでやだよ?」
「やだったらやだ」
「……かんべんしてくれ」
さあ困ったぞ、自慢じゃないが俺はガキの扱いが下手だ。というか、今まで身の周りにこの年頃のガキがいたことなかった。勿論隠し子だっていない。
俺のシャツをひしと掴んだまま、ぶーたれて黙りこむみーちゃんと向かい合い、やんわりと、それでいて断固として拳を振りほどこうとする。
「とりあえずはなしてくれ、服が伸びちまう」
「いや」
「おじさんを困らせんな」
「いや」
「俺がなにしたってんだ、ったく」
「いや」
「いやいや言ってるといやいやえんに送り返すぞ?クーリングオフきかねーかんな?」
大人げなく脅す。みーちゃんの目に大粒の涙が盛り上がる。
「……いやいやえんいや」
「あーそうかいそうかい俺が悪者かいチクショウ!」
ガキの手前くそったれは慎んだ。それくらいの理性は残ってる。
これは罰か。天罰か。幸せそうな親子連れに一瞬目を奪われたから、ケチなスリ師の分際で人様の幸せを妬んだりしたからバチがあたったのか。ごめんなさいもうしません。見知らぬガキにしつこく付き纏われて辟易する。元々ガキは嫌いなのだ。泣くし喚くし駄々こねるし小便もらすし洟たらすし。
顔を険しくして声を荒げたせいかみーちゃんが身を竦める。罪悪感がちくりと胸を刺す。咄嗟に作り笑いを顔面に貼り付けて、おもねるような猫なで声をだす。
「おじさんこー見えて忙しいんだ、いまから仕事にいかなきゃいけなくてさ。わがまま言って困らせんな。おかーさんもきっとみーちゃんさがしてるぜ、早く行ってやんねえと」
「みーちゃんおじさんといく」
「なんでそうなんの……」
柱の陰で押し問答を繰り広げる俺とガキを通行人が好奇心と不信感が綯い交ぜとなった眼差しでチラ見していく。不審者扱いは勘弁願いたい。スリでしょっぴかれた前科はあっても小便くさいガキに手を出したことは断じてねえ。
「あんまり聞き分けねーとおまわりさんに……」
そうだ。ひらめいた。おまわりさんだ。
[newpage]
「で、私を呼んだと」
目の前にいるのはエリート面したイヤミ眼鏡。
知的な切れ長の双眸をいやらしく眇めて、値踏みするように俺と足元の幼女とを見比べる。
「迷子といやおまわりさん。生活安全課の管轄だろ」
目の前にいるのは俺の天敵にして宿敵にして大敵、生活安全課の刑事・玉城(沖縄出身)。頭がキレて度胸もある、若くしてエリート街道まっしぐらの有望株だが難を挙げるなら痴漢プレイに興奮する特殊性癖の変態だ。難がでかすぎて美点が全消しされる。
「やれやれ、私はあなたのパシリではないのですがね」
眼鏡のブリッジを中指で押し上げてあてこする玉城。糊の利いたスーツを折り目正しく着こなし、革靴の爪先まで顔が映るほど磨き抜いて、勝ち組の後光さす涼しい面で見下してきやがる。
コイツの面を見てるだけでムカムカしてなんか一言言ってやりたくなる。
「俺もお前のセイドレイじゃねーから」
「セイ……?」
聞きなれねー単語にみーちゃんが目をぱちくり、慌ててその耳を塞ぐ。
ガキの前で口を滑らすんじゃなかった、反省。
「おいこだろおあいこ。困った時はお互い様。お前が俺にした仕打ちを考えりゃ釣りがくる」
「しかし羽生さんに隠し子がいたとは」
「もしもーし俺の話聞いてたか?わざと無視した上にわかっててやってるな?」
