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一章五話「含有」
シンと静まり返った部屋の中にはキーボードを叩く音が響いている。辺りには飲みっぱなしの缶コーヒーに律儀に折りたたまれて一つ結びにされたお菓子のゴミが並んでおり、濃いジャスミンのような香りが漂っていた。机の傍に立てられた藤の香が煙を漂わせるチグハグな部屋の中に鶴首を液晶に傾けた美人は神経質そうに眉間を揉んだ。静かに部屋に入ってきた藤原業 は、保護者である藤原籠目 の後ろ姿をみて、「掃き溜めに鶴」と失言を頭に浮かべながら気配を殺していた。
「おかえり」
何かに集中している風だったにも関わらず物音の一つも立てていない業に気づいた籠目は座っていたキャスター付きの椅子を回転させて業を迎えた。「ただいま」と笑顔で返したが、養父には違和感などとうにバレていて、籠目は含みのある目でじっと業を見つめていた。
「……ちゃんとやることはやったよ」
「うん」
会話として成立していない返事を受け取りながら、業はカバンの中からいっぱいになった吸穢器を5つ程取り出した。近づいてきて、それを受け取りながら籠目は「観測量に足りない」とじっと業を見つめていた。業もしばらくは黙っていたものの、耐えきれなくなり「途中で数本分食べた」と白状した。深くため息を吐いた籠目は呆れを隠しもせず、「今後はやめなさい」と一言注意した。
「でも」
口答えを咎めるように籠目は業を睨んだが、業は肩を竦めてそれを受け流しながら言葉を続けた。吸穢器は霊器の一つである。つまり霊力を使うことにより扱えるものであり、一般人からするとただのガラクタに過ぎない。そのため、使用するとどうしても霊力の残滓をその場に残してしまう。姿をあらわさずにさっさと消えてしまえば、吸穢器自体は修祓師も使うため気にも止められないが、今回のような場合はその残滓を探られる可能性が高く、しばらくは慎重になる必要もある。つまり吸穢器の使用は元々リスキーではあるのだ。業としては、自身がそのまま取り込んでしまえばいい、と主張を繰り返すが、籠目がそれに同意したことは一度もなかった。今回も籠目は押し黙ったまま業をしばらく見つめ、「せめて報告はしなさい」と頭痛を抑えるようにこめかみを指先で押していた。
「何故」
端折りすぎる物言いは籠目の悪い癖だが、慣れている業はそれだけで伝わるため、彼がわざわざ接触のリスクを犯したかについての理由を尋ねているのだと分かっていた。どうしようか迷いはしたものの、黙っていたからといって益があるわけでもなく、根負けして業は籠目に吐露した。
「和明 だったんだ」
その一言で籠目は一呼吸分固まってから、言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。仕方ない、そうか、そうであったとしても、どの言葉が相応しいのか、籠目には正解が見つからず、何度も口を開いては閉じて、を繰り返した。
「覚えては」
やっと籠目が投げかけた質問に、業は歪な笑みを浮かべて首を振り、「これで良かったんだよ」と言った。自分のことなど知らなくていい、今生は。業はどこかで自分をどうしようもなく愛することができなくて、前世の最期なんてはっきりとは覚えていないが彼の表情が失意に塗れていたことは瞼の裏に焼き付いていた。涙を拭おう、と伸ばした手が、もう既に形を保っていなくて、酷く絶望した感覚は自身の魂に嫌というほど刻まれていた。
「…しばらく手を引こう」
その籠目の言葉に、首を振って断った。業の身と気持ちを案じているのだと彼も理解していた。けれど、どうしても無視できないことが一つだけあった。
「繭子 が居たんだ」
和仁 が連れ帰ったため、すぐに話を聞くことは難しいだろうが、彼女があんなに悪霊に襲われていた、ということは彼女の霊媒体質は千年前と変わらない可能性がある。そうであったならば、早めに手を打たなければ、今回程度では済まない可能性もある。
「繭子については私で調べる」と告げた籠目は明日も学校だから寝なさい、と業に言い聞かせた。
「明日、缶ゴミの日だから、それ片付けたらね」と籠目の机の上を指さしながら皮肉をいうと、籠目は悪びれもせずに「今からやる所だったんだ」と言いながら新しいカフェオレのプルタブを開けた。
案の定、業が朝起きると彼の書斎の上は昨晩よりも酷い有様になっていた。学校の準備をして、缶を濯いでから指定のゴミ袋にまとめながら画面に映っていた情報に目を走らせた。あの後に繭子のことをしらべたのだろう。業は、彼女が今では「澤部真由 」という名で隣のクラスに在籍していることなど全く気づいておらず目を丸くした。あの背の高い少女を見落とす訳がない、とスクロールして読み進めると、入学以来不登校である、という一文を見つけて納得した。
昨日の今日、では彼女はまだ回復も、解放もされていないであろうことは分かりきってはいたが、どうしてもいてもたっても居られず、昨日の現場に訪れていた。すると、そこには和仁よりもずっと小さな人影があり、警戒しながら近づいた。
そこに居たのは少女然としながらも、凛々しさを醸し出す大きくつり上がった猫瞳を持った作り物のような美少女だった。その風貌に覚えのあった業は思わず「貴 ……」と声を漏らしたが、業に気づいた少女はあからさまに不機嫌を露わにし「人違いだ」と返した。どうみてもこちらを認識している様子に、業はつい嬉しくなり、悪戯っぽく笑いながら近づいた。
「貴ま」
「貴嶺 だ」
キッと業を睨みつけながら名前を訂正したあと、しまった、と言わんばかりに彼女は自身の口を手で覆った。業は咄嗟にその腕を掴み引き留めると、貴嶺は白々しく「女子の腕を易々と掴むな!」と抗議をしながら暴れた。このままでは痴漢と思われかねない、と困った業は「頼む、協力してくれ」と頼んだが、貴嶺は「人違いだ!」と少女らしくない口調で断りを繰り返した。
「繭子が!大変かもしれないんだ!」
そう、業が零すと、ピタリ、と貴嶺の動きが止まった。
「…繭子が居るのか」
もはや千年前を覚えているかどうかなど愚問で、勝ち誇ったようにニヤリと貴嶺に笑うと、彼女は目を釣りあげて、怒り任せに業の背中を強く蹴り飛ばしてみせた。
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