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第4話

 『いい年してこんなのガッコに持ってくんな、きめえんだよネクラオタク』  あっけなく紐がちぎれキーホルダーが離れていく。  『あ』  伸ばした手が目測を誤りすかっと空を切る。  『どうした?大事な物なんだろ、取り返してみろよ』  すかっ、すかっ。前のめりにたたらを踏み振り回す腕に合わせ見事な空振りが続く。  顔の上半分は朧にぼやけ、下半分に切り込みのような嘲笑を浮かべたクラスメイトがひとから奪ったキーホルダーを掲げねちっこくからかえば、挑発に乗じ体が勝手に動く。  怒りと恥ずかしさが綯い交ぜとなった感情に駆り立てられめちゃくちゃに手を振るうもクラスメイトの動きは素早く、キーホルダーを追って右に左に回した手は残像を掠めるだけで片っ端から封じられる。  涙腺が開き涙が滲む。  悔し涙なのか何なのか自分でもよくわからない。  『あはは、がんばれよ東ー』  『もうやめてあげなよー。八王子くん涙目だよ、泣いちゃうかも』  『面白いから好きにやらせとけよ、学校にアニメキャラのキーホルダーなんか持ってくるのが悪いんだよ』  『授業に関係ない不要物の持ち込み禁止って生徒手帳にも書いてあるだろ』  『校則破ったんなら没収されてもしかたないべ』  『だよね。中学生にもなってアニメのグッズ学校にもってくるとか超きもいし』  陰口ってのはもっと目立たずたたくもんだ。  幼稚な優越感に酔った笑い声が教室に波紋を広げる。  どんくさいぼくに同情する女子、下品に膝を叩いて爆笑する男子。  くりかえし振りぬく手の滑稽な踊りが失笑を誘い、輪を作ったクラスメイトが盛大に野次る。  間合いに踏み込んだぼくの手からキーホルダーを縦横斜めに遠ざけステップ軽く翻弄し、リーダー格の男子がはやす。  『なんだよ、遊んでのか。ぜんぜん届かねーじゃん。もちっと本気だせよ』  『むりむり、東どんくせえもん』  『今日の体育だって一番後ろ走ってたじゃん』  『はははっ、顔真っ赤にしてむきになっちゃってかっちょわりー』  疎外感。孤独感。劣等感。屈辱感。  ストレスで胃酸が分泌され酸っぱいものが喉に込み上げる。  床に手足を付き這い蹲るぼくを取り囲む個性を剥ぎ取られた顔の群れ。  ひとりひとりの目鼻立ちは漠然として個人識別は困難だ。  夢のフィルターを通して見る彼らの顔は、プラスチックのお面みたいに妙にのっぺりした感触を与え、同じ鋳型で量産したような印象が無個性な不気味さを引き立てる。  『か、返して!』  どもりがちに叫ぶ。  『か、かえして!かえして!』  没個性な集団が笑いさざめき、語尾を上げ口真似をする。  『今の聞いた?か、かえして!だってさ。噛まずにしゃべれないのかよ』  『国語の音読も噛みまくりなんだぜ、コイツ』  『一回くらいつっかからずまともにしゃべってみろよ、それができたら返してやっから』  『あんまやりすぎるとまたガッコこなくなるよ』  顔のない女子がやる気ないあいの手をはさむ。  クラスメイトの手からキーホルダーを取り返そうと躍起になって詰め寄る膝裏に蹴りが入りがくんと姿勢が落ち、無防備に晒した背中を上履きの靴裏が直撃する。  背中に走る衝撃、痛み。  それらを悠長に感じるいとまもなく顔面から倒れこむ。  運動神経が鈍いからろくに受身もとれず、しこたま鼻っ柱を打つ。  『あははっ、転んじゃった!』  『カワイソー背中に靴跡ついちゃってる』  『山田、お前の上履ききったねえなあ。おまけに臭えし』  『半年醸成した上履きだ。匂いだけで人が殺せるぞ』  立て。  頭が指令をとばす。目が霞む。  転倒のはずみに眼鏡をおっことした。おどおどうろたえきって、床を手探り眼鏡を求む。  レンズの固い質感にほっとした次の瞬間、上履きでおもいっきり手の甲を踏みにじられ激痛に呻く。  陰湿に渦巻く笑い声が三半規管に音叉の如く共鳴する。  同じ制服で顔は空白、狂気のピエロさながら耳まで切り裂かれた歪な笑いを浮かべるクラスメイトが重圧をかけてくる。  