「今まで黙ってて水くさいですよ。お父さん似じゃないのは不幸中の幸いですが……反面教師にして立派に育ってほしいところですね。飴ちゃん食べますか?」
「たべる!」
「やけに素直じゃねーか。甘い飴玉でガキを手懐けるのはお手の物か」
到着早々生来の人たらしの才能を発揮してみーちゃんと親睦を深める玉城を忌々しく睨む。
平日の真っ昼間に携帯地一本で呼びだしたのは俺なんだからもうちょっと感謝すべきと頭じゃわかっている、だがコイツにされたあんなことこんなことが脳裏に悶々と渦巻いて素直に礼を言えない。
玉城がポケットから出した飴玉の包み紙を解き、大人しく口に含む。飴玉を口の中で転がしてご機嫌なみーちゃん。一方俺の機嫌は下り坂。いや、うるさく泣き喚かれるよりマシだが……
「大丈夫ですよ羽生さん。わかってますから」
「何が」
「貴方がツンデレだって事をです」
「きしょ。野郎にツンデレとかゆーな」
ぽんと肩におかれた手をそっけなく振り払おうとし……手首を裏返され、あっさりと関節を極められる。
「いだだだだだ!?ちょ、てめ、ふざけ」
がなりとばそうと大口開けて……
「ふぐっ?」
口の中に飴玉が放りこまれる。
「貴方も飴ちゃんをしゃぶりたかったんでしょう。物欲しそうな顔をしてたじゃないですか」
抗議を申し立てようとかっぴろげた口ン中へ飴玉を弾き入れた玉城が、してやったりと意地悪くほくそえむ。食べ物を粗末にするなと叩き込まれて育った俺は吐き出す事もできず、憮然として頬に含んだ飴玉を転がす。
「……グレープ味」
「正解」
そんな俺と天敵のやりとりをみーちゃんが不思議そうに見上げて質問。
「だれ?」
「私は玉城。この無職のおじさんのお友達ですよ。この無職のおじさんに急遽応援を頼まれて、多忙な業務の合間を縫って駆け付けた善意の徒です」
「おまわりさん」
「ですよ」
「わんわんじゃない」
等身大の犬のきぐるみでも想像してたのか、みーちゃんが不満そうに呟く。思わず吹きだす。
「残念ながらみーちゃんさん、おまわりさんの全てがわんわんという訳ではないのです」
みーちゃんの目線に屈んで世の理を解く玉城。にこやかな玉城と仏頂面の俺とを見比べ、みーちゃんが小首を傾げる。
「ともらち?」
「誰が」
「ええそうですとも。何を隠そうこの無職のおじさんと私はマブダチ、尻と尻を合わせて知り合いの仲です」
「突っ込まれた覚えはあっても合わせた覚えはねーし大体その無職の無職のって枕詞はなんだ!?」
「ご存知ですか?人に誇れる立派な仕事の反対は人に謗られる胡散くさい副業です」
「無職じゃねーよ!そりゃ税金はおさめてねーけど!俺は立派なスリ、」
「すり?」
みーちゃんの純粋な目とかち合いうっと言葉に詰まる。
「……スリッパ職人だ!!」
「無職改めスリッパ職人ですか。見直しました」
「うるせえ口からでまかせだ。子供の純粋な目を濁せるか」
小声で口喧嘩する。我ながら器用な真似だ。気のせいかみーちゃんがきらきら輝く尊敬のまなざしでこっちを見上げている……本当に気のせいだろうきっと。
「職業に貴賤なしが信条では?スリ師に誇りを持ってるとさんざん聞かされましたがあれは嘘ですか?転職がご希望ならそこのハローワークへどうぞ、なんなら私がよい仕事を斡旋しますよ」
「ゲイビデオ男優はお断りだっての」
「素人を起用して痴漢ものを撮りたいと意気込んでいる監督がいましてね。その条件にちょうどあなたがあてはまるんですよ」
