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第25話

 八年前と今とどっちがより最悪だろうか。  ぼくは今地獄を体験してる。  「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも……げぼげほっ!!」  「どうした、続けろよ、まだ途中だろ」  「許可なくやめんじゃねーよ、サボらず舌使えよ」  脇腹に靴のつま先が食い込む。  両手で腹を庇う。  脂汗が噴き出す。  頭上を取り囲む黒い影、三つの顔。  「続けろよ。言うこと聞かねーと痛い目あわすぞ」  今ので鼓膜が破れたか?三半規管がぐらつき眩暈が襲う。  不規則に痙攣する腹筋を両手で庇い、青ざめた唇をかすかに動かし、切れ切れの歌声を紡ぐ。  「なんのためにうまれて なにをして 生きるのか こたえられないなんて そんなのは い、やだ……今を生きる ことで 熱い こころ 燃える、だから 君は いくんだ ほほえんで……そうだ うれしいんだ 生きるよろ、こび たとえ 胸の傷がいたんでも……」  「はいお上手ー。拍手ー」  ぱちぱち、熱の入らないふざけた拍手。  これで何度目?  さっきからずっと大声でアニソンを唄わされている。断れば即蹴りがくる、パンチがとぶ。  唄いすぎて喉を痛めた。酷い声だ、ガラガラに掠れている。  ちょっとでもつっかえたりどもったりしたら容赦なく小突かれる、噛んだら爆笑を誘う。  「げほげほ、かほっ、ぁぐ……なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ わからないまま おわる そんなのは い、やだ……」  喉が痛い、腹筋が痛い。  合間合間に激しく咳き込む。  「俺さー思ったんだけどアンパンマンてマゾじゃね?」「ジコギセーセーシンにあふれすぎで気持ち悪イ」「自分に酔ってんだよ」「よいこの味方だからな」「ねー、ぼくの顔噛んでー餡が、餡がいっぱい詰まってるよーう」「ああん、あんまり強くすると餡がでちゃうよーう」  チンピラたちの爆笑が遠く近く三半規管に渦巻く。  「げほげほげほ……ぁがっ、ふ……」  全身生傷と擦り傷だらけ。殴られ蹴られた回数は覚えてない、いちいち数えるのも不毛だ。  片手で床を掻き、もう片方の手を腹に回し咳き込む。  喉を収縮させ酸素をむさぼる。  息の通り道が狭窄して上手く息が吸えない、肺に酸素を送れない。  視界が暗い。  ここはどこだ?  断線、混線。記憶が上手く繋がらない、ばらばらになってしまった。  断片的な映像がフラッシュバック、脳裏が白い閃光に染まる。  始まりから終わりまで今日一日の出来事を音速で振り返る。  風邪をひいて寝込んだ、体が辛い、ろくなもの食べてないせいでだるかった、微熱があった。エロゲアンインストールしながら小金井思い出してぐずぐず泣いた、未練たらたらの自分が情けなくてもっと泣いた、耳を劈く大家さんの悲鳴、ヒステリックな怒鳴り声と争い合う物音、鍵穴をガチャガチャほじくる音に続きドアがぶち破られ土足で乗り込んでくる男たち、黒スーツの壮年を筆頭に殴りこんできたチンピラ一堂羽交い絞めにされ手も足もでないぼくの眼前で部屋中荒らしまくって  『小金井はどこだ?』  さんざん小突かれいじられた、畳に突っ伏してひたすら耐えた、拳や蹴りが振ってくるたび八年前の要領で丸まり身を庇った。  どんなふうにすればダメージを減らせるかぼくも学習している、黒田やクラスメイトが教えてくれた、文字通り体に叩き込まれた。  『小金井はどこだ?』質問『居場所を吐け』尋問『見かけによらず強情だな』拷問  手も足も出ないぼくの眼前で無表情にいちごをしゃぶる森、口一杯頬張る、小金井とぼくで食べる予定だったいちごを次々と。無遠慮にセロハンを剥がし包装を毟る音、蔕を摘み口にほうりこみねっとり舌をまといつかせしゃぶる。油性マジックででかでか名前書いてあった小金井の名前、子供っぽくへたくそな字、それはもう思わず笑っちゃうほどで『残しといてください!』