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第12話
「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ……」
強大な負の圧力に押されジリジリ後退する。
脂汗を流し葛藤するぼくを時間に尻を叩かれる社会人や暇そうな学生が追い越していく。
みんな何故こいつが怖くないんだ、すでに洗脳されてるのか。
「くっ………!」
うちひしがれ片膝突く。駄目だ、こらえろ、人が見ている。ここで蹲りなどしたら恥の上塗りだ。目の前にあるのがせめてクーロンズゲートならよかったのに、そうしたらへタレびびりひきこもりオタクニートのぼくでもきっとくぐれた……気がする。
敗北を認めるのか八王子東、むざむざ負け犬の醜態に甘んじるのか?
発破をかけ闘志を昂ぶらせるも、固く閉ざされた門が放つ邪悪なオーラに尻込みし、さらに一歩退く。
仮にぼくが脱ひきこもりに成功し社会復帰を果たし通勤だか通学だかで毎日駅を使うようになっても、この障害を克服せぬ限り電車に乗れまい。
日常にこんな罠が潜んでいようとは……盲点。
あたかも獲物を食らわんと待ち構えるかのような存在感を示す門との対決に戦わずして敗れ、背に装備した四次元リュックの肩紐を握る。
「ここまでか……」
「なにやってんの東ちゃん、立ち止まってたら人のジャマだよ。先いくよー」
緊迫の極みで膠着し、悶々と苦悩するぼくの横をひょいと素通りする影。
軽薄な声に物思いを破られ顔を上げる。
ぼくの横をさっと通り過ぎた小金井が改札機に券を通しホームに抜けていく。
あっさり改札機のむこうに抜けた小金井がぼくにむかってぶんぶん両手を振る。
「早くしねーと電車でるよ?」
「………この怪物をたやすく御すとは……侮りがたしヒモ」
ちょっとだけ見直す。あくまでちょっとだけ。
「改札機の前でなにぐだぐだブツブツやってんの。すげー目立つ」
小金井との同居から一ヵ月後、秋葉原遠征の日がやってきた。
いざ征かんオタクの聖地日本最大の電気街へとアパートを出たぼくの前に立ちふさがった第一の関門、無人自動改札機。
「いやだって、絶対閉じますよこれ。ぼくが通ろうとしたとこ見計らってバシンと胴を打ちますよ、絶対。前回とおなじ手はくいません」
おもえば一ヶ月前ぼくが赤っ恥をさらしたのもこの改札機だった。
ならばこれは因縁の対決、報復戦。
慎重に慎重に、じりじりと引いてためてタイミングを見計らい見極める。
汗ばむ手に券を握りこみ改札機と睨み合うぼくを利用客が不審げに眺めていく。
小金井は改札の向こうで人の気も知らず笑って待つ。
その能天気な笑顔がひどく癇に障り、馬鹿にされてると思い込み、瞬時に頭に血が上って決断と行動に踏み切る。
いざ禍根を断つ。
意を決し足を踏み出しスナップを利かせ手首を一閃、改札機に券を投入。やった、上手くいった!心の中で快哉をあげ、タイミングに乗じ、全速力で向こう側へ走り抜ける。
聖剣エクスカリバーを抜く伝説の勇者の如く反対側から射出された券をひったくり、勢い余って転びかけ、腕ばたつかせ辛うじてバランスを保つ。
「見ましたか小金井さん!?」
「見たけど……」
「ついに勝ちましたよ、こいつに!この無人改札機に!」
何をそんなにはしゃいでるんだろうという不審顔の小金井と向き合い、擬人化した改札機を指さし、興奮しきって叫ぶ。
「本当に長い戦いでした……思い返せば物心ついたときからずっとこいつはぼくの行く手に立ちふさがってきた、約束の地に行きたくば俺を倒し屍をこえていけと不敵な存在感を醸し無言で立ちふさがってきた!何度こいつに泣かされ恥をかかされたことか、いざ抜けようとするたび警告音がうるさく鳴って駅員さんがわらわらたかってまわりの人たちに嘲笑されて恥辱の極みで立ち竦み……券をとりそこね扉が叩き閉まること数十回、ジョジョでいうとアラウンドザワールド時よ止まれ、一秒かそこらのケアレスミスくらい見逃してくれたっていいのに何度も何度も意地悪く通せんぼして」