『それ、ぼくの……返して、ください、キーホルダー……』  同級生に敬語で懇願する。  擦り傷だらけの顔を痛みにしかめ言えば、諦め悪いぼくに鼻白む気配が漂う。  キーホルダーをちらつかせつつクラスメイトが意地悪く言う。  『そんなにこれが大事か?こんなちゃちいキーホルダーが?意味わかんねえ』  『いい加減アニメなんか卒業しろよ』  『アニメのキーホルダーなんてつけてガッコくるのお前だけだぜ』  握り締めた手ごと踏みにじられ眼鏡のフレームがひしゃげる。  制服のシャツとズボンのあちこちに上履きで蹴られた跡が付く。  好きなものは好きなんだからしょうがないだろ。  そう言えたらどれだけいいか。  あの時、ぼくにもう少しだけ度胸があればなにか変わっていただろうか。  好きな物を守り通すことができていたらなにかが変わっていただろうか。  今でも思う。くりかえし思う。  あの時のぼくにほんの少しの勇気があれば  『返してほしかったらおねがいしろよ』  『お願い……します、返してください』   『誠意が足んねー。お願いするときは土下座だろ』  外野から土下座コールが巻き起こる。  調子に乗ったクラスメイトの手拍子と口笛とが熱でジンと痺れた頭を席巻する。  視線はクラスメイトの手の中、さっきまで鞄にぶらさがっていたアニメキャラの三頭身キーホルダーに釘付けだ。  諦めろ。頭の片隅で理性が囁く。  たかがキーホルダーじゃないか、また買えばいい。  そこまですることない、土下座する必要なんかない。  土下座コールに乗せ外野の期待がふくらむ。  唇を噛み俯き、震える手を握りこむ。  『どうすんだよ?』  心理的葛藤に付け込みクラスメイトが握り拳に力をこめ、キーホルダーが不吉に軋む。  キーホルダーと目が合う。  助けてくれと言われた気がした。  だからぼくは  『うわ、コイツほんとに土下座したよ!』   『マジ引くわー』  『こんな安物のために本気で土下座するかよ、頭おっかしいんじゃねえの』  床に手を付き。這い蹲り。全身で、返してくれと訴える。  顔が熱い。耳朶も熱い。情けなくて恥ずかしくて悔しくて腹が立って、でもこうするしかないじゃないかと無理矢理自分を納得させる。  『わかったよ、返してやるよ』  『!』   迂闊に顔を上げたぼくの目の前を、ひゅんと残像を引き、腕がよぎる。  間に合わなかった。  叫ぶ暇さえ与えられなかった。  キーホルダーが放物線を描き、跳ね起きた頭上を飛び越える。そのまま開いた窓の外へ落下していく。  床を蹴り、窓枠にとびつき、はるか下をのぞきこむ。  窓からなかば身を乗り出し宙を掻くもおそく、クラスメイトの手を放れたキーホルダーは真下の花壇におちて見えなくなった。  『飽きた飽きた、帰ろうぜ』  『マックよってこー』  『俺らの分もちゃんと掃除やっとけよ。さぼったら殴るかんな』  『モップもかたしといてねー』  クラスメイトががやがや騒ぎながら教室を出て行く。  窓枠を掴む手に間接が白く強張るほど力がこもる。  蹴られた体の痛み汚された制服の哀しみにも増して、キーホルダーを救えなかった無念と後悔が絞り上げるように胸を苛む。  もう少しぼくの足が速かったら、運動神経がよかったら間に合ったのに。  どうしてぼくはこんなだめなやつなんだろう。  『っ………』  土下座までしたのにまったくのむだだった。  哀切な感情が込み上げ焼け石の如く喉を塞ぐ。  喉が息苦しく嗚咽の発作が襲い、俯けた肩が震え出す。    いい年してアニメが大好きで何が悪い。  学校にアニメキャラのキーホルダーつけてきてなにが悪い、だれにも迷惑かけてないだろ。  そう言い返せればどれだけよかったか。      現実には仕返しひとつできず、一方的にいわれっぱなしやられっぱなしで、いじめっこが立ち去った教室にぽつんと取り残されている。  窓枠に突っ伏し声を殺し泣く。  無力感に打ちひしがれ、劣等感に凝り固まっていく自分を意識し始めたのはこの時だ。  掴んだ窓枠の固さ、鼻の奥がツンとする感覚。  教室にはモップや箒やちりとりが散らかりっぱなしで、これ全部一人で片付けなきゃいけなくて、掃除も全部、ばらばらの椅子とか机ぜんぶ元に戻さなきゃいけなくって、蹴られた体はあちこち痛くって。  