「勧誘か?勧誘なのか?自信たっぷりに豪語されてもちっとも食指動かねーんですけどマジで」
「更生の良い機会では?」
「ゲイビデオ男優への転身が更生?身を持ち崩した挙句の転落じゃねーか?」
「ははまさか、底の底が抜けた今を生きるあなたにこれ以上のどん底なんてないでしょうに」
……悔しいが言い返せねえ。現状を鑑みると、俺はその日の煙草代にも事欠く有り様だ。この野郎全部お見通しかチクショウ死ね。
シャツを引っ張られ下を向く。みーちゃんがお腹をさすりながらしょんぼりと訴える。
「みーちゃんおなかへった。ごはん」
「あーはいはい。じゃあ後は頼んだぜ」
みーちゃんを玉城に押し付け、後はシラネとすたこらさっさ退散しようとし……
「ぐふっ!?」
襟首を後ろから引っ張られる。突如首が締まって喘ぐ。
細腕のどこにこんな力があるのか、片腕一本で俺の後ろ襟を引っ掴んだ玉城がにこにこ笑ってる。
「おやおやそれはあんまり無責任じゃありませんか。折角です、ご一緒にランチなどいかがでしょう」
「はあ?生憎俺は忙し」
「この子もあなたに懐いているようですし」
「懐かれてる気がしねーんだけどこれっぽっちも」
玉城が悪戯っぽく笑いながら指さす方に向き直れば、みーちゃんが俺のシャツの裾にしがみつき、上目遣いに見つめてくる。玉城を警戒してる……のか?コイツは変態だ。その判断は正しい。
「幼女に懐かれてもロリコンじゃなし嬉しかねーよ。俺は早く自由の身になりたいんだ。だから嫌々呼んだのに」
ふてくされてそっぽを向く。押し問答してる時間が無駄だ。さっさと迷子を預けてラクになりたい。
口では軽薄に嘯きながら、俺の足にまとわりついて股から顔を出すガキを突き放せない。
「わかりました。それなら」
「え?」
玉城が一つ首肯し俺の後ろに回る。かと思いきやみーちゃんの脇の下に手を潜らせて、軽々と空中にぶらさげる。
「今です羽生さん、さあお行きなさい!」
「あ、ああ、かたじけねえ」
豹変ぶりに戸惑いながらもみーちゃんを引き離してくれたのは有難く、ここは素直に感謝しておく。
鋭い叱責に鞭打たれ全速力で走りだす。人でごった返すホームを突っ切って、視界の範囲から消えようと……
号泣。
ヒステリックな子供の泣き声が背中におっかぶさる。咄嗟に振り返る。玉城に宙吊りにされたみーちゃんが手足をばたつかせ泣き喚いている。顔を赤くして、涙と鼻水を盛大に垂れ流して、全身でイヤイヤしている。
玉城の腕の中で泣きじゃくる子供に通行人が怪訝そうな一瞥を払い、雑踏のど真ん中で立ち尽くす俺をさっさと追い越していく。
「~~~っ!!」
そういう魂胆かよ。まんまと策にハマった。一瞬でもいい奴かもなんて勘違いした俺が馬鹿だった。
憤然たる大股で元来た道を引き返す。玉城が優しくみーちゃんを下ろせば、靴裏が床に着地した途端、ボールが弾むように俺のもとへ駆け寄ってくる。膝に体当たりをくらい、みーちゃんの小さな体を反射的に抱きとめる。
「あなたはいい人ですねえ羽生さん。そういうところは好ましいですよ」
泣きじゃくるガキを見捨てて立ち去れるほど、俺の心臓は強くねえ。付け加えるなら周囲の視線に耐えられるほど心臓に増毛してねえ。
「……計画通りかよ。あ~わかったわかった、一緒にランチすりゃ満足なんだろ」
「よくできました」
舌打ちひとつ、ふてくされた態度で了承すりゃ玉城がさも嬉しそうに微笑む。俺はコイツの犬か?