「みんな見てるよ東ちゃん」
冷静な指摘で我に返る。
駅のホームを行き交う人々が改札機に勝ち顔を真っ赤にして喜ぶぼくを見てくすくす笑う。
「―ッ!!」
ぼくとしたことが、無事改札を抜けれたのが嬉しくてつい浮かれてしまった。
「と、とにもかくにも第一関門突破です。最初の難題はクリアしました、幸先いいです」
ずれてもない眼鏡の位置を神経質になおし咳払いする。
小金井が口を窄め不躾にぼくを眺める。
「………なんですか」
「改札抜けただけでこんな喜ぶひと初めて見た。超新鮮」
一ヶ月前のリベンジを果たした達成感が小金井のぬるい笑みに包まれ萎んでいき、熱くなった顔を伏せる。
月に一度、記念すべき秋葉原遠征の日。この日に備え一週間も前から綿密に計画を立ててきた。
ネットで格安PCショップの情報を入手しラノベ早売り書店をチェックし贔屓の原型師が自信作と銘打ち出品する美少女フィギュアをおさえ、いざリュックを背に装備しアパートを後にした。
ところがひとつ誤算があった、なんとヒモまでついてきたのだ。
「喧嘩する猫みたくフーッて毛を逆立てて唸ってるから対人アレルギーの発作かとおもった」
「無機物相手にアレルギーでたりしませんよ、ただちょっと怖かっただけです」
改札をスムーズに抜けただけで大騒ぎなんて自分でもなんだかなあと思う。
思うが、改札を抜けるのはぼくにとって通りぬけフープをくぐるのとおなじくらい大冒険なのだ。
いやちがう。
「しいて言うならドラクエでパルムンテを使うくらいびくびくもんです」
「自分で勝手にハードル上げて生きにくくしてない?」
「小金井さんみたくテキトーな人にはわかりませんよ、ぼくの悩みは。ああ、ルーラが使えたら便利なのに……てかなんだってついてくるんですか」
「東ちゃんがひとりで行けるか心配で」
「いけますよ、子供じゃないんだから。保護者ですか?」
「自称ね」
「あんまひっつかないで……離れて歩いてください」
半径1メートル内に寄るなと手刀を切って境界線を示すも小金井はどこ吹く風でブーイングをとばす。
「昼間ヒマなんだもん。東ちゃんひとりで遠出ずりー」
「別に引き止めてないんだからひとりでどこへなりとも好きなとこに出てってください」
まったく図々しい。
こう言えばああ言うの典型の小金井はぼくの突っ込みを首をすくめ軽くいなし、本音を見透かすように不敵に笑う。
「……とかいって。俺がホントに出てったら寂しいっしょ?」
「自信過剰です。小金井さんがいなくなったら押入れにこもらなくてすむしせいせいします」
小金井と漫才喧嘩をくりひろげつつ階段をおりる。
すれちがう人たちの視線を横顔に感じ、若干緊張する。
今日の服装は一ヶ月前と少し違う。
もとからないセンスはどうしようもないが、身なりを清潔にするだけでだいぶ印象と好感度が上昇するとは社交に長けた小金井の弁。
この一週間奇妙な逆転現象というか相互依存というか共生関係が築かれ、ガンプラ製作の師となり上達を指導するぼくに対し、小金井は「容姿向上計画」と称する甚だ迷惑ないやがらせを開始した。まずは鬱陶しく伸ばした前髪をばっさり切るのを手始めに、近所のユニクロだか古着屋だかで安く購入した服をとっかえひっかえコーディネートしぼくの外見を自分好みに改造した。
「まったく、きせかえ人形じゃないんですよ……」
「前よりだいぶ雰囲気明るくなったよ、東ちゃん」
まあそれは認めよう。たしかに小金井の言い分は一理ある。
自分で身に付け驚いたが、こと他人に口出す分には小金井のセンスは存外まともだった。
改造と聞き真っ先に小金井の私服のような黒とシルバーが基調のパンクファッションを連想し「それなんてコスプレ?」とどん引きしたが、小金井はちゃんとぼくに似合う服―は言いすぎかーぼくが着てもおかしくないカジュアルな服を紙袋いっぱいに調達してきた。そのほとんどが近所の古着屋で安く仕入れたものだ。