キーホルダーははるか下方、花壇の茂みに消えてしまった。  『ごめん………』  助けられなかった。  夢中で駆けたのに手が届かなかった。  後悔の苦味が口の中に広がる。  ぼくは足が遅くて、クラスで一番遅くてとろくさくて、人見知りの赤面症でしゃべるのが苦手で、だからあの時も  「東ちゃん」  あの時はっきりと、自分の言葉で言い返せていたら。  「東ちゃんてば」    ぼくはもう少し自分を  「東ちゃん」    うるさい、人が感傷にひたってるときに。  「うー……ん……?」  まとわり付く眠気を払いのけ薄目を開ける。  まことに遺憾ながら、ぼくをちゃん付けで呼ぶ図々しい人間はひとりしか心当たりがない。自慢じゃないが友達がいないのだ。  「…なんですか、小金井さん……押入れで寝てたはず……ちゃんと襖閉めたのこの目で確認したのに、畳に転がってくるなんて寝相悪すぎ……」  待て、襖は無事か?  就寝前、小金井が押入れに入るのを確認した。  そもそもぼくの部屋はテレビやゲーム機やテーブルや積ん読の漫画やラノベに占拠されて人がごろり寝る余裕がない。  そういうわけで小金井には押入れに入ってもらった。  事前に確認したところさいわいにも閉所暗所恐怖症のケはないということで、居候なんだからちょっと狭いくらい我慢しろと追いたて  「だいじょうぶ、いくら俺でも人さまんちの襖蹴破るようなまねしないよ。せっかく泊めてもらったのに」  「ですよね。なーんだ、安心……」  「泊めてもらったお礼をね」  「はい?」  「借りは返さねーと」  ところで、ぼくの上に乗ってる黒い影はなんだ。  なんとなく体が重いと思っていた。重いはずだ、人が乗ってるんだから。  どっしり、どっかり、そんな擬音の重量感。  状況がよくわからない。  「………めがね、めがね」  「これ?」  「あ、どうも」  軽く会釈して眼鏡を受け取り、かける。  部屋の隅、散らかり放題の本を乱雑にのけ確保したスペースにしけった布団を敷き就寝中のぼくの上に小金井がのっかっていた。  「………トイレはあっちです」  「知ってる」  丁寧に指さして教えてやったのにそっけなく頷かれ肩透かしをくう。  じゃあなんでぼくの上にのっかってんだよコイツ。  居候の分際で布団で寝ようなんて贅沢な。  お前なんか押入れで十分だ、いやなら出て行け、それか廊下で寝ろ。  怒涛の如く込み上げる罵倒を封じ、おもいっきり不審な眼差しで馬乗りになった男を睨む。  小金井がぼくの上でだしぬけにごそごそやりだす。  「東ちゃん童貞でしょ?初めてはキツイだろうから、じっとしてていいよ。まかしといて」  んじゃお言葉に甘えて。  「甘えちゃいけないだろ!?」  よくわからない。  わからないが、この状況はまずい。非常にまずい予感がひしひしと。  得体の知れぬ胸騒ぎに駆られ毛布を剥ぎがばり跳ね起きようとすれば、小金井に宥めすかすような声音で制される。  「しっ」  どういうことだ、なんで起きたら小金井が上にのっかってるんだ。ちゃんと襖閉めたのに。  というか、ぼくの寝込みを襲って何を企んでる?  強盗。  恐ろしい可能性に思い至り、一気に毛穴が開いて冷や汗が噴き出す。  「……………っ………」  自称ヒモ、本性強盗。マウントをとられるとは不覚。  携帯は……だめだ、テーブルの端にのっかっててぎりぎり手が届きそうにない。  「こ、こ、ころ、ころころころ」  「コロ助?」  「初めてのチュウどころの騒ぎじゃないです!!」  いざ進めやキッチン。  殺さないでと言おうとして噛みに噛みまくる。突っ込みだけは噛まない自分が恨めしい。  大胆にマウントとった小金井は舌を噛みつつ命乞いするぼくを怪訝な顔で見下ろしている。  ああ、もうおしまいだ。  二十二年の短い生涯、心残りはたくさんある。  読んでない漫画、読んでないラノベ、開封してないフィギュア、作りかけのガンプラ、撮りためて見てないアニメ……  固く目を瞑り、最期の頼みを口にする。  「い、痛くしないでください……」  死ぬなら、せめてらくに死にたい。