非難の声を上げた、精一杯の勇気を振り絞って、無理矢理突っ込まれしゃぶらされた、口の粘膜を見た目可愛らしい果実に犯される感覚はおぞましくもどこか淫靡で吐き気がぶりかえす。  右手に持たされた携帯、震える手で短縮を押す、三倍速の巻き戻しのように瞼の裏をよぎるララの顔施設の顔施設の平和な日常、出てほしい出てほしくない矛盾した葛藤に引き裂かれ呼び出し音を聞く……  『東ちゃん?』  小金井は、出た。  拍子抜けするほどあっさりと。  願えば叶うなんて嘘、ご都合主義な展開は現実に通用しない、フィクションの中だからこそ有効な決まり事。  絶望と安堵を同時に感じた、小金井の声を聞けた嬉しさと安堵で胸が熱くなるもそれはすぐ散らされた。  体の前に回る手、卑猥に股間をまさぐる、チャックを噛む音、下着から引っ張り出された性器のピンクがかった肌色……『あっ、あああっ、ふあ』堪えようと、した『やめ、ぅあ、さわんないでくだ』必死に、一生懸命に、『小金井さん、逃げて!』伝えようとした  「う……」  あれからどうしたんだ?  チンピラに挟まれ部屋を連れだ出された、乱暴に腕を持たれ引きずられた、自分の足で歩いた気がちっともしない、ぬれた下着が気持ち悪い。  カンカンカン縺れた足でアパートの階段を下りる、前の通りに一台車がとめてある、遮光フィルムを張った黒い車。  拉致された。    朦朧とかすむ目で弱々しくあたりを見回す。  鉄骨を幾何学的に組んだ天井は高く、劇場効果で声や音がよく響く。  二階分の高さがある巨大な倉庫。今は使われてない、従業員の姿が見当たらない。  森の……森が属する組の持ち倉庫?  思考の鈍った頭で推理を働かせる。  脳内麻薬が鎮痛剤の役目をはたし、脇腹の痛みがほんの少し引く。  頬をつけた床から冷気が伝わる。  見張り役を任されたチンピラたちは退屈しのぎに人質を嬲り、飽きたらおのおの勝手な事を面白おかしくしゃべりちらす。  森は二階の事務所に消えた。  二階部分には壁に沿って一周するように足場が組まれ、そこに階段が繋がっている。  「っ………」  ぼくはすでにボロくずに近い状態だ。  森はチンピラの好き勝手を許してる、黙認してる。  森の監視を離れたチンピラたちは調子にのって人質を小突き回す。  「歌が聞こえねーぞ、だれがやめていいって言ったよ?」  中の一人が爪先で肩をつつく。  惰性的に口を開き、吐息に紛れてかき消えそうな声を懸命に絞り出す。  どこまでいったっけ?最初から  「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられない、なんて……そんなのは いやだ……っあぐ!?」  「ばかか、同じとこ唄ってどうするよ?」  みぞおちに衝撃が炸裂、吹っ飛ぶ、背面のダンボールに激突。  ダンボールの山が崩れ濛々と埃が立つ、みぞおちの激痛と埃を吸い込んだのとで激しく咳き込む。  「学習能力なさすぎー」  「んだよ、その目は。不満があんならちゃんと口で言えよ、お口で」  「あはっ、こいつ涙目だ!びびってんの?しょうべんちびっちゃう、ねえ?」  痛い。  助けて。  もうやだ、こんなの。  なんでぼくがこんな目に、なにも悪いことしてない、八王子の片隅のボロアパートで誰にも迷惑かけないよう息をひそめ暮らしてきたのに理不尽だ。  チンピラたちがへらへら笑いながらぼくを取り囲む、中の一人が正面に大股開きで屈みぼくの頬を平手で打つ。  「きもいんだよ、おたく」  「あんたさー素朴な疑問だけど生きてて恥ずかしくねえの?いい年して部屋にべたべたアニメのポスターはって、ガンダムやフィギュア飾って、パソコンの中身はロリコン御用達でさあ……マジ鳥肌もんなんだけど」  「エロゲで抜くコツ教えてくれよ、やっぱオタクってアニメじゃなきゃ興奮しねーもんなの?三次元お断り?」  失笑、嘲笑、冷笑。渦巻く悪意。  チンピラたちは嘲笑い、ぼくの趣味生き方存在すべてを全否定。  