期待と自信輝く目で「だまされたとおもって着てみ?」と促されしぶしぶ洗いざらしのシャツに袖を通してみたら、古着だけに着心地はごわつきいまいちだったけれど、当初覚悟していたほど不恰好じゃなく拍子抜けした。
ついこないだまで「着れればいいや」の安直な方針で数年前母が買ってくれたものを二・三日サイクルで着まわしていた。まめな洗濯は面倒臭い、クリーニングに出す金も馬鹿にならない、徒歩三分のコインランドリーに行くのだって社会不適合者には厳しい。オタクひきこもりニートな一人暮らしを続けるうちに不精が慢性化し嗅覚が麻痺し自分の体臭もあんまり気にならなくなった。
もともとぼくなど何を着ても似合わないというコンプレックスから来る先入観が強く、色やがらにこだわらずリラックスできる着心地を一番に優先し、伸縮性に余裕を持たせた生地で作った服を好む傾向があった。
春夏・秋冬兼用で着れるだぶだぶトレーナーや縫製の甘いジャージで過ごすのはらくちんだが、室内着はそれでよくても人前に出るのは却下とダメだしされ、この頃外出時はヒモが見立てた服を着ている。
今日の服装は茶系のカッターシャツと黒に近い灰色のズボン、質素で清潔な身なり。上着もズボンも……じゃない、トップスもボトムも小金井が選んだもの。シャツの裾はしまわず外に出し、だらしなくない程度にラフに着崩している。
イメチェンした自分が行き交う人々の目にどう映るか意識するあまり足取りがぎくしゃくとして挙動が不審を呈す。
みっともなくないだろうか。
どうも口の上手さに乗せられた感が拭えず、視線の重圧を内に抱え込む猫背で首をうなだれ立ち尽くせば、自称ヒモ兼専属スタイリストが頭のてっぺんからつま先まで自分好みに磨き立てたぼくが審美眼に適うか検分し、軽く頷き指で輪っかを作る。合格点。
「俺の目に狂いはなかった。東ちゃんやっぱオレンジ寄りの茶色が似合う」
「からかわないでください」
「マジマジ。もとから地味だけど清潔な目鼻立ちが引き立って文系好青年てかんじ。単位取得に余念がない」
「おだてたってあかいカビしかあげませんよ」
専属スタイリストを気取る小金井をそっけなくあしらうも一方で含羞と感謝の念にくすぐられ、どんな顔をしたらいいかわからなくなる。
「でもなあ、なんかこう……」
「なんですか?」
「真面目すぎ?遊び心がたんない」
おもむろに手がのびる。
「一番上は開けといたほうがいっか」
抵抗を許さぬ緩やかさで小金井が一番上のボタンを外せば、開いた襟から外気がながれこみ、首筋がひやりとする。
「自分でできますよ、子供じゃないんだから!それにこれはとめといたほうがいいんです、露出狂じゃないんだから首なんかさらしたって楽しくありません」
首に触れた指の湿り気を反芻し、もたつく手で一番上のボタンを嵌めなおす。
「えー、なんでさ。かたっくるしい」
「いいんです」
「首絞まってきつくない?」
「いいんです」
「締め付けられんのが好きなの?マゾ?」
「―っ、だからあんたはどうしてすぐそう!」
子ども扱いされた腹立たしさに声が尖る。
頭皮とか首筋とか、こいつは敏感な場所ばかり触りたがる。しかも不意打ちで。卑怯だ。
いつ小金井の手が悪戯だかお節介だかを仕掛けてくるか気が気じゃなくて、平常心維持の暗示に失敗して、穴に通したボタンを上の空でいじくりまわす。
指を動かしてれば少しは気恥ずかしさが紛れるかと期待するもさっぱりで、隣に立つ小金井のささいな仕草や視線の角度を否が応にも意識してしまい、指の感触を覚えた首筋が襟と擦れささくれだち、強烈な羞恥に火照る。
すれちがう人々の視線を感じる。
小金井と出会う前はひとりでこのホームに立ち新宿行きの電車を待っていた。
今も、人目は怖い。
怖いが前ほどじゃなくなった、小金井といると人目を気にする暇がないのだ。