ぼくはマゾじゃない、痛いのは大嫌いだ。  「安心してよ。自分で言うのもなんだけど、俺、上手いからさ」  「こがねいさん、ぼく以前にも経験あるんですか?」  「まあそれで食ってきたようなもんだしね」  小金井は一度ならず人殺しの前科があるプロの強盗だった。  そこらへんを普通に歩いてそうなイマドキの若者のくせして侮りがたし。  「ひぃ………」  あっさり悪びれず殺人の前科を告白した小金井に戦慄、凶悪犯と狭く暗い部屋の中一対一至近距離で顔突き合わせた異常な状況に頭のネジが飛ぶ。  八王子東二十二歳、恥の多い生涯をおくってしまいました。  ぼくが死んだらパソコンは中身を覗かず焼却、部屋にあるラノベや漫画エロゲは棺と一緒に火葬に処して……   「!?ぃひっ、」  不意打ちだった。  突如として脇腹に滑り込んだ手の感触に、悶々と練り始めた遺言の文面も消し飛ぶ。  「な、いひゃ、なに?そこ頚動脈じゃない、絞めるなら首」  「東ちゃん痩せてるね。ちゃんと飯食ってんの?」  思考回路が焼け付き暴走、言語中枢が麻痺して意味不明な奇声を放つ。  余計なお世話を呟きながら小金井は手を動かし、パジャマ代わりのだぶつくТシャツの裾を捲り上げていく。  裾から滑り込んだ手が痩せた腹筋をまさぐり、骨ばった指が伝える体温の不快さに身がすくむ。  「あの、え?もしもし小金井さん、つかぬことをうかがいますがあなた強盗じゃあ」  「俺はヒモ」  小金井が心外そうに眉を寄せる。  ああ、そうかヒモか……一瞬納得しかけるも、現状に立ち返ってパニックを来たす。  「あの、ちょっと、さわんないでくだしあッ!?」  悶絶。素で舌を噛んだ。  腰にそってゆるやかに上下していた小金井の手が味をしめ、薄く貧相な胸板のあたりでじらすように円を描き始めたからだ。  結論からいうと、筆舌尽くしがたく気持ち悪い。  男の乾いた手と骨ばった固い指とが服の内側でうごめき素肌をまさぐる。  「いっ……ちょ、やめ、はなれて……」  隠微な衣擦れの音と劣情の息遣いが焦燥を煽り、自分の身になにが起きてるか理解するのに時間がかかる。  思考停止状態から復帰するも動揺激しく、小金井の肩を掴み押しのけようにも腕がふやけて力が入らない。  「ちょ、いいかげんに、そんなとこさがしたって財布ありませんから!」  「知ってる」  「じゃあどいてください、深夜にいきなり人叩き起こして目的なに」  「夜這い」  服の裾を胸まで捲り上げ、皮膚に包まれた鎖骨のふくらみに唇を這わせる。  「うあ」  敏感な鎖骨を吸われ拒む手が萎える。  動転して力が入らない体では抵抗もむなしく、片手で器用にぼくのシャツをたくしあげ、露になった薄く貧相な胸板やら生白い腹筋やらに接吻をおとしながら、余った手をズボンに挟み込みするするおろしていく。  夜這い。  受け、攻め。  チャットでよく話すまりろんちゃんに汚染された知識がフィードバック。    『いーちゃん絶対受けだよねー。実際会ったことないけどチャットで話してるだけでそう思うもん』   実際会ったことないのに断言された、あれは予言だったのか。    「待て待て待て待て待てッ、予言とかありえないし!?」  初めて部屋に泊めた男に夜這いされるとかありえないぼく男だし男が男を夜這いしてなにが楽しい犯罪だし  「たんまたんま小金井さんっ、ぼくいまだに状況よくわかんないんですけどいくらヒモだからって男相手に余計な気遣わなくていいしそれむしろ迷惑だから!!いやぼくだって相手が美少女な夢魔なら騎乗位大歓迎だけど小金井さん生身で男だし、そこのテーブルでキュアレモネードとザクが見てるし、夜這いがお礼って発想自体正直どうかなーとおもいますよ人として!?」  「怖くない怖くない」  「剥いて剥いてまたしまう、じゃなくてあなたカモった女の子にもおんなじことしてんですか!?」  「相手がいやがったらしない。中出しとむりじいはしない主義なんだ」  「今後者してるから、現行犯だから!」  小金井は話を聞かず、性感を与える官能的にこなれた手付きで愛撫に励み、ぼくのズボンを下着ごと引きずりおろす。  