八王子東は社会のゴミだ。  今すぐ死んだほうがいい人間だ。  だからこんな目にあっている、こんな目にあってもだれも助けてくれない。  自業自得。  「う………」  床に手をつき苦労して上体をおこそうとするも、肘が砕けずりおち、再び突っ伏す。  したたか床で顎を打ち意識が飛ぶ。  醜態をさらすぼくを見て不良たちがますます笑う、涙を流して笑う。  クスリでもやってるんだろうか、それとも素でこのテンション?……どっちかというと後者のほうが怖い。  「だっせえ眼鏡。見るからにオタクってかんじだな」  「さわらないでください……」  「偉そうにご意見できる立場かよ?」  中の一人が眼鏡に手を伸ばす。  レンズに指紋がつく恐れから身を引けば、それが気に障ったらしく、険悪な形相になる。  「あんたさあ、リュウと一緒に暮らしてたんだろ」  リュウ。  右側に立つ一人を慄然と仰ぐ。  小金井の名前を出したチンピラは、ぼくの反応をにやつき観察しつつ、もったいぶって続ける。  「可哀想に、どうせ脅されたんだろ?じゃなきゃあんたみたいな腰抜けが正反対のタイプ居候させるはずないもんな」  「盲点だったよ。灯台もと暗しっての?てっきり女のとこ渡り歩いてるとばっか思い込んで虱潰しに当たってたのにさ、面識ねー男のアパートに転がりこんでるなんて予想できねーよ。どうりで一ヶ月必死こいて探しても見付かんねーわけだ」  「頭いいよリュウは。組事務所は新宿、二十三区内にいたらさすがにばれる、その点八王子なら近すぎず遠すぎず安心だ、少なくとも時間稼ぎにゃなる」  「目えつけられたな、あんた」  「カモがザクしょって歩いてきた?」  小金井。  『東ちゃん今日の飯なにがいい、リクエスト応じるよ』小金井『へー簡単そうに見えて結構むずかしいんだね、色塗り。奥深いなあガンプラ』小金井『いいじゃん隠さなくっても、ブログ見せてよ』小金井『すげー、制作工程ぜんぶアップしてんの?』小金井  ぼくを、だましてたのか。  利用したのか。  本当に、それがすべてか?  こいつらや森が言うように、小金井はケチな悪党で、犯罪者で、売人の死体から銃とクスリを持ち逃げして横流しで稼ごうとか考えるヤツで。  「こがねい、さんは……」  『ザクを作らせたら世界一です』  『気持ち悪いなんておもってない』  『俺は東に生きててほしい』  『じゃあね』  『指一本触れるな』  「あの人は、悪い人じゃない」  だって、生きてていいよって言ってくれた。  好きだって言ってくれた。  チャーハンを作ってくれた。  初めてできた友達。  信じて裏切られてそれでもあがいて信じようとして、また裏切られるのを心のどこかで恐れている。だけど信じたい、まだ信じたい、小金井がそんなことするはずないと信じていたい。  風呂場でぼくを犯した。  言葉でさんざん辱めた。  それは事実で  だけど真実じゃない    「こがねいさんが……売人の死体から、クスリと銃を盗んで……逃げて……ぼくのところに転がりこんだのが、ホントだとしても……それからおこったこと全部、嘘だとは限らない……」  犬に頬擦りなでまわしたのも、野良猫に優しくしたのも、ぜんぶ油断を誘う演技?  違う、そうじゃないだろう。  あの中には本当も含まれていた。  「ぼくはこがねいさんのこと殆ど知らない、これまでどうやって生きてきたのか、何してきたのか知らない……けど、この一ヶ月のことなら、言える……」    言葉を吐くだけで体力を消耗する。  腹筋が引き攣って痛い、でも言わずにはいられない。  埃だらけの床をかきむしり、億劫に上体をおこす。  ばらけた前髪の間から強い眼光を放ち、チンピラたちを睨みつける。  「小金井さんは……悪い人じゃない。世間がどうとか知らない、だけどぼくは……酷いこともされたけど、痛かったけど、それ以上に、もっとたくさんのもの、あの人からもらったんです」  小金井と暮らした一ヶ月は、暗い部屋にこもって過ごした八年間より、ずっと生きてる感じがした。  