ぼくは相変わらず世間さまから偏見の目で見られるひきこもりオタクニートで、人とすれちがうたびびくつく癖が抜けなくて、駅に来るあいだも自分の存在が他人を不快にさせてないか、卑屈な言動が体臭が雰囲気がただ通りすがっただけの人たちを不快にさせてないか、ひたすらそればかり気にし申し訳なさを味わっていた。
けれども小金井は、そんなぼくをけっして急かさず置いていかず歩調を合わせてくれた。遅遅として進まぬリハビリに根気よく付き合ってくれた。
この一ヶ月間、小金井と一つ屋根の下で暮らした日々を回想し奇妙な感慨に浸る。
オタク狩りから助けた恩に着せ免許証とりあげ強引にアパートに押しかけた自称ヒモ、夜這い未遂前科一犯の要注意人物。
素性も得体も知れず、掴みどころない笑顔と言動でひとを煙に巻く謎の男。
対人恐怖症のはずだった。
他者との接触が苦手なはずだった。
ひとの目をまっすぐ見れず、プレッシャーに起因する吃音癖と噛み癖のせいでまともに話すことさえ難しかった。
なのに小金井はどうしてか、噛みまくりのぼくの話に最後まで耳を傾けてくれる。
強引で、無礼で、軽薄で。
漫画アニメラノベゲームに囲まれ閉じた生活に強引に割り込んでどっかり居座って。
自由奔放なヒモに振り回される毎日は妥協と譲歩の連続で、どうかするとモンスターが出てくるRPGよりも発見と驚きと好奇心に満ち溢れて、こんな日々も悪くないかなと状況に流されやすい心の片隅で漠然と思い始める。
一週間前、切られた前髪の涼しさにもようやく慣れてきた。
「小金井さん、その……ぼく、ヘンじゃないですか」
「ヘンて?」
「匂いとかしません?」
「東ちゃん、最近ちゃんと風呂入ってんじゃん。だいじょーぶだって」
「だいじょうぶ……かな」
前髪を指で梳いて心許なく呟く。
小金井に髪を切ってもらった日から一日一回欠かさずシャワーを浴びてる。
アパートの風呂は狭苦しく自由に足も伸ばせないし、水道代節約もかね三日に一回と決めているが、シャワーを使い入念に体を洗うだけで格段にさっぱりした心地になるのは新しい発見だった。
ゲーム攻略とガンプラ製作でかいた汗を流しシャンプーなんて上等な物はないから石鹸で代用し髪を洗い、できる範囲で衛生を心がけるようになった動機は、兄さんの正論な説教。
『身だしなみは社会人の規範だ』
『そんなことでどうするんだ、お前は』
『甘えるんじゃない』
ぼくが変わればまわりの見る目も変わるだろうか。
変わろうという努力を少しでも認めてくれるだろうか。
兄さんやご近所さんを見返したいという反発心は見直してもらいたい向上心に結び付き、漫画アニメゲームラノベに囲まれた相変わらず自堕落な日々の中、食事・睡眠・シャワーは最低限習慣づけ、亀の歩みで生活のリズム修正を図っているのが現状だ。
小金井と出会って内側にも外側にも新鮮な変化が訪れた。
三歩すすんで四歩さがる後ろ向きな性格が三歩すすんで二歩さがる程度には前向きになったのも、底抜けに明るく楽天的な小金井の影響だ。
そのうち人目を気にせず堂々と出歩けるようになるかもしれない。
今隣に立つこの男のように、ぼくも。
「あ」
向こうからメールを打ちつつ会社員がやってくる。
衝突を予期し脳が警報を発するも、右へ行くべきか左にどくべきか回避の判断が遅れる。
仮想敵と丁々発止攻防を演じるが如く右足に左足に重心を移すあいだも大股に距離は縮まり、とうとう会社員が目の前にくる。
ぶつかる。
「―っと、危ね」
小金井がぼくの肩を抱きさりげなく庇う。
最前までぼくが突っ立っていた場所を会社員が足早に通り抜けていく。
メールを打ちながら歩き去った男を見送り、小金井が冗談ぽく腕の中をのぞきこむ。
「スラダンごっこ?」
「リバウンド王にぼくはなる」
じゃなくて。
「今の人とゲーム中の東ちゃん、どっちが集中力上かな」
「ぼくに決まってます」
どうしてぼくはこう何度も何度もおなじ間違いをする、いい加減反射神経が磨かれてもいい頃合なのに。小金井も小金井で、頼んでもないのにどうして毎回同じことをするんだ?
