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一章四話「未詳」
「ゆっくり休めたかい?」
湯気の立つ紅茶の水面を眺めていた和仁 に、明仁 は語りかけた。修祓師の適性がある、と判明してから二人で上京し、2年も過ぎれば生活は安定していた。穏やかな兄は和仁よりもずっと要領がいい為、国家修祓師の中でも和仁の上司に位置していた。しかし彼は「人には適性があって、人をまとめるのが得意だっただけだよ」なんて謙遜を言ってばかりだ。和仁自身も、自身のマイペースさと兄との関係性もあり、立場としては上司と部下であることなど気にしたことも無く、どちらかというと信頼出来る人間が上司である事を得に思っている程だった。
昨日のような特殊な出来事があった際も、彼の進言により日を改めて報告することが許され、少女も医務班の保護、という扱いにすることが出来た。昨晩の出来事は彼自身も消化しどう動くかを決めかねており、兄に話がしたい、というのが彼の願望でもあった。
「で、悪霊に逃げられたというのは本当かな?」
「嘘をつきました」
ハッキリ、キッパリ、悪びれもせずに言っているようなその態度に、彼の兄でなけれ神経を逆撫でされてもおかしくないが、明仁は変わらない口調で、「どうしてか教えてくれる?」と尋ねた。和仁は頷いてから、順を追って話した。悪霊が観測された場所には気絶した人が居て集られていたこと、時間にして一時間程で誰かが現れたこと、彼は霊力を使っていたこと、その人が穢れを回収し、逃げたこと。一通りポツポツと話すと、静かに聞いていた明仁は動揺した様子もなく、「それは困ったね」と言って紅茶を傾けた。
「困りますか」
「うん、二つ程困ったね」
「二つ…」と明仁の言葉を繰り返すと、彼は変わらない口調で、「和仁は何か分かる?」と聞いた。
「その人が霊力を使ったこと、穢れを回収してしまったこと、です。」
「その通り」と返して、明仁は尚も穏やかに語り始めた。
「霊力を使った人が修祓師なら良いが、それが不明であること。そして一番問題なのは穢れが持っていかれてしまったこと、だね。霊力を使うには国への登録が必要だから、誰か分からない事にはそれを調べることも出来ないけれど、登録をしてあるというならば問題は無いので保留としよう。けれど、穢れを持ち去ってしまったということは非常に問題だね。」
「穢れ、は管理が必要だからです。」
明仁は和仁の言葉に頷いた。穢れ、とは人の負の感情から生まれるエネルギーと言える。そのエネルギーは誰しも持ってはいるが、容量を超えたエネルギーは暴走を始める。そうして理性を失った精霊を「悪霊」と呼んでいる。穢れは人から生まれるが、人は肉体があるため穢れが影響することは難しいが、霊体が主体である精霊は穢れに侵食されやすく、悪霊に転化することがある。悪霊になると、人に取り憑き、人は穢れを生み、負のサイクルが出来上がるのである。つまり、根源である穢れを持つ、というのがいかに恐ろしい事かというのは修祓師は理解しているのである。
一般的に考えれば「霊力を扱える」ことの方が分かりやすく力を持っているように思うため、畏怖する人が多いが、穢れに目をつけている時点でこのサイクルを理解している人間であり、冷静になればかなり危険であるということを頭では分かっていた。けれど、あの今にも泣き出しそうな目を見ただけで、ただ「泣かないで欲しい」という願望だけがあった。
「責任は私にあります」
和仁は明仁に対し深々と頭を下げた。自身の非を無視している訳ではなかったからである。仕事と血縁は関係ない、というのはよく明仁が言う言葉だった。それは突き放す意味ではなく「血が繋がっているから信頼している訳ではなく、仕事ぶりから優秀な部下であり、それは君の実績によるものだ」とかつて兄にいわれたことを和仁自身も誇りとしているからである。だから、今回の件に関しても弟という立場ではなく、部下としての正しい処遇を判断して欲しいという願いを込めた言葉だった。
「でも、良かったこともある」
わかる?と聞かれ、和仁は素直に首を横に振った。ふふふと笑った明仁は二人しかいない部屋の中で悪戯っぽく声を潜めて、「ネズミ退治だよ」と言った。首を傾げた和仁に対して、スっと目を細めて絵に描いたような美しい微笑みを称えた明仁はまるで寝物語を語るように離した。
「誰かが、穢れによって何かをしようとしているということが分かったんだ。褒められて然るべきだし、少女の保護は私たちの手柄ということだよ。」
その言葉通り、明仁は和仁が何かを隠しているのを察した時点で手を回していた。彼が悪霊を取り逃した、という違和感。被害者とは言わずただ「保護した」と言う言葉はその少女になにかきな臭い部分があるように和仁が感じているということで、まさか穢れが持ち去られた、とまでは思っていなかったが、それでも「悪霊」と違う部分に普段通りでは無いことがあったということだ。報告は改めて、と言いくるめて真意を確かめた後にしか明言をしないように、あえてのらりくらりと微笑みかわした。普段から善い行いをするのはこういう時のためでもあり、ほとんどの人はこのことに言及することは無いだろう。
しかし、明仁には一人の人物だけが気がかりで引っかかっていた。里見与 、という男は明仁同様、修祓師の班を持つリーダー各の男である。が班としては組織内一位であり、組織図では横に並んでいるが、暗黙の了解として「上」にいる男である。
『本当に、取り逃したのは悪霊だったんだな』
そう彼は明仁に尋ねた。久慈はそうと言っていました、と返すと「弟は、ねぇ」と与は含みを持って繰り返した。笑顔を崩すことなく会釈して明仁が去れば、彼は引き留めることはしなかったが、こちらとしても彼の意図が読めないのは頭が痛い。幸いだったのは、話しかけられた場所に二人しか居なかったことだ。他の人にもこの件に関して睨まれるのは御免だった。
(厄介だな)
飲み干すように傾けたティーカップの中身はもうとうに冷めきっていた。
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