八年間感じなかった生きる喜びが、ぎゅっと凝縮された一ヶ月だった。   最悪の別れ方をした。  あの時どうしてもっとちゃんと向き合わなかったんだろう、理由を聞かなかったんだろう、追いかけなかったんだろう。そうすればよかった、後悔しても遅い、追えばよかった、泣いて叫んで行かないでと頼めばよかった、本当は行かせたくなかった、ずっと一緒にいてほしかった。  大人げない八王子東  小金井には家族がいるのに  「ほんといい加減な人で……いっつもへらへらしてて、真剣みが足りなくて……ふざけてばっか、てきとー言ってばっかで、時々すっごいむかついたけど……」  小金井。  「すっ、ごく、楽しかった」  会いたい  「友達、初めてだったんだ。初めてできたんだ、ぼくを気持ち悪いって言わない友達、一緒にいてくれる人。こんな……二十二にもなって漫画アニメゲーム卒業できない、根暗でうじうじ気持ち悪いヤツなのに、小金井は」  会って、話がしたい。  ぼくの願いは誰かを不幸にするぼくが小金井を求めればララと生まれてくる子供を不幸せにする、フィクションの世界みたいに登場人物みんなが幸せでハッピーエンドなんてありえない、釣り合いがとれない。  ぼくには漫画がある、ゲームがある、二次元がある。リアルの小金井なんていなくても平気だ。  平気なはずなのに、  「……なんでだよ……」  小金井がくれたもの、教えてくれたこと、多すぎて。  いやだ。  ひとりぼっちはいやだ。  一緒にゲームしたい、ふざけたい、小金井さんが作ったチャーハン食べたい、散歩いきたい、あれもしたいこれもー  「!!痛ッあぐ、」   前髪を掴まれ力づくで顔をおこされる。  「寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ。リュウが悪い人じゃないだあ?笑わせんな、あいつは相当のワルだよ」  ぼくの前髪を無造作に掴み吊りさげ、間近で覗きこむチンピラの顔に、下劣な笑みが広がる。  「……小金井さんを……知ってるんですか……?」  前髪を毟られる痛みに顔を歪め、上擦る息を抑えて聞けば、チンピラたちが示し合わせたように視線を行き来させ含み笑う。  「リュウはな、うちの組のパシリやってたんだ」  「二・三年前、まだ十八かそこらだったけどな……クスリこそ扱ってなかったけど、女受けのよさ利用してダフ屋の真似事してパー券さばいたり、兄貴の愛人借りて美人局やったり、いっぱしのワル気取りだったぜ」  「喧嘩も強かったし上にも可愛がられてたのに、突然足洗うとか言い出してさあ……薄情もんだよ、ダチ裏切って」  「え?」  ダチを裏切った?  チンピラが顔をつきつけてくる。  「リュウの連れで耕二ってのがいたんだ。二人一緒に組んで色々悪さした仲の……言うなりゃ腐れ縁の悪友だな」  小金井が肌身離さず持ち歩いてた写真の左端、ララの肩を抱く少年。  「リュウは耕二を切り捨てて自分だけとっとと社会復帰」  「恨まれてもしかたねーよ、ありゃ」  「ま、リュウはクスリさばいちゃなかったし……杯もらうまえだから、抜けるとか言い出しても半殺しで済んだけどな。耕二はそうもいかねーだろ?」  「……耕二さんを殺したんですか」  耕二。初めて聞く名前。おそらく、小金井と施設から一緒だった友達。  『むちゃくちゃだよ、あいつ』  ぼくの髪を切りながら昔話をする小金井に妬いた。  「リュウは酷えヤツだよ、昔なじみのダチを二度裏切ったんだから」  「組抜ける時と今度の二回。ダチの死体からクスリ持ち逃げするなんてよっぽど金に困ってたのかあ?」  「お前が目えはなすからだろテツ」  「うっせえ、ちょっとよそ見してるあいだに逃げたんだよ。逃げ足だきゃあ速いんだよ耕二、腹抉ったから逃げる元気ねーだろって高くくって失敗した」  「けどさー、あんな状態で逃げ出してどうするつもりだったんだろうな。自分で病院か警察駆け込む気だったとか?」  「馬鹿だなーお前、リュウがあそこにいたの偶然なわきゃねーじゃん。死ぬ前に呼び出して復讐するつもりだったんだよ」  チンピラたちが喧々囂々意見を交わし合う。  