今のぼくの状況を四字熟語で表すなら汗牛充棟四面楚歌、へたに動けば手足が布団のまわりに積んだ本や漫画にぶつかってなだれをおこし圧死か窒息死の悲惨な運命が待ち受ける。  ぼくがおいそれと身動きできぬ状況に陥った原因はといえば自らの計画性のない散らかし方と見知らぬ男に押しきられ部屋に上げてしまった主体性のなさで、迂闊に鍵かけ忘れ凶悪犯を迎え入れちゃった手前、強盗致死の結末を迎えようが自爆の範囲内で同情の余地なしな気がすごーくする。  「妙な気遣わなくていいですから大人しく押入れで寝てください!」  「だってせっかく泊めてくれたのに何もなしなんて悪いじゃん。そのへん律儀なんだ、俺って」  「俺語りはいいから手はなしてください!」  「暴れると床が抜けるよ」  洒落にならん、ほんと。  リアルな脅迫に硬直し、ズボンを引っ張る手がとまる。  小金井を追い払わんと峻険な漫画とラノベの断崖に蹴りくれようものなら連鎖で大崩壊を招く。雪崩れの重量で床が抜けでもしたら階下の住民にご迷惑がかかる、へたすりゃ巻き添えで圧死。ぼく一人ならまだしもぐっすり熟睡中の無関係なご近所さんを巻き込むのはいかがなものか。  八王子東二十二歳、オタクニートひきこもりでも人の道をはずれちゃいけない。  剥き出しの下肢を隠そうと膝を閉じるも、小金井は委細構わず、舌なめずりしかねぬ顔でぼくの股間をのぞきこむ。  「ぃあ、や」  貞操の危機。電気の消えた部屋の中で蒼ざめる。  萎縮した内腿にひたり手が触れる。  そもそもぼくは真性のオタクで結構深刻な対人恐怖症で潔癖症のきらいもあるからにして三次元との接触は生理的レベルで受け付けないのだ。  ぼくが受け入れる三次元はフィギュアかどっこいぎりぎり食玩に限定されていて、男である以前に生身でリアルの人間の人肌と接触したら体が拒絶反応を起こす。  ほら見て全身にものすごい勢いで鳥肌が分布。  刷毛でも使うみたいに内腿をなでられるくすぐったさを気持ち悪さが上回り毛穴が縮む。  「東ちゃん童貞ってホント?反応新鮮」  緩慢な前後運動に合わせ茶髪がむずがゆく鼻をくすぐる。  今ぼくの上にのっかってるのは夢魔の美少女。  そしてこれは騎乗位だ。    強烈な自己暗示をかけ騎乗位サイコーと現実の改竄を試みるも妄想でも克服できぬおぞましい感触に心が折れる。  いやだこんな声低くて手がゴツイ美少女。  恥ずかしい情けないぐずぐず渋ってる場合じゃない、警察に助けをもとめるのは抵抗あったけどよく知りもしないただ一日泊めただけの男に強姦されるよりはるかにましだ。  テーブルの端にのっかった携帯を掴もうと手をばたつかせるも届かず、悪戦苦闘試行錯誤してどうにかおまわりさんに助けを求めようとあがくあいだにも、小金井はすっかりその気で準備万端、内腿に這わせた手に力をいれる。  小金井がぼくの貧弱な足を割り開き、性欲と嗜虐が結び付くサディスティックな笑みを浮かべ、いざー  「体で返すくらいならドラクエの経験値上げ手伝ってください!!」    「…………ドラクエ?ゲームの?」  相変わらずぼくの足を掴み、局部をさらした恥ずかしい体勢をとらせたまま、小金井があっけにとられ呟く。  咄嗟に思い付いた妥協案にして譲歩案、小金井の暴走を阻止せんがための心からの叫び。  「そ、そのドラクエです。経験値稼ぎ手伝ってくれるなら、非常に有り難いんですけど」   ぎこちなく愛想笑いし、たどたどしく言う。  「ドラクエの経験値手伝うから無期限ここにいていい?」  「好きなだけいてくれていいですから今すぐ上からおりてズボンはかせてください!!」  今日会ったばかりの素性も得体も知れぬ男に、体毛が薄く貧弱な下肢と子供みたいな性器をまじまじ視姦される恥辱と嫌悪に耐え切れず、もうどうにでもなれとやけっぱちで叫ぶ。  しかし小金井はここまで言っても上からおりず、その一瞬ふいに真顔になり、底光りする目で念押しするように射すくめる。  「今のセリフ忘れんなよ?」    その夜、ぼくは小金井と名乗る悪魔と取引した。  八王子の受難の始まりだった。

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