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一章八話「微笑」

放課後の廊下、人払いも済んでいない校舎で、酷く怯える女子生徒、そして自身は他校の制服を纏っている。蓮貴嶺(れんたかね)は頭を抱えた。明らかに怪しい状況をどうにかしようと、女子生徒たちに手刀を食らわせてからとりあえずは寝かせる事にした。人が来る前に、と一人を背負って顔をあげようとすると、目の前に影が落ちている事に気づいた。音も、気配もない。何かあれば少女達を守らなければならないが、丸腰だ。時間を稼げば、業が戻るはずだ、と拳を握り込むと、指の長い綺麗な手がそっと重なった。 「敵ではありません」 助けにきました、と優しく語りかける声を知っていた。この人は、どうして、ずっと変わらず、誰にでも等しく優しいのか。 「お名前は?」 もう関わらない、貴方は知らなくていい、自分だけが思っていればよいと、何度となく思ったというのに、震える声は魔法にかかったように音を漏らしていた。 「蓮見貴(はすみたか)……」 違う、と急いで閉口すると、目の前の美しい人は高い背を折り曲げて貴嶺に目線を合わせた。「蓮見さん?」と繰り返す口調が昔を思い出させて泣きそうだった。下唇を噛んでぐっと堪え、目線を外して地面をみつめた。彼は貴嶺の態度に気が動転している被害者だと思ったのだろう。待つように貴嶺に告げ、結界に触れた。恐らく中へ何かを伝えているのだろう。この兄弟は過去でも結界術に長けていた事を思い出していた。「蓮見司官」あの声で、彼はそう呼んでいた。お名前は、なんて当たり前で、痛みを生む音なのだろうかと思った。 ブツンと音がして、結界が解かれたのが分かった。彼が中に向かって「そこでは何だから、外で話をしよう」と呼びかけている。トイレから出てきた(ごう)は地面に目線を貼り付けたまま動かない貴嶺を見て声をかける事をやめた。 「貴方は弟が言っていた方ですね」 そう、明仁(あきひと)は確信を持って業に問いかけた。言い逃れは出来ない。この口ぶりからは穢れを持ち去ったことも、既に彼の耳には入っているのだろう。霊力を使った、程度ではどうにか見過ごされたかもしれないが、穢れを持ち去る、ということはどう考えても見過ごすことの出来ない悪事である。実際、千年前に御籠(みかご)、現在の籠目(かごめ)はそれが見つかり天司官長代理という実質のNo.2から処罰の対象へと墜落した。ましてや大厄災という歴史に刻まれた事件の後の今ではあの頃よりも更に重罪にみられることなどどんな愚かものでも理解できるほど明らかだった。 業は粒子のように細かくなっていく、先程の悪霊の亡骸をみた。死にたての肉体が僅かに動くことがあるように、霊も命は朽ちてもまだ死んだばかりでは僅かながら力は残っている。罰当たりなことは理解していた。 (ごめん、少し力をかしてくれ) 和仁(かずひと)は、業の口から先程のように赤黒い空気が漏れていることに気づいた。 「起きろ」 業が呟いたその瞬間、ほぼ空間に溶けかかっていた少女が、目を開き、動き出して眠っている少女に向かっていった。不意をつかれた和仁は反応が遅れて刀が空を切った。貴嶺は咄嗟に少女たちの前に立ちはだかり、すぐそばにいた明仁は一歩も動かずに小刀を少女の霊の脳天に投げ貫き通していた。三人が一気に悪霊に反応したその隙に、業は窓に体を滑り込ませて外へ飛び降りた。和仁が伸ばした指先が一瞬彼の指先に重なって滑り落ちた。 「……逃げられてしまいました」 和仁が一瞬で見えなくなった後ろ姿を追うように外に目をやったまま呟いた。明仁は貴嶺に「怪我はありませんか」と問いかけ、貴嶺はまだ同様したまま、辛うじて「ああ」とだけ返した。何故、一般人を狙うような真似を、と疑問が湧いて、それはすぐに明仁の発言によって合点がいった。 「…巻き込んでしまい申し訳ありません。あの方については現在調査中なのです。」 業は、彼らの前で「貴嶺は仲間ではない」ということを見せたのだ、と悟った。被害が出ていたらどうしたんだと心の中で毒づきながら、それはここに居る人間への信頼なのだと分かっていた。貴嶺は日が姿を消した外へと一人で消えていった親友を思った。「送りましょう」という明仁の申し出を断って一人帰路についた。 「流石に、報告の必要がある」 明仁は去っていく貴嶺の後ろ姿を見つめたままハッキリと告げた。穢れを持ち去っただけではなく、一般人を襲い、そして悪霊を操る力すら持っている、これはどう見ようとも「黒」以外の何者でもなかった。分かっている。それでも。 「知りません」 私は、彼を知りません、そう和仁は告げた。貴嶺が去った道から視線を戻し弟をみた明仁には、それが嘘だとは分かったが、「そう」 とたった2文字だけを返した。 追っ手を予想していた業は、あっさりと逃げおおせてしまったことに動揺していた。繭子は、貴嶺は、和仁には、どうしようもなく回らない思考をそのままにバタバタと家へ駆け込んだ。 「かっ…籠目、どうしよ、俺」 ディスプレイから籠目は目を外し、「大丈夫、見ていた」とだけ返した。そのディスプレイ内では二人がまだ会話を続けている。「赤い目としか」 顔を完全に見られていたが、和仁はなんの意図かわからないが業を庇おうとしていた。しかし、どう足掻いても罰は免れない。学校なんて悠長なことも言ってられないだろう。しかし、このまま繭子を見捨てることもできず、彼らを疑っているわけではないが彼女の処遇についてがどうしても気がかりだった。自身の失態の大きさも理解しているが、よい対処すら浮かばず籠目の「大丈夫」の根拠の想定すらつかなかった。 「…彼を協力者にしよう」 籠目は画面に映った明仁を指さしていた。

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