こいつらは、本当の人殺しだ。しかもそのことになんら罪の意識を抱いてない。  「腹を抉ったって………」  「ああ?そうだよ、ナイフでぐりっと」  「ちょっとこそいだだけなのに大げさに痛がりやがって……」  いやだ、帰りたい、うちに帰りたい。  このまま、ぼくはどうなる?  小金井をおびきだす餌にされて、最後は……殺される?  耕二のように?  「ひっ……」  床を蹴ってあとじさる、情けない悲鳴が尾を引く、背中にドンとダンボールの箱が当たる、全身が震えだす。  こいつらは人殺しだ、手柄でも話すように人殺しの経験を話す。  どうかしてる、狂ってる、ついていけない。ぼくは?ぼくも殺されるのかここで、どことも知れないくらい倉庫でだれにも知られることなくナイフで腹を抉られるのか、いやだそんなの、まだ読んでない漫画見てないアニメしてないゲームたくさんある、ハクトさんの新作フィギュアゲットしてない、チャットのみんなに別れも言えず死ぬのはいやだ、こんなところでひとり惨めに死にたくない耕二の二の舞になりたくない!  恐怖心から恐慌を来たしせわしく顔を振り分け出口を模索、暗闇の圧迫感にひゅうひゅうと喉が鳴る。  過呼吸の発作でも起こしそうなほど追い詰められ立ち上がり走り出す全速力で、倉庫を出る、逃げる、タクシー捕まえてアパートに帰る!  足払いをくらい転倒、ろくに受身もとれずしたたか体を打つ。  体育用具倉庫の時と同じ致命的ミスとロス、あの時もたしか黒田に足払いをかけられ引きずり戻された、今度も同じだ、チンピラたちに下半身を掴まれ引き戻される、埃だらけの床を腹で擦る  「いやだ、助けて、うち帰して!!」  精一杯もがいてあがいて暴れる、接触面との摩擦で上着がめくれ肌がひりつく   「煙草もってる?急に吸いたくなってさあ」  背中にのしかかったチンピラが場違いにのどかな口調で話し服をまさぐり煙草をとりだす。  ライターの着火音、鼻先に回りこむ紫煙。  「しまった、灰皿がねえ」  「どっかそのへんに捨てとけよ……待て、いいのがあった。じゃーん」  悲鳴が喉に詰まる。  ぼくの正面に立ったチンピラが背中から抜き放ったのは、見覚えあるザク。  「なに、持ってきちゃったのお前?さてはお気に入りだな?」  「ちがうって」  チンピラが意味深にほくそえみ、床に這い蹲ったぼくと胡散くさげな仲間とを眺め、一呼吸ためて提案。  「灰皿代わりになんだろ?」  打ち合わせどおりの芝居、脚本を棒読みしてるかのようなわざとらしさ。  目を細めるようにして笑い互いに歩み寄る「やめ、」叫ぶ、必死に「やめてくださいお願いだからさわんないでください、そのザクぼくが作ったんです、初めてのザクなんです!」覚えてる、見間違えるわけない、あの塗りの剥げ方はぼくが一番最初に作ったザク、学校でいじめられ教室に居場所をなくしたぼくが一日中部屋にこもって完成させたザク、ほんの数時間前まで右腕に抱いてた、ぼくの大事なー……  胸の悪くなる音。  プラスチックがこげる臭気が鼻をつく。  「あ………」  チンピラがザクの胴体に煙草をおしつける。  「うあ、あ、ああ」  言語中枢が麻痺、手をばたつかせ赤ん坊のように喘ぐ、体が勝手に動く、床を這いずってチンピラの足に縋り付く、服の裾を引っ張って懇願する  「やめ、おねがい、返して、なんでもする、します、やめてください、ザクに罪ない、それぼくの」  『きめえんだよオタク』  『また親に買ってもらえりゃいいだろ』  『キーホルダー一個にマジんなってばっかじゃねえの』  「返してください、お願いします、もういやだやめてくださいぼくの大切なザク初めて作ったザク八年ずっと一緒だった怖い夢見たら一緒に寝たシンナーくさい友達、しゃべんなくても固くても大事な友達、お守りなんだ、だから!」  「手のひら上に向けろ」   とにかくザクを守りたい一心で言われた通りにする今ぼくの頭の中はザクを救いたい取り戻したい一色でプラスチックが溶ける臭気。  