素直に礼を言えない自己嫌悪に下を向く。
甘やかされる心地よさと不甲斐なさに唇を噛めば、小金井の手がすっと肩から離れていく。
「電車来た」
アナウンスが朗々と響き、ホームに失速した電車が滑りこんでくる。
電車の扉が空気の抜ける音とともに開き、人が忙しく乗り降りする。
先に歩き出した小金井を追い、矩形のドアから中に乗りこむ。
一口に八王子駅といってもJRと京王の二種類路線があるが、秋葉原に出かける際は後者を利用する。
京王線の方が停まる駅が少なく速いし安上がりで財布に優しい。そもそも京王線の名称は東京と八王子を結ぶ鉄道である事実に由来する。
シルバーホワイトの胴体に赤紫の横線の入った京王線の中は両側に座席が分かれ、これぞ不況の煽りに負けぬ資本主義の本領という感じで吊り広告が端から端までぶらさがり、春の新色と気が早く銘打たれた化粧品の売り上げにいくばくか貢献する。
小金井が早速シートに腰掛け足を放り出す。
その横に肩身狭く腰掛ける。
のんべんだらり緊張感のかけらもない弛緩しきった体勢でシートに凭れ小金井が言う。
「でっかいリュックおぶってるけど秋葉原でなに買うの」
よくぞ聞いてくれた。
「ぼくが尊敬する原型師ハクトさんが自信作と銘打った美少女フィギュアがまさに今日発表されるんです」
「前から気になってたんだけどさー、原型師ってなに?ガンプラ作る人?」
「ガンプラなら小金井さんだって作れるでしょう」
「楽勝だあね」
しれっと嘯く小金井。これだから素人はてんでわかっちゃいない。
原型師の意味も知らずきょとんとする小金井に偉ぶって人さし指をたて、滔滔と説明する。
「原型師とは量産品の模型の原型となる塑像を製作するという職能を持つ人、いわゆるプロフェッショナルな職人です。原型師の歴史は新しく遡ること1980年代初頭、ガレキの台頭に伴い認知が広がりました。原型師の始祖は荒木一成、このひとはガレキや食玩で有名な海洋堂の社員でありながらホビージャパンに取り上げられたほど造形作家です。同じく海洋堂古参の原型師で世界的に知られているのがBOME、この人は美少女フィギュアの完成度で一躍その名を世に知らしめた人です」
「早い話フィギュアのもとを作る人ってこと?」
「……まあ、ものすごーく乱暴にまとめてしまえば」
身も蓋もない要約に脱力。ずれた眼鏡を押し上げため息を吐く。
「今日は秋葉原でぼくが尊敬する原型師ハクトさんの新作お披露目会があるんです。ハクトさんといえば美少女アニメキャラのフィギュアに定評ある気鋭の職人、とくに彼が作ったちびうさフィギュアはスカートのあざとさ一歩手前の捲れ具合からして最高の出来。タートル仙人さんもハクトさんの大ファンなんですけど地方に住んでるのと仕事が忙しいのとでなかなか上京できないからイベントオチ報告たのむって」
「タートル仙人て誰?」
「ぼくがよく行くチャットの常連さんです。すごいんですよ、タートル仙人さんは!フィギュア黎明期、まだ原型師なんて言葉が存在しなかった時代から隆盛を見守ってきた歴史の生き証人です。美少女フィギュアに賭ける情熱はぼくに勝るとも劣らず、ハクトさんがネットでほそぼそ作品発表してた頃サイトの掲示板に書き込んだ経験あるっていうんだからすごさがわかろうというもの。あ、そうだ、仙人さんが布教してくれたラノベの漫画版出るんだった!作画担当がエロ漫画家のKEIなんですよね、むちむちぷにぷにの女の子を描かせたら今のエロ漫画界いちと評判の。フラゲ亡者どもに踏み倒されてもゲットせねば……そだ、葉鍵の新作も」
秋葉原に着いてからの行動を指折りシュミレーションするぼくの隣で、小金井が憮然とする。
「どうしたんですか小金井さん」
「東ちゃん楽しそうだね。俺にはぜんぜんわかんねーのにさ」
小金井がむくれる。
理解できない話を延々垂れ流され拗ねてしまったらしい……ガキっぽいひとだなあ。
「そっちが先に聞いたんじゃないですか」
言い返せば不服そうに口を尖らし、靴の爪先をなげやりにぶらつかせる。
小金井でも疎外感を覚えるなんて意外だった。そういうデリケートな感性とは無縁のとことん鈍感で無神経な男に見えたのに。
自分がついていけない話を饒舌に展開された腹いせにふてくされそっぽを向く小金井に、遠慮がちに申し出る。
