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一章六話「秘号」
全て、無意味なことは分かっていた。けれど、蓮貴嶺 は千年前について調べずにはいられなかった。物心がついた頃には自身の異常性に気づいた。有り得ないような、一生分の記憶があって、自分は頭がおかしいのでは無いかと幾度となく考えた。やっとその苦痛が救われたのは小学校の社会の時間だった。
『天祥 と呼ばれる時代に大厄災と呼ばれる災害がこの国を襲いました。天司官と言われる人たちの管理不行届と反乱によって国中が壊滅的被害にあいました。』
この出来事を知っていた。そして、気づけば泣いていた。感動などではなかった。それが全て「天司官」のせいにされた屈辱によるもので、悔しくて涙を止めることもできなかった。それから十年経とうとも調べることを辞められないでいる自身の諦めの悪さも自覚している。けれど、自身だけではなく、仲間たちも命を賭して戦った、その屍の上に成り立っているこの国の歴史で彼らは賞賛されないどころか諸悪の根源として扱われている。千年信じられてきた歴史を変えることなど不可能だけれど、英雄として相応しい人々の名前が「天司官」と書かれただけで終わることが悲しかった。
記憶の中にある名前を、書籍で見つけると、自分だけしか持ちえないフィクションのような話に小さな確信が積み重なる。歴史資料館の持ち出し禁止の棚で見つけた古びた本を、気づけば鞄に隠してしまった。それを御守りのように持ちながら「いつか返します」と心で唱えて罪悪感を押し殺し歩んだ帰り道、目の前を悪霊が通り過ぎていった。そんなことは日常茶飯事ではあるが、数体が同じ方向に向かえば、それは明らかに事件の可能性の方が高いということである。一瞬向きかけた足先が、ジャリッと音を立てて、その場に留まった。微かに甘い香りもする。何かがあったのかもしれない。被害が出るかもしれない。離れることも向かうことも出来ないままそこに縛り付けられてしばらくすると、香りが遮られたように薄くなった。結界が張られたのだ。誰かが対応している、ということが分かり小さく安堵の息を漏らしてから、自身の滑稽さに自嘲した。
「俺はバカか」
霊力、とは多い少ないはあれど人間誰しも持ちえるものである。しかし、扱えるかどうか、が限られていて、操ることができれば今で言われる「修祓師」の適性ありと診断されるのだ。もちろん貴嶺にとって霊力は幼い頃から手足と同じように扱うことができたが、今生では修祓師になる気など更々無かった。目の前を走っていった悪霊の事なども、自身には関係ない、と頭を振って帰路に着いた。しかし、その晩はどうにも胸騒ぎがして、鞄から取り出した本をそっとベッドサイドに置いた。
翌日になっても、なんとなく昨日のことがグルグルと巡っていた。とうに解決はなされたのだろうし、今更行ったところで何にもならない、とは分かっていたけれど、どうせ気になり続けるのならば「終わった」ことをこの目で確認した方が早い、と貴嶺は意を決して昨日の微かな残滓を辿った。
「何も無いな」
当然の事だった。車通りもあまりない住宅街の中の小さな交差点の真ん中で、貴嶺は周りを見渡しながら呟いた。誰そ彼時とはよく言ったもので、向こうからやってくる人影が誰か分からず目を細めた。沈みかかった夕陽で髪が灰色がかった青年だというのがわかった。
「貴……」
その声でピン、ときた。懐かしい声。ずっとずっと忘れていた音だけれど、その名を呼ぼうとする一瞬で彼が呼ぶ時のそれが鮮明に蘇って、あの絵空事のような日々が現実味をまして、やけに興奮している自身が嫌だった。拒絶しよう、引き返せる。「業在 」という呼び掛けを必死で飲み込んだ。
「人違いだ」
拒否を投げかけたが、親しげに掴まれた腕を強く拒め無かった。胸に込み上げるのは言いようのない懐かしさ、そして、罪悪感。過去を思う時に、怒りと屈辱と、そして途方もない罪の意識と、諦め、悲しみ、全てがぐちゃぐちゃで、夢であればいいという望みがなかったわけではなかった。俺を許すな、と声を荒らげそうになる。だから、今生は知らぬ存ぜぬで全うさせて欲しかった。けれど、「協力してくれ」という彼の言葉にどこかで心が踊っている。思い出の中には、楽しい日々だって沢山あった。愛しい人も、居た。もう会えないだろうけれど、ノートの端にその名前を幾度となく書いては消した。
もう振り返らない、と決めた背中に、彼は「繭子 が!大変かもしれないんだ!」と言葉を投げかけた。友人だった。今腕を掴んでいるこの男だって、袂をわかってしまったが、親友だった。無視をすればいい。放っておけばいい。
『死なせて』と彼女は最期に言ったのだと業在はかつて自身に告げた。今世こそは幸せになってもいいだろう、と自分が頭で喚いていた。
「……繭子が居るのか」
貴嶺の返事に、笑う彼の顔に腹が立って蹴り飛ばしたその時、彼の腕に巻かれた端末が通知を鳴らす。それを操作しながら、彼は早速なんだけど、と貴嶺に話を切り出した。彼の通う学校に悪霊の反応が検知されたらしい。どうしてわかるのかと疑問の表情を浮かべている貴嶺をみて、彼は「御籠 がハッキングしてランクが高いものを送ってくる」と簡単に説明した。
「御籠様もいるのか。相変わらずだな。」
「今は籠目 っていうんだ」
籠目様、とオウム返しにしながら、彼の名前を聞いていなかったことを思い出した。
「お前は」
一瞬理解していない表情を浮かべたが、文脈で理解したらしく「ああ」と相槌を零した。
「業 、前世の悪行の報いって意味らしいよ」とシニカルに笑う彼に、貴嶺は「言い得て妙だな」と皮肉を返しながら、並んで走った。
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