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一章七話「模倣」

コンコンコン、と扉を叩く音がした。トイレの中に少女は一番奥の個室で息を殺した。高い背を必死に折り曲げて、「だめ、やめて」と心で唱えた。外からは下品に笑う数人の笑い声が聞こえた。今日は、頑張って学校に来たのに。目覚めたら知らない施設にいて、よく分からない事を聞かれて、全てに首を傾げていたら解放された。学校はとうに始まっていたけれどそれでも彼の望みを叶えようと重たい足を引きずった。昨日は午後の授業の途中で、同級生に見つかった。同じ轍は踏まない、と周りを警戒しながら入った。時間は放課後。無意味だけれど、来た、ということだけでも誰か教師に伝えられたら、と。スクールバックを前に抱えて、足音を立てないように歩いていた。昨日、同級生達によって蹴られ、踏みつけられ汚れていたそれは、同じ学校の上級生であり目覚めた施設にいた、有名な「久慈和仁(くじかずひと)」が眉間に皺を寄せて埃をはらっていたのに驚いてひったくって帰った。酷いことをしてしまった。学園のアイドルにまで嫌われてしまったかもしれないと身震いをする背中に「ねえ」と呼びかけがあった。振り返ると、見たくなかった同級生の姿があり、駆け出した彼女を笑いながら追いかけてきた。怖い、怖い、声を殺して口だけで唱えながら個室で小さくなる。わざわざ空室のトイレのドアを叩き笑っている。彼女の個室のドアが叩かれ「遊びましょう」と言われた。その瞬間、頭から大量の水がかけられ、それは薄汚れて生臭かった。耳元で幼い声で「はぁい」と返事が聞こえた。顔を青ざめさせた少女はカバンの中の御守りを握る。そこから、真由(まゆ)の記憶は無かった。 (ごう)は通知を受けた後、ランクが昨日より高いことを確認して、そばにいた貴嶺(たかね)を抱え転送術を使った。久しぶりの感覚に彼女は一緒驚いていたがしばらくすると慣れきって数分の道行の中で業の端末を使って籠目(かごめ)からの資料を眺めていた。姫抱きを嫌がった貴嶺の腰を担ぐように抱いていた業は、彼女の「3階の女子トイレ」という言葉をきいて、貴嶺の持ち方を変えて頭を抱え込んだ。いきなりで目を白黒させている彼女をよそに、窓からスルリと入り込むと、少女たちの悲鳴が聞こえてきた。まだ結界は貼られておらずそこに原因の悪霊もいるということだ。昨日嗅いだような甘い香りもしている。 「繭子(まゆこ)だ」 「……それより生徒を避難させるぞ」 窓枠にしゃがんだままの業の腕から廊下に降りた貴嶺はそのままトイレに向かって走ると、廊下の向こうから「逃げなさい!」と怒鳴る声が聞こえた。和仁だと理解した瞬間、業の喉がヒュッと音を立てた。カラーコンタクトをつけたままだと見えづらいような気がして、現場に行く前に外したせいで赤い目はそのままに、フードはかぶっておらず下校途中だったため制服もそのままだ。涼やかな彼の目はしっかりと業を捉えていた。 「しっかりしろ!」 貴嶺の声がしたかと思えば小柄な体で彼女は一人を背負い、二人を引きずりながら少女三人をトイレから救出していた。三人の少女は気が動転しているようで、口が震えて上手く言葉が紡げずにいた。その三人を追うように小さな女の子が奥の個室から現れたが、トイレから外に出ることは出来ないようでギリギリと歯を鳴らしている。業は奥の扉から白い手がくたりと倒れているのが見えて貴嶺とすれ違うようにトイレに駆け込んだ。 「業在(なりあり)!」 貴嶺が咎めるように呼んだが、振り返りもしなかった。それに続くように「助かった」と貴嶺に感謝を投げかけ、和仁はトイレの中へ入りながら結界を展開した。 「おい、和明(かずあきら)!」 貴嶺が覗きこんだ時には場が転送され、そこはただのトイレへと戻っていた。貴嶺は自身の足元でしゃがみこんで震える少女を見て、深くため息をついた。 業は直ぐに真由の傍にしゃがみ込んだ。到着と転送が早かった為、悪霊が集まってはいなかったが、一体の格が明らかに昨日とは違っていた。 「おにいちゃんたちがあそんでくれるの?」 業に続き和仁も避けて入ってきた、入口に佇んでいた少女は、拙い言葉で嬉しそうに呟きながら、人間の可動域を超えて首をグルリと回した。和仁は刀を鞘に収め、しゃがんで目線を合わせた。 「何して」 その言葉に嬉しそうに目を細めた少女は、和仁の前まで歩いてきた。着せ替えをしましょうと少女は言った。 「ほんとうは、おんなのこがよかったわ」 でも、おにいちゃんきれいだからいいの、そう言って少女は和仁の髪に手を伸ばした。触るな、そう思った。真由を助け起こして、意識を失っている彼女の濡れた身体に着ていたシャツを掛けた。彼女は全身が濡れていて、頭を預けさせた自身の胸元はTシャツもぐっしょりと水を含んでしまったが、業はそんなことに構っている場合ではなかった。必死で自身の行動を抑えて事の行方を見守る。すると少女はニッコリと笑って言った。 「そうだ、赤いおべべがいいわ」 少女が振り上げた手には鋏が握られていた。それを見た瞬間、業の口から言葉が盛れた。 「やめろ」 少女の動きが止まる。少女はなんで、と繰り返し同様していた。自分の口の中から込み上げた毒のような香りが口元に色を孕んで漂った。 「どうして、こうやってあそんだでしょう!水をかぶせて、苦しませて、それが遊びなんでしょう!」 少女は慟哭した。和仁は言葉を発した業に気を向けていたが、業が力を使う前にしっかりと自身の刀によってガードしていた首元からそれを動かし、鞘に収められたまま刀を少女に打ち付けた。和仁は切られたような衝撃を受けて少女はのたうち回る様をみて、穢れがかなり癒着していることを悟った。癒着がひどいと吸穢器で吸い込めても、精霊が悪霊から元に戻れることは無い。処刑するしか道はないのだ。和仁は少女の胸に刀を突き立てているが、迷いがあるのか鞘に収められたままだった。 『処しなさい』 結界外からの干渉で穏やかな声が響いた。和仁はそれに答えるように「はい」と呟いて、刀を鞘から取り出した。そして静かに振り下ろすと、少女の形をした悪霊が「あそぼう」と呟いていた。穢れから先に消滅するため、精霊が召されるまでしばらくは元の姿に戻る。あの、自身が殺したと突きつけられるあの瞬間が業は嫌いで、和仁を案じるように見たが、背を向けられて表情までは伺うことは出来なかった。 結界が解けていく。業は真由を肩で支えながら立ち上がると、和仁は小さな、でも業に確かに届く声で尋ねた。 「悪霊を、操れるのか」 業は押し黙った。 「そこでは何だから、外で話をしよう」 結界に干渉した時と同じ、穏やかで、しかし有無を言わさない声がして、トイレを覗き込む和仁によく似た美青年の姿があった。 「常明(じょうめい)様……」 小さく、業は呟いたが、和仁にはその声が聞こえていて、彼をちらりと盗み見た。視線に気づかずにぼんやりと兄をみる彼の姿に、和仁はモヤモヤとした不快感が残った。

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