「あの、よかったら小金井さんもチャットきません?きっとみんな歓迎してくれますよ」
「え?」
リズムを刻む爪先がとまる。頬杖を崩し、目を点にしてこっちを向く小金井。
はやまったかと後悔の念が過ぎるも一度出た言葉はもどせず、ええいままよとゴリアテから飛び下りる覚悟で自分を急きたて続ける。
今こそゴミの意地とプライドを見せる時だ、八王子東。ムスカに笑われたってかまうもんか。
「ほら、昼間ヒマだし……ドラクエの経験値ももう既にМAXだし、格ゲーオチゲー対戦ばっかじゃ飽きるでしょ?小金井さんがチャット覚えたらみんなとも話せるし、ぼくがチャットしてても一人でヒマを持て余さずにすむし、一石二鳥じゃないかなって」
つっかえつっかえ最大限の勇気を振り絞り、一度チャットに来てみないかと小金井を誘う。
少し前までぼくにはチャット友達しかいなかった。
その友達だって実際会った人はひとりもなく、画面越しの付き合いで完結していた。
これまではそれで十分満ち足りていた、不満なんかなかった。
画面越しの付き合いのほうが気が楽だ。
タートル仙人さんもハルイチさんもまりろんちゃんもそれぞれ個性的で話題が豊富で、何時間ぶっ続けでしゃべっても飽きなかった。
オフで小金井と暮らし始めてチャットに行く頻度が減った。
チャットの仲間には一応居候の存在を明かしてあるが、まりろんちゃんなどよくも知りもせぬ小金井の事を「怪しい怪しい」と色んな意味で邪推し、話の分かるハルイチさんやタートル仙人さんも「警察に相談したほうが」と懐疑的に助言する。
小金井がチャットに来て皆とうちとければ誤解もとけるし、ぼくは現実と虚構の板ばさみのジレンマから解放されオンとオフを両立できる。
オンの交友もオフの人間関係も等しく大事にしたい。
以前は迷わずネットを優先したが、最近は小金井に感化されどちらか一方を選び取るのではない共存の方向を模索しはじめた。
ぼく個人としても奇妙な同居人をチャットのみんなに紹介したい気持ちがあった。
思いつきで口走った言葉がさも名案のような錯覚をきたし、両手を広げてかき口説く。
「だいじょうぶ、心配いりません。タートル仙人さんもハルイチさんもまりろんちゃんもすっごくいい人です、きっとあったかく迎えてくれます。タートル仙人さんはチャットの面子の中じゃ最年長の兄貴肌で頼り甲斐あるし、本職がシステムエンジニアだけあってPC関連にすっごく詳しいんです。ハルイチさんはぼくと一番年が近くて今は……専門学校生だっけ?鳥取から上京して麻布に住んでるらしいんですけど、人当たりが柔らかくて話しやすいし、すぐ仲良くなれますよ。まりろんちゃんはすぐ男同士をくっつけたがるミーハー腐女子だけどテンション高くて楽しいし紅一点アイドル的存在で」
「……でも俺、漫画やアニメわかんねーし。東ちゃんほどゲーム詳しくねえし、絶対浮くよ。話ついてく自信ない」
精一杯の説得を試みるぼくを頬杖ついて眺め、苦笑まじりにはにかみ伏せた目に逡巡の光がちらつく。
ためらう素振りが新鮮でいつもと立場が逆転したような優越感に心が浮き立つ。
気乗りせぬ曖昧な態度でやんわり提案を受け流す小金井にこぶしを握り食い下がる。
「小金井さんなしですよ、そういうのは。さんざんぼくの生活ひっかき回しといていまさら遠慮してみせたって通じませんからね、一度チャットに来るべきです。みんな小金井さんに会いたがってるんです、ぼくが秋葉原で拾った自称ヒモに興味津々で、とくにまりろんちゃんが連れてこい連れてこいってうるさくて……タートル仙人なんかけしからん、説教してやるって大層お怒りで」
「東?」
熱弁を遮る声。
反射的に顔を上げ振り返る。
向かいの座席から今しも立ち上がった一人の青年が、だらけてこっちに歩いてくる。
だれだっけ。
突然名前を呼ばれ戸惑う。
目の前の顔と記憶が噛み合わず首を捻るも、青年が自分の顔を指さした瞬間、脳裏にフラッシュバックが炸裂。
「俺だよ、俺。わかんね?中学で一緒だった黒田」
『いい年してアニメに夢中で気持ち悪いんだよネクラオタク』
『取り返してみろよ』
「…………………あ………」
いじめの主犯格の元クラスメイト。
出発のアナウンスが入り、電車の扉が閉まる音を上の空で聞く。
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