間に合わなかったキーホルダー、腕がもげたキュアレモネード、今度もまたー……  「あああああああああああああああああっあああああああああああああ!!?」  音が、した。  上にかざした手のひらに穂先を押し当てられた、たんぱく質がこげる甘ったるい臭気が鼻腔を突く、初めて体験する壮絶な痛み手と神経が焼き切れる  「あぐっ、あうっ、痛ッ……」  捻りを加えた穂先が手のひらを穿孔、貫通。  身をよじり払いのけようとした先から肩と手首を踏まれ床に固定、チンピラが笑いながら穂先をぐりぐり回す、抉りこむ、手のひらから蒸気が上がる、全身の毛穴が開いて濁流の如く噴き出す脂汗、瞼の裏で点滅する赤い輪っか、熱い痛いこんな痛み知らなかった「ひあっ、あうっ、あ」目を剥く「熱ッ、やめ、手、」まだ?まだ続くのか終わらないのか、引っ込めようにも手首を踏まれてたんじゃ無理、不可能、助けてだれか  「灰皿になるんだろ?」  「大好きなザクの身代わりになれて幸せもんだ」  悶絶、仰け反る、ばたつく、声にならない絶叫を放つ。  「うるせえぞ、お前ら。なにやってる」  「あ、森さん。すいません、遊んでたんです」  薄れゆく意識の彼方でドアの開く音、森の声、チンピラが途端に気をつけの姿勢をとる。  ようやく煙草がひっこむ。  手のひらの皮が剥けてひりつく。  「……う……ぁぐ、ふっ……」  塩辛い涙が頬を伝う。  手のひらから一筋煙が上がる。  目と鼻の先にザクが投げ落とされる。  指を一本動かしただけで激痛が苛む。  鼻先に落下したザクに震える手を伸ばす。  気絶しなかったのが不思議だ。  どうにかザクとの接触に成功し、懐へと掻き寄せる。    情けない八王子東。  泣くしかない八王子東。  大事なものが目の前で壊され貶められてもなにもできない、所詮はひきこもりニートオタクの八王子東。  「こがねいざん……にげで……」    こんなヤツたすけにくる価値ない  ほうっといてくれ  死んだほうがいい人間なんだから  いらない人間なんだから  迷惑かけっぱなしなんだから  生きてたってどうしようもないんだから  鼻水と涙を一緒くたに啜り、ザクを抱きしめて呟く。  「聞いた?こいつなまってやんの、笑える」  「八王子の方言かあ?」  チンピラが暴行を再開、頭に肩に背に腿に蹴りがくる、芋虫のように身を縮める、壊れたザクをぎゅっと胸に抱きしめる、ぼくは平気だ、痛みなんか感じない、ザクが一緒だから平気だ、せめてザクだけは最後まで守り抜く。  冷たく固い床に転がる、身を挺しザクを庇う、ぼくの大切な物、八年間ずっと一緒だった友達、辛い時苦しい時いつも見守ってくれた、悪夢にうなされた夜は抱いて寝た、そうしたら不思議と安らかに眠れた、だから守る、守り抜く、殴る蹴るされるくらいなんだ、須藤さんに裏切られた方がもっと痛かった、小金井に裏切られた方がもっと痛かった、小金井を信じられなかったほうがもっと……    「ごめんなざい、ごめんなざい、ごめんなざい」  唇が切れ口の中に鉄さびた味が広がる、強く強くザクを抱く、渾身の力で抱きしめる、無我夢中で謝る。  ぼくは誰に対し詫びてるんだろう。  チンピラに?  小金井に?  迷惑かけどおしの家族に?  電話を叩ききった須藤さんに?  守れなかったキュアレモネードに、ザクに?  「やめろ」  森の一声を合図に、暴行がやむ。    「来た」  重い音たてシャッターが開く。  二階の手すりを掴み眼光鋭く睥睨する森、さらに暴行をくわえようと足振り上げた姿勢のまま静止するチンピラたち、鼻血を流したぼく。  全員の注目を集め、シャッターの向こうからやってきた影の目鼻立ちが、闇に慣れた目におぼろに浮かぶ。      硬質な靴音を殷々と響かせ、野良猫のようにしなやかな身ごなしで闇を渡ってきたのは    「こがねいざん………」  「遅れてごめん、東ちゃん」  小金井リュウの大馬鹿野郎。

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