「ではいきましょうかみーちゃんさん」
玉城がさしだした手と俺の顔とを見比べ、おそるおそるその手をとる。一見微笑ましいといえなくもない図。こうしてると親子に見えないこともない。仲良く手を繋いで歩きだそうとした玉城とみーちゃんがふと停止、何故か物言いたげに俺の方を凝視する。
「……何?」
片方所在なげに空いたみーちゃんの手。無言で微笑み圧を加えてくる玉城。いくら鈍感な俺でも意図が呑み込めた。
「仲良くおてて繋いでおさんぽ?んな恥ずかしいことできっか、こちとら何歳だと思ってやがる。しかも男同士で」
「往生際が悪いですよ羽生さん」
レンズの向こうで玉城の目が鋭く光り、みーちゃんが哀しそうに顔を曇らせる。ええいままよ。
目線で促され、否正しくは無言の圧で脅され、スラックスの横で軽くてのひらを拭ってからみーちゃんと手を繋ぐ。
子供特有の体温の高いふっくらした手が、安心したようにきゅっと俺の手を握り締めてくる。
「………」
なんだこれ。くすぐってえ?こそばゆい?尻から背中にかけてがむずむずする。
なまぬるーい空気が漂う中、いたたまれない面持ちで居心地の悪さを持て余す俺を見上げ、みーちゃんはかすかに笑った。出会ってから初めて見せる笑顔だ。
[newpage]
構内のコーヒーショップに移動して腹ごしらえをする。
ランチには少し早めの時間帯ということもあって店内の客は疎ら、ちょこんとスツールに掛けた幼女を挟んで並んでカウンターに座る。みーちゃんには甘ったるいカフェオレとサンドイッチ、俺はホットドッグとアメリカン、玉城はブルーマウンテンを一杯注文する。
マグカップを両手で包みごくごくとカフェオレを呑むみーちゃん。よっぽど喉が渇いてたのだろう。
俺はアメリカンに口をつけつつ他人の金でホットドッグを頬張る。玉城はブルーマウンテンを小指を立て優雅に啜りつつ、サンドイッチをぱくつくみーちゃんを微笑ましげに見守っている。
どう考えても異彩を放つ組み合わせだ。
「どうしたんですかそわそわと」
「……お前は気になんねーの?視線」
「はて」
「真昼間っからよちよち歩きのガキを挟んでいいトシした男ふたりがお茶してるんだぜ。しかも一人はぱりっとスーツを着こなしたエリートリーマン、もう一人は私服をカジュアルに着崩したイロモノトリオときた」
「一週間は洗濯してないだろう小汚い服をだらしなく着崩したうだつのあがらない三十路男性が正解では」
「うるせーなせいぜい2・3日だよ!」
「つまり私達が他のお客にどう見えているか気になると」
挙動不審な醜態を呈す俺とは対照的に玉城は堂々落ち着き払って思考を巡らせる。
「幼い娘を連れたエリートサラリーマンの実兄に性懲りなく借金を申し込みにきた無職の三十路男性でしょうか」
「しょっぱい現実をぶちこんでくれるなよ」
「なら訂正します。甲斐性のなさが原因で妻と離婚したものの仕事が決まらず可愛い一人娘を泣く泣くエリートサラリーマンの兄に預けにきたバツイチ無職の三十路男性はいかがでしょうか」
「あのさあ……」
「お気に召さないと」
「お気に召す要素がどこにあるんだよ?!」
冴えわたるツッコミとは裏腹に沈んでいく一方の俺の顔色から内心を察した玉城が、レンズ越しの目を思慮深く細める。
「何かお悩みでもあるんでしょうか」
「話したくねーな。第一なかよしこよしでお悩み相談するような間柄じゃねーだろ、俺とお前は」
俺と玉城の関係。
スリと刑事、痴漢と痴漢被害者、強姦加害者と被害者。
不倶戴天の天敵にして宿敵、犬猿の仲あらためハブとマングースの仲の張本人と見知らぬガキを間に挟んで呑気に茶をしばいてる状況自体俺にとっちゃありえないのだ。
ぬるくなったコーヒーをお上品に啜りながらいけしゃあしゃあとのたまう玉城。
「好敵手に覇気がないとやる気がでませんので」
「どの口がぬかす。てめえとなれあうつもりはねえ」
「頼っておいてその言いぐさはないでしょうに。無作法な人ですね」
「あっ!」
甲高い悲鳴に下を向けばみーちゃんが手を滑らせてカフェオレを零していた。
「あーあ、なにやってんだ」
傾いたコップの口から零れたカフェオレがみーちゃんのズボンに茶褐色のシミを作る。思わずスツールから腰を浮かせ、ハンカチ……はないので、ナプキンを何枚かまとめて引っ掴んでズボンを雑に拭いてやろうとして。
気付く。
「ごめんなちゃい!」
「え?」
みーちゃんが両手で頭を抱え込み、ぶるぶる震えてカウンターに突っ伏す。土下座せんばかりの過剰反応に面食らう。俺がまごついてるあいだにみーちゃんはナプキンをまとめて何枚も引っこ抜いて急き立てられるようにズボンを拭きだす、だがその仕草があんまりにもせわしないせいで皮肉にも染みは広がっていき、ますますパニックに陥ってあわや一触即発半泣きの態になる。
追い詰められ思い詰めみーちゃんがべそをかく。
「ごめんなちゃい、きたなくして……おそうじするから……」
「わざとじゃねーならそんな気にしねーでも」
「待ってください」
玉城が俺の肩を掴んで引き止める。なれなれしい奴め。しかしその怒りは、語尾に押し被さった涙声の謝罪に打ち消される。
「わるいこはみーちゃんだから……おかーさんをぶたないで……」
玉城と顔を見合わせ困惑。
「……どういうこったよ」
みーちゃんは頭を抱え込んだままぐすぐす泣きじゃくる。無邪気なみーちゃんの突然の豹変にあっけにとられる俺をよそに、玉城は迅速に適切な行動をとる。みーちゃんの正面に回りこみ、非の打ちどころない笑顔を作る。
「大丈夫、怒りませんよ」
「……ほんと?」
「本当です。指切りします」
今にも消え入りそうな声で疑わしげに念を押すみーちゃんに小指を絡めにこやかに約束、唐突に真剣な目になる。
「だれがぶつんですか?」
スツールから足をぶらさげて俯き、おどおどした様子で店内に視線を走らせてから玉城の顔へと戻り、呟く。
「……おとーさん。みーちゃんがわるいことするとおかーさんをたたく」
「それって……」
鈍い俺もさすがに察しがつく。
みーちゃんは一つ一つ言葉を選びつつ、たどたどしく言い募る。暗く思い詰めた表情で、大粒の涙に潤んだ瞳で。
「みーちゃんがごはんこぼしたりジュースこぼすといつもおっかないカオでおかーさんを怒る。おまえが悪いんだって言う。ちがう。わるいのはみーちゃん。みーちゃんが悪い子だからおとーさんは怒るしおかーさんは泣くの。みーちゃんがぶたないでっておねがいしてもだめなの。おかーさんにいたいことするの、しつけだって……」
子供の口から訥々と語られる夫婦の日常は荒んでいる。
旦那が嫁を殴る。よくある胸糞悪いDV。
苦いモノが喉にこみ上げる。
ただの迷子とばかり思い込んでたガキの複雑な家庭事情を垣間見て、絶句して立ち尽くすしかない情けない俺とは違い、玉城は柔和な口調で質問を重ねる。
「ここにはお母さんときたんですか」
みーちゃんはこっくり頷く。
「お父さんから逃げてきた?」
またこっくり。
「お父さんに内緒で?」
こくん。
「……なるほど。よくわかりました。よく最後までお話できましたね、えらいですよ」
にっこり笑ってみーちゃんを褒めて、ズボンの膝に染みたカフェオレを、背広のポケットからだしたブランド物のハンカチで丁寧に拭いてやる。まるで子煩悩な父親だ。
今の玉城はどこからどう見ても頼れるおまわりさんだ。みーちゃんの嗚咽も次第に落ち着いていく。
眼鏡のブリッジを人さし指で押し上げて立ちあがった玉城が、プラスチックの筒に刺された伝票を手に取り真剣な表情で振り返る。
「みーちゃんのお母さんさがしを手伝ってください羽生さん」
「わかった」
真新しいナプキンをとってみーちゃんの洟を噛んでやりつつ相槌を打てば、玉城が意外そうに目を瞬く。
「なんで俺が?とは言わないんですね」
「そんなアホな質問しねーよ」
使用済みのナプキンを丸めて盆に投げる。スラックスのポケットに手を突っ込んで吐き捨てれば、虚を突かれたような一呼吸の沈黙が流れる。
玉城の好奇心に満ちた視線に耐えかねてそっぽを向き、不承不承口を開く。
「……わかっちまったんだ、この子が迷子じゃねーって言い張ったわけが」
自分も母親も迷子じゃないと、あれほどかたくなに言い張った理由。
自分が迷子になったとバレたら大好きな母親が怒られるから、かわりに怒られてぶたれるから、みーちゃんはいなくなった母親を庇い立てした。
母親が迷子になったとしても同じ結末を辿るから、みーちゃんはその事実を認める訳にはいかなかった。
こんな小さい子がそこまで心を痛めて頭で考えた事を、大人の一存で蔑ろにしていいわきゃない。
俺をまっすぐ見据えて玉城が破顔する。
伝票を持ってきびきびと会計へ向かいがてら俺の肩に手を滑らせ、耳朶にくすぐったい吐息を吹きかける。
「あなたのそういうところ好きですよ、私」
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